第二十四話 端里
「みなさん……どうか……よろしくお願いします」
潤子は涙を袖で拭いながら、なんとか最後の言葉を言い切った。
撮影が終わった。潤子はその場に崩れ落ち、両手で顔を覆う。涙が溢れて止まらない。
「……みんな、ありがとう」
母さんが、肩を優しく抱えてくれる。
「よくやったわ。あなたの想い、私には確かに伝わった」
父さんが目の前でしゃがみ込んだ。
「慣れないことをして、疲れただろう。少し休みなさい」
母さんに寄りかかりながら、祠の側へ歩いていくと、その場に腰を下ろした。
「おじいちゃん、ごめん。上手く出来なかったかも……」
おじいちゃんは、何も言わずに潤子に頭を下げた。神様に頭を下げられ、慌てふためいてしまう。おじいちゃんの肩に手を置いた。
「お願いだから頭を上げて。身体の調子だって良くないんだから」
おじいちゃんは顔を上げた。その眉尻を下げた顔は、優しげな笑みで満たされている。
「潤子さんや、こんな老いぼれじぃのために、本当にありがとう……また、橋祭りに行けそうじゃ」
橋の神様の言うことに外れはない。自分の顔が綻ぶのが分かる。
「うん! 任せて。絶対に成功させるから」
大林が晴れやかな表情を見せながら、こっちへと歩み寄ってくる。
「これだから、メディアは止められないですね。あ、さっき言った通り、今撮った動画の広告収入の半分、寄付しますよ。私のポケットマネーもね」
「ありがとうございます。これで寄付金ゼロってことは無くなりましたね」
彼は大げさに手を振った。
「何を言ってるんですか。集まりますよ、これ。長年この仕事をしてると分かるんです」
大林はそう言いながらも、橋の向こうへと視線を移す。
「それよりも気分転換がてら、少し探検しませんか? 実を言うと、橋を渡った先に何があるのか気になってたんです」
可奈が教えてくれた、橋の側にあった端里という言葉が脳裏に浮かぶ。大林の提案に頷いた。
「はい。もしかしたら橋守家のルーツが何か残ってるかもしれません。この橋、初代橋守が建立したって伝承が残ってるんですよ」
「それは興味深い。そちらでも新しい発見があるかもしれませんね」
潤子たちは、ゆっくりと橋を渡り、その先へと続く荒れ果てた道を進む。鬱蒼とした木々はすぐに開けた。好き勝手に伸びた雑草の間に、朽ち果てた茅葺きの家が何軒か建っていた。土蔵まである。奥の方に湯気が上がっている。温泉だろうか。
大林が辺りを見回した後、ガッツポーズした。
「これは……勝ったかもしれませんね」
思わず彼の顔をマジマジと見てしまった。この荒れ果てた集落に何があるのだろうか。
「勝った、ですか?」
「はい。ここをリノベーションすれば、人を呼べますよ。温泉まで湧き出しているとなると……最高ですね。いえね。最近、古民家ブームなんですよ。見た所、かなり古い家ばかりだ」
父さんが彼の隣に並んで集落を見回した。
「しっかり土台が残ってるな。崩れずに残っていたことを考えると、骨組みには檜とか丈夫な木材を使っているんじゃないかな」
隼人が興奮気味に叫んだ。
「おおー、すげえな。ちょっと探検してくる。可奈さん、行こう」
「う、うん!」
彼はびっくりした顔の可奈の手を引いて、そのまま駆けていく。母さんが二人に向かって慌てて叫んだ。
「危ないから、家の中には絶対に入っちゃだめよ!」
さらに奥へと進む。石組みの水路の崩れた部分から湯が地面へと流れ落ちていた。もうもうと湯気を上げながら。大林が指を鳴らす。
「ビンゴ」
母さんが、その水路を興味深げに覗き込んでいる。
「これ、ちゃんと直してあげれば、温泉として使えそうね」
父さんも頷いた。
「ああ。来週にでも、役場に集落のことを報告しておこう」
蔵の近くまできた。智子は動画を、可奈も隼人から離れて一眼レフで写真を撮りまくっている。
「古民家に泊まって温泉とか、映えそうだな」
「撮った写真、教授への良いお土産になりそうです」
「みんな! 来てくれ」
蔵の前で隼人の声がする。全員が彼の元へと集まった。
「これ見てくれよ」
土蔵に掲げられた木の札には『橋守蔵』と書かれてあった。
潤子は父さんと一緒に、木札をしげしげと眺めた。
「ねえ、父さん。もしかしてこの中に橋の資料とか残ってたりするのかな」
「もしそうだとすると、橋を直す意義も跳ね上がるぞ。歴史的な価値が証明されたものを修繕する訳だから」
大林も、横から蔵の扉を覗き込む。
「そうなったら、これは特ダネになりそうですね」
潤子たちは一通り確認すると、祠の前へと戻った。
「ねえ、おじいちゃん。橋守蔵って書かれた土蔵を見つけたの。何か知っている?」
「おお、知ってるぞ。勘五郎が建てた蔵じゃ。色々としまっておったぞ。蔵の中で一緒に酒を飲んだものじゃ。あやつの奥方に隠れてな」
勘五郎。どなたなのか。奥さん、怖い人だったのかな。
「橋守勘五郎。初代橋守だよ」
父さんの声。まさかの初代橋守だった。振り返ると、父さんは珍しく興奮しているような様子だった。
「そろそろ行こう。おじいさん、またすぐ来ます」
おじいちゃんに小さく手を振った。
「また来るからね。無理しちゃだめだよ」
――潤子たちはオンボロ道を下って待避所まで戻り、ミニバンに乗りこんだ。車の窓の外で、大林が軽く頭を下げている。
「みなさん、本日はありがとうございました。特集、楽しみにしてて下さい」
車で山道を下っていく。濃い緑の木々の隙間から、木漏れ日が落ちる。隣のシートから尾崎が話しかけてきた。
「そういえば、橋守って進路決めた?」
進路か……来年卒業だもんな。しみじみと思いながらも彼に答えた。
「うん。潮見大学に行くつもり。近いし、学費安いし」
「学部は?」
「土木工学部。先生も推薦で確実だって言ってた。その前に総合選抜を受けてみるつもりだけど。尾崎くんは?」
「どこかの医学部に行ければいいと思ってたけど……よく考えてから決めようと思ってる」
日が落ちる前に、汐待橋手前の定食屋に着いた。智子と可奈が、父さんと母さんに大きく頭を下げている。
「「ありがとうございました。楽しかったです!」」
「潤、夏子ちゃん。クラファン決まったら教えてくれ。最高の形で動画を公開するから」
智子がサムズアップしている。あれが公開されるのか。気が重い。
「潤子ちゃん、また遊びましょうね。隼人くん、また明日ね!」
可奈は笑顔で隼人に手を振っている。
父さんと母さんと話していた尾崎が、その頭を下げたかと思うと、自転車を押しながらこっちへと向かってくる。
「橋守、飯に誘ってくれてありがとうな。その……橋のことは協力するから……」
「うん、こっちこそありがとう。またね……あと、車の中で尾崎くんの言ってくれた言葉、本当に嬉しかった。これ、私の連絡先」
潤子がスマホを目の前に差し出す。その画面にはQRコードが表示されている。
「あ、ああ。そんな大したことしてないから」
尾崎はポケットから取り出したスマホを落としそうになりながらも、QRコードを読み取り、嬉しそうにそれを再びポケットへと戻した。
潤子は尾崎を見て、優しく微笑んだ。彼はぎこちなくも自転車に跨り、軽く手を上げると、そのまま走り去っていく。
彼女はその場に立ちつくしたまま、夕日に照らされる尾崎の後ろ姿を、いつまでも眺めていた。




