第二十三話 想い
大林が潤子の元へと、にこやかに歩いてきた。以前、撮影をしていたカメラマン二人と、秘書っぽい女性がその後をついてくる。ビデオカメラは、しっかりとこっちに向けられていた。
「この前はありがとうございました。お陰様で橋祭り特集、大盛況でしたよ」
大林のずいと突き出された笑顔に、潤子は思わず後ずさる。ここにいる理由も薄々と気付いてはいたが、あえて聞いてみた。
「……それは良かったです。それで今回はどのようなご用件でここに?」
「勿論、潤子さんのお手伝いですよ。夏子さんから聞きましたよ。歴史的価値のある古橋の復活プロジェクトを立ち上げたそうですね。大変意義のあることです。ぜひ私たちのところでも、そのお願いを公開させて下さい」
潤子はその言葉に後ろめたさを感じ、地面に視線を落とした。逡巡した後に大林の方へ顔を向ける。
「あの、一度撮影を止めてもらえますか。それからこれから起こることは、心の内に留めておいて欲しいんです」
その真剣な瞳を見た大林は片手を上げた。
「いったん、カメラ止めて下さい」
二人のカメラマンはビデオカメラのスイッチを切ると、そのまま手を下ろす。
「ありがとうございます」
潤子は橋の入口の側にある石の祠へと近づき、しゃがみ込んだ。ポケットからハンカチを取り出し、中にある石板をそっと拭く。
「なっ!」
大林は現れた老人に身体をのけ反らせた。後ろの三人も、山に生えている木々のように、微動だにせず立ち尽くしている。
「おじいちゃん、来たよ。身体の方はどう?」
おじいちゃんは脂汗を流しながら、強がっているような笑顔を見せた。
「おおー、潤子さんか。見ての通り、ピンピンしとるわ」
「本当に……無理はしないで」
そう返しながら、おじいちゃんの顔に、ハンカチをそっと当てる。
「橋の修繕の許可が下りたんだ。これからすぐにお金を集めて橋を直すから」
それだけ言うと、すっと立ち上がり、再び大林の方へと向き直る。
「おじいちゃん、橋と一蓮托生なんです。橋を直さなければ、おじいちゃんは消えます」
彼は口を開こうとしていたが、結局、言葉は出てこなかった。潤子は一呼吸置いて、迷いなく言い切った。
「はっきりと言います。私のただのワガママで、おじいちゃんを助けるためだけに、これからお金を集めようとしています。だから歴史的価値のある橋を修繕しようとか、そんな崇高な志なんてこれっぽっちも持ってません」
――沈黙が落ちた。
突如、大林が豪快に笑い出す。
「ハハハ!! いいじゃないですか。とても良い。最高です!」
彼は親指を立て、堂々と突き出してきた。
「そのワガママで、不幸になる人がいないんだったら遠慮することはありません。ガツンとやってやりましょうよ」
きっと、ぽかんとした顔になっていたと思う。ふいに、肩の力がすっと抜けた。
「ありがとうございます。身体の力が抜けました」
潤子は作業着姿でヘルメットを被り、長靴を履いて橋の入口の前に立った。智子は三脚の上にカメラを載せている。
「これ、勝負カメラなんだぜ。ここ一番ってときに、これで動画撮ると、再生回数が増えるんだ」
その横で、ネットコムTVの男性二人も潤子にビデオカメラを向けている。撮影が始まった。
潤子は背筋を伸ばし、大きく息を吸った。
「みなさん、初めまして。橋守潤子と申します。祭りアイドルとして、知っている人もいるんじゃないでしょうか」
ゆっくりと流れるようなお辞儀をする。顔を上げると頬が熱くなっているのを感じた。
「普段はお祭りのアイドルとしてではなく、橋守として汐待橋という橋の点検、管理をしてます。私たち一族は江戸時代からずっと橋の維持管理をしてきました。その橋のことで……みなさんにお願いがあって、この動画に出させてもらってます」
後ろを振り返り、橋に向けて手を差し出した。
「実は今、私の後ろにある、この橋が崩落の危機を迎えています。里逢橋というんですけど、この橋は江戸時代からずっと多くの人々を渡してきました。ですが、今は打ち捨てられて誰も通る人がいません」
顔をカメラへと戻す。
「お願いというのは……この橋を直すお金を寄付して欲しいんです。そして、昔のように誰かに必要とされる橋に戻って欲しい」
一歩、前へと進む。
「この一帯を管理する奥汐見町の町長さんからは、修繕の許可は貰いました。寄付を頂ければ、責任をもって直します」
そうすれば、おじいちゃんは助かる――最低だと思った。
もう一度、頭を下げる。
「ですから、どうか皆さんの力を貸して欲しいんです。どうか……」
どうか――私のワガママのために、お金を出してください。
――罪悪感が押し寄せてくる。
……寄付をしてくれる彼らに、何のメリットがあるんだ。近くに誰も住む人がいなくなったから、この橋を使う人がいなくなんじゃないか。迷惑なお願いをしてるだけじゃないのか……。
「私は……」
目に涙が浮かぶ。頭の中が断線したかのように、言葉が浮かんでこなかった。
思わず祠へ顔を向けた。おじいちゃんもこっちへと身体を向けていた。微笑み、ただ頷いている。まるで大丈夫だよ、と言っているように聞こえた。
その微笑みが、橋祭りの記憶を呼び覚ます。みんなが橋の上で笑顔を見せてくれた、あの記憶を。
再びカメラへと向き直った。
「……私は、橋の上で人々が交わした物語を沢山見てきました……」
幼い頃から肉じゃがをくれた山下のおばあちゃん。
屋台で楽しそうに唐揚げを揚げる母さん。
橋の上で幸せそうに花火を見ていたみんな。
そんな彼らを見て一番喜んでいたのは、実は自分自身だったことに思い至った。
(だから私は橋守として、橋を継いで行きたかったんだ)
その想いを伝えたかった。
「……みんな、笑顔を見せてくれました。だから私は彼らの物語の紡ぎ手となりたい。今も、これからも、物語が続くように。橋を継いでいきたい。そして、この橋でも人々が交わす物語が見たい。ごめんなさい、橋を直したい理由って、ただそれだけなんです……」
ワガママを押し通そうとした罪悪感と、自分自身の不甲斐なさを自覚して、潤子はとうとう何も言えなくなってしまった。言葉の代わりに涙だけが溢れて止まらなくなる。泣き崩れた彼女の嗚咽だけが、川のせせらぎに混じった。
――智子が穏やかな顔で、カメラの前を離れた。潤子の隣に並ぶ。
「潤子の友達をやってる智子でーす。フォロワーの皆さんこんにちは。潤って、いっつも自分のことは後回しで……いい奴なんだよ、保証する」
可奈も駆け出してくる。
「同じく友達の可奈です。ごめんなさい、勝手に映ってしまいまして。私も彼女に物語を紡いでもらった一人です。橋の上で彼氏ができました」
隼人が可奈の隣に並ぶ。
「姉ちゃん……橋守潤子の弟です。姉ちゃんって、すごいお節介焼きで、可奈さんとの仲を取り持ってくれました」
その隣に夏子が並んだ。
「橋守潤子の妹の夏子です。姉は不器用な所がありますが情熱だけは本物です。橋が直った暁には、ここで祭りを開いて姉を囲んでやってくれませんか?」
父さんと母さんが、ゆっくりと歩み寄ってくる。カメラの前で二人で頭を下げた。
「潤子の親をやってます。同じ橋守としてこの橋を必ず直します。どうか、娘に協力してやってくださいませんか?」
尾崎が来た。
「友達の尾崎です。こいつが橋にかける想いはガチです。そのせいでフラれました……」
大林がカメラの前に立った。
「どうもー。ネットコムTVの大林です。こんなのシナリオにありませんでした。みなさんどうでしょう? 騙されたと思って投げ銭してみては。あ、騙すつもりはありませんが。勿論、我が社は惜しみない寄付を出しますよ。私のポケットマネーからもね」
大林のその言葉に、カメラマンの横にいた女性が、目を大きく開けて驚いた顔を見せていた。




