第二十二話 キャンプ最終日
父さんの運転するミニバンが、キャンプ場へと戻る道をひた走る。潤子は助手席から『交渉成功』と、グループチャットへメッセージを送った。
すぐにみんなから『おめでとう』というメッセージやスタンプが返ってくる。さらに夏子からは『これからすぐ計画に移す』と頼もしいメッセージが送られてきた。
車内のラジオが正午を知らせた。道路の先に見えた定食屋の手前で、ウィンカーのカッチカッチという音が響く。そのままミニバンは、定食屋の前に停まった。隣には無駄に広い駐車場。その奥にコンビニがぽつんと佇んでいる。
尾崎に対して、車から降りるようにと父さんが促した。
「ここで飯を食べよう。キャンプ場に着く頃にはお昼を過ぎてしまうからな」
「あ、俺は大丈夫です。二人でどうぞ」
「何を言ってるんだ。食べ盛りの年頃だろう?」
遠慮する彼に、父さんは有無を言わせない笑顔を向けた。
「なら、自分の分は出します」
「こういうときは遠慮するものじゃないよ。大人が格好付けるところを見させてくれないか?」
「……分かりました。ごちそうになります」
父さんの誘いに、尾崎が礼儀正しくお辞儀をする。
三人は店に入った。古びた木のテーブルが三つあり、その内の二つは既に埋まっている。愛想のよい店のおばちゃんに、空いていたテーブルに案内された。
席についた潤子は、パッとメニューを開く。一目見ただけで、すぐにそれを両手で閉じた。
「私、トンカツ定食」
尾崎はきまりが悪そうにしていた。だが父さんは興味のありそうな話題を振りまき、彼の返事をよく聞いて、相槌を打ち、的確に持ち上げる。その話術を前に、彼も最後には打ち解けていた。さすが外交官キャリアを積んでいただけある。
途中で尾崎が家族仲のことを羨ましがったので『父さんは母さんにベタ惚れなんだ』と、得意げに話したら、言われた本人は固まってしまったが。
三人は注文を平らげると車へと戻った。再び尾崎がしっかりと頭を下げる。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
「それは良かった。そうだ潤子。キャンプ場にいるみんなのために、飲み物を買ってきてくれるか?」
「分かった」
父さんは潤子に五千円札を渡した。彼女はコンビニへと駆け足で向かった。
***
尾崎が潤子の父を見つめた。どうしても気になっていたことが、口から勝手に出てしまった。
「あの、潤子さんのお父さん……って今の奥さんとは……」
そう尋ねた後で、しまったとでも言いたげな顔を見せる。
「す、すいません。つい」
「ああ、いいよ。奥さん……京子か。実は、婿にさせてくれと彼女にお願いしたんだよ」
その言葉を聞いた尾崎は居住まいを正し、真剣な顔になる。
「そうだったんですか」
「ふらりと汐待橋に訪れたのが最初の出会いだった。一目惚れだったよ。最初はあいつに狂気の沙汰とか散々言われてね。めげずに休みの度に会いに行って、四年目かな。最後は官僚を辞めて、身体一つで会いにいったらプロポーズを承諾してくれた」
彼はそこで懐かしそうな顔をした。優しげな目で尾崎を見る。
「娘のことが気になるのかい?」
「いや……はい。気になります」
「そうか。潤子も不器用なところがあるからな。京子に似て、どこか遠慮するところがあるんだ。だから遠慮なく接してやってくれ」
尾崎は昨日の潤子の言葉を思い出していた。
『だから尾崎くんが思っているような未来を、一緒に歩けないと思う』
尾崎の中で、波のように揺れ動いていた気持ちが、一つの方向へ強いうねりとなって流れていった。そしてもう一つ、どうしても気になっていたことを聞いた。
「それと……橋守を継ぐ女性は婿を迎え入れる必要があるって……」
「ああ、それかい。それは初代橋守、潤子のご先祖様の遺言が関係するんだ。かいつまんでいうと、橋守を継ぐのに、誰だろうと橋守の姓を名乗る必要があるんだ。それを守らないのなら、汐待橋を含む全ての財産を公儀に譲り渡せと遺言書に書いてあってね」
潤子の父は顎に手を置いて、ほんの少し、間を置いた。
「公儀は今でいう行政機関にあたるのかな。初代は橋守という苗字に誇りを持っていてね。他に、実務的な理由もあったようだけど。結局、この遺言があるせいで、女性が橋守を継ぐためには独身を貫くか、婿を迎え入れて、夫に橋守姓を名乗ってもらう必要があるんだ」
「そういう理由があったんですね。何でだろうと思ってたんです」
そこへ、潤子が大量の飲み物を入れた買い物袋を提げて戻ってきた。紙幣と小銭を握りながら。
「はいお釣り。二人で何を話していたの?」
「男同士の会話だよ」
「ふーん」
***
キャンプ場に戻った潤子たち三人は残っていたメンバーに囲まれた。智子が一番に潤子の元へと駆け寄ってくる。
「やったね潤! 早速、クラファンにアップする動画撮るか」
待て智子。気持ちの整理が。そこへ夏子が、待ったをかけた。
「智子お姉さま。準備とか衣装選定とかあるので、明日にしましょうか?」
夏子、ナイスアシスト! 出来る妹は違う。
「撮影は作業着で。撮影は里逢橋に行ってから。説得力が段違いです。今日は英気を養いましょう」
――翌日のキャンプ最終日の朝。潤子は作業着に着替えていた。
「しかし、どうしてキャンプ道具に混じって作業着が入ってるんだか……」
母さん曰く、橋守家の心得らしいが。災害時にすぐに活動できるようにと。洗面所に行って、身だしなみを確認する。ヘアゴムで縛ったポニーテールを意味もなく揺らしてみた。
朝食を済ませた後、全ての荷物をミニバンに詰め込んだ。バンガローを箒で清掃する。作業着はやっぱり動きやすい。上の方を見ると、バックパックを背負い、自転車を手押ししている尾崎が父さんと一緒にこっちへと向かってくる。
父さんはにこやかに手を振りつつも、もう片方の腕で、尾崎の肩をしっかりと抱いている。
「尾崎くんも誘ったんだ。一緒に帰ろうって」
潤子は尾崎の自転車に視線を向けた。
「自転車はどうするの?」
「リアキャリアがあるから、後ろに取り付ければいい」
準備万端すぎる。これも橋守家の性なのか。
チェックアウトを済ませ、全員車に乗り込んだ。母さんは何故かご機嫌だ。
「さあ、行きましょう。今日は潤子の晴れ姿が見られるわね」
作業着姿は晴れ姿なのだろうか。それにみんな嬉しそうに頷いてるのは何故だ。
橋に近づいていくのに比例して、潤子の心は重たくなっていった。もし、動画を公開しても、お金が集まらなかったら。もし、時間と金の無駄だと鼻で笑われたら。もし、売名行為だと後ろ指さされたら。
……気がつくと身体が震えていた。動悸が激しい。嫌な汗が止まらない。昔からそうだった。家族以外の誰かに何かをお願いするのが、迷惑なことのように感じてしまい、どうしても出来なかった。
そのとき。落ち着いた低い声が隣から聞こえた。
「橋守。大丈夫だ。きっと上手くいく。仮にみんなが協力してくれなくても、俺が金を出すから。親父に土下座してでも金を出してもらうから。だから心配するな」
尾崎がこっちを向いて笑顔を貼り付けていた。よく見ると、彼も微かに震えている。やせ我慢しているのが丸見えだ。
……彼の父親がきっかけで町長から許可を貰ったとき、あんなに悔しがってたのに。その父親に頭を下げるというのか。
「……ありがとう。少し気持ちが楽になった」
彼の様子を見ていると、どうしてか笑いそうになる。その気持ちとは裏腹に、目に涙が浮かんだのが分かった。
橋へと続く道の前で、一台の緑と白のツートンカラーの軽自動車がとまっていた。その後ろにミニバンが停まる。みんな車を下りた。そろって橋の方へとオンボロ道を歩いていく。
橋が見えた頃、どこか見覚えのある人影が見える。緑と白のツートンカラーの腕章。ネットコムTVの人たちだった。夏子が彼らの元へ駆けていく。
「姉のために取材に来てくださり、ありがとうございます」
妹がペコリとお辞儀をする。
「いえいえ、こちらこそ教えてくださって、ありがとうございます」
インタビュアーの大林も、ペコリと妹に対してお辞儀をした。夏子めー。




