第二十話 違う道
潤子と尾崎が話していると、突如、智子の鋭い声が炊事場に響いた。
「尾崎!?」
振り返ると、入口で智子がボウルを両手に持ったまま、尾崎を睨みつけている。
彼女はツカツカと中に入ってきたかと思うと、ドン! とボウルを中央のステンレステーブルに叩きつけた。同時にじゃがいもとニンジンが宙に浮かび、顔を覗かせる。さらにその後ろでは、可奈がまな板と包丁を抱えたまま、呆然とその様子を伺っていた。
「ストップ、ストーップ!」
両手を押し出して智子を制止する。
「尾崎くん、ソロキャンプに来たんだって。せっかくだから夕飯に誘った。おじいちゃんの分、食べて貰おうと思って」
智子が呆れ顔に変わったのが分かる。おもむろに、ため息をつかれた。
「相変わらず、潤って鈍感だな……」
可奈が智子に代わって、尾崎をジト目で見据えた。
「会いたかったのかもしれないですけど、先に許可を取ってからの方がいいと思いますよ? 私は許可なんか要らなくなりましたけどね」
弟と会う許可のことか。可奈よ、そこで自慢なんかするんじゃない。
尾崎はただ俯いていた。
「……その、通りだ。済まなかった」
その言葉に、二人は押し黙ってしまった。だがその顔は険しいままだ。
――そっか。彼がここに来たのって……私が理由か。
せっかくのキャンプなのに、これのせいで雰囲気が悪くなるのも困るな……ここは話題を逸らしておこう。
「まあまあ二人とも。それで尾崎くん。私に何か用があったの?」
「「「え?」」」
尾崎まで驚いている。今のセリフは、流石にわざとらしかったか。よし、ここは退散だ。
「ほら尾崎くん、行くよ。父さんと母さんに言っとかないと」
そう言って彼を炊事場から連れ出した。
――尾崎は鍋を両手に抱え、終始俯いたまま隣を歩いている。横目で見ていると、突然、その顔が上がった。
「なあ、橋守」
「何?」
「俺がキャンプ場に来たこと、どう思ってる?」
「別にいいんじゃない。可奈と弟が話してたところを聞いて、行きたくなったんでしょ。勉強ばっかじゃストレス溜まるだろうし」
潤子は柔らかな笑みを見せた。つられたように尾崎の顔も綻ぶ。
「はは……そう言ってくれると助かる」
「それよりさ、私が橋の下でバク転してたところ見てた?」
「見た。格好良かった」
おお、そうか。格好良かったか。自然とドヤ顔になったのが自分でも分かる。
「潤子スペシャル3号っていうんだ、あれ」
彼の目が大きく見開いた。その肩が震えだしたかと思うと、突然笑い出した。
「酷くない? せっかく技名、教えてあげたのに」
尾崎を連れて、バンガローの横でバーベキューコンロに炭をくべている隼人と夏子の元へと寄った。二人は彼を見て、ぽかんと口を開けた。
辺りをキョロキョロと見回したが、両親は見当たらない。
「あれ、母さんたちは?」
「バンガローの中にいるよ。姉ちゃん、その人は?」
隼人は興味深そうに尾崎を見ている。
彼は弟と妹の前に出ると、軽く会釈をした。
「橋守……潤子さんの友達なのかな……クラスメートではある……」
「友達の尾崎くん」
その言葉を聞いた尾崎の顔が、雨雲の隙間から差し込まれる陽光のように輝き出した。
夏子が両手を胸の前で組んだ。その目もキラキラしている。
「彼氏さんですか!?」
「それは違う」
即答した。今度はしょんぼり顔に変わってしまう。でも、ここははっきりさせとかないと。
潤子はバンガローの扉を開け、中を覗き込むようにして叫ぶ。
「父さん、母さん! 友達にばったり会ったんで連れてきた。尾崎くんっていうんだ。一緒にご飯食べてもいいよね?」
両親が外に出てきた。彼を見た母さんが頬を緩ませている。
「あらあら。潤子の母です。尾崎さん、歓迎するわ」
父さんは目を細めながら、柔らかな笑みを見せた。
「いらっしゃい。まあ、ゆっくりしていきなさい」
「初めまして。尾崎と申します。お招きいただきありがとうございます」
礼儀正しくお辞儀している。こうして見ると、やっぱりいいところの坊ちゃんだ。
引き合わせが終わったので、両親に引きこもってた理由を聞いてみた。
「バンガローに籠もってたのって、明日の対策を練ってた?」
「ああ、どうやって役所を説得しようか京子と話し合っていたんだ」
父さんと母さんが、少し困ったように目を合わせた。
尾崎が心配そうに、こっちを覗き込んできた。
「……何かあった?」
「それはご飯の時にでも話すよ」
――日が沈み、空には満天の星々が輝いていた。カレーのスパイシーな匂いと炭火コンロから肉の脂が焼けた香ばしい匂いが漂ってくる。
潤子たちは炭火コンロを囲むように折り畳み椅子を並べた。
「「「いただきます!」」」
「尾崎くん。そんなに離れていないで、こっちおいでよ」
隣のスペースを手でペシペシと叩く。輪に入りづらそうに、少し離れた位置に座っていた彼は、遠慮がちに折り畳み椅子を隣へと持ってきた。
「……美味いな。みんなで食べるのってこんなにおいしかったんだ」
焼けた肉を頬張り、カレーを口に運ぶ、尾崎のしみじみとした言葉に、おじいちゃんがいないことをふと思い出す。カレーを掬ったスプーンをじっと見つめていた。
「以前の可奈みたいなことを言うんだね。尾崎くんもいつもは一人で食べているの?」
可奈のところは、朝は家族一緒にご飯を食べるようになったと言ってた。
「ああ……もう何年も家族で食事なんかしたことない」
思っていた以上に深刻だった。おじいちゃんがいたら、何て答えたのだろうか。
「ところで、さっき言ってた役所に行くって何があった?」
「……実はね」
潤子はカレーの皿を手に持ちながら、尾崎にこれまでの経緯を話した。古い石橋が見つかったこと。修繕の許可を貰うために役所へ行くことを。
「なあ、俺も一緒に行っていいか」
「別に構わないけど……でもどうして?」
「俺も力になりたい。これでもディベートとか、結構やってきたんだぜ」
ご飯を食べ終わり後片付けを済ますと、父さんと母さんはバンガローへと戻っていった。引き続き、明日の対策を練るのだろう。
残ったみんなで、可奈と智子が爆買いをした花火をすることになった。
可奈と隼人はしゃがみながら、線香花火を摘んでいた。そして二人で可憐な赤い華を、愛おしそうに見つめている。智子と夏子は、派手に色が変わる花火をバチバチと楽しんでいる。
潤子も、ぼーっと突っ立ったまま、手に持った花火を眺めていた。緑色の火花が、火薬を塗った棒の先端から景気よく噴き出している。隣で尾崎が黙ってそれを見ていた。
「尾崎くんは花火やらないの?」
「こうやって見てる方が好きかな」
「ほら」
チャッカマンで火を付けた花火を、尾崎に手渡した。手と手が触れる。
花火から噴き出す赤い火花と同じように、尾崎の顔は赤く染まっていた。
「なあ、橋守……って、俺のことどう思ってるんだ?」
静寂が訪れた。尾崎が持つ花火のシューという音だけが聞こえる。潤子は静かに言葉を紡いだ。
「少なくとも嫌いではないよ。それと……尾崎くんの気持ちにも、気付いてたよ。さすがにね」
「なら……」
潤子は彼の持つ花火の、赤い火花をただ見つめながら、どこか寂しげに口を開く。
「尾崎くんってさ、やっぱり医者になるんだよね。私は橋守を継ぐって決めてるから。だから尾崎くんが思っているような未来を、一緒に歩けないと思う」
「え……」
「橋守を継ぐ女は婿を迎えるの。外には行けないんだ」
隣り合って並ぶ二人を夜風が包み、そのまま通り過ぎていく。風に煽られた火花は、まるで行き場を見失ったかのように、あてもなく揺れていた。
「さて、そろそろ寝る。明日はよろしくね」
潤子は力ない微笑みを見せると、彼に手を振りながらバンガローへと歩いていった。
――花火の火が消え、真っ暗になる。残された尾崎は、ただ潤子の後ろ姿を目で追うことしか出来なかった。




