第十八話 古橋
潤子たちは後片付けを手早く済ませると、全員ミニバンに乗り込んだ。
出発前、父さんが後ろを振り向き、物静かな、だけど決意を込めた声で告げた。
「どこまで行けるか分からないが、行けるところまでは行ってみよう」
みんなも思い思いに頷いている。
車が動き出す――おじいちゃんが座っていた席は、ぽっかりと空いたままだった。
***
――潤子たちがキャンプ場を去った後。尾崎は背中にバックパックを背負い、オフロードタイプの自転車を必死に漕いで、奥潮見キャンプ場に到着した。
息を切らし、汗だくになった顔をタオルで拭きながら、管理棟でチェックインの手続きをする。
「兄ちゃん、自転車で来たのかい。また頑張ったもんだ」
管理人の、髭を豊かに蓄えたおじさんが、びっくりしたような顔で尾崎にバンガローの鍵を渡す。
「チャリで山道走るの好きなんですよ」
(せめて原チャリの免許取っておけばよかった)
坂道を上り切り、一番上の端っこにあるバンガローの鍵を開けると、ドサリとバックパックを木の床に置いた。
(なんだかストーカーみたいだな)
勢いでここまで来てしまった。心に込み上げてきたのは、やったことへの後悔する気持ちと、それでもやり切った達成感と、これからの事に対する怖じ気にも似た何かだった。
(偶然を装って橋守に会いに行くのか? 彼氏が隣にいたらどうする……)
***
――潤子たちはカーナビの案内に沿って、橋の近くを目指した。車が山の坂道を駆け上がっていくと、やがて山道の脇に草生した待避所が見えた。父さんはそこに車を停めた。
車から降り、待避所の先に見えた古道。川沿いを伝う、アスファルトが半分以上剥げ落ちたボロボロの坂道が、痛々しい姿を晒していた。
父さんがスマホとにらめっこしながら、道を確かめている。
「ここからは歩くしかないようだ。橋までは、だいたい七百メートルくらいあるか」
車で通るのは危険そうだ。残された舗装部分も人が並んで歩くのがやっとの幅だ。
潤子は力強い声で言った。
「行こう」
「ああ」
父さんが深く頷いた。
「山道を歩くの、小学校の遠足以来だな」
どこか楽しそうな智子。
隼人は可奈に道の内側に誘導し、その手を取りながら慎重に進んでいる
「可奈さん、足に気を付けて」
うん、気を使える男子の好感度はうなぎ上りだぞ……そんなことを思っていたら、少し気持が紛れた。
暫く歩くと、坂がなだらかになった。右手には渓流が見える。水の流れる涼し気な音と、木陰から漏れるセミの声だけが響く。
「潤子。こっちに来て、見てご覧なさい」
父さんに並んで、先頭を歩いていた母さんが手招きをしてくる。潤子は先頭に立ち、上流へと視線を向けた。
「橋だ……石橋」
その先、遠くに三段アーチの石橋が見えた。以前、夢に見た橋と全く一緒だった。
「みんな、見つけた!」
潤子は後ろを振り返り、思わず叫んだ。みんなから「おお」と歓声が上がる。
ペースを崩さず、川沿いの山道を歩く。段々と橋が近づいてくる。
川の上に聳え立った石橋。鬱蒼とした木々に囲まれ、木漏れ日が橋にキラキラと降り注いでいた。その下は等間隔に三つの半円をくり抜いたような石積みアーチになっている。
見れば見るほど汐待橋にそっくりだった。だが所々が剥がれ落ち、ひびが入り、その表面に苔や蔓草がびっしりと生えている。橋の姿は、まるで建立当初からそうであったかのように、自然に溶け込み、神々しさすら感じた。
「よく持ちこたえているわね。あの状態なら、もう崩れ落ちてもおかしくないのに」
母さんが橋を見て独り言ちた。橋に纏わりついた草のことを言っているのだろう。
石の隙間で育った草は根を張り、その隙間を押し広げる。放置していると内側から崩落する。
とうとう橋のたもとに辿りついた。橋名板には『里逢橋』と書いてある。この橋の名も、初代橋守と奥さんのエピソードが由来になっているのだろうか。
橋のすぐ横に石組みの祠があった。潤子はその前へと歩み寄る。中に石板が鎮座していた。石板にはこう書かれている。
『石梁渡守神』
心がざわついた。そして直感が囁く。おじいちゃんだと。思わず叫んだ。
「おじいちゃん!」
反応はなかった。だが、おじいちゃんが脂汗を垂らして苦しんでいる姿が見えたような気がした。ハンカチを取り出し、石板を丁寧に拭いた。
その刹那。石板が霞のように消え、おじいちゃんが姿を現した。安堵と切なさがごちゃ混ぜになり、思わず抱きしめた。
「おじいちゃんのバカ! 勝手に消えないでよ!」
涙がボロボロと流れてくる。
「苦しいぞよ」
そう言われながら、優しく押し戻された。おじいちゃんは苦しそうに、だけど嬉しそうに話しかけてくる。
「潤子さんか。来てしまったのか……ここまで大変じゃったろうに。心配かけたことは謝る。すまなかった」
濡れた地面を見つめていると、ふいに頭に撫でられた。どこか諦めを孕んだ、それでいて柔らかい声が耳に響いた。
「だけど、わしの役目もそろそろ終わりじゃ。見ての通り、ここは誰も通らん。必要とされんものに執着するものでない」
その言葉にパッと顔を上げる。おじいちゃんはただ、川の向こうを眩しそうに見つめているだけだった。
「汐待橋に、このじぃを招待してくれたお陰で、だいぶ長く過ごすことが出来たがな。最後に潤子さんの役に立てて良かった」
川で溺れた女の子のことを言いたいのか。おじいちゃんには聞きたいことがいっぱいあった。
だが口から飛び出したのは、勢いだけで組み立てたような言葉だった。
「おじいちゃんの役目は終わってなんかない。この橋も、おじいちゃんも私にとっては必要なの! だから私が直す!」
体中の血がうねるような感覚に陥る。そのまま、橋の上へと駆けていく。
「まずは点検。その後、修繕。草や苔も取らなきゃ」
息が荒い。心が昂ぶる。焦る気持ちが抑えられない。
「潤子、駄目よ」
背後から母さんの静かな、だけどよく通った声。どうしてこんなに落ち着いてられるのか。今回ばかりはその声は聞きたくなかった。
「落ち着きなさい。まずは父さんと母さんの話を聞いてくれないか?」
背後から父さんの声。
邪魔をしないで……向こうに行って。押し黙ったまま、両親を押し返そうとした。ふいに二人に抱きしめられた。
「……?」
父さんのがっしりとした手の感触と、母さんのしっかりとした手の感触が身体に伝わる。そのどこか懐かしい温かさに、力が抜けていくのを感じた。
二人の柔らかい声が耳をくすぐった。
「大きくなったんだな」
「ええ。昔はあんなに小さかったのにね……ねえ潤子。あなたが落ち着くまで、こうやって何度でも抱きしめてあげる」
母さんの、全てを包み込むような声。
「おじいちゃんを助けるの、私たちにも手伝わせてくれる?」
父さんの低く、それでいて落ち着いた声。
「もし、汐待橋を他人が勝手に直したりしたら、お前はどう思う? 潤子が胸を張って橋を直せるよう、父さんが役所に話を付けてくるから、それまで待っててくれないか」
……そうだった。
今まで自分のやりたいことに反対したことなんて――一度もなかった。いつでも味方をしてくれた。それなのに……。
「父さん……母さん……勝手なことしてごめんなさい」
二人の胸の中で、ワンワンと泣いた。
ようやく落ち着いた潤子は、両親と共にみんなの所へと向かった。目を赤く腫らしながらも、おじいちゃんの元へと再び戻る。
意を決し、しゃがみこんで尋ねた。
「おじいちゃん。この橋、あと何日持つ?」
「……三十三日じゃ。要石がずれとる」
要石。橋の中央に置く、文字通り橋のバランスを司る石。
母さんが滅多に見せない渋い顔をした。
「要石か……ずれを修正するには、一度、橋全体を下から支えておく必要があるわね」
父さんも、どこか浮かない顔だ。
「とすると工事費は一億円くらい覚悟しておく必要があるな。なにはともあれ明日、役場に掛け合ってみるか。先に許可をもらわないとな」




