第十七話 消えたおじいちゃん
尾崎はただ『奥潮見キャンプ場』という言葉に強く反応した。
(キャンプに行くのか……明日)
「隼人くんは誰と一緒? 潤子ちゃんのところ?」
「ううん。俺は父さんと母さんのバンガロー。可奈さん、智子さん、姉ちゃんが一緒」
潤子という言葉に我に返った。二人に視線を戻すと、隼人がいたずらっぽく、口を覆い隠すように両手を添え、可奈へ向けている。
「姉ちゃんにさ、『どうせなら彼氏と一緒の部屋で寝れば?』って言ってみたんだよ。そしたら無茶苦茶キレられた」
そのひと言に、尾崎の全身に冷たい汗がどっと流れた。身体が無意識に震えだす。
「そんなこと潤子ちゃんに言ったの? それはキレるでしょう」
可奈はどこかツボに入ってしまったように、ケラケラと笑っていた。
(橋守に、彼氏はいないんじゃなかったのか?)
ふいに尾崎の足元が、まるで足場を失ったようにガクガクと震える。そして彼はそのまま、フラフラとその場を去っていった。
「だって、潤子ちゃんは彼氏いないもの」
可奈のその一言は、尾崎には届かなかった。
***
――翌朝、木曜日。快晴だった。潤子は踏み台に足を乗せながら、黒いミニバンのルーフボックスにシュラフを押し込んでいた。
「これでよし」
満足そうに、その蓋をパタンと閉じる。
――朝の八時になると、参加者全員がミニバンの前に集まってきた。智子はおじいちゃんを見るなり、嬉しそうな顔を見せた。
「おじいちゃん、ありがとう。彼と別れずに済んだ!」
「おー、それは良かったのう」
可奈と智子がペコリと運転席の父さんにお辞儀をし、車に乗り込んだ。
「「よろしくお願いします!」」
隼人、夏子、潤子、おじいちゃんがそれに続く。
最後に母さんが助手席に座ると、飲み物を後ろの席へ配り始めた。
「みんな乗ったかね。それでは行こうか」
父さんが運転席からバックミラーに視線を送った後に、エンジンをかけた。フロントガラスの先に見える橋と街の景色が動き出した。潮見市から北西に二時間ほど走った場所に、奥潮見キャンプ場がある。
ミニバンは青々と茂った木々の下、車道をひた走っていた。おじいちゃんはドアにもたれかかり、ぐったりとしていた。額から脂汗を流している。
「おじいちゃん、大丈夫? 車停めて休憩する?」
潤子は胸ポケットからハンカチを取り出し、隣の席のおじいちゃんの額を拭く。
「いや、このまま進んでほしいのじゃ。間に合わなくなるかもしれんで……潤子さんは優しい子じゃの」
「別に私、優しくなんかないよ。こうするのが普通でしょ」
「ハンカチが汚れる。貸しなさい」
そう言うと、おじいちゃんはハンカチを取り上げてしまった。ハンカチを包んだ手の中が、一瞬光った気がする。
「ほら」
渡されたハンカチは、ポケットから取り出した時よりも真っ白になっていた。おじいちゃんは肩に掛けていた手拭いで、自分の顔を拭き出した。
「ありがとうな。だいぶ楽になった。少し眠ることにするよ」
そう言うとそのまま、死んだように眠ってしまった。
ミニバンは途中から山道に入ると、湖の側を走り続け、昼前までにはキャンプ場に辿りついた。入口にはロッジ型の立派な管理棟がある。
管理棟の南側には、青空と雲を映し出した奥潮見湖が広がっている。北側の斜面には、幾つものバンガローと屋根だけがついた炊事場が点在していた。
車が駐車場に停まると、みんなが降りてきた。おじいちゃんは、どこか清々しい表情で、父さんに向かって手を高く掲げた。
「良太さんや、いつも運転ありがとうよ」
そして、みんなの方に向き直り、同じように手を掲げた。
「ありがとうございました。お陰でじぃは楽しい時間を過ごせたのですじゃ」
そう言った後、潤子の元へとゆっくりと歩み寄る。
「すまんの。これで最後になりそうじゃ。よい橋守になって、橋を継いでいって欲しい」
「……待って。何を言ってるの?」
おじいちゃんはバンガローの立ち並ぶ方へと振り向くと、遥か遠くを見据えた。その表情は凪のように穏やかだった。潤子は嫌な予感を覚え、咄嗟に手を差し出した。
刹那。その手が、あてもなく宙を彷徨う。おじいちゃんは忽然と、この場から消え去ってしまった。
「「「えっ?」」」
みんなから驚きの声が上がる。だが潤子だけは、声すら出なかった。
突然すぎだ。まともな挨拶もしていない。無意識のうちに駆け出していた。おじいちゃんが振り向いた方角に向かって。
目の前に母さんが立ちはだかった。
「待ちなさい、潤子」
そのままふわりと抱きしめられる。
「お願いだから……離して!」
「落ち着きなさい。おじいちゃんを探すなとは言ってないでしょう?」
母さんを見上げた。その瞳には自分と同じく、うっすらと涙が浮かんでいる。
背後から、父さんの声が聞こえた。
「ご飯を食べた後で、希望者を募って探しに行こう。闇雲に追いかけたって、良い結果は得られないからね」
隼人と夏子が、一緒に母さんの横に並ぶ。
「姉ちゃん、落ち着け。一緒に行ってやるから」
「お姉ちゃん。私も行くからね」
可奈が真剣な顔を向けてくる。
「潤子ちゃん、私も行きますから。おじいちゃんには両親のことで、お世話になりましたし」
智子はこっちへ歩いてきたかと思うと、両手をぎゅっと握ってきた。
「探すの、多い方がいいだろ? おじいちゃんには感謝してもしきれないんだ」
結局、全員で行くことになった。智子と可奈には、おじいちゃんが橋の神様であることを打ち明けた。薄々感づいていたみたいだけど。また、この地域にあるどこかの橋に、おじいちゃんが住んでいることを伝えた。
父さんが、予約していた二棟のバンガローの鍵を借りてきた。
「まずはバンガローにチェックインして、ご飯を食べたら探しに行こう。焦っているときより、こうやって準備しているときの方が、良いアイデアが浮かぶことだってあるし」
楽しみにしていたバーベキューだった。だけど口にいれた牛肉は、全く味がしない。
「潤、肉焦げるぞ」
智子が牛肉を取って、潤子の皿に置いてくれた。ぼーっとその様子を眺めながら、割り箸でそれを口に入れる。
「お姉ちゃん、タレ忘れてるよ」
夏子が、タレを注いでくれた。
隼人がどこか心配そうな顔を見せる。
「全く手のかかる子供みたいじゃん。いつものしっかり者の姉ちゃんはどこいった」
その中で、肉には目もくれずにスマホを忙しなくタップしていた可奈が、突然、力強い声を上げた。
「見つけました!! この辺りで古い橋が架かっていた場所」
彼女のそんな大きな声は初めて聞いた。だがその声が、真っ暗な心の中に垂れてきた真っ白な糸のように思えた。潤子はすぐに可奈の方へ顔を向けた。
「それ本当!?」
「はい。以前、端里って場所に、立派な石橋がかかってるって聞いたことあって。端里の『はし』は、石橋の『はし』じゃなくて、端っこの『はし』です」
可奈は『古き善きものを愛でる会』の会員で、そこで代表理事をやっている歴史民俗学の教授から、ここら辺の古い橋の伝承のことを聞いていたと話してくれた。
父さんが、顎に手を乗せる。
「端里って江戸時代の呼び方だったか。私もその里を探してみようとは思ったんだが、手がかりがほとんどなくてね。断念したんだ」
可奈が父さんの方を向いた。
「はい。教授も、どこかの川の近くにあるぐらいしか、場所は分からないと言っていましたので。でも、おじいちゃんが最後に振り向いた方角から、ヒントを貰いましたよ」
冷静によく見てるな。そんな彼女はスマホを見せてくれた。航空写真が映し出されている。
画面の真ん中に、木で覆われた川が、チラチラと見える。智子が首を傾げた。
「木が覆い茂ってて、良く分かんないな」
可奈が地図を拡大する。
「拡大してみると、石橋のようなものが見えませんか?」
潤子はそれを一瞥すると、即座に言った。
「確かに何かある。その場所へ行ってみよう」




