第十六話 潤子の決心
母さんも、まな板の上でテキパキと動く包丁を視線で追いながら、静かにおじいちゃんのことを語り出した。
「そうね。私も子供の頃は、不思議なおじいちゃんだなって思ってたけど。母から……潤子のおばあちゃんからその話を聞いたときは、驚きよりも納得した気持ちの方が強かったのを覚えている」
「おじいちゃんが祭りの時に泊まりに来るようになったのって、何か理由があったんでしょ?」
「ええ」
母さんが話してくれたのは、こんな内容だった。
おじいちゃんに色々と技を教えてもらった初代橋守は、ぜひお礼をしたいと考えた。そこで橋祭りの時は汐待橋に泊まりに来てくれと言ったらしい。子孫の代まで、橋守家が全力で歓待するという条件をつけて。それが今に至ると。
「潤子も知っての通り、おじいちゃんの助言って的確でしょ。人当たり……神当たり? も良いし。だからおじいちゃんの訪問は、先祖代々、嫌がるどころか大歓迎だったのよ」
潤子の持つ包丁が止まった。
「おじいちゃん、神様なのに具合悪そうだった。私を助けるために、きっと力を使ったんだ。どうにかして、おじいちゃんの元気を取り戻したい」
母さんの包丁も、まな板の上で止まる。
「だいぶ昔に母に聞いたことあるわ。橋の神様が現世に留まるためには、力が必要だって。力の源になるのが御神橋と、橋に集まる人々の想い」
おじいちゃんの住処の近くに、まだ人は住んでいるのだろうか。
「きっと、帰る家って、どこかの山奥にある橋のことだよね。母さん、おじいちゃんの住んでいる橋って、まだ使われているのかな」
「ここらの山奥だと過疎化が進んじゃってるから、もう橋を使う人もいないのかもしれない。だから……」
母さんが視線を落としてため息をつく。
「私と良太さんで橋のお世話をするって言っても『大丈夫じゃ』の一点張りで、住んでいる橋のこと、全く教えてくれないのよ。汐待橋に引っ越したらって言っても頑として首を縦に振らないし」
どうしてなのだろう。理由が知りたい。
母さんと話し込んでいると、ガラガラと木の扉を引く音と共に、親戚のおばちゃんが店に入ってきた。彼女はこの定食屋を一緒に切り盛りしてくれている。
「京子さん、潤子ちゃん。お早う」
「「お早うございます」」
話を切り上げ、仕込みを終えた後、定食屋に隣接する『橋守釣具店』へと向かった。
店のガラス戸には『入漁券販売中』と張り紙が張られている。戸をガラガラと開けた。釣り道具が並べられているディスプレイカウンターの奥から、父さんが顔を出した。
「やあ、潤子。あっちの仕込みは終わったのかい?」
「うん。終わった」
カウンターの奥へと入り込むと、スプールに巻かれた釣り糸の仕分けの最中だった。それを手伝いながら、父さんに相談した。
「……おじいちゃんに軽く聞いてみようと思う。どうかな?」
「そうだな。潤子になら、もしかしたら話してくれるかもしれない」
話し込んでいると、ガラガラと音がした。視線の先で、恰幅の良い親戚のおじさんが立っている。
「おう、潤ちゃん。コーヒー飲みな」
彼はニコニコとしながら缶コーヒーをカウンターの上へと置いた。おじさんには、この釣具店を手伝って貰っている。
「ありがとう」
表面に水滴がたくさんついた缶コーヒーを手に取った。ひんやりと気持ちいい。
ひと仕事終えると、橋へと戻った。リビングに入ると、おじいちゃんが相変わらずテレビを見ている。
「ただいま」
「おう、潤子さんか。仕事は終わったのかい?」
「うん。これから昼ごはんを作るから、待ってて」
昼支度を終えると、家族がリビングに集まってきた。
「「「いただきます」」」
みんな黙々とご飯を食べはじめた。さり気なく、おじいちゃんに探りを入れた。
「キャンプ行ったときに、おじいちゃんの住む橋に行ってみたい」
「そうか。何も無いし、行ってもつまらんぞ」
「それでもいい」
「まあ、考えておくわ」
おじいちゃんは、すっとぼけた顔を作った。はぐらかすつもりだ。なら、後を付けてでも探そう。
――潤子は洗い物を弟と妹に任せ、橋脚の上の自室に戻った。今日の仕事は終わりだ。机に向かい、釣り動画を適当に流しながら参考書を開く。
第一志望は市立の潮見大学。五年前に設立された。そこで土木工学を専攻するつもりでいる。市が誘致策の一環として計画していたもので、人手不足にあえぐ分野の学部が揃っている。いくつかの企業がスポンサーとして資金を出しているので、学費の安さが売りだ。
担任の先生には、どこか勿体なさそうな顔で言われた。高校の実績作りのために、もっと有名な大学に行って欲しかったらしい。地元を出て一人暮らしなんかしたら極貧生活か、借金生活まっしぐらだ。なにより、橋から離れるのが一番嫌だった。
――翌日の朝。明日のキャンプに備えて、橋の総点検を行うこととなった。今日は川の上に立つ第二橋脚と第三橋脚の点検を行う予定だ。二人が点検。もう一人は点検口からウィンチの操作や周辺の監視をする。
「周囲よし、気を付けて行ってきて」
潤子の掛け声に作業着を着て、ロープを腰のハーネスに付けた父さんと母さんが第三橋脚の点検口から下りていった。
橋の上を見ると、ギャラリーが集まっていた。祭りアイドルの神ランクにランクインしてからは、こうして人が集まるようになってしまった。前は釣り人やたまたま通りかかった通行人が、珍しそうに見ているぐらいだったのに。
二人はまるで息の合ったダンスパートナーのように、橋脚の周りを舞うように点検を進めて行く。その手際の良さに、ほうとため息がでた。尊敬の目で両親を追う。一時間で作業が終わった。普通にやったら丸一日コースだ。
一時間の休憩を取った後、潤子の部屋がある第二橋脚の点検に移る。今度は潤子と父さんのペアで点検、母さんが監視をする。
小刻みに壁を蹴り、ロープを使って下りていく。橋の上を見ると、隼人と可奈がこっちに向かって手を振っている。よく見ると二人の手が繋がれていた。進展が早い。それを見ていると、何故だか胸がドキドキしてくる。
潤子も橋の上の二人に手を振った。勘違いしたギャラリーから歓声が上がる。よし、久しぶりにあれやるか。祝福も兼ねて。
ロープを引き寄せ、たるみを作る。そのまま壁を両足で大きく蹴った。橋脚から離れた位置でロープがピンとなる。水の中へ潜るように下向きに姿勢を変え、頭を水面に向けた。同時に、両足を大きく開く。
眼下には波打つ水面が広がっている。勢いが付き、今度は橋脚の方へと引き寄せられる。一気に横移動する。そして外壁へ追突する前に、くるりと身体を半回転させながら両足を橋脚へ向け、そのまま受け止めた。
最後にピースサインを顔の横に構え、スッと引く。幼い頃に特訓して編み出した必殺技、潤子スペシャル3号だ。
しんとなった。しまった。スベったか。そう思った、次の瞬間、橋の上から万雷の拍手と歓声が上がった。
『こら。ふざけてないで真面目にやりなさい!』
母さんに怒られた。こんな母さんだが、もっと凄い必殺技を持っていることを知っている。
***
――橋の隅っこで、その様子を遠くから眺めていた尾崎は啞然と見ていることしか出来なかった。
「なんなんだ、あいつ……」
彼の胸の鼓動が激しく脈打っていた。その耳に、どこか自慢めいた声が届く。
「姉ちゃん、テンション高くなると、ああやって必殺技を見せるんだよ」
喋っているのは橋守の弟か。その隣にいる女子は尾崎のクラスメイトの山田可奈だった。付き合ってるのか……尾崎はなんとなく、二人の会話に聞き耳を立てた。
弟の方が楽しげに話題を振っている。
「可奈さん。明日、楽しみだね。夜は花火やろうよ」
「うん、楽しみ! 奥潮見キャンプ場って、星も綺麗なんでしょう? ねえ隼人くん。花火の後は、一緒に……星空眺めようよ」




