第十五話 橋の神様
潤子たち三人はケーキを食べ終わると、面会終了時間ギリギリまで話し込み、解散した。大部屋に戻り、楽しみにしていた夕食を待つ。
病院のスタッフがワゴンで食事を配膳してくれる。置かれたトレーをまじまじと見た。なんなら二度見した。すぐに絶望が襲った。
ちょこんとお椀に佇むご飯と、おかずがこじんまりと並ぶ。あとはみそ汁。いつもの橋守家の大皿にドーンと盛られたおかずと比べると、どうしてもスカスカに見えてしまう。
思わず尋ねてしまった。
「えっと。これだけ、ですか?」
「女性の方だと、こんなものですよ。事前に言ってくれれば、大盛りに出来たんですけどね」
気が付けばスタッフの袖を掴んでいた。腕を引っ張られた彼女は、何事かと驚いた表情を見せた。慌てて袖を離すと、上目遣いで切実な声を上げた。
「朝ごはんは、特盛りでお願いします!」
取りあえず、食べた。よく噛んで。あっと言う間になくなった。胃がもっと寄越せと不平を鳴らす。
「売店行くか……」
食器を下げ、陣羽織を羽織り、一階へと下りる。売店の前で尾崎とばったり出会った。
「あれ、尾崎くん。家帰らなかったの?」
「一度帰ったよ。今は家族のお使い。お前を探してた訳じゃないからな! すぐ帰るから」
どうやら、智子に言われたセリフを引きずっているらしい。
「そういう橋守は売店?」
「うん。病院食だけじゃ足りなくて」
その言葉に、彼は何故か考え込んでしまった。そして、意を決したように口を開く。
「おごってやるよ」
「え、何で? 要らない」
お互い、驚いた顔を見せ合いながら、しばし沈黙した。何か言わないと、と思ったら尾崎が先に口を開いた。
「何でって。大抵こういうときって、嬉しそうな顔して『ありがとう』って言われること多かったから……」
「そうなんだ。でも私、働いてるから大丈夫だよ」
きっと彼はお小遣いの中から、おごってくれようとしているのだろう。それなら、なおさらおごって貰う訳にはいかない……まさか自分の給料より、彼のお小遣いの方が多いということはあるまい。きっとそうに違いない。
「家業だよな?」
「うん。だから気を使ってもらわなくて平気」
「そうか。余計なことだったみたいだな。悪い」
彼はそう言うと売店に行って、コーヒーを二本買ってきた。一本を差し出してくる。
「ほら」
「要らないって言ったんだけど」
「おごりじゃなくてプレゼント」
おごりとどこが違うのか。まあいいか……。
「……分かった。いただくよ。ありがとう」
缶コーヒーを受け取ると、尾崎はどうしてか顔に喜色を浮かべていた。
「それじゃ、またな」
そのまま、まるでスキップでもするような軽い足取りで去っていった。何だったのだろうか。
売店で追加で購入した食料を休憩室で頬張り、ようやく落ち着いた。最後に彼がくれた缶コーヒーがぽつんとテーブルの上に残った。コーヒーに視線を向け、そっと呟いた。
「なんなんだろうね、これは」
プルタブを引っ張り、一気にコーヒーを飲み干す。洗面所で歯を磨いた後にベッドに戻ると、看護師さんが来た。
「川の水を飲んじゃったってことなので、点滴をしておきますね。夜中に悪化することもあるんですよー」
彼女にそう言われ、腕に点滴の針を刺された。そのままシーツの中に潜り込む。知らない間に夢の中へと落ちていた。
――変な夢を見ていた気がする。おじいちゃんが橋の上で苦しんでいた。それは山間に流れる川の上に架かる美しい石橋。どこか、汐待橋に似ている。
うなされるように目が覚めた。まだ夜中の三時。嫌な汗がシャツにべっとりと付いている。おじいちゃん……帰ったら真っ先に会いに行こう。
朝食は、お椀からはち切れんばかりの特盛りご飯に変わっていた。昨晩、頼んだかいがあった。全て平らげた後で、診察を受ける。
「問題ないですね。退院して結構です」
これでようやく解放される。部屋に戻る途中で、女の子が近寄ってきた。あかりちゃんだった。
「お姉ちゃん!」
「よかった。元気そうだね」
「うん。明日退院だって。助けてくれてありがとうね」
助かって本当に良かった。
大部屋に戻ると、父さんがベッドの側でパイプ椅子に座っていた。
「父さん。助けた女の子も元気そうだった」
「ああ、私も入院費の説明をしに行った時に会ったよ」
父さん曰く、入院代は、ボランティア清掃に掛けていたレクリエーション保険から全額支払われるとのことだ。
廊下を歩きながら、父さんに聞いてみた。
「そう言えば、おじいちゃんは元気?」
「実は昨日から元気がないんだ。笑ってはいるし、声も元気そうには装ってはいるが」
「父さん、急いで帰ろう。昨日、変な夢を見たんだ」
病院を出て、ミニバンの助手席に座り込むと、続きを話した。
「山の中の橋の上で、おじいちゃん苦しんでたの……おじいちゃんって、本当は橋の神様なんでしょう?」
父さんはハンドルを握りながら暫く考えこんでいた。そしてためらいがちに、ゆっくりと口を開く。
「……そうだ。お前が橋守を正式に継ぐときに、その話をしようと京子と話してたんだが。もういいだろう」
おじいちゃんにまつわる昔話をしてくれた。
――初代橋守が駆け落ち先として選んだ山奥のとある里で、今のおじいちゃんに出会ったと。初代は橋のことで意気投合し、酒を飲み交わした。おじいちゃんが橋の神様だとも知らずに。
初代はおじいちゃんから、石橋建立の技術を教えてもらった。その後、時の藩主の要望でその山里のすぐ側に橋を架けた。
その橋の美しさに感動したおじいちゃんから橋の神であると正体を明かされた。それならいっそのこと、初代はその橋を住処にしてはどうかと勧めたらしい。
――橋桁のリビングに戻る。
「おじいちゃん、ただいま」
「おおー、潤子さんか。お帰り」
その声は確かに元気そうだ。だけど顔色が悪い。
「おじいちゃん、顔色悪いよ。ご飯作ろうか」
「いや、心配ない。祭りが終わってしまって、帰りのことを思うとついの」
嘘だ。今までこんなこと、一度もなかった。
「……女の子を助けてくれたのって、おじいちゃんだよね」
おじいちゃんは、その言葉には答えず、暫く黙っていた。ただ頭を優しく撫でてくれるだけだった。
「……じぃはな。子どもたちが元気に育ってくれるのが嬉しいんじゃ。だから、ほんの少し力を貸しただけじゃよ」
川の流れをせき止めるのが、底に沈んだ流木を浮かせるのが、ほんの少しの力の訳がない。
「それなら、冬の橋祭りも来てくれるよね?」
「頑張るぞい」
今までは『もちろんじゃ』って言ってくれたのに。
「おじいちゃん。今の私に何かできることってある?」
「おお、あるぞ。潤子さんらしく、今のままでいて欲しい」
自分らしくって何だろうか。
「分かった。なら、おじいちゃんが、またここに来られるように頑張るから」
それだけ言うと、リビングを飛び出した。母さんのいる、定食屋へと足を運ぶ。
『橋守食堂』と書かれた看板が見えた。『準備中』の木札がかかった引き戸をガラガラと開ける。
「あら潤子。帰ってきたのね」
「うん、ただいま。身体は問題なしだって。仕込み手伝うよ。あとね。父さんから、おじいちゃんのことを聞いた。母さんにも聞きたい」
潤子は包丁を器用に使い、ボラを次々と三枚下ろしにしながら、隣で作業をする母さんに話を続けた。
「おじいちゃんって、橋の神様だったんだね」




