第十三話 祭りの終わり
二十一時を回り、無事に橋祭りも終了した。潤子はほっとするのと同時に、人が引き潮のように去っていくのをどこか寂し気に眺めていた。
父さんと母さんは、地元メンバーの打ち上げに出かけていった。普段は早寝だが、この時だけは御前様で帰ってくる。ただ、起きる時間は一緒だ。
まばらになった橋の上を、弟と妹と並んで歩いた。出店の人たちが忙しなく片付けを始めている。
「潤子ちゃん、隼人くん、夏子ちゃんや」
山下のおばあちゃんに呼び止められた。
「賄い、少し食べていかんか?」
そのお誘いに潤子の口元が緩み、無意識の内におばあちゃんのいる屋台へと足が向いた。
「ありがたくもらうね。それと明日の片付け、手伝うよ」
賄いは、じゃがいもの欠片が一つと、牛肉がいっぱい入った、特製肉じゃがだった。
小さい時に『牛肉をいっぱい食べたい』と、ふと零してしまったときに作ってくれたのがこれだった。それをずっと覚えてくれていて、祭りの終わりにこうして作ってくれる。
「しかし今回は凄まじかったの。手が回らんで、惣菜屋を臨時休業して息子夫婦に応援に来てもらったくらいじゃ」
おばあちゃんは満足そうに、しみじみとした表情を浮かべた。
「久しぶりに家族みんなで商売できて楽しかった。潤子ちゃんには本当お礼を言わんとの。家じゃ楽隠居扱いだし」
「大事にされてるんだね」
「腫れ物になっとらんといいけど」
そう言うと、元気良く笑った。
――翌朝は屋台の撤収と、橋周りの掃除と片付けと、てんてこ舞いだった。潤子は作業着姿で船に乗り、川に浮かばせた灯籠を弟と妹と一緒に回収していた。コンクリートの土手の先に広がる川原では、数人の清掃ボランティアがゴミの回収を手伝ってくれている。謝礼は我が家の定食弁当だ。
「なあ、姉ちゃん。あれ注意した方がいいよな」
隼人が指差した先には、川の側まで幼い男の子と女の子が下りている。空き缶を拾おうとしてるらしい。川の近くには決して近づかないようには言っている。注意しようとした矢先に、土手の上から焦ったような叫び声が聞こえた。
「危ないから、戻って!」
どうやら彼らの親のようだ。幼い二人の顔が土手の上へと向いた。その刹那、女の子の片足がボールを蹴ったように宙を浮く。次の瞬間、大きな水飛沫が上がった。土手には男の子だけが呆然と立ち尽くしていた。
「やっべ、落ちた」
「お姉ちゃん、船動かして!」
視線で女の子を追う。バシャバシャと水面を叩いているが、沈みかけている。
「駄目、間に合わない。父さんと母さんに連絡して!」
言うが早いか、潤子は船べりの浮き輪を掴むと、船底を蹴り、川へ飛び込んだ。ごぼり、と冷たい感触が全身を包む。水が口の中に入った。
(間に合って!!)
ありったけの力で泳ぐ。流れが速い。女の子が遠くなる。絶望の影が落ちた。
その時。急に川の流れが緩やかになった。そして沈みかけた女の子がゆっくりと浮き上がった。よく見ると、流木が彼女の身体を下から押し上げている。
女の子の背後から近づき、浮き輪を持たせた。そのまま浮き輪を引っ張りながら、横泳ぎで土手へと向かう。
川の縁に辿り着くと、周りに集まっていた人たちが女の子を引き上げてくれた。潤子自身もコンクリートブロックに手を乗せ、川から身体を引き上げる。
「「潤子!」」
橋の上から父さんと母さんの声が聞こえた。その声を聞いた途端に足がガタガタと震え、土手に寄りかかるように、へたり込んでしまった。水を吸い込んだ作業着が、やたらと重く感じる。
「「あかり!」」
女の子の両親だろうか。
「ママ……パパ。うわーん」
良かった。意識はしっかりしている。女の子は数人がかりで土手の上へと慎重に運ばれた。すぐに駆けつけた救急車の担架に乗せられ運ばれていった。
なんとか土手を這い上がった潤子も、母さんの肩を借りて救急車の近くへと運ばれていく。
――肺に水が入ったかもしれないので、一晩だけ入院した方が良いということになった。一緒に救急車の中のベンチに座っている。隣には母さんもいる。
ピーポーピーポーとサイレンの鳴る中で、女の子と彼女の母親にお礼を言われた。
「お姉ちゃん、ありがとう」
「ありがとうございました。命の恩人です。このお礼は必ず」
「無事で良かったです。ねえ、あかりちゃん。川は本当に危ないから、小さい子だけで近寄っちゃ駄目だからね」
あかりは元気良く頷いた。
搬送先は潮見総合病院だった。簡単な問診の後、病室で母さんから借りたパジャマに着替えた。スマホや腕時計、財布なんかの身の回り品は全て完全防水仕様なので無傷だ。値が張っても買っておいて本当に良かったと思う。
入院手続きを終えた後、母さんは帰っていった。橋以外の場所に泊まるのは久しぶりだった。取りあえずベッドの上でゴロリと仰向けになる。どこかよそよそしく感じた。砂浜を這いずるウミガメもこんな気分なのだろうか。スマホが鳴った。夏子からのメッセージだった。
『お姉ちゃん。祭りアイドルランキングが六位になってる。それと、誰かがお姉ちゃんの救助活動をアップした』
潤子はすぐに祭りアイドルサイトを確認した。作業着姿で川を泳いでいる潤子の写真の他に、女の子を土手に引き上げている写真までが、そのままアップされていた。
スマホを持つ手が震える。即座に女の子の映った写真を削除した。本人確認を済ませているので、自身での削除が可能だった。
その後で、メッセージをサイトに載せる。
『お祭りに関係のない写真や、私に関係のない方が映った写真をそのままアップするのは止めてください。もし続くようなら、登録自体を抹消します』
またベッドにゴロリと横になる。すぐにスマホの通知が鳴った。また夏子からだ。
『祭りアイドルランキング5位になった』
怪訝な顔で再び祭りアイドルサイトにアクセスした。あの写真は削除されたまま。ただ、いくつかの謝罪コメントと賞賛コメントと沢山のいいねが入っていた。解せぬ。
――潤子はとにかく暇だった。泳ぎを止めると死んでしまう回遊魚みたいに、病院の中をうろつき始めた。パジャマ姿のまま。ロビーは広かった。椅子に腰を下ろす。目の前にある血圧計で、血圧なんかを測る。測定結果が印字されたレシートをベリッとちぎる。正常値だった。
「橋守。お前何やってんの?」
どこかで聞いたようなセリフ。顔を上げると尾崎がこっちを見下ろしていた。
「血圧測ってただけだよ。暇だったし。尾崎くんこそ、病院なんかで何をしてるの?」
「い、いやさ。こ、ここ親父が経営してる病院なんだよ」
どもった。何故?
「お父さんが経営してるからって、尾崎くんが病院にいる必要ってあるの?」
じっと彼の目を見つめた。なんか、顔を真っ赤にしている。
「祭りアイドルサイト見たんだ。橋守がさ、川で女の子を助けて、入院したって知って。ここ、救急指定になってるから、もしやと思って来てみたんだ……」
「心配してくれるのは嬉しいけど……尾崎くんに個人的に心配してもらえるほど、私達って、そんなに仲良かったっけ? 可奈や智子がここに来るのなら分かるんだけど」
そういえば、あの二人は後でお見舞いに来るって言っていたな。あれ、遊びに来るって言ったんだっけか。
尾崎の顔がくしゃくしゃになった。肩も震えている。彼はおもむろに近くのシートに腰を下ろした。
「白状する。ここに来たのは橋守に会いたかったから。学校でお前に言ったことを、謝らせてくれ」




