第十二話 花火大会
橋祭り最終日、日曜日の朝を迎えた。今日の夜は花火大会も開催される。潤子はいつもの時間にリビングへ行くと、そこには既に家族全員が揃っていた。
潤子がお早うの挨拶をすると、元気いっぱいな木霊のように挨拶が返ってきた。一名を除いてだが。
いつもは真っ先に絡んでくる隼人が、今日はしおらしくため息なんかついている。
「隼人、今日はおとなしいじゃん。もしかして可奈と上手く行かなかったとか?」
途端に弟の顔が真っ赤になる。キッと睨みつけられた。
「何言ってるんだよ! そんな訳ないだろ!」
夏子が可哀想な子犬を見るような目で、隼人に視線だけを向ける。
「お兄ちゃん、口惜しいんだよ。可奈さんがー、花火大会がーって、ずっとブツブツ言ってたし」
「夏子、違うってば! ちょっとだけだって」
図星のようだ。本当に分かりやすい。
「そう言えば、可奈は今日は家族で出掛けるからさ……さりげなく、案内とかしたりするとポイント稼げるかもよ」
隼人はハッとした顔になった。心なしか尊敬の眼差しを向けられている気もする。
「俺、今までずっと姉ちゃんのこと誤解してたかも」
どんな誤解だったのかは気になるが、姉の威厳を保つために黙っていた。
「「「いただきます」」」
いつものように全員でテーブルを囲む。こうして家族で集まる時間は、やっぱりほっとする。
朝食を半分ほど食べた頃、父さんが何かを思い出したように、手に持った箸をテーブルの上に置き、口を開いた。
「潤子、そう言えば市のお偉いさんから親善観光大使になってくれって打診があったぞ」
そう言いながら、じっと見つめてくる。なんだか恥ずかしい。そして満足そうな表情を浮かべ、一人で頷いていた。
「やっぱり京子に似てるからなあ」
いきなり親バカ全開のドヤ顔を見せた。まあ、母さん似だとは思う。
「もし、やるにしても来年になるのかな」
一応、受験生だし。
「潤子が受けてくれたら、橋の保存活動に色々と融通効かせてくれるって。それを抜きに考えても、良い経験になると思うわ」
母さんは乗り気のようだ。まあ、ついて回るのは補助金とか助成金とかの話だろう。やだやだ。大人の世界は真っ黒だ。
「昔は普通に付届けを役人に贈ってたりしたもんじゃが。不便になったものよのう」
「おじいちゃん。今それをやると収賄罪になるから」
母さんが両拳を揃えて差し出す仕草をする。なるほど、今だとお縄になるのか……それにしても母さんの仕草、なんか色っぽい。
――朝食後の家族会議の結果、最終日は夜に来るお客さんに提供しようという話になり、十六時から屋台を開くことになった。
「夕方から屋台を手伝うよ」
そう付け加えた。祭りの案内は長時間やるものではない。精神力をごっそり持ってかれる。
九時になると、潤子は弟たちと奉納品の回収にまわる。その度にみんなから感謝された。
「潤子ちゃんのお陰で、売り上げがとんでもないことになったよ。少ないけど、これ」
たこ焼きを十パックもらった。
「ははは。出店できなかった仲間が本当に口惜しがってたぞ」
橋祭りへの出店はジャンルごとに分けて抽選で決まる。昔からの付き合いのあるお店については抽選免除だ。
そんなことを思っていたら、ニコニコ顔のおやじさんから大盛り焼きそばを五パック、ずいと差し出された。
「本当に感謝しかないよ。沢山もってきな」
次の店ではチョコバナナが二十本。持てん。
奉納品もえらい数が集まった。いっぱいになった編みかごを二つ、両方の手でそれぞれ持ちながら、おじいちゃんの所へと持っていく。
「はい。今回は過去最高記録」
潤子はドンと編みかごをテーブルに置く。弟と妹もそれに倣う。おじいちゃんの前に並べられた六つの編みかご。
「これは壮観じゃのう。ありがたく頂いておくぞ」
「うん。また夜にね」
その後すぐに、道路の前でお面を被ったまま案内役を始めた。どこもかしこも人だらけだった。警備の人が一生懸命整理してくれている。
気付けば日は西に傾き、やがて賑やかな人の波とともに夜になった。夕方から出店で父さんと一緒にハゼの唐揚げを売り捌いているが、時間が経つごとに行列が凄いことになっている。
刹那、ヒューという音と共にドン、バラバラバラと続いた。顔を上げると幾筋もの緑色の細い光が、残渣となって漆黒の大空からハラハラと落ちていくのが見えた。
みんな橋の下流側へ集まり、花火を見ている。そんな中、一人の視線を感じた。
「尾崎くん?」
お面越しに目が合った。尾崎は半分だけ口を開きかけたが、慌てたような表情を見せただけで、そそくさと人混みに紛れてしまった。何だったのだろうか。入れ替わりに、後ろから可奈の声がした。
「潤ちゃん。来ました」
振り向くと隼人に連れられた可奈が、屋台の中にいた。
「よく来てくれた。ハゼの唐揚げ、別に取ってあるから持ってって」
「うん。お金置いていきますね」
「あ、俺が払ったから、いいよ。ご両親の所へ行こう」
「えっと……ありがとう。今度の映画は私が払うから」
どこでも誰でも敬語スピーカーの可奈が隼人にだけはタメ口で話している。頬をピンクに染めて上目遣いで。順調に進展しているようだ。隼人の姉として、可奈の友人として嬉しい。
***
――智子は橋の入口付近で一人、スマホ片手に花火を見ていた。殺人的な混雑具合でスマホの電波が入りにくくなっている。
何度か知らない男たちに声をかけられたが、何も言わずただ睨みつけて追い返した。夜空に色とりどりの華を咲かせ、暗闇の中へと儚く散っていく。その光景が、彼に対する気持ちと重なった。
「……くそっ。大学の方がそんなに大事なのかよ」
智子は肩を震わせながら、足を踏み出そうとした。だが、おじいちゃんの言葉を思い出す。
『短気は損気』
少しでも気を緩めれば、勝手に逃げ出そうとする足に力を入れる。橋の石畳に向けて、大きなため息をついた。
「せめて、終わるまで待つか……」
智子がそう呟いたすぐ後。それまでとは違う、ヒューという大きな音が聞こえる。ドォンという派手な音とともに、薄煙のかかる闇空を覆い尽くすような、深紅の大輪の華が咲いた。まるで大きなルビーだった。おおーという歓声とパチパチと拍手が聞こえる。
「智子!」
すぐに後ろを振り返った。彼がいる。無意識にその手が伸びる。ふいに彼女の頬に涙が伝わった。
「バカ! バカバカバカ。今まで何をしてたんだよ」
「ごめん……智子に言われた錬金術をしてた。誕生日おめでとう」
彼は宝石箱を開けた。そこには薄紫のスエードに包まれた、七月の誕生石である、楕円形の深紅のルビーが輝いている。
「77回目でようやく成功したんだ」
どこか彼は誇らしげだ。
「……え。本当に宝石作ってたの?」
「うん。火炎溶融法ってやつで。サプライズしようと思ってて黙ってた。でも、何回も失敗して成功したのが昨日の夜。カットに時間かかった」
「……サプライズってさ。全然嬉しくないイベントだから」
その言葉に、彼はどこか申し訳なさげな表情になる。
愛おしさが溢れ、彼の腕にしなだれた。
「それでも……やっぱ嬉しい。私のために作ってくれたんだろ?」
「勿論。あ、でも実験レポートは賞賛されたよ」
馬鹿正直なのが彼らしかった。
「たく……ありがとう。それと色々と疑ってた……ごめん。これ、指輪にしていい?」
「その……こっちこそ黙っててごめん。やっぱりこういうのよくないな。お詫びにリングも買うからさ。ルビーを付けて貰おう」
***
――売り尽くした屋台の奥で、潤子はお面を外し、両親と花火を見ていた。無心で次々と打ち上がる色とりどりの花火に声を上げる。
「おおー。たまや~」
そんな潤子の前に、一組のカップルが寄ってくる。智子とその彼氏だった。仲睦まじげに腕を組んでいる。潤子はにこやかな顔で大きく手を振った。彼女も小さく手を振り返してくる。
「潤、ありがとう。それと、おじいちゃんにも礼を言わせてくれ」
「分かった。そろそろ自分の家に帰ると思うから、早めに会いに来て」
智子は頷くと、彼と二人で人混みの中へと溶け込んでいく。
「お幸せに」
潤子は、微笑みを浮かべながら、二人の姿が見えなくなるまで、ずっとその背中を追っていた。




