七
「ここにはあなたを泊めてあげる場所がないの。父の弟子がふたり寝泊りしてる上にわたしまで戻ってきたから――」
表情を曇らすネリに「気にしないでくれ」とマテウスは首を振る。髪と髭から砂埃が舞った。席を立ち、ジャラジャラと音を立てるズタ袋を担ぎ上げると、マテウスはネリに向かって深々と頭を下げ部屋を出ていこうとした。
「あっ、ちょっと待って」
そう言って姿を消したネリはひと抱えの荷物を持って戻ってくる。
「そんな物を着ていると、また兵士から言いがかりをつけられるわ。これを――」
農夫が着るようなダブレットとホーズを差し出される。きちんと折りたたまれた肌着もあった。そこまでしてもらう訳にはいかない。マテウスは顔の前で手を振った。
「死んだ夫の物なの。だからもう誰も着る者はいない。遠慮しないで、さあ」
戻ってきたというのは、そういう意味か。服を受け取ったマテウスは、それを眼の高さに掲げて感謝の意をあらわした。
「剣と槍の注文だけは引きを切らずにあるの。争いの時が近いのかもしれないわね。あなたは南の国にいたのよね?」
家を出る際、作業場をじっと見つめるマテウスにネリが顔を寄せて言った。
「国はどうなったの? 遠く離れたここでは噂に聞くしかないけど、随分多くの人々が死に、多くの人々が国を捨てたそうね」
マテウスは作業場から視線をずらさず首を縦に振った。
鍛冶屋を後にしたマテウスは川沿いの小径を東、すなわち上流へと向かった。途中、川のたもとに広がるぶどう畑や麦畑を立ち止まっては興味深く眺める。どの家にも家事のためか流れは引き込まれていたが水車は見当たらない。交易の盛んだった南の国ほど技術が進んではいないようだ。
更に川を上り、ひとけが途絶えると、マテウスは素っ裸になって川に飛び込んだ。「なるべく早く着替えなさいね」と言ったネリの忠告に従うためだ。水は濁り髪と髭を本来の黒々としたものに戻す。マテウスは川岸に置いたズタ袋の口を開けた。
放浪と不定期な食事が髪や皮膚に与える影響は顕著だ。ハサミでちぎり切る髪に艶はなく、カミソリをあてる皮膚からは幾筋も血が流れ出る。
こんなところか――、再びズタ袋を探ると布に挟んだ柿の葉を取り出す。水に浸し、よく手で揉みしだいた後、傷口にこすりつける。柿の葉には自然治癒力を増加さす働きがある。これは木こりを始めた頃に教わったものだった。
身なりを整えたマテウスは廃屋を探した。この時代、民に転居や転職の自由は認められておらず、農家に生まれたものは生涯農夫であり、貴族の家系に生まれればどんな阿呆でも搾取する側でいられた。しかも、本来、民を救う立場である教会までもが作物の一割を要求してくるのだから堪らない。飢饉にでもみまわれれば納めるべき作物はおろか翌年に撒く種さえ失う。そんな時、民が牢に放り込まれず娘を売り飛ばされないための手段は住み慣れた土地を捨て逃げ出すことだ。飢饉や大嵐の翌年、廃屋が増えるのはそれが理由に他ならない。
仰ぎ見る空は、雨が近いことを告げている。野宿には慣れていたが、きれいに洗濯された衣服をすぐに汚してしまうことがネリの好意を無にするように思えていた。
そうだ! マテウスにある考えが浮かび、探す廃屋を木造のものに絞る。目的に合うものを探し出した時は既に陽も翳り、人里は彼方となっていた。
納戸に農機具をみつけたマテウスは風雨をしのぐための羽目板を剥がし始める。更に古びたテーブルを引っくり返し、椅子の足を外す。暖炉に火を起こすと古いサーコートとトゥニカを燃やした。
ここなら山も森も近い、足りないものはおいおい揃えていこう。ズタ袋から取り出した斧とナイフでマテウスは木材を刻み始めた。
新月が満ちる頃、マテウスは賤家を出た。鍛冶屋の娘に贈り物を届けるためだ。森を回って集めた椿の実、その種から絞ったオイルが彼女の荒れた手を癒してくれるよう願っていた。




