第4話 共同執筆のご提案
生徒会室の扉を叩くと、中から「どうぞ」と声がした。
殿下はひとりだった。窓際の大きな机に向かい、書類に目を通している。私が入ると顔を上げ、いつもの笑顔を浮かべた。
「来てくれたんだね。座って」
「失礼いたします」
向かいの椅子に腰を下ろす。机の上には、紅茶のカップがふたつ用意されていた。私が来ることを、最初から疑っていなかったらしい。
(落ち着いて。まずは、ごまかせるかどうか試す)
私は背筋を伸ばした。
「殿下。手帳のことですが、あれは私が趣味で書いている物語の下書きでして」
「物語」
「はい。架空の国の、架空の令嬢のお話です。ですから、書いてあることは全部作り話で」
「架空の令嬢の名前が、エステル・アシュフォードなのに?」
「……」
「卒業夜会の日付が、今年の王宮の行事予定と一致しているのに?」
「…………」
「刺繍の売上の記録が、君が商会に通っている日と一致しているのに?」
(なんで私が商会に通う日まで知ってるの)
私は黙って紅茶に口をつけた。熱かった。
殿下は楽しそうに頬杖をついた。
「ごまかすなら、もう少し設定を練らないとね」
「……殿下は、どうやってあれを読んだのですか」
「解読したんだよ。一晩で」
「一晩……?」
「正確には、昨日の閉館の鐘から今朝の夜明けまで。おかげで少し寝不足だ」
(一晩で!? 私がベッドで転がっていた間に!?)
言われてみれば、殿下の目の下には、うっすらと影があった。完璧な王太子殿下の顔に寝不足の跡を見るのは、初めてだった。
殿下は机の引き出しから、紙の束を取り出した。そこには見覚えのある文字が、ひとつずつ丁寧に書き写されていた。ひらがな、カタカナ、漢字。その横に、この国の文字で意味が添えてある。
「面白い文字だね。音を表す文字が二種類あって、意味を表す文字がそれとは別にある。同じ文字が文脈で違う読み方になるのには苦労したけど、君の書き方は規則的だから助かった」
「……規則的」
「項目番号に、小見出しに、期日の一覧表。とても読みやすかったよ」
褒められているのか、責められているのか分からない。
(前世の上司に褒められたかったのに、まさかこんな形で)
殿下は紙の束を置いて、まっすぐに私を見た。
青い瞳から、ふっと笑みが消えた。
「エステル。あれは、何?」
いつもより少しだけ低い声だった。
私は膝の上で両手を握りしめた。
前世のこと。ゲームのこと。全部話したら、正気を疑われるかもしれない。けれど、ここまで読まれてしまった以上、何も言わないわけにはいかない。
「……夢を、見たのです」
慎重に言葉を選んだ。
「入学の前夜に。とても長くて、はっきりした夢でした。その夢の中で、私は学園である方をいじめて、卒業夜会で殿下に婚約破棄を言い渡されて、国を追われるのです」
「予知夢、というわけだね」
「信じていただけなくても構いません。ただ、私はそうなりたくないので、夢と違う道を選ぼうとしているだけです」
殿下は黙っていた。
長い沈黙だった。窓の外で、鳥が二度鳴いた。
「……信じるよ」
やがて、殿下はあっさりと言った。
「え」
「信じる。君はこういう嘘をつく人じゃない。それに、あの計画書には、夢で見たのでなければ書けないことがいくつもあった」
それから殿下は、また笑った。今度の笑顔は、いつもの穏やかなものとは少し違って見えた。何かを企んでいる子どもみたいな顔だった。
「破滅を避けたいんだよね。全面的に協力しよう」
「本当ですか?」
「ただし、条件がある」
殿下は指を一本立てた。
「ひとつ。あの計画書は、今後、二人で書くこと」
「ふたりで」
「君が書いて、私が添削する。私が書いて、君が添削してもいい。破滅を避けるなら、当事者の意見が入っていたほうが確実だろう?」
それは、確かにそうかもしれない。殿下はこの国のことを、私よりずっとよく知っている。イベントの一覧表についていた赤い注釈も、悔しいけれど正確だった。
殿下は二本目の指を立てた。
「ふたつ。私を避けないこと」
「それは、その」
「協力者を避けていたら、計画が進まないよ」
(正論。悔しいけど正論)
三本目の指。
「みっつ。第一項は撤回すること」
「それはできません」
思わず即答していた。
「婚約破棄を避けたら、あの夜会に向かってしまいます。夢の中の私は、殿下の婚約者だから破滅したのです」
「それなら、婚約者のまま破滅しない方法を考えればいい」
「そんな方法、あるのでしょうか」
「あるよ。君と私で書くんだから」
殿下は当然のことのように言った。
私は唇を噛んだ。撤回はできない。けれど、殿下の協力は喉から手が出るほど欲しい。
前世で何度もやった、予算交渉の会議を思い出す。全部は取れない。だから、落としどころを探す。
「……保留、では、いかがでしょう」
「保留」
「第一項は、撤回ではなく保留にします。計画の進み具合を見て、改めて検討するということで」
殿下は少しだけ目を見開いて、それから声を立てて笑った。
「保留、ね。いいよ。保留にしよう」
なぜか、ものすごく機嫌がよさそうだった。
殿下は私の手帳を引き寄せ、白紙のページを開いた。羽根ペンを赤いインクに浸し、日本語で、さらさらと書きつける。
『破滅回避計画書 第二版
共著:エステル・アシュフォード、セドリック・オルディア』
その下に、もう一行。
『第一項 保留(ただし、私は同意しない)』
「……殿下。それは保留とは言いません」
「保留だよ。私の意見を添えただけ」
殿下は手帳を閉じて、私に差し出した。
「明日の放課後も、ここで。続きを書こう」
私は手帳を受け取った。表紙の革が、ほんのり温かかった。
(なんだろう。思っていたのと、ぜんぜん違う)
破滅を避けるための計画書だったはずなのに。
いつの間にか、共著者が増えていた。




