第17話 断罪の夜会
卒業夜会の夜、王宮の大広間は光であふれていた。
天井から下がるいくつものシャンデリア。磨き上げられた床。着飾った卒業生たちと、その家族。楽団が奏でる、ゆったりとしたワルツ。
ゲームのスチルで見た光景と、そっくり同じだった。
(ここで、エステルは断罪される)
入口の扉の前で、私は一度だけ深く息を吸った。
藤色のドレスの裾が、足元で揺れている。銀糸の花の刺繍が、シャンデリアの光を受けてきらきらと光った。
「エステル」
名前を呼ばれて、顔を上げた。
殿下が、扉の向こうに立っていた。
白い礼装に、藤色の飾り帯。私のドレスと、同じ色だった。
殿下は私の姿を見て、一瞬、言葉を失ったように黙った。それから、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「……来てくれたんだね」
「最終項に、了承しましたので」
私は手帳を思い浮かべながら答えた。殿下の赤い字の下に書いた、私の黒い字。
殿下は、ほんの少しだけ目を細めた。
「似合っている。思っていたよりも、ずっと」
「仕立て屋さんの腕がよかったのです」
「いや。君だからだよ」
そう言って、殿下は右手を差し出した。
ダンスの練習のときと同じように。私はその上に、そっと左手を重ねた。
温かかった。
この手のぬくもりを、私はずっと、偽装だと思おうとしていた。
最初のワルツは、私たちが踊ることになっていた。
広間の中央に進み出ると、周りの視線がいっせいに集まった。ひそひそとささやく声が聞こえる。横領の噂。東屋の噂。私たちを見る目は、好奇と憐れみが半分ずつだった。
殿下は、そんな視線を気にも留めなかった。
「一、二、三」
小さな声で、拍を数えてくれる。
空き教室で、何度も練習した足運び。私はもう、つまずかなかった。
「上手だね」
「お世辞は結構です」
「本心だよ。前にも言った」
殿下はくるりと私を回して、また引き寄せた。
二歩。いや、それよりもずっと近い。
殿下の胸に額がぶつかりそうになって、今度は、避けなかった。
曲が終わると、広間に拍手が起きた。
その拍手を、高い声が切り裂いた。
「お待ちください!」
広間の階段の上に、ミアが立っていた。
淡い桃色のドレス。蜂蜜色の髪には、真珠の飾り。目には、大粒の涙が浮かんでいる。
その隣には、灰色の髭をたくわえた男が立っていた。ギルベルト宰相だ。
「セドリック様。どうか、聞いてください」
ミアは涙声で、両手を胸の前で組んだ。
「わたくし、この一年間、ずっとエステル様にいじめられてきました。お茶会でドレスを汚され、教科書を破られて……」
広間が、ざわりと揺れた。
ミアは、ゲームの台詞をそのままなぞっていた。私はそれを、ほとんど一字一句、覚えていた。
「誰にも言えませんでした。エステル様は、公爵家のご令嬢ですから」
ミアが顔を覆うと、何人かの令嬢が「まあ」と声を上げた。
次に、宰相が一歩前に出た。
「陛下、殿下。私からも、申し上げねばならぬことがございます」
宰相は、重々しく一冊の帳簿を掲げた。
「アシュフォード公爵家の王都の倉庫より、押収したものでございます。東部治水工事の予算を、公爵家が不正に流用していた記録が、ここに」
今度のざわめきは、さっきよりもずっと大きかった。
広間の端で、お父様が顔色を変えて立ち上がるのが見えた。
宰相は、勝ち誇ったように続けた。
「かような家の娘を、王太子妃に迎えるわけにはまいりません。殿下、どうか、ご英断を」
「セドリック様……」
ミアが、階段を一段下りてきた。涙に濡れた瞳で、殿下を見上げる。
「わたくしは、ただ、セドリック様のおそばにいたいだけなのです」
ゲームの、最後の場面だった。
ここで殿下は、エステルに向き直る。冷たい青い瞳で見下ろして、婚約破棄を告げる。
――君には最初から、何の期待もしていなかった。
私の指先が、冷たくなった。
分かっている。計画書には、全部書いてあった。別紙もついていた。殿下は、全部準備してくれている。
それでも、怖かった。
もし、ゲームの強制力というものが、本当にあったら。
そのとき、重ねていた手に、ぎゅっと力がこもった。
殿下の手だった。
見上げると、殿下は私を見ていた。冷たい瞳ではなかった。いつもの、少しだけ困ったような、優しい目だった。
最終項。
当日、君は何もしなくていい。ただ、私の隣にいること。
私は、殿下の手を握り返した。
殿下は小さくうなずいて、それから、階段の上の二人に向き直った。
その顔に、いつもの完璧な笑顔が浮かんだ。
宰相の三男を追い払ったときと、同じ笑顔だった。
「では、始めようか」
殿下は、よく通る声で言った。
「添削の時間だ」




