第15話 最後のページ(セドリック視点)
ポートマン嬢との面会は、予想どおりに進んだ。
私が少し興味を示しただけで、彼女は攻略ノートを開いて見せてくれた。三度目の面会では、自分から私の腕に手を添えてきた。
「セドリック様、このページを見て。あたし、ちゃんと全部分かってるの」
彼女が指さしたのは、卒業夜会の日付が書かれたページだった。
『卒業夜会:エステルの断罪イベント
→横領の証拠が提出される(ギルベルト様が準備してくれる)
→セドリック様がエステルとの婚約破棄を宣言
→あたしにプロポーズ』
私は、微笑んだまま、それを読んだ。
ギルベルト様が準備してくれる。
彼女は、自分が何を書いたのか、まるで分かっていなかった。ゲームの知識とやらと、宰相から聞いた計画が、同じページの上で、何の区別もなく並んでいる。
これが、宰相の罪の、何よりの証拠になる。
その日の別れ際、ノートを少し貸してほしいと頼むと、彼女は頬を染めて差し出した。二人の未来が書いてあるから、ぜひ読んでほしい、と。
面会には、毎回、護衛騎士を二人立ち会わせた。東屋の陰に控えさせ、会話の内容をすべて記録させた。ポートマン嬢は、騎士の存在に気づいていなかった。
それと並行して、宰相も予想どおりに動いた。
監査の日程を卒業夜会の直前にずらしたことで、宰相は焦った。グレイヴ商会の者が、夜中に公爵家の王都の倉庫へ忍び込み、偽造の帳簿を棚に紛れ込ませた。
その様子も、私の手の者が見ていた。
罠は、すべて整った。
あとは卒業夜会の日を待つだけだった。
――そう思っていた。
その日、生徒会室に戻ると、机の上に封筒と、革表紙の手帳が置いてあった。
封筒の中身は、帳簿の分析だった。三年分の差額の一覧表。偽造された署名の比較。グレイヴ商会への支払いの流れ。財務院の誰が見ても一目で分かるように、完璧にまとめられていた。
几帳面な、彼女の字だった。
それから、手帳を開いた。
第一項のページに、黒い字が増えていた。
『保留を解除します。
当初の予定どおり、円満な婚約破棄を目指します。
これまでのご協力に、心から感謝いたします。』
しばらく、その文字から目が離せなかった。
何が起きたのか、すぐには分からなかった。
ここ数週間の自分の行動を、ひとつずつ思い出した。
生徒会室に来られない日が続いたこと。返した計画書に「確認した」としか書かなかったこと。監査の日程の変更を、彼女に伝えなかったこと。
東屋で、ポートマン嬢と会っていたこと。
彼女が、刺繍の締め切りを理由に、私を避けるようになったこと。
入学したばかりの頃と、同じ断り文句で。
私は、そのとき気づくべきだったのだ。
「……っ」
机に手をついた。
全部、彼女のためだと思っていた。危ないことに巻き込みたくなかった。不安にさせたくなかった。だから、何も言わなかった。
けれど、私が黙っているあいだ、彼女はひとりで、東屋の二人を見ていたのかもしれない。
温室で、ポートマン嬢に何を言われたのか。
あの日、彼女は「ほかにも、いろいろと」とだけ言って、飛ばした。
聞くべきだった。
扉を叩く音がした。護衛騎士だった。
「殿下。先ほど、アシュフォード嬢が寮を出られました。卒業夜会まで、公爵邸でお過ごしになるそうです」
「……そう」
「それから」
騎士は、言いにくそうに続けた。
「学園では、殿下とポートマン嬢の噂がずいぶん広まっております。東屋での面会の件で」
私は目を閉じた。
噂。そうだろう。誰かに見られることは分かっていた。分かっていて、気にしなかった。罠が整えば、すぐに片がつくと思っていたから。
彼女の耳に入ることを、考えなかった。
いや、考えたくなかったのだ。
その夜、私は眠らなかった。
公爵邸へ行って、すべてを説明しようかと思った。ポートマン嬢との面会は罠だったと。宰相を捕まえるためだったと。君を不安にさせるつもりはなかったと。
けれど、それを言って、何になるだろう。
彼女は、私の言葉を信じてくれるかもしれない。けれど、彼女の計画書の第四項には、今もあの一行が残っている。
期待しない。
あの一行は、言葉では消せない。
夢の中の私が、彼女にどんな言葉をかけたのかは知らない。けれど、その男のせいで、彼女はずっと、私の言葉を割り引いて聞いてきたのだ。優しいのは義務だから。笑うのは礼儀だから。
それなら、言葉では足りない。
行動で示すしかない。
私は、彼女の手帳を開いた。
一番最後の、白紙のページ。
書きたいことは、山ほどあった。十歳の庭のこと。話題の候補の紙のこと。笑わなくても大丈夫ですよ、と言われた日のこと。七年間、ずっと君だけだったこと。
一行目を書いて、二重線で消した。
二行目を書いて、また消した。
何度書いても、ただの言葉にしかならなかった。
夜明けが近づいた頃、私はようやく、ペンの向きを変えた。
伝えたいことを書くのは、やめた。
代わりに、彼女がいちばん信じてくれる形で書くことにした。
項目番号。小見出し。期日。根拠。
彼女が十歳のときから、ずっと使ってきた形で。
『破滅回避計画書 最終版』
書き終えたとき、窓の外はすっかり明るくなっていた。
私は手帳を閉じて、護衛騎士を呼んだ。
「これを、公爵邸へ。アシュフォード嬢に直接、渡してほしい」
それから、もうひとつ。
「それと、仕立て屋を呼んで。至急、頼みたいものがある」




