第12話 予言書の使い方(セドリック視点)
エステルが生徒会室に駆け込んできたとき、顔色が真っ青だった。
温室でポートマン嬢に呼び出されたこと。ポートマン嬢も転生者だということ。攻略ノートという冊子を持っていること。そして、監査のことを知っているかのような口ぶりだったこと。
エステルは、息を切らしながら、ひとつずつ順番に話した。計画書の項目を読み上げるような、几帳面な話し方だった。
私は黙って最後まで聞いた。
それから、紅茶を淹れた。花の香りのものを。
「ありがとう、エステル。よく話してくれたね」
「お役に、立ちますか」
「とても」
本心だった。
ただ、ひとつだけ、彼女が話さなかったことがあるのにも気づいていた。
話の途中で、エステルは一度だけ言葉に詰まった。ポートマン嬢に何を言われたのかを説明する場面だった。彼女はそこを、「ほかにも、いろいろと」とだけ言って、飛ばした。
何を言われたのかは、聞かなかった。
聞けば、彼女はきっと話してくれる。けれど、話したくないから飛ばしたのだ。今はまだ、それを尊重しようと思った。
……あとで、ひどく後悔することになるのだけれど。
その夜、私は自室で、二冊の手帳を並べた。
一冊は、エステルの計画書を書き写したもの。もう一冊は、私がポートマン嬢について調べたことを書き留めているもの。
そこに、今日エステルから聞いた話を書き加えた。
ポートマン嬢は、横領の噂が流れることも、監査が入る時期も、事前に知っていた。ゲームとやらには出てこない話を。
つまり、誰かに教えられたのだ。
ポートマン男爵家は、二年前に財政難で領地の半分を手放しかけた。それを救ったのが、グレイヴ商会の融資だった。
グレイヴ商会は、治水工事の石材を水増しして請求していた、あの商会だ。
そして、グレイヴ商会の会頭は、ギルベルト宰相の妻の実兄にあたる。
ペンを置いて、私は天井を見上げた。
ギルベルト宰相。父上の代から王宮に仕える、有能で、慎重で、野心的な男だ。アシュフォード公爵とは、昔から反りが合わない。公爵が治水工事を任されたときも、最後まで反対していた。
公爵家に横領の罪を着せれば、治水工事の予算は宰相の手に移る。公爵家が失脚すれば、私の婚約者の座が空く。そこに、宰相の息のかかった男爵令嬢を据える。
ポートマン嬢は、ゲームのシナリオとやらを再現したい。宰相は、公爵家を潰したい。
利害が、ぴたりと一致している。
「……なるほどね」
思わず声が漏れた。
エステルの夢の中で、彼女が破滅した理由はいじめだったという。けれど、もしいじめがなかったとしても、宰相は別の方法で公爵家を潰しにきたはずだ。
今、まさにそうしているように。
エステルの計画書は、予言書だった。ただし、そこに書かれていないことこそが、本当の敵の居場所を教えてくれた。
翌日から、私は動いた。
まず、財務院の監査の日程を書き換えた。
本来は来月の半ばだったのを、卒業夜会の直前にずらした。表向きの理由は、財務院長の体調不良。実際には、財務院長と一晩かけて話をつけた結果だ。
宰相は必ず、監査の前に証拠を固めにくる。偽造の書類を増やし、グレイヴ商会の帳簿を整え、公爵家の倉庫に何かを仕込むかもしれない。
時間をやれば、それだけ動く。動けば、それだけ跡が残る。
それから、ポートマン嬢の攻略ノート。
あれが手に入れば、すべてがつながる。ゲームの知識と称して書かれた「予定」の中に、宰相から聞いた計画が混ざっているはずだ。彼女は、自分がどれほど危ういものを持ち歩いているか、分かっていない。
手に入れる方法は、いくつか考えた。
いちばん確実なのは、ポートマン嬢自身に近づくことだった。
あまり気は進まない。けれど、彼女が狙っているのは私だ。私が少しでも興味を示せば、彼女は喜んでノートを開くだろう。自分の「ルート」が進んでいる証拠として。
エステルには、言わないことにした。
言えば、きっと心配する。それに、彼女は嘘が下手だ。ポートマン嬢の前で、うっかり顔に出てしまうかもしれない。
……そう考えたのは、半分は本当で、半分は言い訳だった。
本当は、彼女に「ポートマン嬢と会う」と告げたとき、彼女がどんな顔をするのか、見るのが怖かったのだ。
偽装ですから、と言われそうで。
それから、もうひとつ。
書庫での一件以来、エステルの評判が、妙なところで広がっていた。
財務院長が、私との話し合いの席で、ぽろりと漏らしたのだ。
「アシュフォード公爵令嬢の作られた一覧表、拝見しました。三年分の差額を、あれほど見事にまとめるとは。財務院にほしい人材ですな」
それが、どこからか若い官僚たちの耳に入ったらしい。
数日後の放課後、生徒会室へ向かう廊下で、私は見てしまった。
財務院の若手官僚と、宰相の三男ヘルマンが、エステルを囲んでいた。
「アシュフォード嬢、ぜひ一度、財務院の見学に」
「僕の父も、あなたの才能には感心していましたよ。よろしければ、今度お茶でも」
エステルは困ったように微笑みながら、丁寧に断ろうとしていた。けれど二人とも、なかなか引き下がらない。
特に、ヘルマン。
宰相の息子が、なぜ今、エステルに近づくのか。父親の差し金で探りを入れにきたのか、それとも単に彼女に興味を持ったのか。
どちらにしても、気に入らなかった。
私は、いつもの笑顔で歩み寄った。
「やあ。私の婚約者に、何か用かな」
二人が、ぴたりと口を閉じた。
「で、殿下」
「財務院の見学なら、私が案内しよう。婚約者と一緒にね。それから、ヘルマン」
私は宰相の三男に向き直った。
「お父上によろしく。近いうちに、ゆっくりお話ししたいことがあると伝えてくれるかな」
笑顔のまま、少しだけ声を低くした。
ヘルマンの顔から、さっと血の気が引いた。彼は何かもごもごと言い訳をして、若手官僚と一緒に、足早に去っていった。
エステルが、ぽかんとした顔で私を見上げていた。
「……殿下。今の、少し怖かったです」
「そう? いつもどおりのつもりだったけど」
「いつもどおりの笑顔なのに、怖かったです」
私は少しだけ考えて、それから、彼女の手を取った。
追記欄、三。手をつなぐ。
「生徒会室へ行こう。今日はダンスの練習の日だよ」
エステルは一瞬、手を引こうとした。それから、ためらうように指先の力を抜いた。
「……偽装、ですよね」
「うん。偽装だね」
いつもの言葉に、いつもの返事をした。
彼女の手は、少しだけ冷たかった。
温室で何を言われたのか、まだ聞いていない。
聞くべきだったのかもしれない。
けれどそのときの私は、宰相を追い詰める段取りのことで頭がいっぱいで、彼女の手が冷たい理由を、寒さのせいだと思い込んでいた。




