第5話 名前のない四人
「退路は東だ。獣道が続いてる、あそこなら足場が悪くない」
リントの声に迷いはなかった。
「フィン、先に出ろ。俺たちが追いつく」
「了解っす」
フィンがトーマを背負ったまま、地面を蹴った。悪路のはずが、足取りは驚くほど軽い。それでも、シャーロットが離れすぎない速度に抑えているのが分かった。
「シャーロット、フィンについていけ。俺とガレオンで足止めする」
「分かりました」
シャーロットは頷き、フィンの後を追った。距離を離さないまま、トーマの呼吸と心拍を魔力で追い続ける。搬送の揺れで容体が崩れないよう、常に調整を続ける。
背後で、剣戟の音が短く響いた。一度、二度。
ガレオンは、迫ってきた狼型の魔物を斬り伏せてはいない。切っ先を薙いで威嚇し、進路を塞ぐだけの最小限の動きで、群れの足を止めていた。
「深追いすんな。時間を稼げりゃ十分だ」
リントの声が飛ぶ。ガレオンは短く「分かってる」とだけ返す。十分に距離が開いたところで、二人もすぐにシャーロットたちの後を追った。
四人が森を抜けたのは、月が高く昇った頃だった。
*
冒険者ギルドに駆け込むと、受付は騒然となった。治療院への搬送はすぐに手配され、トーマは担架に乗せられていく。
「トーマ! トーマなの!?」
依頼主の女性――トーマの姉が、悲鳴のような声を上げて駆け寄ってきた。
「姉さん……ごめん、俺……」
「謝らなくていい。生きてる、生きてるならそれでいい」
女性は、トーマの手を握りしめたまま、何度も何度も頷いていた。それから、はっと顔を上げ、シャーロットたちの方を向く。
「本当に……本当に、ありがとうございました」
深々と頭を下げる女性に、シャーロットは短く答えた。
「見つけられて、良かったです」
それ以上、多くを語る必要はなかった。
*
その夜、四人は街外れの共同野営地で、小さな焚き火を囲んでいた。誰からともなく、その場に座り込み、ようやく肩の力を抜いていた。
「……終わったな」
ガレオンが、疲れた声でそう漏らす。
「一件だけの約束だったよな」
リントが、焚き火を見つめたまま呟いた。誰に向けた言葉でもなさそうだった。
「僕は、まあ……」
フィンが言葉を濁す。誰も、すぐには続きを口にしなかった。
シャーロットは、焚き火の向こうにいる三人を見た。痕跡を読む者。戦うか退くかを判断できる者。命を最速で運べる者。今日、この三人がいなければ、トーマは帰ってこられなかった。
「まだ、名前すらありません。人手も、資金も、信用もない」
シャーロットは、静かに切り出した。
「それでも、続けたいと思っています。今日みたいに、帰れなくなった人を迎えに行く仕事を」
しばらく、沈黙が続いた。
やがて、リントが小さく息を吐いた。
「……面倒だが」
「それ、口癖か」
ガレオンが呆れたように言うと、リントは片方の口の端だけ上げた。
「面倒だが、悪くはない」
「僕も、乗ります」
フィンが即座に手を挙げる。
「今日みたいに、荷物じゃなくて人を運べるなら、その方がいいっすよ」
最後に、ガレオンが小さく頷いた。
「……今回だけのつもりだったが、性に合ってるのかもな」
四人の視線が、それぞれに交わる。まだ、誰もこの集まりに名前を付けていない。それでも、確かに何かが始まっていた。
シャーロットは、三日前の依頼文を思い出した。
――誰でもいい、帰ってきてほしい。
「あなたの帰りを待ってる人がいる」
ぽつりと呟いた言葉に、誰も茶化さなかった。焚き火が、四人の顔を静かに照らしていた。




