第29話 退く強さ
市場の通りで、怒鳴り声が響いた。
「金は払ったろうが! いい加減にしろよ!」
酔った様子の男が二人、露天の商人に詰め寄っている。その脇で、護衛らしい若い剣士が、商人と男たちの間に体を割り込ませていた。
「バロン?」
シャーロットが、思わず声を漏らした。地下迷宮で仲間を庇い、自分を責め続けていた、あの剣士だった。
バロンは、剣に手をかけようとはしなかった。ただ、両手を軽く広げ、酔漢たちと商人の間に立ち続けている。
「相手にするな。ここで揉めても、得なことは何もない」
低い声で、酔漢たちにというより、自分自身に言い聞かせるように呟いていた。
「なんだ、お前、やる気か!」
一人が拳を振り上げる。ガレオンが、思わず前へ出かけた。だがバロンは、身を引くようにして拳をかわし、それ以上は動かなかった。
「やりません。あんたらが暴れれば、商人も俺も、後で余計に面倒になる」
酔漢たちは、しばらく喚いていたが、周囲の視線が集まり始めると、ばつが悪そうにその場を去っていった。
*
「久しぶりです」
バロンが、こちらに気づいて頭を下げた。
「今の、見ていました」
シャーロットが言うと、バロンは、少し照れたように頬をかいた。
「勝てない相手じゃなかったです。でも、勝つ必要も、なかったので」
ガレオンが、じっとバロンを見ていた。
「変わったな」
「……ガレオンさんのおかげです。あの時、言われたことを、ずっと考えてたので」
「俺は、何も言ってない」
「シャーロットさんに、言われたことです。今すぐ全部を決めなくていい、って。それから、自分なりに、考え続けました」
バロンは、腰の剣に、一度だけ目を落とした。
「もっと早く退く判断ができていれば、あいつは死ななかった。それだけは、ずっと変わらない答えでした」
*
その夜、拠点に戻ったガレオンが、ぽつりと言った。
「あいつ、護衛の仕事してるのか」
「今日、初めて知りました」
シャーロットが答えると、ガレオンは、しばらく黙っていた。
「見てて、悪くなかった」
「誘うんですか」
「……向こうから来るなら、な」
*
数日後、バロンが拠点を訪れた。
「話は、聞きました。俺も、加えてもらえないでしょうか」
ガレオンは、バロンをしばらく見返していた。
「お前に教えるのは、剣の技術じゃない。判断の仕方だ」
「はい」
「最初は、俺の指示に従え。自分で判断するのは、状況を見る癖がついてからだ」
バロンは、まっすぐにガレオンを見て、頷いた。




