第3話 死者の伝言(ミッシング・リンク)
シーン1:空白の10分間
梅雨明けの熱気が満ち始めた、文部科学省管轄の「先端脳科学共同研究室」。
白一色の密室。防犯カメラが四方を監視し、指紋と網膜認証がなければ誰も入れないはずのその部屋で、日本最高峰の脳科学者・大河内教授(61歳)が息絶えていた。
その死に様は凄惨だった。教授は自らの十本の指の先端を、肉が剥き出しになるまで狂ったように噛み切った末、ショック死していた。
だが、この事件の本当の「異常」はそこではなかった。
「……臨場した時点で、犯人が死んでいただと?」
翌朝、警察庁地下5階。高城純一郎の声が、重苦しく響いた。
三島理央が、室内の防犯カメラの映像を再生する。
三島「見て。大河内教授が自傷行為を始める直前、研究室のドアの鍵が『内側から』開いて、一人の男が入ってくるの。……御堂の遺産を狙って教授をハッキングした犯人よ。でも、男は部屋に入った瞬間、教授に触れることもなく、その場に崩れ落ちて……教授より先に死んでる」
画面に映る侵入者の男は、白装束のような奇妙な衣服を纏い、まるで魂を抜かれたようにその場に卒倒している。
朝倉真琴「犯人が先に死んだのに、なぜ教授はその後、操られたように自分の指を噛み切ったの……?」
三島「さらに不可解なのはここから。犯人が倒れてから教授が発狂するまでの『10分間』、部屋の防犯カメラの映像も、サーバーのシステムログも、完全に『正常に駆動したまま、何も記録されていない』の。ノイズすらなく、ただ時間が10分間スキップしている」
神谷悠真は部屋の隅で、自らの手を見つめていた。彼の右目は、前回の事件の残滓である「鏡の遅延バグ」がまだ微かに残っており、瞬きがコンマ1秒遅れる。
神谷「……現場に行きましょう。その消失した10分間に、何が刻まれているのか」
シーン2:沈黙する物質
神谷のサイコメトリーが完全に通用しない、真っ白な密室。
神谷は剥き出しの右手を握りしめ、冷徹な目で現場を凝視した。能力というレンズが壊れたのなら、残された物理的な物証のピースを、自らの頭脳で一段ずつ積み上げるだけだ。
高城「……能力に頼るな、脳ミソを回せ」
高城が床に膝を突き、懐からルーペを取り出した。その言葉に、神谷の目が鋭く光る。
神谷「……高城さん。大河内教授の遺体ですが、息絶える直前、床の血溜まりを使って、デスクの脚に何かを書き残しています。血文字だ」
朝倉が覗き込む。そこには、歪んだ文字でこう書き残されていた。
―― 『 G L O T N 』
朝倉「グロットン……? これ、何の意味?」
神谷「……教授が以前、学会で発表しようとして文科省に差し止められた、極秘の脳内データ初期化プログラムのプロジェクト名(開発コード)です。カルトの連中は、大河内教授の脳からこの『GLOTN』を盗み出し、御堂の遺産と融合させた。死ぬ間際に、奪われた兵器の名前を書き残す。これが教授の、命を賭けた『死者の伝言』だ」
朝倉「でも、それじゃあ犯人の男はどうして死んだの?」
神谷「教授の遺体の姿勢、床に這いつくばって耳を塞いでいる。だが、入り口に倒れている犯人の男からは遠ざかろうとしていない。彼が本当に恐れていたのは、あの天井の『非常用スピーカー』です。配線だけが、新しく絶縁テープで巻き直されている。……そして、入り口で死んでいる男の耳からも、激しい出血がある。男の心停止時間は、教授が発狂するより5分も前(早い)」
高城「……つまり、男は部屋に入る前に、すでに脳死していた。カルトの連中は、この男の脳にあらかじめ『GLOTN』のプログラムを書き込み、彼を“生ける発信機(生体デバイス)”として送り込んだんだな。男が部屋に入った瞬間、彼の脳内のコードがスピーカーと自動同期して、教授の脳を破壊する高周波パルスを撒き散らした。データが消えた10分間とは、その凄まじい高出力パルスによって、室内のサーバーの内部時計そのものが物理的にフリーズしていた時間だ」
高城が立ち上がり、不敵に笑う。
高城「時計が止まっていただくだけなら、サーバーのハードディスクには、時間が狂ったままの『物理的な書き込み傷』が残っているはずだ。理央、警察庁の統合データベースをバイパスして、この部屋のハードディスクの磁気エラーログを直接スキャンしろ!」
本部から、三島理央のタイピング音が炸裂する。
『――スキャン完了! 強制接続された発信元のIPを引き抜いたわ。場所は八王子市内の地下神殿。でも、高城さん……おかしいの。このカルトのハッキングコードの『記述の癖』……。第2のIT企業(景山)のPCに残っていたプログラムと、完全に同じ『暗号化のシリアル番号』が刻まれている。公安が押収したはずの御堂のコードが、なぜ企業やカルトにまで流出しているの……?』
高城の目が、冷酷に細められた。
高城「……裏で糸を引いている奴がいるな。行くぞ。まずはそのカルトの教祖を黙らせる」
シーン3:電子の魂(刑事たちのロジック)
八王子市郊外、カルト宗教「新世界律の会」の地下サティ(聖堂)。
無数の基板と蝋燭が怪しく融合した空間の最奥で、教祖・五明が静かに立っていた。
高城「文科省の教授を含め、何人もの人間を脳ハックで殺害した容疑だ、五明。……神谷、今回はお前の能力は一切通じん。全員、自分の頭で動くぞ」
五明は、特捜班の銃口を向けられても、ピクリとも動かない。その目は完全に狂気で据わっていた。
五明「肉は、器」
高城「何だと?」
五明「魂は、電子。……御堂は、神。彼らは死んでいない。電子の網へと昇華しただけだ。肉は器。魂は電子。御堂は神……」
五明はそれ以上、何も語らない。呪文のように同じ言葉を繰り返し、恍惚とした表情で両手を広げる。
キィィィィィン……!
聖堂全体のスピーカーから、脳の記憶領域を直接破壊する『GLOTN(初期化パルス)』が放射される。
神谷「く……ッ!」
神谷の脳内からも、記憶が砂のようにサラサラと崩れ落ち始める。サイコメトリーは使えない。暗号鍵の書き換えが早すぎて、三島の逆位相も流し込めない。
五明「肉は器。魂は電子。御堂は神。肉は器。魂は電子……」
五明の盲信のノイズが響く中、特捜班は誰も諦めなかった。
高城「神谷、能力が使えねえなら、名探偵らしく『景色』をよく見ろ! どこかにこのシステムを物理的に止める弱点があるはずだ!」
神谷は激しい頭痛に耐えながら、サーバーの構造を凝視した。
神谷「……サーバー本体じゃない。あの五明の足元、蝋燭に隠れて床を走る、異常に太い『高圧電源のシールドケーブル』だ。カルトの連中は、この巨大システムを動かす電力を、地下の『自家発電設備』から直接引き込んでいる……!」
高城「電気を止めれば、システムは死ぬな! よし、朝倉!」
朝倉「了解……! 五明、お前のその閉ざされた頭の中、直接覗いてあげる!」
朝倉が五明に向けて、全出力のテレパシー(精神波)を放射した。
朝倉の精神波が、五明の脳のニューロンへと強制接続される。
五明「……っ!? 肉は、器……魂は……電子……っ!?」
朝倉「……見えた! こいつの脳の表層意識! 自家発電の主電源スイッチの場所は、そのサーバーの真裏、地下2階のブレーカー室よ!」
高城「上出来だ、朝倉!」
高城が猛然と走り出し、五明の信者たちが構える警棒を掻い潜りながら、サーバーラックの裏手へと飛び込んだ。
五明「肉は……器……神の国への、邪魔を……するな……!」
五明が狂ったように高城を追おうとした、その瞬間――。
三島『――させないわよ! カルトの教祖様!』
スピーカーから三島理央の声が響く。
三島は、警察庁の統合データベースを使い、この地下神殿が建てられている「八王子市の都市インフラ(水道・ガス管の配置データ)」を逆引きしていた。
三島『その地下サティの真下には、30年前に放棄された旧・市営水道の主幹パイプが通ってる! 私が今、市の水道局のシステムをバイパスして、そのパイプのバルブを最大解放したわ!』
――ズゴゴゴゴゴゴッ!!!
地下聖堂の床から、異様な振動と激しい水の音が響き渡る。
高城がブレーカー室のドアを蹴り開けると同時に、高圧電流の配線へ向けて、天井からスプリンクラーの如く大量の地下水が噴き出した。
――バリバリバリバリシィィィィンッッ!!!
強烈なショート音と共に、地下聖堂のすべての明かりが消え、五明の背後の巨大サーバーが、激しい火花を散らして完全に機能停止した。
五明がバラ撒いていた『GLOTN』のパルスが、物理的な「停電」によって完全に沈黙する。
神谷の観察眼、朝倉の精神捜査、三島のインフラハック、そして高城の行動力。特捜班4人の「泥臭い刑事のチームワーク」が、狂信的なシステムを完全にハメ殺した瞬間だった。
五明は、真っ暗になった聖堂の中で、呆然と両膝を突いた。
高城が懐電灯で五明の顔を照らし、冷たく手錠を叩きつけた。
高城「お前の神様は、ずいぶんと脆いプログラムだったな、教祖様。……電気がなきゃ動かねえ神様なんて、現世の警察の敵じゃねえよ」
シーン4:残された「空白」と「違和感」
数日後。警察庁地下5階・特別未解決事件分析室。
カルトの事件は、上層部の手によって「集団幻覚によるカルトの自滅」として処理され、五明の身柄は国家の秘密施設へと幽閉された。
神谷はデスクに座り、じっと手元を見つめていた。
今回の事件の残滓。毎日特定の10分間の記憶が完全に抜け落ちる「空白バグ」。今も、時計の針が突然10分進んだ。その間の記憶は、何もない。
朝倉「悠真……。今日の10分間、終わった?」
神谷「……ああ。今、ちょうど『10分間』が消えた。だが、問題ない。理央の記録がある」
三島が寂しそうに微笑みながら、その10分間の神谷の映像ファイルをサーバーに保存した。
だが、その三島の顔が、ふと真剣なものに変わる。
三島「……ねえ、みんな。今回のカルトのサーバーから回収した、あの『御堂のコード』の出所なんだけど……。ネオ・マインド社の景山のPCにあったものと、シリアルだけじゃない、コードの改行の癖、コメントアウトの残し方まで、完全に一致したわ」
朝倉「それって……」
三島「ええ。公安が回収したはずのオリジナルが、別のルートから、まるで『意図的に機能拡張されながら、順番に社会へ流されている』みたいなの。第1の公安、第2のIT企業、第3のカルト……全員、同じ『誰か』から、御堂の遺産を買い取ってる」
高城が窓の外の偽物の景色を見つめながら、静かに煙草に火をつけた。
高城「フッ……。世界の蓋を開けた御堂恒一は死んだが、その蓋の隙間から溢れた汁を舐めて、世界を裏から作り変えようとしている『本物の黒幕』が、警察の上層部か、あるいはもっと別の場所にいるってわけだ」
緊張感が、部屋に張り詰める。
単発の事件だと思われていた点と点が、一つの巨大な、底知れない線へと繋がり始めた。
その時、デスクの電話が鳴る。参事官・佐伯からの、新たな事件の通達だ。
高城が受話器を取り、冷たい笑みを漏らした。
高城「参事官。次は何の隠蔽ですか。……どんなに時間を消そうが、裏で糸を引いていようが、無駄ですよ。俺たちの足元には、もう次のログが見えている」
神谷は静かに立ち上がり、黒い革手袋を嵌めた。
彼の右目は遅れて動き、彼の脳からは10分間の記憶が消える。だが、そのガラス細工の瞳は、誰よりも強く世界の真実(黒幕の足跡)を見据えていた。
神谷「行きましょう。……証拠はいくらでも改ざんできる。だが、現場のログは嘘をつかない」
(第3話・完)




