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第2話 模倣する悪意(ミラーリング・バグ)


シーン1:連鎖する「飛び降り」

――バサァッ!!


深夜のアスファルトに、鈍い音が響き渡る。

梅雨の雨に濡れた雑居ビルの路地裏。落ちてきたのは、都内の有名私立大学に通う女子大生だった。衣服に乱れはなく、争った形跡もない。ただ、彼女の遺体には異様な特徴があった。

両手で自らの顔を覆い、まるで「何かを見てはいけないもの」から目を背けるような姿勢のまま、絶命していたのだ。


翌朝、警察庁地下5階・特別捜査班。

三島理央が、マルチモニターに3人の男女の顔写真を並べた。年齢も職業もバラバラ。だが、全員がこの1週間の間に都内で「飛び降り自殺」を遂げている。


三島「直近3件の飛び降り自殺。全員、遺書はなし。精神科への通院歴もなし。そして全員が、死亡する直前の数日間、周囲に『鏡を見るのが怖い』と同じ訴えを残しているわ」


朝倉真琴が、犠牲者の資料をめくりながら眉をひそめる。


朝倉「鏡……? でも、ただの自殺なら、所轄が処理を終えているはずよね。なぜこれが私たちのところに?」


高城純一郎が、苦い顔でコーヒーを飲み干した。


高城「上層部から直々に『調べるな』と横槍が入ったからだ。所轄の捜査ファイルが、昨日付で丸ごと閲覧制限(ロック)をかけられた。……つまり、この自殺の連鎖の裏には、上層部が隠したい『何か』がある」


神谷悠真は、部屋の隅で静かに黒い革手袋を嵌め直していた。彼の左目は、この前の激戦による充血がまだ完全に引ききっていない。ガラス細工のような瞳が、犠牲者たちの写真を見つめる。


神谷「被害者たちの共通点は『鏡』じゃない。……彼らは全員、自殺する直前、SNSで同じ『ショート動画』を閲覧している」


朝倉「動画……?」


神谷「ああ。一見、ただのダンス動画や日常の風景だ。だが、その映像の背景、あるいは音声の裏に、人間の脳の視覚野生(ミラーニューロン)を強制同期させる『バグ波形』が埋め込まれているとしたら――。臨場しましょう。まずは、昨夜亡くなった女子大生の部屋へ」


日常のエンターテインメントに紛れ込んだ「見えない汚染」。特捜班は、再び階段の最初の段へと足をかける。




シーン2:鏡のなかの「誰か」

犠牲となった女子大生、沙織のマンションの一室。

すでに警察の現場検証は終わっているが、部屋の中には生活感がそのまま残されていた。


朝倉「……やっぱり、ここも不自然ね」


朝倉が指差したのは、洗面台の鏡だった。

鏡の表面には、黒いガムテープが何重にもバツ印で貼り付けられ、完全に遮蔽されている。それだけではない。液晶テレビの画面、ガラスのコップ、果てはステンレス製のケトルに至るまで、「自分の顔が映る可能性のあるもの」が、すべて布やテープで覆い隠されていた。


朝倉「どれだけ自分の顔を見るのを恐れていたの……?」


神谷は無言で洗面台の前に立ち、口で手袋をギチリと引き抜いた。

剥き出しの指先が、ガムテープの貼られた鏡の縁(ガラスの端)に触れる。


物質に刻まれた、沙織の最後の「脳の電気信号(ログ)」が、神谷のニューロンへと流れ込む。


――視界が、モノクロの恐怖に染まる。


沙織は、この洗面台の前で狂ったように泣き叫んでいた。

鏡を見ていた。だが、彼女の目に映っていたのは、自分の顔ではない。

鏡の向こう側にいる「自分と全く同じ顔をしたナニカ」が、沙織の動きと『コンマ数秒遅れて』、ニヤリと不敵な笑みを浮かべたのだ。


鏡の中の自分が、自分に従わない。

自分の自由意志が、鏡の映像によって内側から上書きされていく感覚。

脳内のミラーニューロン(他者の行動を模倣する神経細胞)が、その「遅れて動く鏡の映像」と強制同期させられ、自傷行為の衝動を脳へ直接植え付けられていく――。


『――死ね。飛び降りろ。お前は私だ』


「――っ、がはッ……!」


激しい拒絶反応。神谷の鼻から鮮血が吹き出し、膝がガクガクと震える。

朝倉が咄嗟にその身体を支え、テレパシーでログを切断した。


神谷「ハァ、ハァ……! ……間違いない。御堂の遺産……『脳の強制同期プログラム』だ。誰かが御堂のコードを模倣し、一般人が日常的に使うショート動画アプリを通じて、無差別に『脳の感染バグ』をバラ撒いている……!」


朝倉「無差別……!? 愉快犯ってこと!?」


神谷「いや、動画の閲覧ログから感染者を絞り込んでいる形跡がある。……感染しているのは、全員『ある特定のIT企業のシステムを日常的に利用している人間』だ。これは実験だ。誰かがこの街全体を、巨大な脳ハックの『実験場』にしている」


その時、神谷のスマートフォンが振動した。本部の三島からだ。


三島『悠真、大変よ! さっき、沙織のスマホの閲覧履歴から、問題の動画を配信しているIPアドレスの特定に成功したんだけど……。その発信元、警察庁の「警備局通信分室」……つまり、公安の息がかかった秘密基地(セーフハウス)よ!』


高城の目が、鋭く細められた。


高城「なるほどな。公安の連中、第1話で俺たちに『暗殺指令のログ』を握られたから、今度は御堂の遺産を一般社会のインフラに組み込んで、俺たちごと街のシステムを人質にする気だ。……泳がせるわけにはいかん。理央、場所をナビしろ。ハッカーの根城を叩き潰す」


日常の動画から、再び「公安の実験」という巨大な闇の階段へと、特捜班の足が加速する。




シーン3:合わせ鏡の迷宮(ミラー・ハック)

渋谷の最先端IT企業『ネオ・マインド社』のCEOオフィス。

全面が鏡張りの、異様なまでに無機質な空間だった。そこにいたのは、公安の人間ではない。この企業の若き天才CTO(最高技術責任者)、景山(かげやま)だった。


高城「……警察のインフラを間借りして、一般人に無差別脳ハック動画を流していたのはお前か、景山」


景山は、全面の鏡に自らの姿を何重にも映しながら、冷酷に笑った。


景山「無差別? 心外だな。これは我が社の次世代AIの『教師データ』集めだよ。御堂恒一のコードを解析した結果、分かったんだ。人間の脳は、鏡の中の自分と『視覚的な遅延』を持って同期させられると、自由意志(エラー)を起こして死を選ぶ。これを利用して、脳の負荷耐性が高い『覚醒者』を選別していたのさ」


キィィィィィン……。

オフィス全体の鏡の裏から、不可視のハッキング・パルスが放射される。


朝倉「く……っ! 目が、鏡から離せない……!」


壁一面の鏡に映る朝倉や高城の姿が、コンマ数秒遅れて動き出し、自らの首を絞める動作を始めた。ミラーニューロンの強制同期。脳が「鏡の自殺」を現実の肉体へ命令し始める。


景山「神谷悠真、お前の能力も解析済みだ。光ケーブルを触ってログを読む気だろう? だが、この部屋の制御システムはすべて『ワイヤレスのレーザー光通信』だ。触れるケーブル(物質)はどこにもない。お前が読むべき物質は――この部屋を埋め尽くす『鏡(ガラス)』だけだ」


景山が手を広げる。

神谷の視界も激しく歪む。だが、神谷は走らなかった。彼は、目の前の巨大な姿見(鏡)に、剥き出しの右手を静かに触れさせた。


景山「バカめ、その鏡には私のシステムのログなど刻まれていない! 映っているのは、お前自身の歪んだ顔だけだ!」


神谷「……いや、刻まれている。お前は、さっきから『一度も動いていない』」


景山「何……?」


神谷が鏡のガラスから読み取ったのは、景山の脳波のログではなかった。「光の反射パルスのログ」だ。


神谷「……この部屋にいるお前は、本物じゃない。お前は自分の姿と動きのデータをリアルタイムでホログラムとして鏡の映像にコピーし、反射させているだけだ。……本物のお前は、その鏡の『向こう側の隠し部屋』でキーボードを叩いている」


景山「っ……!? なぜそれを!」


神谷「朝倉! 三島さんに繋ぐな! 三島さんの逆位相を流すためのスピーカーも電波塔も、この遮蔽された鏡の部屋には届かない!……朝倉、お前のテレパシーを、俺ではなく『正面の鏡』に向けて最大出力で放て!」


朝倉「えっ……鏡に!?」


神谷「お前の精神波(電波)を、この鏡のガラス分子にぶつけて振動させろ! 鏡を『ただのガラス』に変えるんだ!」


朝倉「――あああああッッ!!」


朝倉が叫びながら、正面の巨大な鏡に向けて全出力の精神波を放射した。

物理的な破壊ではない。朝倉の放った高周波の精神エネルギーが、鏡の表面の「銀めっき層」の分子構造を電子レベルで激しく共振(シェイク)させる。


バリバリバリッ!!!

鏡の表面に、目に見えない「電子の歪み(ノイズ)」が走り、景山が投影していたホログラムの映像が激しくブレて砂嵐に変わった。同時に、反射を利用してレーザー光で制御されていたハッキング・パルスの光軸が完全に狂い、システムが自壊した。


「バカなッ! 鏡の反射率(ロジック)を直接書き換えたというのか!?」


映像が消え、ただの透明なガラスとなった向こう側に、ノートPCを抱えて驚愕する「本物の景山」の姿が剥き出しになった。


高城「そこまでだ、天才君。……鏡の仕掛け(手品)が解ければ、ただの引きこもりだな」


高城の重い蹴りがガラスを突き破り、景山を床へ組み伏せた。

「鏡」というテーマのロジックを、神谷の目(ログの逆算)と朝倉の力(分子共振)でハメ殺した、特捜班の勝利だった。




シーン4:事件の残滓、変わる世界

数日後。警察庁地下5階・特別捜査班。

ネオ・マインド社の無差別ハック事件は、上層部によって「最先端サーバーのバグによる集団幻覚」として処理され、景山は公の場から文字通り「消去」された。彼の身柄は上層部に囲い込まれたのだ。


神谷はデスクに座り、ネクタイを緩めていた。

血は止まっている。だが、彼は自分のデスクに置かれた、小さな手鏡をじっと見つめていた。


朝倉「悠真……? 大丈夫?」


朝倉が心配そうに覗き込む。

神谷の手鏡の中の映像。神谷が瞬きをした、そのコンマ1秒後に、鏡の中の神谷の目が、遅れてゆっくりと瞬きをした。


事件の残滓。

鏡のログを脳にダイレクトにコピーした代償として、神谷の視覚野生(ミラーニューロン)に、数日間は消えない「遅延バグ」が焼き付いてしまったのだ。鏡を見るたび、世界が一瞬だけ遅れて動く。


神谷「……気にするな。じきになじむ」


神谷は手鏡を伏せた。

その時、デスクの電話が鳴る。参事官・佐伯からの、次の不都合な事件(日常のバグ)の通達だ。


高城が受話器を取り、スピーカーにする。


佐伯『……特別捜査班か。新たな案件だ。文部科学省の秘密研究室(大学教授)のデータがハッキングされ、教授らが自ら指を噛み切って死亡した。上層部の判断は――』


高城がフッと冷たい笑みを漏らし、佐伯の言葉を遮って受話器を掴んだ。


高城「参事官。そこから先は、俺たちが現場で引き受けます。組織の解釈(うそ)は、道中のゴミ箱にでも捨てておいてください」


ブツリ、と高城が電話を切る。


神谷は静かに立ち上がり、黒い革手袋を右手に嵌めた。

遅れて動く世界の中で、彼のガラス細工の瞳だけは、どこまでも冷徹に本質を見据えていた。


神谷「行きましょう。……人は都合のいい嘘を吐く。だが、現場のログは裏切らない」


(第2話・完)

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