5話 炎の未来視
ベルンハルト公爵家に嫁いで、数か月。
空気は冷たく乾き、季節はすっかり冬めいていた。
最初は、冷たく無口な夫との生活に不安もあった。けれど今では、クラウス様の不器用さも、無愛想な言葉の裏にある優しさも、少しずつ理解できるようになっている。
彼は、甘い言葉を囁いたり、情熱的に愛を語ったりする人ではない。
けれど、さりげなく私を気遣い、隣にいることを当たり前にしてくれる。
夕食後の散歩は、すっかり私たちの日課になっていた。
最初は私から誘っていたこの習慣も、今では、気づけばクラウス様が当たり前のように扉の前で待っている。
「散歩に行こう」とは、言わない。
でも、そこにいるということは――つまり、そういうこと。
(……ふふっ)
わかりやすい変化ではないけれど、毎晩こうして待っていてくれるのが、なんだか嬉しい。
私が隣に立つと、クラウス様は無言のまま歩き出した。
夜の庭園には、冬の冷たい空気が満ちている。
花の香りはほのかに残っているものの、寒さのせいか、どこか静まり返ったような雰囲気だった。
(思ったより、寒いかも……)
夜風がひゅうっと吹き抜け、私は無意識に身を縮めた。
そのとき――ふわり、と何かが肩にかけられる。
驚いて振り向くと、クラウス様が何も言わずに、自分の上着を私にかけていた。
「クラウス様?」
「寒いなら、無理をするな」
さらりとした口調。
私は微笑んで、かけられた上着をぎゅっと握る。
「ありがとうございます。でも、クラウス様のほうが寒くなってしまうのでは?」
「俺は慣れている」
短い返事。
(……ふふ、こういうとき、絶対に譲らないのよね)
胸に灯る優しさを感じながら、私は何も言わずに彼の手を取った。
ピクリ、と指が僅かに動く。
でも、振り払われることはない。
それどころか、ほんの少しだけ、握り返してくれる感触がある。
それだけで、今日はいい夜だな、と思えた。
最初に未来視で見た「溺愛するクラウス様」には、まだ程遠いかもしれない。
だけど――
(……私は、今のクラウス様が、好き)
愛情がこんなふうに静かに芽生えていくなんて、結婚する前は思ってもみなかった。
彼がそっと手を差し出してくれるたびに。無意識に私のペースに合わせてくれるたびに。私は、クラウス様のことをもっと知りたくなっていく。
冷たい空気が頬を撫で、私は肩の上着をぎゅっと引き寄せた。
(寒い夜なのに……なんだか、すごくあたたかい)
そんなことを思った瞬間――
視界が、揺れた。
(――未来視!?)
瞼の裏に光の粒がちらつき、未来の断片が意識に流れ込んでくる。
――炎。
燃え盛る炎が天井を舐め、黒煙が渦を巻いていた。
崩れ落ちた梁の下に、クラウス様が倒れている。
腕を押さえ、苦しげに顔を歪めて。
火の粉が舞う中、ゆっくりと立ち上がろうとする、その肩口には――赤い血が滲んでいた。
(クラウス様っ!)
「リディア」
名前を呼ばれ、意識が引き戻される。
気づけば、クラウス様が私を覗き込んでいた。
目の前の彼は傷一つない、普段通りの姿。
けれど、先ほど見た光景が、頭に焼きついて離れない。
「……どうした」
私は言葉を失い、その場にへたり込んでしまった。
心臓が、ドクドクと嫌な音を立てている。
(……今の、未来視……)
(炎の中で倒れる、クラウス様……周りに、人の姿はなかった……)
(私がいないときに、火事が起こる……?)
「リディア、大丈夫か」
「あ、えっと……その……少し、立ち眩みが……」
必死に平静を装いながら、そっと胸元を押さえる。
――と、次の瞬間、ふわりと身体が浮いた。
「ク、クラウス様!?」
「無理をするな」
彼は私を軽々と腕の中に収め、ゆっくりと歩き出した。
大丈夫だと伝えようとして――胸元から響く、クラウス様の心臓の音に、口を閉じる。
クラウス様の体温が、こんなにも近い。
「辛いなら、無理しなくていい」
その声は、いつもの冷静なものとは少し違っていた。
本気で私の体調を案じる、優しさが滲んでいる。
(クラウス様……)
口数は少ないし、不器用な人。
けれど、必要なときには、こうして迷いなく支えてくれる。
私は大人しく、クラウス様の腕の中で目を閉じた。
そのまま揺られながら、自室へ運ばれる。
ふわりとベッドに降ろされると、彼は肩まで布団を掛けてくれた。
「しばらく休め」
「……ありがとうございます」
未来視の衝撃と心臓の鼓動を落ち着かせるため、私は深く息を吐いた。
(でも……どうしよう)
(燃え盛る炎。その中で負傷するクラウス様。そして、そばに私はいなかった)
(場所は屋敷……? それとも、外出先……?)
(あんなに鮮明だったのに、どこで起こることなのかがわからない)
(でも――あの未来は、私が変えなければ。私が、クラウス様を守るんだ)
お読みいただき、ありがとうございます!
幸せな未来とは正反対の、炎の中で傷つくクラウス様の姿。
場所も時期もわからない未来を、リディアは変えられるのでしょうか。
次回、領内の視察へ向かうクラウスを追いかけます。
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