↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された薬師令嬢ですが、死神伯爵の妻になった結果、毒殺陰謀を暴きながら不器用な夫の溺愛を向けられることになりました  作者: NIKE


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

34/39

第34話 前妻の墓参りに行く

 イリスさんの墓は、領主館から少し離れた丘の上にあった。


 朝の空気は冷たく、なだらかな坂を上るたびに草の先についた露が靴を濡らす。先を歩くクオは気にする様子もなく、白い尾を揺らしていた。


 カルロス様は黒い外套の襟をいつもより高く立てている。


「寒いですか」


「寒くない」


 反射のような答えだった。


 風が吹くたびに外套の前を押さえているので、今日は追及しないことにした。


 丘の頂近くに、小さな墓地がある。


 古い石壁に囲まれた一角で、カルロス様が足を止めた。


 そこには、イリス・ダンヴァルの名が刻まれた白い墓石があった。


 私はジルドさんに用意してもらった花を供え、少し後ろへ下がった。


 カルロス様は何も言わない。


 ただ墓石を見ていた。


 長い沈黙だった。


 私は急かさず、隣に立った。


 この人は、イリスさんが亡くなってからずっと、自分のそばにいたせいで彼女まで死んだのだと思っていた。


 でも実際には、別の誰かが命を奪おうとしていた。


 その事実がわかったからといって、失った時間まで戻るわけではない。


「守れなかったと思っていた」


 不意に、カルロス様が口を開いた。


 低い声だった。


「俺のそばにいたから死んだ。俺が遠ざけなかったからだと」


 風が墓地を抜けていく。


「でも実際は……」


 そこで言葉が止まった。


 私は墓石へ目を向けた。


「イリスさんは、最後まであなたに渡したいものがあると書いていました」


「ああ」


「まとまっていない、とも」


 手記の最後に残っていた震えた文字を思い出す。


 彼女は自分の体に何が起きているのかを知ろうとしていた。確信を持てないまま、それでも誰かへ伝えようとしていた。


「イリスさん自身は、最後まで答えをまとめられなかったのかもしれません。でも、残してくれたものがあったから、私たちは真相まで辿り着けました」


 カルロス様がゆっくり墓石へ近づく。


 手袋を外し、石の上へ手を置いた。


 何かを言うのかと思ったけれど、唇は動かなかった。


 それでいいのだと思う。


 謝罪でも、別れでも、感謝でも、私が名前をつけることではない。


 しばらくして、カルロス様の肩から少しだけ力が抜けた。


 目に見えるほど大きな変化ではない。


 けれど、長い間そこにあったものが、ようやくほどけたように見えた。


 まとまらなかったものは、なくなったわけではなかった。


 誰かが拾い、記録し、つなぎ直せば、遅れて形になることもある。


 薬の調合とはずいぶん違うけれど、私はその方が少し好きだった。


「行こう」


 カルロス様が手袋をはめ直した。


「はい」


 丘を下り始める。


 クオが先を歩き、時々こちらを振り返る。領地の向こうには、以前より濃くなった緑が見えた。


 しばらく無言で歩いていた時だった。


「レティ」


 呼ばれて、私は足を止めた。


「はい」


 振り返る。


 カルロス様も足を止めていた。


 呼んだ本人の方が、少し驚いたような顔をしている。


「……なんでもない」


「そうですか」


 それだけで会話は終わった。


 なのに、私はすぐ歩き出せなかった。


 レティ、と呼ばれたこと自体は初めてではない。


 危険が迫った時にも、人前でも呼ばれている。


 けれど今は、何かを命じるためでも、誰かに私を示すためでもなかった。


 ただ呼ばれた。


 だから余計に、胸の奥へ残った。


 カルロス様は先に歩き出したが、数歩進んだところでこちらを振り返った。


「来ないのか」


「行きます」


 追いつくと、歩調が自然に揃った。


 クオは少し先で、こちらの遅さに呆れたように座っている。


「クオに待たれていますね」


「狐に急かされる覚えはない」


「たぶん向こうは、かなり前からそう思っています」


 私が言うと、カルロス様の口元がほんの少し動いた。


 笑った、ように見えた。


 確認しようと顔を覗き込むと、すぐいつもの表情へ戻る。


「何だ」


「いえ。なんでもありません」


「そうか」


 少し前なら、本当にそれで終わっただろう。


 今は、その「なんでもない」に別の意味が含まれていることを、互いに少しだけ知っている気がした。


 領主館へ戻る途中、診療所の前でコリンと出会った。


「レティさん!」


 薬草を入れた籠を抱えたまま駆けてきて、私の隣を見た途端、ぴたりと止まる。


「カルロス様も一緒なんだ」


「ああ」


 カルロス様が答える。


 コリンはなぜか私と彼を交互に見た。


「何ですか」


「ううん」


 その顔は、明らかに何か言いたそうだった。

 私はしゃがんで籠を見る。


「薬草の仕分けですか?」


「そう。リンダさんから届いたやつ。あとで診療所に持ってく」


「助かります」


 コリンは頷いたものの、まだカルロス様を見ている。


「さっき、笑ってた?」


 カルロス様が黙る。


「見間違いだ」


「でも笑ってたよ。俺、初めて見た」


「見間違いだ」


 二度言った。二度言うほど大事なことだろうか。否定は回数を増やしても証拠にはならない。


 私は口元が緩みそうになるのを抑えた。


「レティ」


「はい」


「お前まで笑うな」


「笑っていません」


「顔がそう言っている」


「それは困りました」


 今度こそ、カルロス様の口元がわずかに上がった。


 コリンが目を丸くする。


「ほら!」


 カルロス様は無言で歩き出した。


 耳が少し赤い。


 私はコリンに「内緒にしてあげてください」と頼んでから、その背中を追った。


 領主館へ戻ると、ジルドさんが玄関で待っていた。


 いつもなら落ち着いている彼の表情が、少し硬い。


「お帰りなさいませ。奥様にお客様がお見えです」


「私に?」


「はい。王都から、先ほど到着されました」


 誰だろう。


 父なら先に書状を寄越すはずだし、サイラスさんなら用件を明かすだろう。


 ジルドさんが名を告げる。


「ライホールド・フォン・クレイツ様です」


 足が止まった。


 婚約破棄の手紙を最後に、まともに話していない人の名だった。


 隣でカルロス様も立ち止まる。


 穏やかだった帰り道の空気が、一瞬で変わった。


 私は玄関の奥を見た。


 どうやら、過去の方からこちらへやって来たらしい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。