第33話 証拠ならあります
「証拠なら、あります」
私はそう答え、エドワードへ目を向けた。
彼が大広間の扉を開く。待機していた騎士が、封を施した革鞄を運び込んだ。
華やかな宴席には似つかわしくない、使い込まれた鞄だった。けれど私には、宝石箱より価値がある。
最初に取り出したのは、イリスさんの手記の写しと、私が作った分析書だった。
「こちらは、イリスさんが亡くなる直前まで残していた記録です」
頁を開き、サイラスさんへ渡す。
「自分の症状が敗血草の副作用に似ていること、十分に加熱すれば危険な作用が出ない可能性、そして自分は水に溶かし、熱を通さず飲んでいたことが書かれています」
ヴェラ様の目がわずかに細くなる。
「死人の走り書きが、証拠になると?」
「これだけなら、手がかりです」
私は次の書類を出した。
エドワードが続ける。
「王都で確認した圧縮魔導師の証言記録です。生のアルベリスを加熱せず圧縮し、粉末化する仕事を複数回請け負ったと認めています。依頼はドミナント家と関係の深い商会を通して行われました」
ざわめきが広がった。
「商人など、金でいくらでも口を変えるでしょう」
ヴェラ様の声はまだ落ち着いていた。
けれど冷気は強まり、近くの銀器が白く曇っている。
「ですから、帳簿もあります」
エドワードが厚い写しを卓上へ置いた。
薬草の仕入れ量、圧縮魔導師への支払い、別名義の商会への移送。厨房へ入り込んだ香辛料の納入元まで、日付を追えばつながっていた。
さらに、領主館へ侵入した男の署名入り証言が加わる。
「記録を焼き、奥様を黙らせるよう金を受け取ったと証言しています。仲介役についても名前が出ています」
サイラスさんが無言で書類を受け取り、先ほどの鑑定結果と照らし合わせていく。
大広間には、紙をめくる音しか聞こえなかった。
やがて彼が顔を上げる。
「宴席の杯から検出した成分と、ダンヴァル伯爵邸で保全された粉末の成分は一致します。また、圧縮方法に関する証言とも矛盾しません」
手記と鑑定結果だけでなく、帳簿と証言までが互いの欠けた部分を埋めていた。
ヴェラ様の微笑みが消える。
「……あんな馬鹿な女の落書きが」
低い声だった。
私の指が止まる。
ヴェラ様は私ではなく、カルロス様を見た。
「あなたはずっとそういう女ばかり拾うのね。イリスも、この娘も。私のような賢い女を見ようともせず」
空気が一気に冷えた。
肩が震えるほどの冷気の中で、カルロス様だけが動かなかった。
寒さが苦手な人なのに。
「イリスは、俺の家族だった」
静かな声だった。
「レティは、それ以上に大切な人だ」
今度は、私が動けなくなった。
聞き間違いを確認する余裕もない。
カルロス様はヴェラ様から目を逸らさない。
「その二人を馬鹿と呼ぶ人間を、俺は賢いとは思わない」
ヴェラ様の周囲で、薄い氷が床を走った。
けれど、その冷たさよりも、横に立つ人の言葉の方がずっと強く胸に残った。
その時、大広間の入口から王宮警備隊の制服を着た者たちが入ってきた。
エドワードが半歩前へ出る。
「提出すべき証拠は、すべて揃いました」
*
宴席は、その場で中止になった。
ヴェラ様は王宮警備隊の聴取を受けることになり、私たちは証拠一式を正式に提出した。
それで終わり、とはならなかった。
むしろ本当の捜査は、そこから始まった。
数日後、王都の滞在先で報告を受けた私は、書類の厚さに少しだけ遠い目になった。事件が大きくなると、証拠と同じ勢いで紙も増えるらしい。
押収された商会帳簿からは、生のアルベリスを大量に買い集め、圧縮粉末へ加工した取引が見つかった。
さらに別の帳簿には、その粉末が表に出せない仲介人を通じて暗殺を請け負う者たちへ流された記録まで残っていた。
領主館の厨房へ入った粉の経路も、そこでつながった。
ヴェラ様本人の署名がある書類ばかりではなかったが、複数の商会、使用人、魔導師、仲介役の証言を重ねると、命令系統はドミナント家へ収束していった。
王宮はヴェラ様の公的な権限を停止し、関係する商会と派閥貴族の調査を始めた。
ダンヴァル領を統治不能とし、王都預かりにした後で管理権を派閥側へ移す計画書も押収されたという。
長い間、領地を締めつけていた手が、ようやく離れた。
ヴェラ様の姪カーラも後ろ盾を失い、王都の公の場から姿を消した。クレイツ家との縁談も、これまで通りには進まないだろうという話が聞こえてきた。
ただ、ライホールド様が敗血草の件に関与した証拠は出なかった。
関係のない罪まで背負わせるつもりはない。
事実は、事実のままでいい。
ダンヴァル領へ戻った日、エドワードが執務室へ報告に来た。
「亡くなった五人についても、再調査が始まります」
私は顔を上げた。
「死因までわかりそうですか」
「断定できない者もいるでしょう。ただ、少なくとも『死神領主のそばにいたから死んだ』という扱いではなくなります」
エドワードはそこで一度、カルロス様を見た。
「あなたのおかげで、閣下の周囲で死んだ人たちの名誉が少し戻りました」
「私だけではありません」
手記を残したイリスさんがいて、帳簿を守ったジルドがいて、王都を調べたエドワードがいた。リンダやカイ、サイラスさんもいた。
誰か一人が全部を解いたわけではない。
小さな記録を捨てずに拾った人たちがいたから、ここまで来られた。
「それでもです」
エドワードは短く言い、部屋を出ていった。
静かになる。
窓の外では、クオが庭を横切っていた。白い尾の向こうには、以前より緑の増えた土地が見える。
「終わりましたね」
私が言うと、カルロス様はしばらく返事をしなかった。
机には王都から届いた最終報告が置かれている。
「……終わった」
やっと聞こえた声には、安堵だけではないものが混じっていた。
その表情は嬉しいとも悲しいとも言い切れず、長く背負っていた荷物を下ろした人が、急に軽くなった自分の肩をどう扱えばいいのかわからないように見えた。
私は何も言わず、温かい茶を彼の前へ寄せた。
カルロス様は一口飲んでから、窓の外を見た。
「レティ」
「はい」
名前を呼ばれることには、まだ少しだけ慣れない。
「イリスの墓に行こうと思う」
私は彼の横顔を見た。
今までなら、その場所へ一人で向かったのかもしれない。
けれどカルロス様は、私を見たまま続けた。
「一緒に来てくれるか」
答えは、もう決まっていた。




