↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された薬師令嬢ですが、死神伯爵の妻になった結果、毒殺陰謀を暴きながら不器用な夫の溺愛を向けられることになりました  作者: NIKE


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/39

第24話 イリスの手記

 ――敗血草。


 その文字を見たまま、私は頁をめくれなくなった。


 名前の下には、イリス自身の症状が書かれている。手足の痺れ、ひどい疲労、身に覚えのない痣、傷の治りにくさ。先日照合した死者たちの記録と、重なるものがあった。


「カルロス様。イリスさんは、自分の体に起きていることを調べていたようです」


「……何と書いてある」


「敗血草の副作用に似ている、と」


 カルロス様の眉が寄った。


「敗血草?」


「もう少し読ませてください」


 その次の行だけ、紙へ食い込むほど強い筆圧だった。


 ――でも私は適切な量を適切な飲み方でしか使っていない。なぜ。


 私は息を整えた。


 使った薬草の量、茶に混ぜた日、体調の変化。途切れながらも、イリスは確かめようとしている。亡くなる間際まで、ただ苦しんでいたわけではなかった。


 そして欄外に、小さな走り書きが残されていた。


 ――十分に加熱すれば副作用が出ないはずだ。


 その下の文字はさらに乱れている。


 ――茶ではないかもしれない。何か別のものに、敗血草が。


 背中に冷たいものが走った。


 加熱。


 頭の中で、これまで別々に置いていた記録が近づいた。


 リンダが見たという、青臭く鉄に似た匂いの粉。王都で見つけた圧縮魔法の使い手の雇用記録。


 圧縮魔法なら、煮詰めなくても素材を濃縮できる。


 もし敗血草に熱で弱まる性質があるなら、加熱しないまま濃縮されたものは、普通に茶へ使う時とはまるで違う作用を示すかもしれない。


 まだ推測だ。


 それでも、探す方向は変わった。


 私は続きをめくった。


 最後の頁には、震えた文字が一文だけ残っていた。


 ――カルロスに渡したいものがある。でも、まだうまくまとまっていない。


 その先は白紙だった。


 カルロス様が息を呑んだ音がした。


「……それだけか」


「はい」


 短い言葉だった。


 私は手記へ視線を戻した。


 カルロス様を責める言葉はない。助けてほしいという訴えもなかった。


 ただ、自分の身に起きていることを調べ、その結果を彼へ渡そうとしていた。


 まとまらなかったのではない。


 まとめる時間が残っていなかったのだ。


「俺は」


 声がして顔を上げる。


 カルロス様は手記を見つめていた。


「あいつが何か言おうとしていたのに、何も聞かなかった」


「イリスさんも、確信できていなかったんだと思います」


「それでもだ」


 拳が固く握られている。


 私は慰める言葉を探さなかった。あの時こうしていれば、と考え始めれば、いくらでも自分を責められる。けれど、過去に戻れない以上、今できるのは残された記録を読み切ることだ。


「カルロス様」


「なんだ」


「この続きを、私たちで調べてもいいですか」


 灰色の目が私へ向いた。


「イリスさんが何を飲んでいたのか。敗血草が本当に加熱で変わるのか。あの粉と関係があるのか。まだ確かめる必要があります」


 しばらくして、カルロス様がゆっくり頷いた。


「……頼む」


「はい」


 私は手記の記述をノートへ写した。


 確かめるなら、まず現物を見るべきだ。


 市場には、薬草を知り尽くしている人もいる。


 私は筆を置き、もう一度カルロス様を見た。


「カルロス様。敗血草を、知っていますか」


 私の問いに、カルロス様は眉を寄せた。


「いや。聞いたことがない」


 古い呼び名か、限られた場所で使われる名なのかもしれない。手記に残った文字だけでは判断できなかった。


 翌朝、私は護衛を一人伴ってリンダの店へ向かった。


 市場には乾燥した薬草の香りが満ちている。店先で袋を積んでいたリンダは、私を見るなり腰へ手を当てた。


「今日は何を探してるんだい」


「敗血草はありますか」


 リンダは一度目を瞬かせ、それから「ああ」と頷いた。


「古い呼び方だね。今はアルベリスって名で売ってるよ」


 棚の奥から出てきたのは、茶色がかった細い葉だった。鼻先へ近づけると、香ばしい匂いがする。


「焙煎されていますね」


「そりゃそうさ。この方が保存も利くし、茶にして飲むのが普通だからね。滋養がつくって昔から飲まれてるよ」


「生のまま使うことは?」


「わざわざしないねえ。青臭くてまずいし、生で食べたり水に浸しただけのものを飲んだりすると、腹を壊すとか体がだるくなるとか、昔から言われてるんだよ」


 私はイリスの手記を思い出した。


 十分に加熱すれば副作用が出ないかもしれない。


 単なる思いつきではなかったのかもしれない。


「これを、加熱せずに濃くする方法はありますか」


「普通は無理だろうね。煮詰めりゃ熱が入る。干したって、この辺の日差しならかなり温まるし」


 指先が止まった。


「圧縮魔法なら別ですか」


「圧縮魔法?」


 リンダは首を傾げた。


「んーー。詳しくは知らないが、腕のいい術者なら、熱を使わずに薬草を圧縮できるかもね。聞いた話じゃ、粉にするだけじゃなく、中身ごとぎゅっと小さくするような呪文があるらしい」


 王都で見た雇用記録が頭に浮かんだ。


 ドミナント家と関係する商会から報酬を受け取っていた、圧縮魔法の使い手。


 私は鞄からノートを出した。


「生のアルベリスを見られますか」


「見るだけなら、その辺にあるよ」


 リンダが店の脇を指差す。


 石壁の根元に、細長い緑の葉がまとまって生えていた。市場で売られていたものより瑞々しく、茎は柔らかい。


 しゃがみ込み、葉を一枚摘む。


 指先で軽く折った瞬間、匂いが立った。


 青臭い。


 その奥に、微かな鉄のような匂いが混じっている。


 息が止まった。


「……リンダさん」


「なんだい」


「以前話していた変な粉。暗殺ギルドで出回っているという粉の匂いを、もう一度教えてください」


「前にも言っただろ。青臭くて、鉄みたいな変な匂い――もしかして、それが生のアルベリスの粉だったってことかい?」


「……今、その可能性を考えています」


 私は手の中の葉へ視線を落とした。


 水源の近くで感じた匂い。


 イリスの棚に残っていた匂い。


 そして、リンダが見たという正体不明の粉。


 似ている。


 まだ同じものだとは断定できない。けれど、調べるべき対象はもう曖昧ではなかった。


「この薬草、少し分けてもらえますか。焙煎したものと、生のものを別々に」


「構わないけど、何するんだい」


「匂いと性質を比べます。生の方は口にしません」


「それは絶対に口にしちゃいけないね」


 珍しく強い口調だった。


 帰り道、私は包みを鞄の中で分け、何度も紐を確かめた。


 もし、あの粉が生のアルベリスを加熱せず圧縮したものなら。


 イリスが書き残した言葉にも意味が生まれる。


 そしてもう一つ。


 私は足を止めた。


 カルロス様は、冷たい茶を飲まない。


 食事も、必ず温かいものを口にする。


 あの人だけが長年続けてきた習慣が、急に別の形を帯びて見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。