第22話 人知を超えた課題
視察団が未達成と記した土地は、屋敷から東へ半刻ほど歩いた場所にあった。
周囲の畑では細いながらも麦が育ち始めているのに、そこだけは色が違う。土は乾いているわけでも、ぬかるんでいるわけでもない。それでも芽が出てもすぐ弱り、根が深く伸びない。
「ここだけ、何を植えても同じです」
農夫が土を掘り返しながら言った。
私はしゃがみ込み、表土とその下を分けて小瓶へ取った。水路からの距離、土の湿り方、匂い、植えた作物と枯れるまでの日数。ジルドが残していた記録と、農夫たちから聞いた話を一つずつ照らし合わせる。
水は届いていて、排水にも大きな問題はない。固い層はすでに深く耕され、堆肥の量を変えた区画もある。それでも結果はほとんど変わらなかった。
「もう一度、区画を分けましょう。今度は堆肥を入れない場所も残してください」
「入れない方がいいんですか?」
「まだわかりません。だから比べてみます」
数日かけて小さな試験区画を作り、耕す深さや水の量を変え、何も加えない場所も残して経過を比べた。
農夫たちは文句も言わず付き合ってくれた。
私がこの領地へ来たばかりなら、「また変なことを始めた」と思われたかもしれない。今は違う。失敗した区画を見ても、誰かが「次はどうする」と聞いてくれる。
それが嬉しいからこそ、結果の出ない日が重かった。
一週間後。
芽を出したものはあった。
けれど、どの区画でも葉は途中から色を失った。根を抜いて比べても、土の表面近くで細く曲がっている。
私は畑の端に座り、膝の上のノートを見た。
条件を変えても、同じ場所だけがおかしい。
地下に何かあるのかもしれない。水に溶けない成分か、この世界にしかないものか。それとも、私が調べる方法そのものを知らないだけか。
知識は、知らないことを消してくれるものではない。
むしろ調べるほど、自分がどこまでしか見えていないのかがはっきりする。
「まだやるのか」
背後から声がした。
振り向くと、カルロス様が立っていた。視察の書類を持ったまま、こちらを見下ろしている。
「もう少し調べます」
「何かわかったか」
私はノートへ目を落とした。
いつもなら、可能性をいくつか挙げるところだった。
けれど今回は、それをすると言葉だけが先へ進む。
「……わかりません」
口にすると、不思議なくらい静かになった。
「地下に原因がある可能性はあります。でも、ここから先は私の知識では届きません。今ある記録だけで断定すれば、たぶん間違いになります」
カルロス様はしばらく何も言わなかった。
「お前にも、わからないことがあるのか」
「たくさんあります」
「そうは見えなかった」
「やっていなかっただけです」
思わず笑うと、カルロス様の眉間から少し力が抜けた。
それから彼は私の手にあるノートを閉じた。
「今日は終わりにしろ」
「空はまだ明るいです」
「わからないものを疲れた頭で見続ければ、答えより先に間違いを増やすんだろう」
以前、私が彼に似たようなことを言った気がする。
返された。
「……わかりました」
立ち上がると、畑の向こうに白い姿があった。
クオだった。
いつもなら私たちの足元まで来るのに、その土地の境目でぴたりと止まっている。
前足を一歩出しかけて、引いた。
「クオ?」
呼んでも来ない。
金色の目は私ではなく、何も育たない土地の中央を見ていた。
私は畔まで近づき、クオの隣にしゃがんだ。
「何があるんですか。あなたには、見えているんですか」
クオは答えなかった。
ただ、その場所から一度も目を逸らさなかった。
何をしても作物が根づかない土地のことは、ひとまず農夫たちに経過観察を頼んだ。
わからないものを無理に断定するより、別に追えるものを追う。視察団が残した課題も気になるが、私にはもう一つ、放置したくないものがあった。
青臭く、鉄に似た匂いのする粉。そしてヴェラ・ドミナント。
薬草の仕入れを名目に、王都で調べることになった。
「俺も行く」
執務室でカルロス様が言うと、エドワードが即座に首を横へ振った。
「閣下が動けば、向こうに警戒されます。ここで構えていてください」
「レティを行かせるのにか」
「私もおります」
カルロス様は不満そうに黙った。
翌朝、玄関前へ出た私は別の意味で黙った。
馬車が三台あった。
「多すぎませんか」
「足りない」
護衛はエドワードを含めて五人。宿は王都でも警備の厳しい地区に取り、座席には薬の小箱が置かれ、旅費として渡された金額は通常の五倍近い。
「本当に多すぎます」
「足りない」
二度言われたので、諦めた。
馬車へ乗り込む直前、カルロス様が低い声で言った。
「三日以内に戻れ」
「調査ですから、四日かかるかもしれません」
「三日にしろ」
「努力します」
「努力ではなく三日にしろ」
後ろでエドワードが目を伏せた。なぜ目を伏せるのかは聞かないことにした。
王都では薬草市場を回る傍ら、エドワードの伝手を使ってドミナント家周辺の記録を集めた。
そこで、妙な雇用記録が見つかった。
圧縮魔法を専門とする魔導師が、ドミナント家と関係する商会から継続して報酬を受け取っていたのである。
「圧縮魔法は、物を小さくするだけですか」
「いいえ。素材を砕かず、性質を保ったまま圧縮できる者もいます。つまり、少ない用量で素材の効果は強くなります。ただ、かなりそれが使える魔導師は珍しい」
帳簿を見せてくれた商人が答えた。
青臭い粉の話が頭をよぎる。
まだ結びつける証拠はない。ただ、熱を加えず何かを濃縮できる方法が存在するという事実は、ノートへ太く記した。
さらに調べると、別の話も出た。
ダンヴァル領が統治不能と判断された場合、王都の管理下へ置く案が一部で検討されているという。その後の管理権を、ドミナント派の貴族が握ろうとしているらしい。
「そこまでして、あの土地を?」
私が尋ねると、情報を持ってきた男は肩をすくめた。
「食用作物には向かないが、薬草は別だ。珍しいものが育つ。魔道具に使う素材の話もある」
ヴェラが以前、ダンヴァルの薬草取引を自分の商会へ任せろと持ちかけたことを思い出した。
点が増えている。
けれど、線を引くのはまだ早い。
最後にエドワードが連れてきたのは、王宮薬師ギルドの鑑定人だった。
サイラスと名乗った男は、私たちの話を最後まで聞いたあと、慎重に言った。
「疑いだけでは動けません。ですが、鑑定できる現物と記録が揃ったなら、私は調べます」
「中立の立場で?」
「それが仕事です」
十分だった。
約束通り、三日目の夕方に領主館へ戻った。
玄関前にはカルロス様がいた。
「……たまたまだ」
「今回は何も言っていません」
彼は咳払いをして、私の鞄を受け取った。
その夜、集めた資料を執務室へ広げていると、エドワードが一冊の古い記録を持って入ってきた。
「奥様。王都にいる間、別件も調べていました」
「別件?」
彼は記録を机へ置いた。
「閣下の周囲で亡くなった方々のことです。改めて追ったところ、共通点が見つかりました」




