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婚約破棄された薬師令嬢ですが、死神伯爵の妻になった結果、毒殺陰謀を暴きながら不器用な夫の溺愛を向けられることになりました  作者: NIKE


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第19話  王都からの手紙

 王都から届いた二通の手紙は、診療所の薬草より扱いに困る品だった。


 一通は父、ハーヴェル侯爵から。もう一通は、婚約を破棄したライホールドから。どちらも封蝋は美しく、紙も上等で、受け取った側の気持ちだけが丁寧に置き去りにされている。


 私は自室へ戻り、机の上に二通を並べた。


 クオが椅子の隣へ座り、封書を見上げる。白狐に手紙の内容はわからないはずだが、警戒するように鼻先を寄せた。


「食べ物ではありませんよ」


 クオは匂いを嗅いだあと、興味をなくしたように伏せた。


 正しい判断だと思う。私もできれば同じように興味をなくしたかったが、貴族の手紙は読まずに放置すると、内容より面倒な意味を持つことがある。


 先に父の封を切った。


 書き出しは、辺境での暮らしを案じているという穏やかな言葉だった。


 そこから先は、私がダンヴァル領で目立った動きをしていると王都まで伝わっていること、ハーヴェル侯爵家の娘として軽率な発言を慎むこと、クレイツ侯爵家やドミナント公爵家と対立するような真似は避けることが記されていた。


 最後には、ダンヴァル伯爵との婚姻は家同士の取り決めであり、余計な騒ぎを起こさず静かに務めを果たせ、とあった。


 心配という言葉を薄く塗った牽制である。


 父は悪意のある人ではない。ただ、強い相手と争うことを何より恐れる。私が婚約を破棄された時も、守るより先に次の嫁ぎ先を決めた。


 あの人にとって家族を守ることは、家族を危険から遠ざけることではなく、危険を生みそうな家族を遠くへ置くことなのだろう。


 私は手紙を畳んだ。


 以前なら、胸のどこかが冷えたかもしれない。父から届く言葉の中に、娘の体を案じる一文や、領地で困っていないか尋ねる一文を探したと思う。


 今は探さなかった。


 水路は改善され、診療所には患者が来る。畑では農夫たちが土を起こし、コリンの祖父は外へ出られるようになった。


 私が何をしたかではなく、何が変わったかを見てくれる人がここにはいる。


 その事実が、上等な紙に書かれた言葉より重かった。


 次に、ライホールドの手紙を開いた。


 こちらは父の手紙より短い。


 婚約破棄の件について、改めて話す必要を感じている。ダンヴァル領での働きが王都でも話題になっていると聞いた。近々王都へ来ることがあれば、時間を取ってほしい。


 謝罪はなかった。


 何を改めて話すのかも、なぜ今になって時間を求めるのかも書かれていない。婚約を破棄した時は一通の手紙だけで済ませた人が、今度は対面で話したいらしい。


 人の都合は、季節より急に変わる。


 私は便箋を元の折り目へ戻した。


「返事は必要ないですね」


 口に出すと、足元のクオが尾を一度だけ動かした。同意と受け取っておく。


 破り捨てようとは思わなかった。


 返事をしないことと、記録を消すことは別だ。今になって接触を求めた事実には、本人が考える以上の意味が生まれる場合がある。


 私は二通の日付と受け取った時刻をノートへ記し、ライホールドの手紙を封筒へ戻した。


 クオがその上へ前足を置く。


「証拠品を踏まないでください」


 前足は退かなかった。王都の侯爵令息から届いた手紙より、狐の肉球の方が強いらしい。私は少しだけ笑い、クオを抱えて床へ下ろした。


 翌朝、私は父の手紙だけをジルドへ預けた。受領した旨と、ダンヴァル伯爵夫人として務めを果たしていることだけを返してもらう。


 内容への反論は書かない。言葉で争うより、領地の結果を積み上げる方が早い。


 ライホールドの手紙には返事をしなかった。


 朝食の席で、カルロス様が私の前に置かれた二通の封書へ目を向けた。私が処分を頼む前に持ってきたので、差出人の名前が見えたらしい。


「王都からか」


「はい。父と、ライホールド様からです」


 カルロス様の匙が止まった。


「レティツィアとの婚約を破棄した相手か」


「そうです」


 答えると、彼の視線が封書へ落ちた。いつもの無表情だが、スープが冷める前に食べる人が手を止めている時点で、何か考えている。


「何か言いたいことがあるのか」


「さあ。でも関係ないです」


「会うつもりは」


「ありません。近々王都へ来ることがあれば話したい、と書かれていましたが、王都へ行く予定もありませんので」


 カルロス様は匙を置いた。


「呼ばれれば行くのか」


「誰にですか」


「父親か、そいつに」


 声が少し低い。


 私はパンをちぎりながら考えた。父から命じられれば、侯爵令嬢だった頃なら従っただろう。婚約者に呼ばれれば、自分の予定を動かすのが当然だと思っていた。


 けれど今の私は、ダンヴァル伯爵夫人であり、この領地の診療所を預かっている。明日来る患者の薬草を用意し、試験区画の土を確かめる予定がある。


 王都から呼ばれたという理由だけで、それを放り出す気にはなれなかった。


「行きません。少なくとも、今は」


 口にしてから、「今は」という言葉が少し曖昧だったと気づいた。


 将来、王都へ行く必要が生じる可能性はある。父やライホールドのためではなく、領地のために。だから完全に否定しなかっただけだ。


 カルロス様はその説明を求めなかった。


 ただ、灰色の目が一瞬だけ私の顔に止まり、それから湯気の薄くなったスープへ戻った。


「そうか」


 短い返事だった。


 どうしてだろう。納得したというより、飲み込みきれないものをそのまま呑み込んだように聞こえた。


 カルロス様はしばらく黙ったあと、低く尋ねた。


「そいつが婚約破棄をした理由にあった、『より相応しい相手』……というのは」


 婚約破棄の理由に記されていた言葉だ。そこまで覚えていたことに少し驚きながら、私は父の手紙に書かれていた名前を思い出した。


「ヴェラ・ドミナントという方の姪だと聞いています。父からも、クレイツ侯爵家やドミナント公爵家と対立しないようにと釘を刺されました」


 カルロス様の手が止まる。


「ドミナント?」


 その反応は、ライホールドの名を聞いた時よりはっきりしていた。


 食堂の空気が変わった。


 暖炉では火が燃え、窓から朝の光も入っている。それなのに、カルロス様の周囲だけ温度が下がったように見えた。


 彼は匙から手を離し、私を見た。


「誰から聞いた」


「婚約破棄の直後、継母からです。相手はドミナント公爵家につながる令嬢で、魔力も家柄も私より優れている、と。名前はカーラだったと思います」


「ヴェラ本人とは会ったことがあるか」


「いいえ。社交界でお姿を見たことはあるかもしれませんが、お話しした記憶はありません」


 ヴェラ・ドミナント。


 公爵未亡人で、王都の貴族社会に強い影響力を持つ女性。私が知っているのはその程度だ。直接関わったことはなく、今後関わる理由もないと思っていた。


「……関係ない、と言えるか」


 カルロス様の声は硬かった。


 何を指しているのかわからず、私は少し考えた。


 ライホールドの新しい婚約相手がヴェラの姪であること。父がわざわざドミナント公爵家の名を出して牽制してきたこと。ダンヴァル領で私の働きが話題になっていること。


 確かに、完全に無関係とは言い切れない。


 けれど、今のところ向こうから具体的な要求も妨害もない。手紙に書かれた名前だけで敵と決めるのは、症状を一つ見て病名を断定するのと同じだ。


「はい、今は」


 私はそう答えた。


「ただ、父が名指ししたことは記録しておきます。ライホールド様の手紙も保管します。何もなければ、それで終わりです」


 カルロス様は黙っていた。


 さきほどと同じ「今は」という言葉が、今度は別の意味を持った気がした。今は関係がない。けれど、これから先はわからない。


 私は食卓の端に置いた手紙へ目を向けた。


 領内でもまだいくつかの謎が未解決のまま残っている。


 青臭く鉄に似た匂いを水路で嗅ぎ、その近くでは動物が何頭も死んでいた。


 さらに、側近たちの急死とイリスのハーブティーにも些か不審な点がある。


 そこへ警戒すべきと王都の有力者の名まで入れられては、記録も頭の中も、もうパンパンだ。


 ただ、カルロス様の反応だけは見過ごせなかった。


「ヴェラ・ドミナントを知っているんですか」


 尋ねると、彼の表情がさらに硬くなった。


 長い沈黙のあと、カルロス様は低く答えた。


「……イリスの知り合いだった」


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