第55話 王女の試練と凶星の魔女
凶星の魔女の住む異空間――そこはいま、ふだんと様子がちがっていました。
玉座とそれにつながる階段はなくなっており、宙に浮かぶ円形の床のまわりには何本もの柱が取りかこむように浮かんでいます。空間内の背景も、より赤黒く不気味なマーブル模様に変わっていました。
たとえるなら、最終決戦のための闘技場、そんな言葉がぴったりの空間です。
魔女は床の端に立って、マーブルの景色をじっとながめていました。
まるで……待ち人を待ち受けるかのように。
『……来たか』
つぶやいた瞬間、円形の床の中央に光の柱が立ちのぼり……中から三人の人間と、小さなドラゴンと妖精があらわれました。
アストライト王国第一王女アルティナと、その護衛をつとめるエイルとエミルの姉妹。そして彼女たちのパートナーであるチビドラゴンのシロンと、雪の妖精スノーベルです。
一行は、【星獣アストラ】の助けを借りて、スノーベルの導きによってこの空間をおとずれたのでした。
『魔女さま……』
魔女の目としての正体をあかし、一時はアルティナたちを裏切っていたスノーベルが、もうしわけなさそうな表情でつぶやきました。
床の端に立つ、赤い長髪の女性――凶星の魔女はその声に反応し、こちらを振り返ります。
「……!」
その瞬間、アルティナとエミルは息をのみ、おののきました。
星獣アストラと対峙したときとはまたちがう、別種の底知れないおそろしさが全身をかけめぐったからです。
『……一応、歓迎はしておこうか。ようこそ、我が領域へ』
魔女は、とても暗く冷たい声で言い放ちます。
魔法生物ゆえに感受性の強いシロンとスノーベルは、エミルたち以上にぞくっとした寒気を感じました。
「あなたが……凶星の魔女……でまちがいないのですよね……?」
アルティナは、心に恐怖を感じながらも、負けじとキッと目つきをするどくしました。
その表情には、これまでおさえていた、かつての学友たちを殺された怒りがにじみつつあります。実際にかたきと相対したことで、表に出てきてしまったのでしょう。
それを見抜いたように、魔女はまっかなルージュがぬられた口をフッと曲げます。
『いかにも。私こそが凶星の魔女。アストライト王家を打ち滅ぼす者なり』
挑発的ともいえる名乗り。アルティナは一瞬カッと目を見開き、腰の剣に手をかけようとしますが……踏みとどまりました。
『どうした? 私が憎くないのか? お前の学友たちを皆殺しにした、この私が?』
その様子を見て、魔女はなおも挑発的な言葉をかけてきました。
これにはさすがに、エミルとエイルもカチンときて、それぞれ臨戦態勢に入ろうとします。
しかしそのとき、姉妹を制止するようにアルティナが右手をひろげました。
「……ええ、憎いです。いますぐにでも、その首をかき斬ってやりたいくらい!」
そして、堂々と言い切るのでした。
『では、なぜそうしない? 極星魔法つかいエイル・スターリングと組めば、いますぐにでもできることではないか』
魔女はあくまで冷静に、自分とエイルの力の差を分析して聞き返しました。
これまでの作戦失敗でエネルギーも残り少なく、いまの状態では……いえ、たとえ万全の状態でも、さらなる強さを得たエイルにはとてもかなわないでしょう。ですが魔女にとっては、アルティナが憎しみをむきだしにするという事実が重要なのです。
「……いずれ、この国を治める者として、個人的な怒りや憎しみにとらわれてはならない。そう思ってのことです」
ですがアルティナはこぶしをふるわせながら、自分に言い聞かせるように言いました。
エミルとシロンは、うれしそうに表情をほころばせます。
すると、魔女はあっけにとられたように目をむきました。
それからうつむくと、口をおさえながらくくく……とこらえるような笑い声をあげるのです。
『……まさか……そんなくだらぬ理由で……復讐を捨てようとするとはな……』
「くだらなくはありません。あなたのことは憎いし、許せません。けれど……私はそれ以上に、この国をよりよいものにしていきたい。だれもが笑顔でいられるような、そんなすてきな国に。そのためなら、私ひとりの、それこそくだらない復讐心なんて、たやすく捨ててみせましょう!」
アルティナはバサッとマントをひろげて、なおも堂々と宣言しました。スノーベルをゆるしたことで、彼女の中の信念はより強固なものになったようです。国の頂点に立つ者として、おのれの憎しみを捨て、相手にゆるしを与え、それをつらぬき通す意志……まさに、これまでの試練の集大成です。
姉妹とシロンはよく言った! とばかりにニヤリと笑い、スノーベルも誇らしそうな、けれどどこかさみしげな表情を浮かべます。
そして凶星の魔女も、さすがにここまでの覚悟にはたじろぐしかないようでした。アルティナがここまでしっかりした精神を育んでいるなんて、まったくの想定外だったのです。
『お前はよくても、散っていった者たちの無念はどうなる? そいつらは、仇を討ってほしいと、私を殺してほしいと叫んでいるのではないか?』
魔女はそれでも、アルティナの憎しみを引き出そうとしますが……
「……あいにくですが……私はそのように自分の報復を他者にたくすような友人を持ったおぼえはありません」
『私が暴走させた魔法生物たちに、被害をこうむった者たちの思いはどうなる!?』
「民たちは……わかってくれます!」
アルティナは、それでも自分の意志を曲げませんでした。個人や人々のうらみだけで、魔女の命を奪わないという断固たる意志を。それを見せつけられて、魔女のイラ立ちは増していきます。
「だから……まず、聞かせてください。なぜあなたがそこまでして、王家を滅ぼしたいと思っているのか。あなたに裁きをくだすのは、それからです」
魔女は、いまいましげに歯をかみしめました。
魔女のエネルギー源は、人々の持つ負の感情そのもの。追いつめられたいま、はげしい怒りと憎しみにかられたアルティナから、それを直接吸収するのが狙いでした。
ですがどうでしょう。目の前の風格ある王女からは、そんなものは感じられません。いえ、いっさいというわけではないのですが、とても自分の栄養にできるほどの量ではないのです。
最後のもくろみまでもがくずれたことで、魔女のイラ立ちは頂点に達していました。
『魔女さま……もうおしまいにしましょう。すべて吐き出して、私とはじめて出会ったころのあなたに戻って!』
スノーベルがアルティナの前に飛び出て、すがるように言いました。
『だまれ! この裏切り者めが!』
おそろしい形相の魔女の眼光と怒号が、スノーベルの全身をすくみあがらせます。
けれど彼女はふるえながら、青い瞳に涙をためながら、負けじと魔女に呼びかけ続けるのです。
『私は……あなたを裏切ってなんていません! カリンガだってそう! あなたを救いたいと思ってるから、いまはこっち側にいるだけ!』
『私を……救う……だと……?』
魔女は右手で頭を抱えました。
「……あなたの正体はすべて、わかっています」
アルティナはスノーベルの涙をそっとぬぐって、一歩前に出て、静かに告げました。
「【戦塵の魔女ベネット】……それがあなたの、本当の名前。そして、そのパートナーだった人間は……」
凶星の魔女はハッとしました。まるで核心を突かれたように。
アルティナはじっと目を細め、つづけてその名を口にします。
「現アストライト国王、ナッシュ・フォン・アストライト……私の父、ですね?」
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