第31話 人質交換マジック
「おーい! エミルー! 助けに来たよー!」
シロの背の上から、エイルがぶんぶん手を振って、大声で呼びかけました。
(お姉ちゃん……!)
捕らわれたエミルはぱあっと表情をあかるくして、応えようとしますが、なにしろ水の球体の中にいるので、音が響かず、声を届けることができません。
「フン、来たわね」
スーリムは座っていた壁の残骸からぴょんと降りて、つかつかとエイルたちのほうへと歩き、ぴっと地面に指を向けました。
「そのオオカミから降りて、こっちに来なさい。なんかしようとした瞬間、あのコの命はないからね!」
そう言って、次に親指で後方のエミルを差しました。
エミルを捕らえている水球のさらにうしろには、見張るように水の精霊プルンディーネが浮かんでいます。その表情は、おどおどしていますけれど。
エイルは要求に従い、アルティナとともに地上に降りて、シロを指輪の中に戻しました。
ふたりはけわしい顔でスーリムをにらみながら、ゆっくりと歩いて彼女と対峙します。
「さあ、要求通りやってきましたよ! エミルさんをお放しなさい!」
アルティナはバッと白いマントをひろげて声を張りあげました。
「いいよ~。ただしもちろんお姫サマ、アンタの身柄と交換ね」
スーリムはぶかぶかの袖をぷらぷらと振って、その意気をあしらうように言いました。
アルティナとエイルはちらりと目で合図を出し合います。
「……いいでしょう!」
アルティナは表情をりりしくキリッと引き締めて、スーリムにゆっくりと近づいていきました。
スーリムもまた余裕たっぷりの表情で、ぷかぷか浮かぶエミル入りの水の球体をともなって、すたすたと歩み寄っていきます。
そしてふたりは、ごく近い距離で向かい合いました。
15歳のお子さまのくせに、オトナの自分よりずっと背の高いアルティナに見下ろされる形になって、スーリムはおもしろくなさそうにまゆをひそめます。
「プルンディーネ!」
スーリムがパチンと指を鳴らすと、プルンディーネは両手を水の球体に向けてかざしました。
すると、エミルを閉じ込めていた球体がほどけ、ただの水流へと変わり、今度はアルティナをぐるりと包みこんでいきました。
そう、水の球体が捕らえるターゲットが、エミルからアルティナへと移っていったのです。
解放されたエミルは、すとんと地面に着地しました。
「アルティナ様……」
エミルは自分のかわりに水の球体に捕らわれたアルティナを、悲しそうな顔で見上げました。胸の中は、もうしわけない気持ちでいっぱいです。
「ほら、もう行っていいよ」
スーリムは、強くエミルの背中を押しました。
エミルがつんのめって、バランスを崩した瞬間、
「エミル!」
エイルがそれを受け止めようと駆け寄ってきました。
「お姉ちゃん!」
エミルもそれに応えて、転びそうになったのをふんばり、お姉さんの胸の中に飛びこみます。
そのとき――ニヤリと、スーリムは邪悪な笑みを浮かべたのを、かたわらに捕らわれているアルティナは見逃しませんでした。
「エイルさ――」
「かかった!」
アルティナの必死な叫びをさえぎり、スーリムの勝ち誇った叫びが響きます。
次の瞬間――エミルの左胸に、逆星型の赤い紋章が浮かび上がったのです!
「――!」
エイルはカッと目をむきました。
さすがに物覚えの悪い彼女でもおぼえています。これは魔女の手下が敗北したときに現れる、凶星の紋章! そして、その末路は……
ぎゅっ!
わかっていても、エイルは逃げることはせず、むしろエミルを強く抱きしめました。
それは、けっして妹をひとりで死なせたりしないという、愛情あふれる無言のメッセージでした。
「お姉ちゃん……」
エミルはその気持ちがうれしくって、目を細めて青い瞳をうるませます。
「きゃはははっ! なーんて美しい姉妹愛なのかしら! おのぞみどおり、なかよくドカーンといっちゃえー!」
スーリムはバカ笑いをかましました。
ドレッドやフーガを格下あつかいするだけあって、残虐さも二人のはるか上を行っていたようです。交換した人質を爆弾として使うだなんて、とても人間のやることではありません。
エミルの全身に、紋章から血管のような模様がひろがっていき、赤い光の強さも増していきます。
エミルは間近にせまる死の恐怖をごまかすように、お姉さんにしがみつく腕の力を強めました。
そしてついに、爆発のときがおとずれようとした瞬間――
――今度は、水の球体の中のアルティナのほうが、不敵な笑みを浮かべたのでした。
「……今です!」
水の中のため声は届きませんが、アルティナの叫びを合図にするかのように――壊れた城壁の影から、クリアブルーのフードをかぶった人物が飛び出してきました!
「えっ、誰――」
スーリムがおどろききるまもなく、フードの人物は右手ににぎった、氷をまとった剣を振り上げます!
「どけ!」
フードの人物の声に応じて、すかさずエイルはエミルを突き飛ばし――
ズバッ!
放り出されたエミルは……氷の剣によって斬り裂かれました!
「なっ……!」
突然の乱入者と急展開に、スーリムとプルンディーネはびっくり仰天。
エミルもまた、目をぱちくりさせて、ゆっくりと自分が斬られた箇所に視線を向けます。
すると……
「あれ……なんとも……ない……?」
エミルの体は、どこも斬れてはいませんでした。体はもちろん、服すらもです。痛みだってありません。
ただひとつ、変化があるとすれば……全身にひろがっていた、血管のような呪いの模様が光を失っていたということぐらいです。
それに……
「なんで……なんで爆発しないのよッ!?」
スーリムは、驚愕の叫びをあげました。
そうです。ひとたび魔女の呪いが発動すれば、その体はこっぱみじんに弾けるはずです。なのにエミルにそんな気配はありません。
「! ま、まさか……?」
スーリムは気がつきました。そのカラクリが、フードの人物の氷の剣にあることを。
人物はスッと背筋を伸ばし、振り向きもせずに言いました。
「《呪術凍結》……そいつにかかっていた呪いは、俺が止めた」
「凍結……ですって!?」
スーリムは衝撃を受けました。
彼女もまた腕ききのウィザードです。呪いの効果を食い止める魔術の存在は知っていました。
呪術凍結は、その中の最たるもので、呪いを永久に停止させてしまう魔術。使えるウィザードは、ほとんどいません。解くのがむずかしい強くて複雑な呪いでも、問答無用で働きを止めてしまえるので、とても重宝される業です。
アルティナがフードの人物――わけあって顔を隠している"絶対零度の氷星"、極星魔法つかいクラウスに協力を求めたのは、このため。捕まったエミルが魔女の呪いを受けることを予測していたためだったのです。
これもまた、王族の慧眼のなせる業、といったところかもしれません。
エミルが直前まで堂々としていられたのも、そんなアルティナと、いつだって自分のピンチを救ってくれたエイルが、きっとなんとかしてくれると信じていたからなのでした。
「次は、お前だ」
クラウスはふたたび氷の剣を構え、今度はスーリムに狙いを定めました。
「ちょっ……ま、待って……」
スーリムは目をひんむいてたじろぎ、後ずさります。
「なぜおびえる必要がある? お前の命を助けてやろうとしているのに」
「うっ、たしかに……って、そーゆーワケにも、いかないのよッ! プルンディーネ!」
スーリムは一瞬ぎょっとするものの、クラウスに向かって指をつきつけました。
斬られれば呪いで死ぬことはなくなるでしょうが、結局とっつかまって檻の中にぶちこまれてしまうからです。
『は、はいいーっ!』
プルンディーネは、こわごわ両手から水流を発射しました。
しかし水流は、クラウスに当たることなく、そのまま凍りつき、砕け散ってしまいます。
「ウソ!?」
「お前ごときの魔術など、俺には通用しない」
クラウスは氷の剣を軽く振ると、強烈な冷気を発生させて、スーリムとプルンディーネを吹き飛ばしました。
「ぎゃっ!?」『ふにゃっ!?』
二人はひっくり返って、マヌケな声をあげました。
脇ではエイルがぷっと吹き出しています。彼女たちのやられっぷりがツボにはまったらしいです。
「とどめだ」
クラウスは剣を高く振り上げると、
「タ、タイムタイム! アンタ、わかってんの!? アタシに手ぇ出したら、お姫さまの命はないわよッ!?」
スーリムはあわてて右手を突き出して、捕らえているアルティナの命を盾にしてきました。
スーリムの身になにかあった瞬間、呼吸ができるように調節してある水の球体の中を、ふつうの水中と同じ状態にして、アルティナを溺死させてしまおうという算段です。
しかし、クラウスは……
「やれるもんなら、やってみろ」
かまわず、氷の剣を振り下ろそうとしていました。
意外な返答に、スーリムは目をひんむいてあたふたします。
「なっ……アンタ、正気!?」
「俺はいつも正気だ」
「だったら、イカれてるわよ!?」
「俺はいつも正常だ」
「じゃあ……思い知るといいわ! 自分がどれだけ、どーしよーもないポンチなのかね!」
スーリムは指をパチンと打ち鳴らすと、プルンディーネはギラリと目を青く光らせました。
「……!」
その瞬間、水の球体の中のアルティナが苦しみはじめました。このままでは数秒後に溺死が確定です。
「きゃっはははは! ざんねーん! アンタのせいでお姫さまはあの世いき! アンタ自身も大戦犯で処刑確てーい! アストライト王国、しゅーりょー……」
ズバッ!
スーリムがおなかをかかえて爆笑しているまに、クラウスの剣がためらいなく振り下ろされました。
「あっ……!」
スーリムは反射的にうめき声をあげますが、痛みはありませんでした。
いえ、正確には、全身が痛いほどの冷気に包まれていました。
救助対象であるエミルを斬ったときは、ただ呪いを凍結させただけでしたが、スーリムは国にあだなすにっくき敵です。魔女の呪いのついでに、体も凍らせて身動きができなくしてやったのでした。
「これで満足か?」
クラウスがあきれたようにためいきをもらすと、右手の氷の剣はふっと消えていきました。
「ア、アンタ……バッカじゃないの……お姫サマ……見捨てるなんて……」
スーリムはガタガタと寒さにこごえながら、負け惜しみのように言い捨てました。しかし……
「見捨てちゃいない。全部こっちの予定通りだ」
次の瞬間――
ドッパアン!
水の球体が弾けて、ただの水に戻りました。
捕らえられていたアルティナが、ドシャッと地面にたたきつけられます。
「アルティナ様……」
エミルは心配そうに彼女の姿を見つめますが、
「だいじょうぶだよ」
エイルはそんな妹の体を抱いて、やさしくささやきました。
アルティナは、ぴくりとも動きません。
そこに、クラウスが言いました。
「……アルティナ様、溺れたフリはもう結構です」
ぴくり。
すると、動かないはずのアルティナの体が、かすかに、けれどたしかに動きました。
これにはスーリムも、エミルもびっくり。
そしてアルティナは、そのままゆっくりむっくりと起き上がり、エミルにやさしくほほえみかけました。
「ご無事ですか? エミルさん」
言いたいことはいろいろあるけれど、エミルの口からまっさきに飛びだした言葉は……
「それはこっちのセリフです!」
至極まっとうなツッコミでした。
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