あるバイト門番の挨拶
もうすっかり日が昇り、町が動き出した頃。
昼勤に業務を引き継ぐだけとなった俺達は、正門の前に降りて、壁に掛けてある時計とひたすらに睨めっこをしていた。
「カーマ、あと何分だ?」
「十五分を切った所だな」
「全然進んでないな。……もう魔物も来ないだろうからさ、俺、寝てていい?」
「駄目だって! あとちょっとだぞ、負けんな!」
「も、もう、限界だ。くそっおおお!! あの寝袋女め……」
眠気が怒りに変わりつつあるトーマスは、今にも意識を飛ばしそうになり、頭をカクカクと振りながらも、最後の力を振り絞って堪えていた。
トーマス程ではないが、正直な所、俺もかなり限界が近い。
だがここで、フェイさんから淹れてもらったコーヒーの恩を無駄にする訳にはいかない。
俺は、残りの時間は時計を見ずに前を見続け、鐘の音を待つ事に決めた。
暫く、心を無にして前を見続けていると、先程までは何の異常の無い草原の真ん中に、黒色の影の様な物が目に飛び込んで来た。
(何だあれ? ……さっきまであんなの無かった様な……)
俺は、眠たい眼を擦り、再度、不自然な影に視線を合わせる。
(あれ? さっきよりも大きくなってないか? ……ってあの影、こっちに向かって来ているのか?)
「起きろトーマス! あの黒い影、こっちに来てないか?」
「ふぅあーあ……何て?」
「だからあれ! あれって魔物か?」
俺がその陰に向かって指を差した時には、近づいて来た影が放っている圧倒的な威圧感で、嫌でも魔物である事を理解せざるを得なかった。
そして、その影は、街道沿いまで近づいた所で、完全に姿を現した。
遠目から見た限りでは、漆黒の体毛に覆われた野犬だと思われたが、こちらに向かって来るに連れて、恐怖すら感じる異次元の大きさと、その巨体を支える強靭な肉体に只々、圧倒される。
外壁の高さの半分程に迫るその巨体は、十五メートルを優に超えるだろう。
そして、極めつけは、二つに分かれた禍々しい犬の頭部と、丸まりながらも鬣と尻尾からこちらを覗く不気味な大蛇だろう。
「あ、あれは双頭の魔犬、オルトロス……なのか?」
トーマスが、固まりながら呟いた言葉は、魔物に疎い俺でも聞いた事がある、有名な上級に位置する魔物だった。
出没した村が一夜で滅んだとか、歴戦の冒険者達で構成された討伐隊が、呆気なく壊滅したなど、どれも悪い意味で有名な災害級の魔物だ。
それが定時ギリギリの俺達の前に現れたオルトロスだった。
「トーマス! 【ピンポンパン】を鳴らせ!! フェイさんに来て貰おう!」
「……いや、……ちょっと待てよ」
オルトロスがジリジリと街道を進んで来ている中、呑気にトーマスは考え事を始めた。
「トーマス! お前の案でどうこう出来る問題じゃない! もういい! 俺が押す!」
俺は、トーマスから【ピンポンパン】を取り上げ、今にも連打しようとした時、突然、トーマスが俺の腕を強引に掴んだ。
「行ける! 行けるぞカーマ! これなら俺達は戦わずに切り抜ける事が出来る!」
「それは本当か?」
「ああ、俺の策が成功すれば無傷で切り抜けられる。それに、もう定時だぞ。俺達は大人しく帰ろうぜ」
トーマスの言葉にはっと、我に返る。
どうやら、異常事態に取り乱して大事な事を忘れていたみたいだ。
俺達は、フェイさんも含めて、この長く苦しい夜勤で眠気と戦い続けていたのだった。
もし、こんな定時ギリギリにフェイさんを呼び出そう物なら、オルトロスは対処出来ても、パワハラの魔物に俺達が酷い目に合わされるのは目に見えている。
となれば、俺達がやる事は一つだ。
「しょうがねぇな! お前の策に乗ってやるよ! で、どうすればいい?」
「やる事は簡単だ! カーマはすぐさま外壁に上がれ!」
「分かった! お前はどうするつもりだ?」
「俺は、ここであいつの動きを止めておく。だが、長くは持たないだろう。だからこの作戦はお前が頼りだ。急げ!」
「おうっ!」
俺は、トーマスを囮にして、外壁の上を目指して内階段を一目散に駆け上がる。
本日二度目のトーマスを使った囮作戦は、絶対に失敗出来ない。
何故なら相手はオルトロスだ、失敗した時は腕だけでは済まないだろう。
俺は、成功だけを信じて、外壁に上がる。
「トーマス! 上がったぞ! どうすればいい?」
「簡単だ! 時計塔の鐘を魔法でぶち抜け!!」
「はあ!? 鐘ってどういう事だよ?」
「だから、街のど真ん中に建ってる、あの鐘をぶち抜いて鳴らせって言ってんだ!! 早くしろ!!」
(どうして、鐘を鳴らせば俺達は助かるんだ? そもそも、もうじき数分もすれば勝手に鳴る筈だが……そうか、オルトロスは鐘の音が弱点なのかも知れない)
トーマスの考えは完全には理解出来ていないが、あいつの囮を無駄にしない為にもやるしかない。
「【具現出力――【炎の矢】!」
俺の右手から放たれた炎の矢は、街のシンボルに真っ直ぐ突き進み、そして、いつもより少し早めの鐘が街中に鳴り響く。
カーン、カーン、カーン、カーン。
「トーマス! これでいいのか?」
「ああ、上出来だ。お前も早く下に降りてこい」
「待ってろ! すぐ行く!」
壁の上にいる俺からは、オルトロスがどうなったかは確認出来ないが、これでオルトロスを倒せる何かが起こる筈だ。
俺は、期待半分に正門まで内階段を下ると、そこには圧倒的な存在感を醸し出すオルトロスが、壁から離れて囮に徹しているトーマスに向けて、今にも突撃しようとしていた所だった。
「トーマス! 無事か?」
「……ああ、何とかな……」
既に、満身創痍と言って良いほどにボロボロのトーマスは、地面に片膝を立てながらも、何とか態勢を保っていた。
「鐘はちゃんと鳴ったぞ、これで倒せそうか?」
「ああ、上出来だ。……後は、門まで引き付ければ俺達の勝利だ」
(何をどうするつもりなんだ? でも、ここまで来たんだ。もうやるしかない)
トーマスは勝ちへの算段が付いているらしく、今まで、オルトロスを遠ざけていた筈の正門に誘導を始める。
俺もトーマスに倣って、正門まで後退すると、事務所に繋がる内扉から昼勤の先輩達が現れた。
「うーっす、お疲れー。今日は特に何もな――何だあいつ!!」
「な、何でこんなのが、ここにいるんだよ!! 聞いてねえぞ!」
第一警備隊の先輩達二人は、突然目の前に向かってくる俺達と、その後ろにいる災害級の魔物に腰を抜かしていた。
「よーし、カーマ、このままオルトロスをあの二人に引き継ぐぞ!!」
「もしかして、お前の策って……まさかな?」
トーマスは、勢いそのままに、大声で腰の抜けた先輩方に引継ぎを始める。
「先輩方、第三警備隊、夜勤のトーマスです! 本日の勤務、異常無しであります!! 終業時間になりましたので、お先に失礼します! あとは宜しくお願いします!!」
「ちょっと待てーい!! 異常すぎるだろ!!! 我らだけで手に負える相手じゃない、お前らも戦え!!」
「出来ません!!」
「何でだ? 理由を言ってみろ?」
「守るのは、この街の門と警備時間。つまり、そういう事です」
「「どういう事だよ!!」」
先輩達はオルトロスに朝っぱらから食べられるのは嫌なのか、必死の抵抗を見せる。
どうやら、絶対に俺達を逃がさないつもりらしい。
俺も、トーマスに加担しておいて何だが、これはやりすぎだ。
例え、定時を過ぎても、これは皆で協力するべきだと思う。
「トーマス、こんなの駄目だ!! やっぱり俺達も戦おう!!」
だが、俺の訴えは、トーマスの足を止める事は出来なかった。
先輩方は、そんなトーマスの事は諦めたのか、はたまた、覚悟を固めつつあるのか、各々の武器を握り締め、何とか立ち上がろうとしている。
このままでは、この人達が死んでしまう。
最初に助けを呼ばなかったのは俺達の責任だ。
せめて、警備長やフェイさんが来るまで俺達で時間を稼がなければ。
俺は、持っていたピンポンパンで事務所に危険を知らせる。
ピーン、ポーン、パーン。
緊迫した正門前に場違いな明るい音が響き渡る。
これで、警備長が来てくれる……あとは、ちょっと時間を稼ぐだけだ。
「カーマ! お前も来い! 俺達の勤務はもう終わったんだよ!!」
「駄目だ!! いくら何でも、こんな押し付け方は無いだろ! 俺はここに残るぞ!」
「俺達は社会人なんだ、こういう理不尽な日もあるさ。一緒に帰ろう!」
「誘ってくれてありがとな。けどよ、俺達バイトだし、こんな事してたら、解雇されかねない。俺はここに残るけどよ、もし、来週、配置が同じになって、気が向いたらさ――」
「うるせぇー!!!! いこーう!!!!」
トーマスは両手を広げ、空に向かって叫び出す。
「お、おおー!!」
何故か俺も、その気迫に押され、気づけば二人で肩を組み、先輩達を残したまま正門を潜っていた。
「お、おい、お前ら待てよ!!」
俺達が先輩の声を無視して、街の中に避難した時だった。
「何やっとんじゃ馬鹿共がっ!!」
俺の【ピンポンパン】を聞いてくれたのだろう警備長が、正門の様子を見に来てくれた様だ。
「「助けて下さい警備長っ!! あそこにオルトロスが!!」」
「何じゃ、朝っぱらから。……ん? なんじゃこの犬っころ?」
警備長は、丸腰のまま、正門に迫って来ていたオルトロスと相まみえる。
「ぐぅおおおおおあああああーーー!!!!」
「挨拶の出来んペットは可愛くないのう。どれ、儂が挨拶を教えてやるわい」
大きな雄たけびを上げ、勢いそのままに正門を目掛けて突っ込んでくるオルトロスを相手にしても、一切動じない警備長は、引くどころか前に出る。
「【警備長流奥義――おはようの肩パン】!」
警備長が地面を強く踏み込んだ、次の瞬間だった。
まるで、馬車同士が正面衝突でもした様な、異様な衝突音が辺りに響く。
気が付くと、巨大なオルトロスの勢いは止まり、その巨体の肩らしき場所に、大きな風穴が空いていた。
右の肩から胴体を貫通されたオルトロスは、そのまま、自分の体がどうなっているかを理解する前に、崩れ落ちていった。
警備長が踏み込んだ後、何が起こったかは分からない。
ただ、警備長は、おはようの肩パンと言っていたので、おそらくは一発、肩を殴っただけだろう。
「な、なあ、トーマス、今の見えたか?」
「見えるもんかよ、あっちの方がよっぽど化け物に見えたぞ」
「……だよな……なあ俺達、逃げたのバレたらヤバくないか?」
「あんな肩パンされたら、即死だな。……取り敢えず、俺達は全力で挨拶をしよう」
「ああ、そうしよう」
警備長は、オルトロスの生死を確認すると、何事も無かったかの様に事務所に引き返し始めた。
「「おはようございます警備長!」」
俺達は、一仕事終えた警備長に渾身の挨拶を忘れなかった。
「おはよう。そうじゃお前ら、あそこの寝袋にこの犬っころを片付ける様に言っといてくれるかの?」
「「分かりました! それではお先に失礼します!」」
礼儀を重んじる俺達は、体が九十度になるまで頭を下げる。
「そうじゃ、今日鐘が鳴るのが早かった気がするのじゃが、何か知らんか? 儂の気のせいならいいんじゃが……」
「き、き、き、気のせいですよー。なあトーマス? あははははー」
「そ、そうですよ。た、たまにはそういう日もありますよ。あはっ、あははははー」
「そうじゃな。がっはっはっはっはー!!」
ロムガルド王国第三警備隊は、今日も笑いの絶えない明るい職場です。




