あるバイト門番の特訓
待ちに待った初めての連休がやって来た。
それなのに、起床時間は何時もの出勤時間と比べても二時間は早い。
まだ、開ききらない目を擦りながら窓の外を覗いてみると、朝ではあるが、外は未だに真っ暗だ。
貴重な休みの日だ。
変に物音を立て、薄い壁を挟んで隣のセルドを起こしては、流石に申し訳ないと思い、気を使いながら着替えを済ます。
しかし、どういう訳か、俺が部屋を出た時には、扉が開けっ放しのセルドの部屋は、既にもぬけの殻となっていたのだった。
セルドの奴、こんな朝っぱらから何をしているのだろうか。
そういう自分も、他人から見れば同じかも知れないが、今日は早朝から警備長との特訓が控えている。
居間に向かい、キッチンに置いてあった朝食用のパンを齧りながら、言われた通り正門上の外壁に向かう事にした。
因みに、俺達が休みという事は、他の警備隊の先輩方は絶賛仕事中だ。
第三警備隊は、何故か他の隊の人達から、疎まれている傾向にある為、鉢合わせない様にコソコソと物影に隠れながら外壁に上がると、そこには見慣れた先客がいた。
「おっす、カーマ!」
「おはよーう! って、何でセルドがここに?」
「何でって、そりゃあ特訓だろ! お前は?」
「俺も警備長の特訓だよ」
「そうか、お前もとうとう特訓送りかー。だったら一緒に来ればよかったな」
「確かにな。でもよー、何だよ特訓送りって?」
「そんなの時期にわかる」
まだ、セルドの説明では納得出来ないが、疑問点は、そろそろ上がって来るであろう警備長にぶつけて見る事にする。
「おーい、小僧共っ! 揃ったかー?」
正門の下から警備長の野太い声が外壁の上まで響く。
「おっす! 警備長!」
「おはようございます! 警備長!」
「おはよう! 二人共、朝から良い挨拶じゃな。ちょっと待っとれ、儂もそっちに行くわい……とうっ!」
すると、警備長は助走も付けずに、三十メートルはある壁の上まで、一瞬で飛び上がった。
なんてこった、あの筋肉じじいは、既に人間を止めていたらしい。
「よーし、それじゃ行くぞ! 警備長プレゼンツ、ドキドキ! おっさんだらけの朝っぱら筋トレ大会! 始めるぞー!」
「うぉおおおおおおーーー!!」
「ポロリもあるぞい」
「なに出そうとしてるんですか!」
「なんじゃ、カーマが喜ぶかと思うとったが……」
「喜びませんよ! おっさんの股間なんか! それよりもですよ、どうして、新人で俺だけ特訓になるんですか?」
ズボンに手を掛け、今にも恥部を曝そうとしている警備長に尋ねてみる。
「これは、フェイやルートと決めた事じゃが、色々、選考理由があるんじゃがー……簡単に言うと、実力不足じゃ」
「簡単に言い過ぎですよ! もうちょっとオブラートに包んで下さいよ!」
確かに警備長が言った通り、この間の実戦では、俺が足を引っ張ったのは紛れもない事実だ。
このままでは、いざって時に、門番として町を守る為の戦力になれないどころか、騎士団の応募だって受からないのは目に見えている。
「なーに気にすんなって! 俺も一年前に特訓行きの烙印を押されてんだ。別に珍しい事じゃねーよ。それに、俺からしたら他が異常なだけだぞ」
「……それもそうだな」
セルドの言葉を聞いて、その実力を悪用する化け物達を脳裏に巡らせ、俺は静かに納得した。
「それじゃ時間もないし、一種目目に移ろうかの」
「「はいっ」」
「まず始めは外壁ダッシュじゃ! 二人でこの外壁一周を全力で走ってこい。十秒後、儂が追いかけるからそのつもりで」
「そのつもりでって何ですか! 追いつかれたらどうなるんですか?」
「安心しろカーマ、時期に分かる」
セルドは一足先に覚悟を決めた様な顔で、スタート地点に立つ。
嫌な予感しかしないが、これも自分を追い込む為に必要な事だろう。
俺もセルドの隣で警備長の合図を待つ事にした。
「レディーーゴォーーー!」
朝方の静かな町に響いた声を合図に、俺達は同時に走り出す。
警備長に追いつかれたら何をされるか分からない以上、とにかく全力で走らなければ。
だが、一年もこの特訓を積んでいるからなのか、スタートと同時に隣のセルドに、どんどん差を広げられていく。
後を追う形で外壁を走り続け、裏門に差し掛かった所で、ついに、あの男が動き出す。
「そろそろ儂が行くぞー!」
その声が聞こえた刹那、俺の背後には既に、警備長の気配が近づいて来ていた。
「カーマ、おっそいぞ! 警備長ドロップキーーック!」
後ろを振り返ると、そこには涼しい顔をした警備長が、両足をこちらに向け、飛んで来ている所だった。
「嘘だろ!? いくら何でも早いって!? うわわわあああああああああー!!!」
馬車にでも跳ね飛ばされた様な衝撃が全身を襲う。
何度も転がった後、何とか、外壁の塀にぶつかり、止まる事が出来たおかげで、落下するのは避ける事が出来た。
数秒後、セルドの叫び声も聞こえたので、今頃、同じ様に壁の上を転がっているのだろう。
俺達の外壁ダッシュは、計三十回にも及び、終盤はただのサンドバックになった所で、この理不尽なメニューは終わりを迎えた。
「まだまだ行くぞい、続いては儂立て伏せじゃ!」
「……何ですか? その、儂っていうのは?」
「無論、この儂じゃ! セルド、見本を見せよ」
「分かりました!」
するとセルドは、警備長の前で通常の腕立て伏せと何ら変わらない体勢を取り、警備長を呼んだ。
「お願いします!」
「行くぞセルド! 目標は二十回じゃ!」
警備長は腕を組んだまま、メルテの背に腰掛けた。
王都一の巨漢爺を背中に乗せ、地獄の様な特訓が幕を開ける。
「えっ!? 本当に警備長を乗せたままやるのかよ!」
「当たり前じゃ、立派な門番になる為には、この位の負荷が必要じゃからの」
「いーち、……にー、……さーん」
流石は一年間特訓に参加してきたセルドだ。
警備長の負荷を諸共せず、順調に回数を重ねていく。
「じゅーに、じゅー…………さん、じゅー…………っぱし、無理だー!」
目標には一歩及ばず、十四回に差し掛かった所で、セルドは潰れていった。
「情けないのう、次カーマの番じゃ」
「はいっ」
セルドの潰れ様を見てからやるのは、気が引けるが仕方ない。
「ちなみに、カーマは儂立て童貞じゃから、五回を目標にしてみるかの」
「いいんですか?」
「勿論、越えれる分はどんどんやって良いぞ」
「分かりました!」
隣で潰れている先輩を尻目に、腕立て伏せの体勢を作る。
「お願いします」
「行くぞー!」
警備著が満を持して、俺の背中に腰掛ける。
「ぐおおおお! おもてぇー!」
想像の倍は重いが、それでも、これも上げてこそ一人前の門番に近づける筈だ。
セルドにも出来たんだ、俺にだって……。
「行くぞ警備長! おりゃあああああああーーー!!! やっぱ駄目だー!!」
その後、何度もトライして見たが、俺には、一度も警備長を浮かせる事が出来なかった。
「まあ、そんなに落ち込むな。セルドも初回は一度も上げれておらん」
「そう、なのか?」
「まーな! でもその内、嫌でも上げる事になるんだから気にすんな」
「それもそーだな」
「よーし、次は懸垂じゃ!」
「分かりました。でも、懸垂ってどこでやるんですか? ぶら下がれるとこって……」
「そんなもん、ここでやるに決まっておろう」
警備長が指差した先は、塀の外側だった。
つまり、自ら断崖絶壁の外側に身を乗り出す事になる。
「名づけて、絶壁懸垂じゃ!」
「これは危ないですって」
「大丈夫じゃ、落ちなければ問題ない!」
「問題大ありですよ!」
「落ち着けカーマ、怖いのは最初だけだ。時期に慣れる」
「ほんとかよー?」
セルドの経験談に半信半疑のまま身を乗り出し、懸垂を始める。
「いち、にー、さん、しー」
懸垂自体は昔から鍛える為に何度もやってきているし、意外にも外壁の内側を向くので怖さは感じない。
唯一気になるのが、さっきから一定のリズムで、俺の手元に当たってくる、チクチクとした何かだ。
「セルドー! お前、俺の手に何かしてんのか?」
「俺じゃねーよ! 警備長だよ!」
「け、警備長!? さっきから一体、何を?」
「何って、儂も衰えん為に鍛えようと思うてな。今は塀の上でスリルを味わいながら腕立て中じゃ!」
「すみません、一つ教えて下さい。どうして、その腕立てで、俺の手がチクチクするんですか!」
「儂の逞しい顎髭じゃい!」
「最悪だー!」
その後も、警備長を肩車しながら外壁を走ったり、昇って来た朝日に向かって全裸でポーズを決めたりと、過酷な特訓は続いて行った。




