第十五話〈惨劇のエルフ後編〉
アトキントの森。
その奥から、ゆっくりと現れた巨体。
その獣は、非常に美しい姿をしていた。
美しい肢体。風に揺れる白銀の毛並みは、どちらかと言えば神々しい、神獣と呼んでも違和感がないような姿を演出していた。
大きさはヤコウオオカミとそう変わらない。いや、毛並みがこちらの方が整っているからか、少し小さく見える。
しかし、プロポーションは大きく違う。手足はスラリと長く、7尾。狐のような顔に、片側2対の紅い眼。
首に等間隔に空いた孔が、呼吸の度に動いている。
そして、その背中には、銀色に輝く、薄い剣のような突起が無数に生えている。
その、破壊力のある美しさに、普通ならば見惚れてしまうだろう。
しかし、その口元は、白い毛並みをキャンパスに見立てたかのごとく、赤く塗りつぶされている。
滴る血。
その獣は、純粋な、“死”の香りがした。
無音の世界の中で、オーヤの頭の中はどうやったらアリシアを無事に逃せるか、その事だけでいっぱいだった。
森の中から、エルフ達の残思念が漂ってくる。
正直、マトモに耳をすませば聞こえてくる、エルフ達の最期の叫びのあまりの阿鼻叫喚さに、吐き気を催してしまうほど。しかし、その中でも、エルフの戦士が健気にこの獣に相対し、その悉くが無惨にも食い殺された光景が見える。
コンドル君は、明らかに格上の獣に睨まれ、猫に睨まれたカエルのように固まって動けなくなってしまっている。
アリシアから恐怖が漏れ出てくる。
“音喰い”は、ゆっくりのその四肢を前に進め、オーヤ達との距離を詰めてくる。
明らかに、この獣は、その知性でもってオーヤ達を狙っている。
ヤコウオオカミ達の、本能に任せた野生とは明らかに違う。
『オ、オーヤ……』
コンドル君を盗み見るが、どうやら飛び立てそうにも無い。加えて、今現在オーヤの知る最高戦力、ホルゼは黒頭巾と死闘を繰り広げている。
つまり、この獣には、オーヤが立ち向かわなくてはならない。
エルフの猛者達がこぞって敗北した、アトキントの森の生態系、その頂点に君臨する唯一絶対の獣に。
(…………よし)
オーヤとて、死にたいわけではない。
だが、もう状況は好転のしようが無かった。
だから、オーヤはその足を、震える右足を、一歩前に踏み出す。
『オーヤ?』
オーヤが何をしようとしているか、アリシアも分かったのだろう。オーヤに向けて、手を伸ばす。
しかし、その手はオーヤには届かない。
「うぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
絶叫し、オーヤは“音喰い”へと走り出す。
オーヤの決死の叫びは“音喰い”に直ぐに喰われ、数メートルも届かない。
しかし、それで十分だった。
!!!
そのオーヤに真っ先に反応したのは、“音喰い”でも、アリシアでもなく、コンドル君。
オーヤの突撃で我に返ったかの如く、キレのいい動きでアリシアを脚で掴み、即座に翼を広げて離陸する。さすがに、頼りになる。格上の獣を前にしても、自身の役割をしっかりと理解している。
必死だった。
音に反応するという“音喰い”。その習性がこの局面でも発揮されることに賭け、全力で叫びながら森へ走る。
真正面からぶつかりにいっても即死するだけだ。
森に入り、“音喰い”を引きつけられれば、その間にコンドル君でアリシアは逃げられる。
それさえできれば、後はもうホルゼが合流し、何とかしてくれる。
そう、思ったのだ。
そして、結果は即座に訪れる。
オーヤの思考の速度を超越して。
「あ?」
気がつけば、オーヤは宙を待っていた。
全身の骨が、肉が、軋む音が聞こえた。
グェェェェェ!!!!!
土煙が舞う。
呼吸が、できない。
どう、なったのだ……
視界に火花が散る。
脳震盪を起こしながら、鼻血を撒き散らしながら何とか顔をあげると、そこには地面に倒れるコンドル君とアリシアがいた。
“音喰い”が、ゆっくりと歩いている。
(?????)
何がどうなったのか理解できない。
いや。
ぶつかったのだ。
一瞬で目の前に現れた“音喰い”にかち上げられたオーヤが、空中にいたコンドル君にぶつかって、コンドル君がバランスを崩し、落下したのだ。
あり得ない。
これが、獣のする事か。
『アリ、シア…………』
“音喰い”が、手前にいるオーヤを完全に無視して、アリシアへ向かって歩いて行く。しかし、それは、ダメだ。それだけは、許すことはできない。
精一杯の力で叫び散らすが、もう声はオーヤの耳までも届かない。それだけ、“音喰い”の魔力は圧倒的だった。
ダメだ。間に合わない。
絶望。
あまりの無力さ。
オーヤは、普通の人間だった。
ホルゼのような強さや、アリシアのような魔力を操る力。バヤルフのような統率力や、エルフの戦士達のように鍛えられた身体。
何も、何一つも持っていない。
アリシアを助けたい。
その気持ちが、役に立っていない。
必死に倒れているアリシアのもとへ這う。
だが当然、歩いている“音喰い”の方が早い。
絶望に塗りつぶされる心。
そんな中で、ふと既視感に襲われる。
(あれ……)
前にも、こんな事があったような。
また、助けられないのか。
オーヤは物語の主人公ではない。
だから、この局面でも、ご都合パワーに目覚めたりはしないし、“音喰い”がアリシアを見逃すご都合展開も存在しない。
あと数秒で、アリシアは死ぬ。
傷は治る。
アリシアはそう言っていた。
どんな傷でも。
だが、本当にそうか?
事実、アリシアは気絶しているし、浮遊島では寒さに喘いでいた。
アリシアの能力は、未知数が大きすぎる。
そして、“音喰い”に喰い散らかされて生き残れるなど、想像もつかないし、そもそもそんな事、普通の人間に許容できるはずもない。
だから、オーヤは叫ぶ。
自分には、何の力もないから。
情けなくても、こうするしか無かった。
『ホルゼェェェェェェェ!!!!!!!』
“音喰い”がアリシアの頭を踏み潰そうと前足を掲げる。
そして。
『ナンダオーヤ、ホントウニヤクニタッテナイナ』
救世主が、現れる。
もちろん、こんなところに勇者は現れないし、白い翼の生えた天使はやって来ない。“音喰い”の知名度がどれぐらいあるかは知らないが、もしこの局面に誰かが現れたとしたら、きっとそれは人間ではない。
では救世主とは何か。
そう。
我らがコスプレナース金髪エルフである。
『カッタイナ……』
振り下ろされた前足を自慢の“魔剣”で捌き、“音喰い”を押し戻す。
オーヤによれば、その姿は紛れもなく真の勇者に思えたという。
『ホルゼ……』
『ハヤクオキロ。アリシアヲ』
『わかってる……』
ホルゼが来てアドレナリンが切れたのだろう。全身の痛みと、激しい打ち身による呼吸難を一気に自覚するが、そんな事を言っている場合ではない。
何とかアリシアのもとへ這い寄り、地面に情けなく這いつくばりながら、アリシアを背負うことに成功する。
『ホルゼ、あいつらは……』
『カテナイトオモッタカラ、チョットツウロヲキッテヤッタラアワテテシュウフクヲハジメタンダ。ウケルダロ。ハハハ』
『えげつな……』
“通路”。それは、オーヤとアリシアが現世へ渡る最後の手段であると同時に、こちらへやってきた現世兵、並びに皇子と黒頭巾の生命線でもあるわけだ。それを攻撃すれば、圧倒的に不利になるのは向こうというわけだ。“通路”が“魔剣”で斬れると知っていれば、オーヤもその方法を思いついたかも知れないが。
しかし、手段が他になかったとはいえ、あの流れでそこを攻撃できるとは。本当にホルゼはいい性格をしている。
『ミンナ……シンダカ』
『あぁ……。こいつが……』
『ヌシガクルノガハヤスギタナ』
冷酷にも聞こえるセリフ。だが、短い付き合いでも、もう分かる。
ホルゼが、その身に抱えきれないくらいの悲しみと、責任を感じていることを。
『コンドル、ガンバレ』
コンドル君が、動き出す。どうやら、オーヤ弾を食らった衝撃からようやく回復したらしい。
『オー……ヤ』
『アリシア!』
背中に背負ったアリシアから、テレパシーが飛んでくる。状態は分からないが、取り敢えず無事そうだ。
『トリアエズニゲルスキヲツクル。イッシュンダケダガ、ミノガスナ』
『分かった』
“音喰い”と対峙するホルゼの身体から、もう目に見えているのではないかと錯覚するくらいの量の魔力が噴出する。
“音喰い”も、もはやオーヤとアリシアの事など見てもいない。目の前のホルゼを、はっきりと敵だと認識している。
ホルゼが、“魔剣”を抜く。
右手から、ヌルリと生えてくる“魔剣”。
ホルゼの美しい四肢が、顔が、肌が、決裂し、血液が噴出する。弾け出た血液は即座に蒸発し、魔力へと変わって“魔剣”に飲み込まれる。
『イクゾ。ゼンブモッテケ』
地面を抉り、“音喰い”へと突き進むホルゼ。“音喰い”の背中の剣起がグニャリと曲がり、ホルゼの方へと狙いを定める。
ホルゼの渾身の横なぎ。
それはいとも簡単に“音喰い”の剣起により防がれる。
続けざま、“音喰い”は無数の剣起をホルゼに叩きつける。それを、ホルゼは“魔剣”を使わず、己の身体能力一つで全て避け切る。
凄まじい集中力。一撃一撃、その全てが必殺の攻撃を、瞬きすらせずに最小の動きで回避し、“音喰い”の攻撃の切れ目で、一気に“魔剣”に魔力を込める。
「しっ……!!!」
段々と、世界に音が戻ってくる。“音喰い”が、ホルゼに集中したため、音を喰うのに割いていた魔力が切れかけているのだ。
剣起の隙間から繰り出される、ホルゼの決死の一撃。
“音喰い”の首を落とす、最速の剣技。
しかし、その一撃は“音喰い”の回避により、首に一筋の赤い線をつけるだけで終わる。
「あの威力で、かすり傷……」
勝てない。
ホルゼでは、“音喰い”を倒せない。
交わされる剣戟。
もはや、オーヤの動体視力でついていける次元ではない。
ゆっくりと、“音喰い”の目を引かないよう、コンドル君の脚にしがみつく。ようやく、打ち身の衝撃から回復し、マトモに動けるようになってきた。アリシアが羽のように軽いのが、せめてもの救いだ。
『コンドル君……頼む』
コンドル君も、“音喰い”の隙を見つけようと、3つの頭で“音喰い”を睨みつける。
“音喰い”の標的がコンドル君に向いた瞬間、ここにいる全員の死が確定する。コンドル君も怪鳥ではあるが、あの“音喰い”の怪物ぶりには敵わない。ここから生きて逃げ延びるには、コンドル君が何としても“音喰い”の攻撃範囲から逃げ延び、ホルゼを拾わなければ。
しかし、逃げ延びる隙は、その機会は、巡ってこなかった。
矢継ぎ早に繰り出される“音喰い”の剣戟に、次第にホルゼが防戦一方になっていく。
紙一重の回避が擦り傷に。擦り傷が切傷に。切傷が深手に。深手が、致命傷へと変わっていく。
『ホルゼ、ちゃん……』
もう、人の死には耐えられない。
アリシアが堪らず泣き出す。
先程から、アリシアは魔力を制御しようと試行錯誤しているが、それも“音喰い”の魔力の前では無意味だった。
ただ、2人はホルゼの死闘を見ているしかなかった。
遂に、“音喰い”の剣起がホルゼを完璧に捉える。
その切っ先は、ホルゼの腹を貫通し、地面へと確実に縫い付ける。
「ぐふぅっ……!!!」
鮮血が地面へと飛び散る。もはや、その血は魔力へ変換されることは無い。ホルゼ自身の魔力が、消え失せようとしていた。
『ホルゼちゃん!!!!!』
そして、“音喰い”の魔力が緩んだ。
なまじ知能が高いせいか。仕留めたと思い、油断したのか。
その隙を見逃さず、アリシアが魔力をホルゼに掻き集める。
『アリシアノパトス、スベテウケトッタ』
ニヤリと、変態気味な、いやらしい笑みを顔に貼り付けて。ホルゼは最後の力で剣を振るう。
パトスとか言っちゃうところが、妙にホルゼらしい。
『ツラヌケ、コッケン』
今までヌラリと光っていた“魔剣”、黒剣がギラリと輝きを放つ。
吐き出される凄まじい魔力。突き出された“魔剣”は、“音喰い”の魔力ごと切り裂き、“音喰い”の胴体を貫通する。
キュォォォォォォォォ…………
甲高い絶叫。“音喰い”の動きが止まり、その場にガチャリと崩れ落ちる。
力を失った剣起は地面に投げ出され、“魔剣”に貫かれた背中から、大量の魔力が噴出する。
「やったか……?」
遂に“音喰い”はその力を失い、目から光が失われる。
ホルゼは剣に貫かれたまま立ち尽くし、アリシアは鼻血を出して気絶する。
終わった。
まさか、“音喰い”を倒せるとは思っていなかったが、これで後は逃げるだけ。
コンドル君にアリシアを預け、ホルゼのもとへ駆け寄る。
「ホルゼ……」
「ヤ、ヤッタゼ……シヌカトオモッタ……」
「いや、腹」
未だホルゼの腹には、“音喰い”の剣起が突き刺さったまま。どう見ても重傷。エルフが全滅したこの世界で、この傷を治せる医者が、設備が、果たしてこの世界に存在するだろうか。
「コノクライ、ダイジョウブダ……」
しかし、ホルゼはそう言って“魔剣”で剣起を斬り落とす。抜くと血が出て危険なので、そのまま移動するつもりか。
膝から崩れ落ちそうになるホルゼに、オーヤは自身もフラフラになりながら肩を貸す。
「無理すんな」
「フ……ビショウジョトフレアエテヨカツタナ」
「そんな事言ってる場合じゃないだろ……」
今日は色々あった。急展開すぎて、正直まだ感情が追いついていないが、それでも生き残ったのだ。
「さぁ、逃げよう」
「アァ。コレカラサン……」
グサリ
ホルゼの胸。その中心から伸びた、白銀に輝く剣。
ホルゼの口から、胸から、血が流れ出る。
全てを台無しにする、容赦の無い一撃。
「ゴフッ……」
「油断しましたね、魔剣使い」
それが、最悪のタイミングで、具現化される。
「…………は?」
ホルゼが崩れ落ちる。
オーヤとホルゼ、その背後。
そこには、星剣を携えた、黒頭巾が立っていた。




