第十六話〈全てを〉
「ホル……ゼ……?」
ホルゼの身体から力が失われ、その場に崩れ落ちる。
胸から、鮮血を噴き出した状態で。
「ホルゼ!!!」
崩れ落ちるホルゼの動きが、やけに遅く感じた。下に回り込み、そっとホルゼを抱きしめる。
一瞬の出来事で、あまりの事態に咄嗟に状況が理解できない。
「ホルゼ……」
虚な瞳。もう、その瞳は光を映さない。かろうじて息はあるが、もうすぐ止まる。命が、終わる。
ミルが死んだ。悲しかった。
子供達が死んだ。無力だった。
エルフ達が死んだ。悔しかった。
では、この気持ちは何だ。ホルゼが死ぬ。もうすぐ死ぬ。この、胸に込み上げるこの感情は、一体何だ。
オーヤに混ざった、ミルが何かを叫んでいる。しかし、今はもう、よく聞こえない。
『ナクナ、オーヤ……アリシアヲ……マモルンダロ……』
そんな事、言うなよ。もちろん、オーヤだって守りたい。守りたいさ。だが、オーヤには何の力も無い。この場を切り抜ける知恵も無ければ、機転も無い。何も、持っていないのだ。記憶も身分も立場も、力も知恵も、そして、勇気さえも、持ち合わせていない。
『……ホルゼ。お前が、いなかったら……』
『オマエガ……マモルンダ……』
「むぐっ⁉︎」
既に、ホルゼの血液をオーヤは全身で浴びている。記憶の流入が始まり、もはや誰が話しているのか、どちらが発したテレパシーなのかもよく分からない。
だが、ホルゼの肉体は、まだ生きている。最期の力をふりしぼり、オーヤの頭を抱え、死にかけとは思えないような力で唇を奪う。ホルゼの血が、口から流れ込んでくる。
むせ返るほどの血液。
グニャリと、何かがオーヤの中に滑り込んでくる。異質な……いや。どこか、懐かしいような、そんな感覚。
急激な目眩。ホルゼの記憶に、繋がっていく。
視界が、弾ける。
意識が、飛んでいく。
夢を見た。そんな、気がした。
『アリシアヲ…………マモッテ、クレ……』
接触しないと、もう聞こえてこないほどの微弱なテレパシー。だが、血液と共にホルゼの存在自体が、魔力が、オーヤの中に流れてくる。
オーヤの目から、涙が溢れる。
記憶を失ってからの初めてのキスは、明るく朗らかで、お茶目な友人の、紛れもない、“死”の味だった。
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「最期の逢瀬は終わったか?」
皇子が、事切れたホルゼを抱き抱える血塗れのオーヤに言う。
なるほど、このキスを見て、逢瀬と表現するか。なかなかのブラックユーモア。
きっとこの皇子は、人の死などあくびが出るほど見てきたに違いない。だから、もう分からないのだ。人一人の、命の重さを。その、尊さを。その、儚さを。
ホルゼが“音喰い”を倒した現場には、もう既に現世兵が集まってきていた。
黒頭巾は、オーヤから離れ、皇子の横へと戻っている。オーヤなど、障害にもならないか。
「殿下。発言の許可を」
「何だ」
「あの男、かの伯爵と同じ、受容体質のようです。魔剣の所有権が移動しました」
「ほう。それは珍しいな。再度鹵獲を試みよ。今なら魔剣も定着しておらず、使い方も分からんだろう。容易いはずだ」
「御意…………え、……?」
オーヤはホルゼの遺体をそっと地面に置く。開いたままの瞼を閉じてあげると、安らかな表情に変化する。
「ゴメンナ、ホルゼ……ちょっと、マッテテくれ……」
脳内で、ホルゼが叫んでいる。ミルが、叫んでいる。
分かっている。
分かっているさ。
この地獄から、この惨劇からアリシアを無事に連れ出すためには、この侵略者どもを排除しなければならない。コンドル君は現世兵の銃に狙われ、動けない。そんな事くらい、分かっている。
「…………」
「…………目覚めよ、シルヴァリル」
漆黒の剣が、顕現する。
「せ、星剣反応です!!」
オーヤの手から生えた黒剣を見た将校が、驚愕したように叫ぶ。
「何だと?」
先程まで“魔剣”と断定されていた剣。それが、“星剣”に変化する事など、通常はあり得ることではない。ましてや、相手は一般人。星人でない者は、通常はそのアムテルに食い殺される。
「と、突然、祝福が検知されました……」
祝福。彼らエルデハン人にとって、皇帝の命よりも重要な、世界の理であり、真理。
「本物か?」
「わ、分かりません!」
「…………3番。排除は可能か?」
「不明。ですが…………理論上は、不可能です」
「……ふむ。ここで燦然たる輝きを失うのは痛いが……この侵攻作戦には、我らが王の威信がかかっている。3番。排除を試みよ」
「御意」
オーヤの手にした黒銀の剣。そこから噴出する有り得ないほど濃密な魔力。
そこにそっと目をやり、皇子は黒ローブに目の前の敵の排除を命令する。
先程、ホルゼを圧倒した黒頭巾。
しかし、その仕草にはもう、余裕はない。
「アリシア……」
目の前で、エルフ達が死んだ。
敵が、剣を向けてくる。
アリシアが、危険に晒されている。
戦う理由など、それだけで十分だった。
「イクゾ、オーヤ」
ホルゼの記憶が、感情が、雪崩れ込んでくる。神樹の時や、ミルの時とは密度が違う。ホルゼその人が、そのまま入ってきたかのような、混ざり込んだかのような、そんな不思議な感覚。
今なら、この剣が、扱える。
ホルゼの記憶が、教えてくれる。
「ふっ……」
短く息を吐き、重心を低く、剣を寝かせ、腰の位置で構える。
シルヴァリル。
剣が、オーヤの怒りに応える。
音さえも置き去りにし、一瞬で黒頭巾の横にオーヤが現れる。
「はっ?」
呆気に取られる黒頭巾。
もう、オーヤ自身の思考が、その肉体の動きに追いつかない。剣が囁くまま、身体を動かす。
黒頭巾が剣を構え、防御姿勢を取る。
その前に、オーヤは剣を振り抜く。
ドゴォォォ…………
黒頭巾がゴム毬のように弾け飛び、残ったエルフの建物を爆速で破壊しながら突っ込んでいく。
周りを固めていた敵兵が、遅ればせながらオーヤに向けて銃を構え始めるのが、視界の端に見える。
しかし、遅い。
振り上げた剣の切っ先が向かうのは、痩せぎすの皇子の首ただ一つ。
「死ネよ」
「ははは。これは傑作だ。間違いない、“本物”だな」
一瞬で黒頭巾を吹き飛ばし、目の前で剣を振りかざすオーヤを見て、皇子は嘲るように笑う。
「ナニ、笑ってンダ……」
兎に角、こいつを斬れば終わるのだ。
そう思い、腕に力を込める。
剣が、震える。
明確な殺意をもって。
さぁ、この男を殺そう。
振り下ろされた一振りの剣。
しかし、そこに黒頭巾が舞い戻り、剣を横に構え、オーヤの必殺の一撃を、全身全霊で受け止める。流石、ホルゼをもってしても勝てないと言わしめた剣使いと言うべきか。
剣圧で、黒頭巾がズれ、その素顔が露わになる。
「はぁ?」
黒髪に、褐色の肌。そして……誰かを思わせる、鋭い紅の瞳を持つ……幼い少女。
必死の形相で、皇子を守るため、ボロボロになりながらオーヤの剣を受け止める。
そんな顔をするなよ。これではまるで……オーヤの方が、悪者みたいではないか。
オーヤの中のホルゼが引いてゆく。この少女に、何か思うところでもあったのか。
しかし、そんな事は関係ない。
相手が幼い少女だろうと、容赦はしない。
オーヤの守る対象は、アリシアだけ。他は全て……有象無象に過ぎない。
「潰れろ」
圧倒的な膂力で、黒髪少女を徐々に押し潰していく。無意識に、口角があがる。
オーヤは今、どんな表情をしているだろうか。
『…………ノマレルナ』
ホルゼの声が、聞こえた気がした。
『オーヤ!!!』
「あレ……」
アリシアが叫ぶ。アリシアが、意識を取り戻している。
ダメだ。こいつを、斬らなければ。こいつを殺さなければ、守れない。アリシアを、現世へと返せない。
しかし、もう、既に、オーヤの足からは力が抜けてしまっていた。
膝からその場に崩れ落ちたオーヤを見て、皇子が鼻で笑う。
「アムテルを消費しすぎたな」
黒髪少女は、肩で息はしているものの、致命傷自体は負っていない。剣を上段に構え、オーヤの命を刈り取ろうと狙いを定める。
オーヤの剣は、まだこの皇子を斬ることを諦めていなかった。オーヤから全てを吸い取り、ガタガタと皇子の方へ引き寄せられる。
しかし、もうオーヤの身体の方がそれについていけなかった。
この黒髪少女を吹き飛ばした一撃だけで、オーヤの全てを持っていってしまった。もう、呼吸することすらままならない。
「3番」
「殿、下……」
「殺せ」
「御…………意」
先程の一撃で仕留めきれなかったのが悔やまれる。あれが、全身全霊、正真正銘全力の一撃だった。もう、打つ手はない。
『アリシア……逃げろ』
アリシアが、首を振るのを感じる。見なくても分かる。アリシアが、オーヤに向けて手を伸ばしている。魔力の、高まり。
アリシアの動きに、黒頭巾と王子もすぐに気づき、眉を顰める。
「……マザーに直接働きかけられるのか?」
皇子が、眉を顰める。アリシアは、一体何をする気なのか。今のオーヤには、アリシアの力がどのようなものなのか、何となく理解できる。しかし、アリシアではこの状況を打開できないはず。
『オーヤ』
アリシアが、オーヤを見つめる。
『来るよ』
来る。
一体何が。
アリシアを警戒し、王子を守るためにガードに入っていた黒髪少女が森を振り向く。
「殿……」
叫んだ。
しかし、声は掠れ、掻き消えていく。
音が、消える。
世界から、再び音が、消えていく。
これは。
“音喰い”。
森の奥から、姿を現したのは、銀色の立髪に、背中に凄まじい量の剣のような突起を生やした、顔の無い馬。
その首に幾つも空いた穴から、音を吸って現れる。
『2体目……』
先程倒した個体とは、姿が違う。しかし、魔力の質で分かる。これは、“音喰い”。それも、先程の個体よりも強力な。
無音の世界で、オーヤだけは“音喰い”を無視する。
ここだ。ここしか無い。
オーヤは敵に背を向け、アリシアを抱き抱えて離脱する。
音とともに、周囲の魔力が消えていく。オーヤの持つ剣の存在が、不安定になっていくのが分かる。
『アリシア!』
『オーヤ……』
『大丈夫! 俺が、ついてるから!』
ホルゼが死んだ。エルフ達が死んだ。みんな、死んだ。
だが、アリシアは生きている。
オーヤも生きている。
生きるしか無いのだ。
現世兵はパニックを起こし、黒髪少女は皇子を守るため、オーヤ達から注意を逸らしている。
ここしかない。そう思えるタイミングで、コンドル君が、オーヤ達を掴んで、そのまま地上から離陸する。
『飛べ! コンドル君!!!』
眼下の地上で、闘いが始まる。
“音喰い”と、黒髪少女の闘いが。
アリシアが、静かに涙を流す。
剣戟の影響か、炎に包まれたアトキントの森とエルフの里。
ここまで来れば、もう音は復活している。
「何で、主が……」
結局、全ての止めをあの主、“音喰い”がやってしまった。“通路”も敵兵も関係ない。あんなのが、しかも2体も来るのなら、結局エルフの里はこうなる運命だったのだ。
「……違うよ、オーヤ」
「?」
オーヤから溢れた感情を読み取り、アリシアが首を振る。
「アレは、“通路”に引き寄せられてた。最近ヤコウオオカミが来てたのは、アレがヤコウオオカミの縄張りを突っ切ってたから」
「じゃあ……」
「皆が死んだのは、あの“通路”のせいだよ」
「…………」
それはつまり。結局、彼らは侵略するために“通路”を開いた。原因は遠回りしたが、結局のところ、彼らがやろうとした事と、起きた事象は一致した。
「あいつらの、せいだよ……」
アリシアの顔が苦しそうに歪む。
その感情は、毒にしかならない。
そのことを、アリシアもよく分かっている。
しかし、溢れ出る感情を、どこにぶつけていいか分からないのだ。
『…………』
ホルゼはもういない。エルフ達も、もういない。
結局残ったのは、オーヤとアリシアの2人だけ。
こんな気分になるのは、いつだって空中で2つの月を眺めている時だけだ。
「どうしようか……」
「…………うん」
3度、オーヤ達の、悲しい空中遊覧が、始まった。
ホルゼ……




