マリア先生の過去
「ふぅ、少しお茶にしませんか」
そう言って、シスタークレアは席から立ち上がる。
少し心を整理する時間が欲しかったから、正直その提案はありがたかった。
「私と同じ珈琲でいいかしら」
「ええ、お願いします。俺珈琲好きなんで嬉しいです」
「あら、そう。良かったわ。
そういえば、マリアも珈琲を良く飲んでいたわね」
「ははっ、そうですね。
めちゃくちゃ淹れさせられた気がしますよ」
「ふふっ、何だかすごく想像出来るわ。
どうせ、横柄な態度で、『おい、淹れろ』なんて言っていたのでしょう?」
「あはっはは、似ていますね。確かにそんな感じでしたよ」
声色は違うのだが、発音やイントネーションなどがまるっきり一緒でめちゃくちゃ似ている。
それはただ似ているだけではなく、長年生活を共にしていたからこその芸当だった。
シスタークレアは、まぎれもなくマリアと共に生きてきたのだと実感した。
「「ズズズ~~~~」」
お互い珈琲を啜る。アツい珈琲が喉を流れ胃の腑を刺激する。
胃がじんわりと温まる。そのお陰で、眼が冴えてきた。
「ごめんなさい、余計な話をしてしまったわね。戻りましょうか」
「はい。お願いします」
「………両親を亡くしたマリアは、無我夢中で家を飛び出し、走り出したそうなの」
「走り出したそう?」
やけに、抽象的な物言いだ。
「ええ、そうよ。
というのも、このころのマリアが何をしていたのか、どうやって生きていたのかは、誰にも分からないし、マリア自身も話したがらないの」
「…………」
俺は無言で続きを促す。
「マリアの両親が死んで数日、連日連夜悲鳴や鳴き声で騒がしかった家に物音一つしなくなったことに、ご近所さんが不信に思い、警察に通報。その後、警察が突入して、マリアの母と父の遺体が発見された。
でも、そこにはマリアはいなかったの」
「いなかった?」
「そう。さっぱり消え失せていたのよ。
当時は、かなり大事になったそうよ。なんていったって、子供が一人消えたんだもの。
かなりの人員が割かれていた。
警察が力を尽くしても、それでも、ついぞ発見する事は出来なかった」
でもマリア先生として俺の前に現れ、このひと夏を共にしたという事は、つまり発見されたという事だ。
「マリアの捜索が打ち切られて、2年ほどたったある日。
最悪だけど、この世にありふれた犯罪。
未成年者を使った売春を斡旋・運営する犯罪グループの摘発が始まりだった。
警察が犯罪組織を捜査していく中で、とある組織の拠点に行きつく。
そこには、凄惨な光景が広がっていたというわ。
多くの行き場のない子供たちが集められ、小児性愛者向けへの性交を余儀なくされていた。
組織は、それで莫大な富を築いていたようね。中には、大企業の社長や政府関係者など、大物が顧客としていたそうで、大スキャンダルへとつながった。
そして、その中にマリアがいた」
「なっ!?」
俺は驚きのあまり、絶句する。
まさか、マリア先生がそんな大事件に巻き込まれていたとは知らなかった。
可哀そうなんて言葉では足りないくらいだ。
一生心に傷を負ってもおかしくないようなことに、2回も巻き込まれているというのに、俺が関わったマリア先生は普通だった。
………いや、普通ではなかったのかもしれない。
そんな人生を一変させるようなショッキングな出来事にぶち当たって、それでも普通であるかのように他人を騙していること自体が異常だ。
「この当時の事は、あまり話してはくれません。
まぁ、当然ですよね。女性の尊厳を踏みにじられた話をぺらぺらと他人に話せるわけがありません。
それでも、いまだに後悔していますね。どうにかする事は出来なかったのかと。
少しでも異変に気付いて、寄り添ってあげる事は出来なかったのか、何か言葉を投げかけてあげる事は出来なかったのかと。
今でも続く後悔です」
シスタークレアは下唇をかみしめながら言った。
その顔には、何十年に渡って刻まれた後悔の皴が浮かび上がっていた。
「その後はどうなったんですか?」
後悔から沈黙してしまったシスタークレアに、申し訳なく思いながら続きを促す。
シスタークレアは、「ごめんなさいね」というと続きを話し出す。
「事件が解決し発見されたマリアの当時の年齢は13歳。
当然保護者のいないマリアは、孤児院に引き取られることになりました」
「それが、ここですか?」
「はい、そうです。クレアンズ孤児院に送られてきました。
ここで、彼女は新たな人生を歩み出したのです。
ここら辺は、ニューヨークに比べて何もない場所だとは思いますが、それでも、幾分かは落ち着いた安全な日常を送ることが出来ていたと思います」
先ほどの凄みのある表情とは異なり、遠い過去のマリアとの記憶を思い出しながら温かい笑顔を浮かべていた。
「マリア先生は、孤児院ではどんな感じだったんですか?」
俺はふと疑問に思った事を尋ねる。
「ははは」
何だか分からないが、シスタークレアが苦笑する。
笑う要素あったか?
「正直言うと、影の薄い子でしたよ。
この孤児院に来る頃には、過去の笑顔は失われていました。
他人と関わることを避け、自身の世界へと没頭していったのです」
まぁあれだけの経験をしたのですから、しょうがないでしょうけどね、そう付け加える。
「じゃあ、ずっと一人だったんですか?」
「はい。真実がどうかは知りませんが、私の目には孤独に移りました」
「それをどうにかしようとは思わなかったんですか?」
思わず熱が入ってしまい、断罪するかのような口調になってしまう。
それに対して、シスタークレアは苦笑を浮かべて大人な対応をする。
「思いました。
一通りの手は尽くしたつもりです。
それでも、中々周囲の人間に心を開くことはありませんでした。
まぁ、私は別にそれでもいいと思っていました」
「というと?」
「無理に他人と溶け合う必要はないという事です。
今の時代、必要最低限のコミュニケーション能力を備えていれば問題ないですし、それにマリアの過去を鑑みれば、無理に友好を気付く方が怖かったのです」
それに頷く。
確かに、仲良くなる必要はない。
また、振り戻しで何かトラウマを刺激してしまうかも分からない。
「ありがとうございます。すみませんでした。少し強い口調になってしまいました」
シスタークレアは微笑む。
「いえいえ、良いのですよ。あなたが本当にマリアを大切に思っていることを実感出来て良かった。
とにかく、他人と関わる事のなかったマリアですが、それが悪いことばかりではありませんでした。反対に、だからこそ、彼女は神から与えられたプレゼントに気付くことが出来たのです」
「それは……」
「はい、学問です。
彼女は通学のバスや学校、孤児院と四六時中ジャンルを問わず、様々な本を読んでいました。
まさに、本の虫でした。
その光景を目にした私は、ふと、そういえば科学雑誌のようなものはあまりよんでいないなと思い気まぐれに読ませてみました。
すると、どうでしょう。私の想像よりも深く熱中したのです。
それ以来ですかね、マリアは学校のテストでその才能を発揮しだしたのです。
それまででも非常に優秀で、大抵のテストでは学年で1,2番の評価だったのですが、それに出会ってからは他の追随を許さないほどの秀才さを発揮し、アメリカで一番の学問の街であるボストンに名を轟かせ始めたのです。
確かに、マリアは辛い過去や経験を多く味わってきたかもしれません。
それでも、自分にだけ与えられた神のギフトに気付き、自覚し、思う存分発揮する事が出来たという意味では、彼女の人生は幸福だったのかもしれません」
シスタークレアはそういって、カップに手を伸ばし珈琲を啜る。コーヒーは冷めてしまっていた。
シスタークレアの言い分が理解できないわけではないが、到底受け入れられるわけではなかった。それは、マリアの才能だけに着目した考え方だ。それに、『持っている者』の言い分のように感じた。
「あっという間に、マリアの名は広がりました。そして、そのうちこの孤児院にも様々な名門大学の教授や関係者が訪れるようなっていき、スカウトするようになっていきました。
やがて、ハイスクールを卒業するころには、マリアの学力は圧倒的になり、世界でも1,2を争うような大学に進学するようになりました。
もう、そのころには立派な大人だったので、孤児院を出るようになりました。
それにあなたも共感できると思いますが、ほら、ここってすごく田舎でしょう?」
苦笑しながら言う。
正直、ここで「そんなことないですよ」は無理があるので、俺も苦笑いを浮かべながら、曖昧にうなずく。
「ええ、まぁ」
「でしょう。
ですので、マリアはこの孤児院を出ていくことになります。
ほら、日本でもよくあるでしょう。田舎から上京する大学生みたいな、そんな感じです」
「ああ~~」
めっちゃ、分かりやすいけど、なんか例えが凄く若いな。
「つまりはそう言う事です。
ですので、ここからは断片的な情報になってしまうのですが、大学に進学したマリアはすぐに他の大学を転々としていたようです」
「ちょっと待って下さい。
何だか、すごく簡単に言ってますけど、大学在学中に他大学を転々とするなんて出来るんですか?」
正直、日本人の俺からしたら、意味が分からないんだが。
「心配しないでください。私も意味が分かりませんから。
マリアが言うには、在学中に他大学で講師をしていた。それを何十校もやっただけとの事です。相変わらず、意味が分かりませんよね」
「…………」
やはり、さすがマリア先生だ。規格外はもうそのころには完成していたようだ。
「そうして、様々な大学で学問を研究していたマリアは次に、日本人からとある取引を持ち掛けてきたそうです。
その内容は、ついぞ私には知る事が出来ませんでしたが、それでもマリアがそのと引きを受けた事だけは分かります。
そうして、日本に渡ったマリアは新天地で貴方と出会い、そして、あとは貴方が知るとおりになったのです」
そういって、シスタークレアはお辞儀をする。
これで、彼女が知るマリアについては全て話し終えたのだろう。
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「ふぅ~~きもち~」
俺は煉瓦造りの教会を出て、少し周囲を歩いているとベンチを見つけた。
不格好で汚く、座り心地は悪そうだ。
正直言って、あまり出来は良くなかった。恐らくは、この孤児院の子供たちが作ったのだろう。
しかし、それでも、長年愛着を持って大切に使われてきたのだと感じた。
「失礼します」
特に聞く者はいないが、一応断りを入れて座る。こういうのは自分の心の問題なのだ。
案の定、ガタガタだったが、それでも愛おしさを感じるのだから不思議だ。
それに――
「ふ~~」
別に疲れているわけではないが、何だかやっと一息つくことが出来た心地だ。
やはり、知らず知らずのうちに気を張っていたのだろう。
よくよく考えれば、海外に来ているのだから当たり前だ。普通の海外旅行でも疲れるのに、それに加えてマリア先生の過去を知ったのだ。その疲労はただの疲労とは違う。
そんなことを思いながら、俺は夜空を見上げて絶句した。
「―――っつ」
そこには満点の星空が広がっていた。
一切の曇りのない星の輝きと淡く輝く白銀の月の光。
それが瞳いっぱいに映る。
「マリア先生は、これを毎日見ていたのか」
こんな夜空を目にしていて、何に悩み迷っていたのか。
どれだけ思いを馳せても答えが出ることはない。
所詮、他人なのだから。どれだけ大切に思っていても、同じ人間ではないのだから。
それでも、一つだけかけられる言葉がある。
「―――」
俺はそうして、星空を眺めていた。




