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マリア先生の生家

 今の時代は本当に便利だとしみじみ思う。

 どんなに知らない場所でも、どんなに言葉が通じなくても、スマホ一台があれば、問題なく行ける。

 こんなこと、何十年前の人は想像もつかなかっただろう。

 今では当たり前のように全世界の人間が繋がっているが、本来そんなことはありえないことなのだろうと思う。

 それを成し遂げたという事に、人間の凄さを感じる。


「―――」


 流れゆく車窓の景色を眺めながら、そんなことを思った。


「本当に、センチメンタルになりすぎだろ」


 少しアメリカの風に当たりすぎて、自分の事を海外ドラマの主人公か何かに勘違いしているのかもしれない。

 こんなところを見られたら、確実に祐と純に、一生イジられてしまうだろう。

 そう思うと、一瞬で現実に戻って来るのだから不思議だ。


「…………」


 どのような形であれ食事を終え満腹になった俺は、ビーコンヒルを出て本来の目的へと移る。

 俺はビーコンヒル最寄りの地下鉄に乗り、ボストンの端まで行くと、そこからローカルバスを乗り継いで2時間は経つ。

 最早、日は落ちかけ、夜へと至ろうとしていた。

 途中、バスでキツかったのはローカルらしく、地元のおばあちゃんたちにジロジロと見られたことくらいで、それ以外は快適で楽しい旅だった。


「Next stop, Beacon Hill.

 We are now approaching Fall field.

 Please prepare to exit at Fall field.

 Please watch your step when exiting the bus.」

 そのアナウンスで、疑心暗鬼になりながらも俺はいつでも動ける準備をする。

 正直、英語は喋れないが大学受験で、しこたま勉強したお陰で現役から4年経った今でも聞き取りだけはまだできそうだ。

 本当に助かった。

 そうして俺は、バスを降りた。

 バスは俺を降ろすと走り去っていった。


「なーんもねぇ」


 視界いっぱいに野原が広がり、そこに点々と木々が連なる。

 そこに縦断するかのように、灰色のアスファルトが水平線の先まで続いていた。

 俺はとりあえず、スマホから地図アプリを開き、目的の教会がある方向に向けて歩き出した。

 そうして、数分歩いていると、夜空に浮かぶ満月の下に赤レンガ造りの外壁と屋根の上に十字架を掲げた小さな教会を見つけた。

 俺は源一郎先生から貰っていた写真と目の前の教会を照らし合わせる。

 このボストンの外れにある田舎町クシィにあるクレアンズ孤児院の主だ。

 海と湖と森の自然にあふれ自然だけしかない田舎町だ。


「うん、間違いないな」


 一致。

 俺は目的の場所まで来ることが出来た事、こんな知らない土地の田舎で夜を明かすことにならないことと、二重の意味で安堵する。


「行こう」


 俺は足を踏み出し、教会の扉の前まで行く。

 言い方は悪いが、扉はかなり古臭く、こんなので防犯面は大丈夫なのだろうか。

 などと思いながら、扉を優し目に叩く。

 普通に壊さないか心配だ。


「…………………」


 来ない。

 数秒、待つが中々出て来ない。

 もしや聞こえていないのかもしれない。

 そう思い、再度扉を叩こうとしたところ扉が開く。

 そこには、老婦人が立っていた。

 髪は白く染まり、腰は曲がりかけている。顔にも長年生き抜いた証のようにしわが刻まれている。それでも、瞳の奥には確かな知性と善性を兼ね備えた色を持ち合わせていた。


「……………」

「……………」


 しまった!?何も考えてなかった!!

 ここはアメリカでこの教会で働くのはアメリカ人。

 ならば当たり前のように英語であるはずなのに、何故だか俺は日本語で通じると覆っていたのだ。

 本当に馬鹿すぎる!!

 自分の中で叫びながら、とりあえず無言では駄目だと思い――


「Good evening」


 と挨拶する。

 すると、返ってきた言葉は想像とは少し違っていた。


「あら、日本人の方かしら?」


 およそ、淀みのない完璧な日本語に一瞬戸惑いながらも、何とか返答する。


「えっ、ええ」

「何のご用件かしら?こんな田舎に日本人の方が」


 脳みそがバグってしまうが、すぐに慣れて言葉が出てくる。


「マリアさんの事について聞きたくて伺いました」


 そう告げると、老婦人が驚く。

 そして、遠い大切な自身の子供を思い出すかのように優しい顔を浮かべる。


「そう、懐かしい名前ね」


 俺はそんな優しい笑顔を浮かべる人に告げるのは心が痛むが、何も知らないよりかはいいだろう。

 そう思い、残酷な現実を告げる。


「マリア先生が死にました」


 #####


 老婦人の名前はシスタークレア。

 このクレアンズ孤児院の主だ。

 俺はシスタークレアに案内されて台所にある小さな対面の椅子に座る。


「それで、星野さんは何が効きたいのかしら?」


 部屋へと案内された俺は早速、洗いざらい話した。

 マリア先生との関係性やマリア先生がなぜ死んだのか、マリア先生がどうしていたのかなどマリア先生ついて聞かれたこと、知っていることは全て話した。

 年の功というべきか、シスタークレアは驚き、沈痛な面持ちでいたが取り乱すことはなかった。


「アリア先生の過去を教えてください。

 俺はどうしてマリア先生が自分の詩を選んだのかを知りたい」


 シスタークレアは俺から何かを汲み取ると小さく頷き、口を開いた。


「分かりました。それで、星野君が納得するのなら話しましょう。

 断っておきますが、そこまで長くはありませんよ。人の人生を語って伝えるのならば案外短いものですから」

「分かりました」


 頷く。

 シスタークレアは俺が了承したのを確認すると、話し出した。


「理解していただいたところで………やはり、話すとしたら家族の事からでしょう。

 知っていますか?

 マリアはもともと、ニューヨークに住んでいたのですよ」

「いえ、知りませんでした。そうだったんですか」

「そうですよ。ただ、彼女にとってはあまり良い思い出ではないのかもしれませんけどね」


 シスタークレアは苦笑を浮かべる。

 これから、俺の知らないマリア先生の事がいっぱい明かされるのだろう。

 今までのマリア先生との交流から推測される。

 マリア先生の過去には多くの悲しい出来事があったのだと思う。それらを今これから知る事が出来るのかもしれない。

 きっと、聞けば怒りが込み上げてくるだろうし、辛くなるし、悲しくなる。

 それでも、聞かないという選択肢はないのだ。

 俺はそんな予感を覚えながら、耳を傾ける。


「マリアはもともと、母と父、マリアの三人でニューヨークの郊外に暮らしていました。

 家庭はかなり、お金持ちだったそうよ。マリアの父親はニューヨークで勢いに乗る会社の社長で、ご近所さんからはとても仲のいい家族として認知されていたらしいわ。

 幼少の頃のマリアは、いたって普通な子供だった。ただのエレメンタリースクールに通う無邪気な子供。

 愛に囲まれ、昨日と同じ楽しい明日がやって来ると信じて疑わなかった。

 しかし、そんな幸せも長くは続かないわ。

 ある日、いともたやすく唐突にマリアの父が経営する会社が倒産したの」

「倒産……」

「ええ、そうよ。

 今思えば、マリアの不幸はこの出来事から始まったと言えるわ。

 会社が倒産して以来、マリアの父は狂ってしまった」

「狂うって、そんな。ただ、会社が倒産しただけですよね」

「そうね。ただ、会社が倒産しただけ。でも、マリアの父にとっては「ただそれだけ」ではないのよ。

 学生時代から血と汗と涙を滲ませて築き上げた企業よ。その出来事一つだけで、彼を狂わせるには十分だった。

 そして、推測するならば、その際莫大な借金を背負ってしまったのだと思うわ」


 それは当然、想像できることだった。

 アメリカで倒産するという事は日本で倒産するという事とは、訳が違う。

 アメリカで倒産するという事は敗者になるという事であり、そこから這い上がる事は恐ろしく困難な事なのだ。

 偶に何度失敗しても挑戦し、結果的に大きな成功を掴む様な人物がアメリカでは生まれてくるが、それはご極例外であって、普通は一度失敗すれば終わりなのだと思う。


「優しく慈愛に溢れていたマリアの父は、倒産というショックと莫大な額の借金で、徐々に変わってしまった。

 完全に心を折られてしまったマリアの父は働く意欲を無くし、嗜む程度であったシガレットとお酒は少しずつ回数や量を増やし、まさに中毒と呼べるほどになってしまう。

 確かに、会社がつぶれ敗者になってしまったのかもしれない、それでも生きていかななければならない。そして、生きていくためには働かなくてはならない。

 そんな単純で難解な事すらできなくなってしまったのです」

「……………」


 もう、聞きたくない。何となくその後の流れが想像出来てしまう。

 しかし、聞かなければならないだろう。俺は心を殺しながら、耳を傾ける。


「働くなった父の代わりに、母は働きに出るようになりました。

 それでも、安月給であり、日がな一日中、口にしていたシガレットやお酒はやがて家計を圧迫し、立ち行かなくなるほどです。

 それでも、マリアの父は働かず、あろうことかマリアとその母に暴力を振るうようになりました。初めはお酒が買われていないことの苛立ちから、しかし、それらも少しずつエスカレートしていくようになり、ちょっとした他人の物音にすら苛立ちを覚え、暴力を振るうようになったのです。

 それに対して、マリアの心も閉ざしていくようになりました。

 実際、マリアが通うエレメンタリースクールの先生たちも

 実際、マリアが通うエレメンタリースクールの先生たちも笑顔が素敵なマリアから笑顔が失われていくことには気づいていたそうです」

「だったら」


 介入してくれていたら―――。


「ええ、でも、あくまでも家庭の問題であり、と伯父の社会的な流れ的にも家庭に介入するほどの力はありませんでした。私たち大人はただ、見ている事しか出来なかったのです。

 そして、だからこそ、マリアを取り巻く環境を大きく変える、その日が起きてしまいました。エスカレートしていく暴力を誰も止めることが出来ず、ただ耐え忍ぶだけであった日常に最悪な形で終止符が打たれたのです」

「それって」

「ええ、マリアの父が死んだのです。母と一緒に」

「はッ――」


 知らぬうちに大きく息を吸い込む。


「ある日、学校から帰ってきたマリアは大きな声で争う両親の姿を目にしたそうです。

 殆ど毎日、行われていた夫婦喧嘩であり、マリアにとってはある意味慣れてしまった光景でした。

 だから、その時もマリアは何とも思っていなかったそうです。

 しかし、その日の物は少し様子が違いました。

 殴る蹴るだけでなく、物で暴力を振るっていました。

 あまりの暴力に危機感を覚えたマリアの母は、その場に合った包丁を持ち出し、マリアの父を刺したそうです。しかし、女性と男性の対格差があったのでしょう。一刺しでは殺しきることは出来ませんでした。マリアの父は激痛に喘ぎながらも、自身を刺した母に刺し返したのです。これは心臓に一突きで、即死だったそうです。

 対して、父の方は死んではいないとしても、血を垂れ流していました。

 あまりにも、血を流し過ぎていた。もはや、何もせずとも死ぬ。時間の問題でした。

 マリアはそれを分かっていたはずです。彼女は聡い子でしたからね。

 しかし、分かっていたというのに、マリアは倒れ込む父の傍らに落ちていた包丁を手に取り、心臓に一突きしたそうです」

「………………」


 それを聞き、言葉が出ない。

 マリア先生の今まで受けてきた境遇と加害。

 圧倒的にマリア先生に同情する。しかし、だからと言ってマリア先生がしたことを素直に喜ぶことは出来なかった。


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