in flight
割とお金はあった。
苦学生であった今までの大学生活では、考えられないほどの額が口座には貯まっていたおかげで、特に頭を悩ませることもなく渡米する事が出来そうだった。
だから、あとは勇気の問題だと思っていたが、それも実際にフライト間近になれば、気にならなくなった。
初めての一人での海外。
正直、不安が大きかったが、気が付けばそれよりも教会に思いを巡らせていた。
「―――」
成田空港の国際線搭乗口前のベンチにて一人座る。
周囲は、友人や家族連れで囲まれ、これからの旅に緊張と期待を膨らませて笑顔を浮かべていた。
その中で、俺だけは浮かなかった。
視線を右横に向ければ、滑走路が広がっており、多くの飛行機が行きかっていた。
その中で、恐らく俺が乗るのであろう飛行機が近づいてくる。
夏の蒼い空とアスファルトの灰色、太陽を照り返し光る飛行機の白い鋼鉄の肌が眩しい。
滑走路の彼方とそれに足をつける飛行機の車輪はカゲロウで揺らめいていた。
見ているだけで暑そうだが、俺はそれを涼しい空港の中で眺めていた。
「皆様、本日は成田空港をご利用いただきありがとうございます。
ただいまより、ボストン行きクレス航空800便のご搭乗案内を開始いたします。
ご搭乗のお客様は、搭乗券とパスポートをご準備のうえ、係員の案内に従ってお進みください。
なお、機内持ち込み手荷物につきましては、頭上の収納棚または前の座席の下に収まる大きさであることを今一度ご確認ください。
また、モバイルバッテリーやリチウムイオン電池を含む電子機器は、受託手荷物へお預けいただけない場合がございます。お手元にお持ちください。
本日の飛行時間は約13時間を予定しております。到着地ボストンの現在の天候は晴れ、気温は18度です。
それでは、まもなくアメリカ・ボストンへ向けて出発いたします。快適な空の旅をお楽しみください」
そのアナウンスと共に、搭乗が始まる。
あらかじめ、決められていたグループごとに人が並んでいく。
俺はグループ5。
あいにくと、最後であったらしい。
「いや~楽しみだな」「俺のアメリカ一周が始まるぜ」「おばあちゃん、待ってるかな?」「きっと、楽しみにしてあっているわ」
そんな楽しそうな会話をしながら搭乗していく人々の波に紛れながら、俺も搭乗する。
飛行機へと入っていくころには、ほとんどに人間が搭乗していた。
飛行機が動き出す前の、慌ただしく騒々しいながらも、楽しそうな雰囲気の中で俺だけは無言で、早々に手荷物を上のロッカーに押し入れてシートに座る。
窓側の席だ。
「失礼しますね」
白人の老婦人が笑顔で挨拶すると、隣に座った。
俺は会釈して、すぐに窓の外の景色に視線を遣る。
そうしていると、話しかけられた。
「見たところ、お兄さんは一人よね?」
「…はい。一人ですね」
正直なところ、鬱陶しいと思った。
知らない誰かと会話を交わす。それは旅の醍醐味であろうが、今の俺にはそんな余裕はなかった。
「どうして、ボストンなんかに?
別にアメリカへの旅行で、メジャーな場所ではないと思うのだけど」
「………」
一瞬、正直に話そうか迷い言葉に詰まっていると、老婦人は俺が不快に思ったと勘違いしたのか、言葉を付け加える。
「あっ、勘違いしないでね。別に駄目だとは言っていないの。
ただ、不思議に思ってね。
ボストンは私の故郷だから、遠い異国の人が興味を持ってくれるのが嬉しいのよ」
そう言って、しわくちゃの顔に笑みを浮かべる。
その顔を見て、気付けば俺は正直に話していた。
「実は俺の好きな人の故郷でして。
その人が見た景色を俺も観たいと思ったんです。
ふっ、気持ち悪いですかね」
自分で言っていて、そう思った。
「いいえ。
全くそんなことはないわ。とても、素敵ね。その人はすごく幸せだと思うわ」
そう言って、老婦人は励ましてくれた。
大した言葉ではないはずなのに、そのありふれた優しい言葉が胸に沁みる。
と、機内アナウンスが流れる。
「ごめんなさいね」
そう小さく頭を下げると老婦人は視線を前にやった。
俺はそれを見届けて、視線を窓の外にやる。
「皆様、本日は当便をご利用いただき、誠にありがとうございます。
当機はまもなくボストンへ向けて出発いたします。
シートベルトをお締めいただき、座席の背もたれ、テーブル、足置きを元の位置にお戻しください。
また、携帯電話を含む電子機器は、乗務員の案内に従ってご使用ください。
本日の飛行時間は約13時間を予定しております。
それでは、ボストンまでの空の旅をお楽しみください」
そのアナウンスが終了すると、飛行機が動き出す。
最初は車ぐらいのスピードから、少しずつスピードを上げていく。
地面との反発で機体は大きく揺れながらも、身体が座席に叩きつけられる。
火を噴く轟音と共に、少しずつ飛行機が浮かび、身体が浮遊感を覚える。
内臓が奇妙な感覚を覚えながらも、地面との距離が離れていき安定感を得る。
飛行機は軌道に乗った。
俺は去り行く東京の地を満足いくまで眺めると、眠りについた。
#####
『当機はただいま降下を開始いたしました。
ボストン到着まで約20分を予定しております。
シートベルト着用サインが点灯いたしましたので、お席にお戻りのうえ、シートベルトをしっかりとお締めください。
窓の日よけを開け、座席の背もたれを元の位置にお戻しくださいますようお願いいたします』
アナウンスで目を覚ました。
「うへぇ、最悪」
涎がポロシャツの襟に垂れていた。
お気に入りの一張羅が汚れていることに萎えていると、ガタンッと大きく揺れる。
どうやら、無事に着陸したらしい。
窓の外を見ると、成田空港とは違う滑走路や日本とは明らかに違う建物の雰囲気や空気、形式が広がっていた。
「本当に、ここまで来ちまったんだな」
たった1か月前に出会った女の人に恋して、その人の故郷にまで来てしまった。
ただの大学生が随分と遠いところまで来ちまった。
1か月前の俺に言ったら、驚くだろう。まさか、ボストンにまで来ているとはと。
『Ladies and Gentlemen, welcome to Boston.
現地時刻は午後2時35分でございます。
当機はまもなく到着ゲートへ到着いたします。シートベルト着用サインが消灯するまで、お席をお立ちにならないようお願いいたします。
また、携帯電話を含む電子機器は、乗務員の指示に従ってご使用ください。
頭上の収納棚を開ける際は、お手荷物が落下する恐れがございますので十分ご注意ください。
ボストンでお降りのお客様は、お忘れ物のないようご確認をお願いいたします。
本日はご搭乗いただき、誠にありがとうございました』
アナウンスが終了すると同時にサインが消灯し、乗客たちが動き出す。
空くまで待つか。
決めて、再度窓の外に視線を移す。
「ここから先にマリア先生の故郷が広がっているのか」
少し気が早い気がするが、間違いではないだろう。
マリア先生を育てた地。
そう思うだけで、心が早鐘を打つ。
早く、空港を出てボストンの地に降り立ちたいという欲求が沸き上がってきた。
#####
成田空港からローガン国際まで14時間。勿論、エコノミークラスだ。
狭い、シートに押し込められながら映画を観たり、寝ていたりして時間を潰していた。
意外と苦ではなかったが、それもネックピローがあったおかげだろう。
そんなことを思いながら、特に問題もなく入国する事ができ空港を出ることが出来た。
「よしっ!やっと着いた。ここからだ」
来るだけで、満足してしまいそうだが、今回の旅の目的はあくまでもマリア先生が育った教会に赴く事だ。
今一度、気を引き締めて一歩を踏み出したところで――
「ぐぅ~~~~」
とお腹が盛大になる。
「………その前に、飯屋に行こう」
そう独り言をつぶやいて歩き出した。
#####
俺は空港を出ると電車とバスを乗り継いで、ビーコンヒルに向かった。
ビーコンヒル。
歴史あるボストンの街の中でも、最も歴史ある地域だと言える。
そもそもボストンという街はアメリカという国を語るうえで、絶対に外せない街の一つだろう。
近年では、アメリカと言えばニューヨークとロサンゼルスという印象を多くの人が持つだろう。しかし、アメリカ独立戦争の始まりであるボストン茶会事件の舞台となったと街であることを考えれば、ボストンはアメリカに最も影響を与えた街だと言える。
さらに、ボストンには学問の街という顔がある。
例えば、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学などがあり、世界最高峰の学術機関や科学者、文化人が揃っていた。
ここで、マリア先生という存在が生まれ育ったと言われれば、納得だ。
「………てか、本当にきれいだな」
俺はその街並みに感嘆の言葉を漏らす。
赤レンガの家々と石畳の道が視界の奥まで広がっている。
快晴の空から差し込む太陽の光は、家々に寄り添うように木々のおかげで木漏れ日となって優しく照らす。
「空気が上手い」
古き良きアメリカの街並みは俺の病んでいた心を少しだけ、照らしていた。
「はぁはぁはあ」
ビーコンヒルの道を進んでいると、息が切れてきた。
「意外と坂が多いな」
俺ははぁはぁと呼吸を乱しながら、そろそろ足が痛くなってきたぞという所で、目的のお店に到達する。
「グランド=ビーコンカフェ」
赤レンガの街並みが広がる交差点にて、とあるカフェを見つけた。
俺は若干の入り辛さを感じながらも入店する。
「hello」
「ハッ、ハロー」
当たり前だが英語で挨拶されて、俺も片言ながら英語で挨拶する。
普段使い慣れていない言葉だと、やはり噛んでしまうが気にしない。
俺は窓の近く、ビーコンヒルの眺めが良い窓際に案内され座る。
木目調の広い店内と赤を基調にした色合いのお店はシンプルながらもおしゃれと言える。
心穏やかに食事が出来そうだと思ったが、ふと視線を落として窓ガラスを見ているとヒビ割れていた。
「こういうのを治さないのが、欧米って感じだよな」
アメリカに来ていることを実感しながら、メニュー表を開く。
「…………分からん」
何が書かれているかは全く分からなかった。
ここは現代の利器を使おうじゃないか。
という事で、俺はスマホを取り出しメニュー表を写真で撮る。そして、それをAIアプリに投げ込んで、翻訳してもらう事にした。
すると、詳細が判明する。
「―――」
フィッシュアンドチップスやタコスなど、ヨーロッパの料理を中心に、アメリカで人気な料理が書かれていた。
その中で、俺は一つ選ぶ。
「Excuse me!」
店員を呼ぶ。
ガッチリとした体形のフェードの髪形をした男の店員さんが近づいてくる。
「this one」
「OK」
そう言って、店員さんはキッチンへと下がっていった。
俺の小学生レベルの英語力も捨てたものじゃないな。
なんて、思いながら窓の外の景色を眺める。
何百年も前の人もこうやって、同じ景色を見ていたのだと思うと、不思議な感覚を覚える。
まるで、この空間がちょっとしたタイムマシンのようだ。
そんなことを思いながら数分待っていると、やがて料理が運ばれてくる。
手際よい動きで、俺の目の前に料理が並べられていく。
「これがロブスターロールセット」
皿にこんもりと盛られたロブスターロールとフライドポテトからは、ホクホクと湯気が立っていた。美味しそうだ。
ザ・男飯といった様相の料理は、まさにアメリカという感じで否応なしにテンションが上がる。海外に来たのだという自覚が芽生える。
ま、今はそんなことは良い。
俺はナイフとフォークを両手に持って、早速食事に映る。
オオキナ身をナイフで切り崩していく。
そして、口に運ぶ。
「………うまっ!?」
口の中で、ロブスターの身が濃いチリソースと絡み合い、舌の上で踊る。
「こっちも」
そういって、ポテトの方にも手を伸ばし、口に放り込む。
サクサクとした触感と塩コショウの味が下をツンと刺激する。
「美味い!」
その言葉を皮切りに食事が進む。
料理がバクバクと口に放り込まれる。
そうして、数分食事をしていると不意に手が止まった。
まだ、全然美味しいし満腹ではない。皿の上の料理も残っている。
しかし、どこか物足りないものがある。
それは明白だ。
「寂しい」
やはり、どれだけ心躍る様な場所、空気、食事があろうと一人だったら何も楽しくない。
人でポッカリと空いた心の穴は、同じく人とのつながりでしか、埋まりはしないのだ。
俺はそのまま何か不完全燃焼のようなものを抱えながら、食事を終えた。




