研究の真実
「そもそもの話、マリア君がアルツハイマー病の治療研究をしているから話そう。
マリア君は義妹を助けるために、そのテーマを研究している」
知らなかった。
マリア先生に妹がいたとは。
思えば、俺はマリア先生の家族構成や親との関係、兄弟の有無など、全く知らない。未知であった。
「驚いているね。無理もない。
マリア君にとっては、家族なってあってないようなものだからね」
「―――?」
源一郎先生の言葉に疑問が浮かぶ。
矛盾だ。
妹がいると思えば、次に家族はいないと言う。
意味が分からない。
「本当の家族ではないんだ。
マリア君は養子だったんだよ」
「―――」
そう言う事だったのか。
「本当の名前は、ついぞ教えてはもらえなかった。そのような点から、私も彼女にとっては心を開けるような存在ではなかったのだろう」
源一郎先生は自虐するように俯き気味に呟く。
俺はかける言葉が見つからず沈黙している。
太陽は本格的に姿を隠しだす。それにつれて、夏の青空が紫紺に染まり出す。
「まぁ、今はそんな感傷は捨て置こう。
とにかく、彼女の本当の名前は御舟マリアではないんだ。
17歳の時に、御舟家に養子として迎え入れられてからなんだ」
「17歳?なんで、そんな歳で?正直、今更って感じじゃないですか?」
「全くもって、その通りだ。
慈善活動として孤児の子供を養子に迎えるのならば、もう少し若い歳であるべきだ」
「そうですね」
勿論、17歳も十分子供であるが、15歳、12歳、10歳の子供たちに比べて、自立できる。
実際、それくらいの年齢の孤児は、逆に養子になる事を拒む様な気がする。
だから、慈善活動とは違う目的がありそうだ。
「ゆえに、マリア君を養子に迎えた理由はほかにある。
それは、アルツハイマー病治療の研究だ」
ここで、冒頭の言葉に繋がってきた。
「マリア君を養子に迎えた現御舟財閥社長の御舟信二。
会社の成長と成功のためならば、どんな冷酷無比な男にも大切な存在がいた。
それが彼の一人娘だ」
御舟信二の血のつながった娘であり、マリア先生にとっての義妹ということか。
「その娘は幼少の頃から重篤な若年性アルツハイマー病に悩まされていた。
アルツハイマー病についての解説は不要かな?」
「はい。もう、マリア先生から嫌になるほど解説してもらいましたから」
「ふっ、そうですか」
源一郎先生は少し微笑を浮かべると話を続ける。
「とにかく、御舟信二は娘を何としてでも救いたかった。
しかし、現状、アルツハイマー病を治癒する方法はない。ならばどうするか?
新しく発明するしかない。
幸いにも御舟信二には富があった。日本でも1,2を争うほどの大企業だからね。
十分に、金はあったのさ」
「だけど、所詮は日本レベルです。
確かに、莫大な金が手元に残るとはいっても、世界を動かすほどではない。ましてや、長年人類を悩ませていた病を治療する発明が出来るほどの資金を集められないと思います。
それに、そもそも、そういった発明には時の運すら絡んで来る。
純粋に金を出せば達成出来る物でも無い筈です」
太陽は沈み月が上る。
海面には銀色の月が映し出され、海の波と共に揺れる。
そして、海からじんわりと背中に流れる汗を乾かすような風が吹く。
夏の日々であればラッキーなんて思ったりするが、今は違う。
海の潮が混じって、不快であった。
「そう。だから御舟信二は生きる事・人と関わる事に執着しない存在。
お金や名誉に興味がなく、ただ純粋に学問を追求するような科学者。
つまりは世俗から離れた天才科学者を見つけ出すことにした」
そんな人いないだろ、と心の中で一瞬思ったが、すぐにマリア先生の存在を存在が浮かび上がる。
「そして、ある日、アメリカでの出張の折に御舟信二はマリア君と出会った。
その圧倒的な才能と天才性に魅入られ可能性を感じた御舟信二は、その場ですぐにマリア君を養子にしたそうだ。
彼にとっても、一世一代の賭けだっただろうね。
少しでも、余分なリソースを割きたくはなかったはずだ。
偽物の天才なんて引き当てた日には、娘を救う計画なんて御破算だろうからね」
俺は気づけば拳を強く握りこんでいた。
怒りだ。
マリア先生が抱える闇や傷につけ行って利用する、そのやり方に怒りを覚える。
「…………」
「まさに、御舟信二は賭けに勝ったと言える。
マリア君は本物の天才だった。実際に、義妹を救って見せたのだからね」
話しが進むごとに怒りで頭が沸騰しそうな俺とは対照的に、源一郎先生は色々と軽かった。
それが癇に障る。
しかし、ここで怒り声を荒げたところで意味はなく、だからこそ俺の心はやり切れない消化不良ではちきれそうだった。
「……………」
とりあえず、マリア先生の事情は分かった。
次だ。
「どうして、マリア先生は死んでしまったんですか?」
「…………それは単純な話ですよ。マリア君はしくじったんです」
「しくじったって」
「御舟信二の娘の症状は近年深刻なまでに悪化してしまっていた。もはや、時間は残されていなかったのだ。
そこで、焦った御舟信二はマリア君にとある要求を突き付けた。
それは、一年間で娘が普通の日常を送れるようにすること」
「そんなの………」
ムリだ。
その言葉を飲み込む。
マリア先生にその言葉だけは言いたくなかった。
「ああ、ムリだ。普通はね。
でも、マリア君は違った。
彼女はその身には収まりきらない、地球の大きさにも匹敵するほどの才能を秘めていた」
「…………」
「マリア君は2つのアプローチから臨んだんだ」
「そうなんですか。知らなかったです」
死んだ後でも、マリア先生の才能を知らしめされる。
「彼女は薬などから内的に治療する方法と補助装置を作り寛解させる方法だ」
補助装置。
その言葉で、1つ思い当たるものがあった。
それはーー
「『完全思考型チップ』」
「そうそれだ。どうやら、マリア君から話は聞いていたようだね」
「ちょっとはですが」
「そうか。ならば、これも説明は省こう。
とにかく、内的な方法は、ただ、薬やら何やらを作って処方すればいいだけだから、特に複雑なことはない。ただ、凄く難しいだけだ。
でも、後者は違う。
この完全思考型チップには一つ難点があった。
それは最初の一つを作るためには、死んですぐの新鮮な脳みそが必要なんだ」
「…………死んですぐの、新鮮な脳みそ?」
「ああ。そうだ」
その言葉で、視界が揺れる。
月明かりが粘ついているようで、鬱陶しい。
「完全思考型チップで脳の補助をさせるためには、人間の脳細胞が実際にどのように動くのかを学習させなければいけない。
それはスキャンなんて生易しいものではなく、実際の肉体で行われなければいけない」
そんな。そんな事って、あるのかよ。
現実を知りたくない。事実を知りたくはない。
そう思考するが、それが言葉になることはない。
代わりについて出てきた言葉は、我ながら最低だと思うが、人間としては当たり前の感情だ。
「そんなの、別の誰かの脳みそじゃ駄目だったんですか?」
「だめだ」
「そんな!」
気付けばベンチから立ち上がり、源一郎先生を見下ろしていた。
「もうすぐ、死にそうな人とか!生きるのが辛くて、自殺したがってる人とか!
そういう人にお願いすればよかったんじゃないですか!」
源一郎先生は俺の最低な発言に怒るのでは無く、逆に憐みの目を向け絞り出すように答えた。
「それでは無理なんだ。不完全に終わってしまう。
人の脳みそを補完するという事は、簡単なことではない。そして、他人の脳みそを補完するという事は、尚の事難しい。
そんな中途半端な脳みその人間では中途半端に終わってしまう。
だから、中途半端に終わらせないためには、優秀な人物でなければならないのだ」
それが………それが………それが―――
「マリア先生だって言うんですか?」
「そうだ。もはや、ここまでの話の流れから分かると思うが、前者の内的アプローチは早々に頓挫してしまった。さすがに、彼のマリア君でもそれは無理だったようだ」
「そんな―――」
魂が抜け落ちたように、気付けば膝から崩れ落ちていた。
「そんな事ってありかよ」
源一郎先生の視線は遠くの夜海の水平線へと移っていた。
「なんで、マリア先生は自分が死ぬことを選んだんですか?
別に何の条件も、他の誰かを犠牲にすることだって出来たはずなのに」
「それは、私にも分からない。
でも、マリア君は私の教え子で会った時から何も執着していなかった。生きる事にも。
私はそんな状態がずっと危ういと思っていたが、どうする事も出来なかった。
彼女の闇はどこまでも深かったのだ」
少しの間、沈黙が支配する。
意識の縁には波の音がする。
「………それでは行くよ」
源一郎先生はベンチから立ち上がり続けて言う。
「娘さんは無事、普通の生活を送れるようだ」
「そんな事言われても、納得いきませんよ」
弱弱しく呟く。
「……君も私のこの説明だけでは納得いかないだろう」
そういって、源一郎先生は一枚の紙切れと写真を渡す。
紙切れにはアメリカの住所が、写真の方には教会が映っていた。
「これは?」
「マリア君の育った場所さ」
写真には教会のほかに、小さな丘と湖が映っていた。
壮大な自然。
映画で見るようなアメリカの田舎が広がっていた。
一目見て、良い場所のように感じた。
「そこには、マリア君の育ての親のような人がいる。
その人に合えば、もしかしたらマリア君についてもっと深く知る事が出来るかもしれない。
それか、『行かない』という選択もある」
「…………」
源一郎先生の表情は夜闇で窺えない。
「マリア君はもう死んでしまったんだ。
今更、故人の過去を知ったところで何にもならないだろう。私は無意味だと思う。心の傷を広げるだけだ」
冷酷に告げる。
いつもの源一郎先生とは異なる、突き放すような雰囲気があった。
俺は無言で源一郎先生の続きに耳を貸す。
「それでも、何かの区切りになるのなら悪くないのかもしれない………まぁ、決めるのは君だ。君が決めるんだ。
悔いがない方を選ぶんだよ」
最後に、源一郎先生はいつもの温かい声で言葉を投げかけると、そのまま去っていった。
俺はその背を見送って、そのままベンチで数分考える。
「―――」
写真の先へ行った場合と行かなかった場合。
その両方を考える。
その時、俺はどう思うのか。
そして、俺は今納得しているのか。満足しているのかを自身に問う。
そうすると、自ずと導かれる。
それを考えれば思いのほかスッキリと、簡単に答えは出た。
「行こう。
俺はまだ納得していないのだから」
今までの鬱陶しいほどに温かった風とは違う冷たい風が吹く。
前髪が揺れた。
その奥から、笑みがこぼれる。
それはマリア先生が死んでから初めての心の底からの笑み。
クソったれみたいな気持ちで一杯だった今日という日の最後に、自分で歩き出したことへの笑みだった。




