once in a blue moon
水族館を出るころには日が傾き始め、空はオレンジと紫に染まっていた。
雲も傾く太陽に染まっていた。
夕焼けが眩しい。
日中よりも、幾分か涼しい。心地よい風が海から吹いていた。
「あそこのベンチで休もうか」
マリア先生は、そういって海にすぐ近くのベンチを指さす。
「良いですね。歩き疲れたので、ちょうど少し休みたかったです」
俺たちは並んで小さなベンチに座った。
身体の大きいマリア先生と華奢な俺は、座るとちょうどよかった。
並んで、太陽が地平線に沈み行く光景を眺める。
沈黙。
何も言葉を交わさない。
それでも、一切苦痛ではなかった。
マリア先生の息遣いを耳にしてドキドキし、肩で微かに触れる体温からフワフワとした気持ちになる。そして、単純に幸せだった。
そうして、間を楽しむ。
そうして、数分沈黙していたが口を開く。
そういえば、気になっていることがあった。
「葉山さんの提案はどうしたんですか?」
一か月前、官僚がマリア先生のもとに訪れた。
もう、大分前の事に感じるが、官僚はマリア先生に新兵器開発チームのリーダーをオファーしに来たのだ。
「なんだ、藪から棒に。何かあったのか?」
「別に、何かあったという訳ではないんですけど、気になって」
「う~~ん、勝手に言っていいのか分からないが、お前には大丈夫か」
そう、前置きする。信頼されているようで少しうれしかった。
「断ったよ。あの時は忙しかったし、他の研究に力を入れる余裕はなかったからな。
それに、私は別に自分が作ったのものが、どうなろうと知ったことないが、それでも初めから人を殺すようなものを作る気にはなれないな」
マリア先生はそれを何の恥ずかしげもなく、言ってのける。
それを聞くことができて良かったと、同時にマリア先生への尊敬の念が深まった。
国の仕事となれば、大金がもらえるはずだ。だというのに、マリア先生はそれを自分の信念のもと蹴ったのだ。かっこよかった。
「それを聞けて良かったです。マリア先生には、手を血で汚してほしくないので」
「何だそれ?」
「いえ、こっちの話です」
再度、沈黙する。
夜の夏風だけが、俺とマリア先生の間を走る。
遥か遠くの太陽は沈み、空には月も太陽もいない短い時間。
太陽の残光だけが頼りだった。
その中でおれは、我慢できず口にしてしまう。
「好きです」
その唐突な言葉にマリア先生は驚きながらも、受け入れ、そして苦笑していた。
少し間を置き、口を開く。
「ありがとう。でも、すまないな。お前の気持ちには答えられない」
明確に、振られた。
どう考えても、マリア先生には釣り合わない。自分はただの大学生で、マリア先生は世界で評価される天才科学者だ。
わかっていた。
それでも、気持ちが抑えられなかったし、口にした事が悪いとは思わない。この告白に後悔はなかったと言えるだろう。
「そうですか、分かりました。
ありがとうございます」
「ふん、お前が感謝する事はない。
逆だ。私こそ、お前に感謝しなければならない。こんなしょうもない私を好きになってくれて、ありがとう」
「何ですか、それ。しょうもなくなんて、ないですよ。
なんて言ったって、この結構女子人気のある俺が好きになった女性なんですから。誇ってくださいよ」
「ははっ、何で上からなんだよ」
そういって、いつもの2人に戻る。
なんて事のない日常を送っていた空気へと戻る。告白なんて、なかったかのように。
「…………………」
「…………………」
しかし、そんなこともなく、告白は確かにあった。それをした時点で、少なからず、関係性に変化があるのだ。
気を抜いた瞬間に、気まずい雰囲気が流れる。今までにはなかったものだ。
「すみません。
ちょっと、喉が渇いてきたので飲み物買ってきますね。
マリア先生も何か飲みますか?」
「ああ、そうだな~。コーラーを頼む」
「さすが、アメリカ人。分かりました。行ってきます」
そういって、ベンチから立ち上がった俺は呼び止められる。
「待った。これで買ってこい」
マリア先生から千円札を渡される。
「ああ、たまにはこうやって従業員を労ってもバチは当たらないだろ」
「それは、もう、たまにじゃなくて、もっとして下さい」
「うれせえ。さっさと買ってこい」
「は~い」
いつものじゃれ合いに安堵しながら、俺はマリア先生に背を向けて少し遠くの自販機に向かった。今は、マリア先生の近くにいたくはなかった。
#####
去り行くユウゴの背中を眺めながら、大きなため息をつく。
「はぁ~~~何やっているんだよ、私は」
―――好きです。
数分前のユウゴの言葉と顔を思い返す。
あんなにも真剣な表情と言葉で、愛を伝えられたことはなかったため驚いた。次いで、とんでもないほどに嬉しかった。それが自分も好きな相手となれば、なおさらだろう。
「一度くらいなら、身体を重ねても良かったのかもしれない」
今更になって、後悔する。
が、すぐにそれもひっくり返す。
それは駄目だ。
一度やってしまえばーー
「戻れなくなる。私の覚悟が揺らぐ」
だから、これで正解だったのだ。
例え、私もユウゴの事が好きであったとしても、これで正しかったのだ。
「………………」
水平線を眺める。
もはや完全に太陽は沈み、闇が空に広がっていた。月も本格的に顔を出し始める。
今日の月は、泣きたくなるほどに美しい青い満月だった。
「……………」
泣きたくなるというか、泣いていた。
無表情に流れた涙は頬を伝い、唇のそばを通って、アスファルトに落ちる。そうして、数滴の涙がアスファルトを濡らす。
それは今後の私の未来を思っての事か、それとも両想いでありながらユウゴへの恋が叶わなかったことへの涙なのか、はたまた本当に満月が美しすぎて泣いてしまったのか、それは分からない。
今になっても、自分の心が分からなかった。
「本当に遅すぎるな」
自嘲した笑みを浮かべる。
それで少しは涙が収まった。マインドセットは完了した。
私はポケットからスマホを取り出すと、チャットアプリを開き、星野優胡と書かれた欄を
タップする。
そこにはユウゴとの会話履歴が記されていた。
たった1ヶ月前に交換した連絡先だというのに、多くの会話が為されていた。そこに、この私の最後の夏がある気がした。
私は慣れた様子で、文字を打ち込んでいく。
ものの数秒で打ち終えると、送信しようとした所で、一度指が止まる。
これをすれば、本当に後戻り出来なくなる。
そんな躊躇いが自身の心の湖に投げかけられるが、一切の波紋は生まれない。
押した。
「ーーー」
そのまま、ユウゴの欄をブロックすると、ポケットにスマホをしまい、ベンチから立ち上がる。
「じゃあな、ありがとう」
誰もいいベンチに、それだけ言って、私はユウゴが帰ってくる前に、立ち去った。
#####
「はぁ、何やってるんだよ」
おれは到着した自販機に寄りかかりながらため息をつく。
乾き切ったアスファルトに数滴の涙が落ちる。
「切り替えろ切り替えろ」
呟いて、自分に言い聞かせる。
もう、この恋心はさっぱりと切り捨てて、いつもの関係に戻らなくてはいけない。
マリア先生の仕事を手伝う上で、未練は邪魔にしかならないのだから。
やってしまったものは、しょうがないのだから、切り替えるしかないのだ。
1、2分ほど深呼吸しながら、意識を切り替える。
「よし」
口に出して、当初の目的を思い出す。
俺は千円札を自販機に入れて、コーラーと缶コーヒーを押す。
すぐに、ガタンガタンとドリンクが出てくる。俺はそれを取り出すと、抱えてベンチに戻る。
海沿いの夜道は夏であるというのに、心地よかった。
少しべたついているが、海から来る風は涼しかった。ダラダラと垂れる汗が冷やされ、寒くすらある。
夜空を見上げれば完璧なまでの青い月が浮かんでいた。
それは紛れもなく美しいはずなのに、どこか不安になる。なんだか、居心地が悪かった。
誘惑魅惑の美しさ。
破滅を招く美であるように感じた。
「………………はっ、感傷的になりすぎだろ」
考えすぎだと自嘲する。
告白して振られたからと言って、感傷に浸りすぎていた。
何の力もない。ただの月だ。人をどうこうするなんて出来ないのだ。だって、空に浮かんだ天体でしかないのだから。
自分を罵倒しながら、元来た道を歩いてベンチに到着する。
「あれ?」
そこには、誰もいなかった。
蒼い月を反射する海面を眺めるベンチがあるのみだった。
「おかしい」
先ほどまで、マリア先生と並んで座っていたのに。
なぜ、いないのか。
もしかして、先に帰ったのか?
「いや、でも、流石にそんなことする?」
一緒に遊びに来ていた人を置いて帰るなんて、そんなに俺に告られるのは嫌だったのだろうか。
だったら、めちゃくちゃヘコむ。
「あっれ~~マジで、どこ行ったんだろ?」
その場で何回転もしながら周囲に目を遣る。マジでどこにもいない。
くるくると回っていると、思いつく。
「そうか、トイレか。トイレ行っているのか。
なるほど、なるほど、それならいないことにも納得だ」
何か違和感を抱えながらも、1つ安堵してベンチに座る。
適当に時間を潰すために、ネットサーフィンでもしていようと、ポケットからスマホを取り出して気付く。
マリア先生から連絡が来ていた。
ホーム画面に通知が出ていたのだ。
俺はそれをタップして、連絡内容を知る。
そして、思考が停止した。
『この夏、私の事を支えてくれて、ありがとう。おかげで、楽しかった。
お前の仕事はここまでだ。明日からは大学生に戻るんだ。
お前のこれからの成功を祈っている。
それじゃあな、またどこかで機会があったら会おう』
と書かれていた。




