シンポジウム
俺とマリア先生は、一度旅館に戻ってから、会場に向かった。
シンポジウムの会場は、平安神宮のそばにある京都会館であった。
確かに、道が狭くて入り組んでいる京都の街並みにおいて、ここであれば、多くの人を集めることが出来るだろう。
京都の和を最大限に感じられながらも実用できる。このバランスによって、京都会館が選ばれたのかもしれない。
会場へとつながる石畳を歩いてくると、遠目から人の群れを発見する。
「あれだな」
横を歩くマリア先生が呟いた。
チラリと横を見ると、マリア先生は汗だくであった。勿論、俺もだ。
京都の夏は、本当に厳しい。湿気と日照り無限に暑くなる。久しく忘れていた感覚だった。
「…………」
それにしてもエロかった。
隣を歩くマリア先生の胸が凄いことになっていた。なんの飾り気もない単純な白Tとデニムが恵まれた人と汗だけで、こんなにも違う。汗が染みこむことで、白Tがアリア先生の肌に引っ付く。それにより、マリア先生の形の美しい胸とそれに付随して、スラっと余分な肉のないウエストが眩しかった。
それだけでなく、火照った皮膚に、目元や頬を通り、顎から滴り落ちる様は、エロティックであった。
「―――」
俺は急いで、視線を外す。
これ以上は、見ていられなかった。
そんなこんなで、京都会館の前までくる。
「それじゃあ、近くのカフェで待っていますね」
ちょうど、京都会館の隣にカフェがあったので、そこでお茶でもシバいて、時間でも潰そう。
「分かった。終わったら、連絡する」
マリア先生と別れる。
「はい、頑張ってください」
去り際に、激励をする。マリア先生は、それを受けて、片手をあげて応えた。
マリア先生と別れた後、俺はそのまま、マリア先生に言った通り、カフェに向かった。
世界で展開されている有名なチェーン店。
特に考えもせずに、いつも注文しているアイスコーヒーを頼んだ。
お金を払い、待っていると、思いもよらない人物に声を掛けられる。
「あれ?星野君じゃないか?」
「えっ」
そこにいたのは、藤原源一郎先生であった。
俺のゼミの教授であり、俺とマリア先生を引き合わせた人物である。
「こんにちは」
「こんにちは」
俺は恐縮しながら、挨拶する。源一郎先生もそれを受けて、挨拶を返す。
「どうして、星野君がここにいるんだい?」
最もな質問であった。素直に答える。
「マリア先生の付き添いで来ました」
「おぉ、どうだい?しっかりと働けているかい?」
「はい。マリア先生がどう思っているかは分かりませんが、自分なりに、しっかりと働けていると思います」
「良かった。そう言ってくれると、仕事を紹介した甲斐があったものだよ」
源一郎先生は、嬉しそうに笑顔を浮かべる。教え子が、熱心に働いているのが嬉しいのだろう。子供や教え子のいない俺だが、それくらいは何となく分かる気がする。
「そうだ。星野君も会場を見ていったらどうだろうか?」
気分を良くしたのか、藤原先生は思い切った提案をしてくる。
「多分、僕が言えば融通してくれると思うんだ」
前から思っていたが、源一郎先生は何者なんだ。
世界で新たな研究を嘱望されているマリア先生との繋がりであったりと、普通の大学教授のようには、思えなかった。
「さすがに大丈夫です。マリア先生の邪魔をするのも悪いですし」
折角の誘いであったが、丁重にお断りする事にした。
あくまでも、このイベントはマリア先生が主役であり、俺が出る幕はないのだ。
「いやいや、君も行こう。こんな機会は滅多にないぞ。きっと楽しく、勉強になるはずだ」
「えっ、いや、ちょっと、待って、俺のコーヒー」
「ほらほら、行くぞ。行くぞ」
そういって、俺の言葉なんか無視して、強引に背中を押していくのだった。
忘れていた。源一郎先生は、結構人の話を聞かないのだった。
俺は源一郎先生に押されながら、会場に入る。
2階まで吹き抜けになった大きな空間があった。
いつも通っている御舟研究所とは違う親しみ深いような印象を受けた。
開場に入ると多くの人間が俺たちに気付く。
「おい、藤原先生だ」「ほんとだ」「藤原さんや」「今のうちに挨拶しに行くぞ」「俺たちを覚えてもらうんだ」「すごい」「本物だ」
白衣やスーツを着た大人が遠巻きに噂する。隣にいる若造としては、非常に気まずかった。
と、大人の群れをかき分けて、一人の女性が姿を現す。
何を隠そう、マリア先生だった。
「こんにちは、藤原先生」
マリア先生は、淀みのない足取りで、俺と源一郎先生のところまでくると、頭を下げる。
「こんにちは」
ニコニコとした笑みで、挨拶をしてくれる。
「こんにちは」
挨拶する。
源一郎先生は、こういった小さな言葉を大切にする方だった。
「こうして、顔をつきあわせるのは、久しぶりだね、マリア君」
「はい、お久しぶりです。藤原先生も、お元気そうで何よりです」
「そうさ、これでも僕は、まだまだやれるんだ。
若い人たちと接していると力を分けてもらえるからね。そうだろう?星野君」
そういって、俺に話を振ってくれる。
「はははっ、良く言えばそうかもしれません」
「いやいや、私は確かにそう思っているよ。
それより、マリア君、どうだい星野君の働きは?」
「良く働いてくれていますよ。ほとんど、任せてしまっている。気も利くし、これからもお願いしたい気持ちだ」
マリア先生は告げる。
自分の働きが認められる。
忌憚のない意見を述べてくれていたと思う。
マリア先生の真意は、分からない。もしかしたら、俺の顔を立ててくれていたのかもしれない。それでも、今はただ、嬉しかった。
「そうか、そうか。僕も星野君を選んでよかったよ」
源一郎先生は、笑顔で頷き、そう言ってくれた。
一人、顔を赤くしながら、聞いていた俺は、嬉しさで死にそうだった。
「お二人とも、ありがとうございます」
二人の凄腕科学者に褒められて、恐縮する。
「それで?どうしてお前がここにいるんだ?」
しかし、すぐに豹変する。
若干、怒りの感情を滲ませていた。
「いやーあはは」
適当に笑って、場をやり過ごそうとしたが、逃がしてはくれなかった。
「笑って誤魔化すな」
「星野くんには、私がお願いして、同行してもらったのだよ」
源一郎先生が助け舟を出してくれる。
というか、そもそも源一郎先生が俺を無理矢理連れてきたのだ。だから、当たり前なのだ。
「藤原先生がですか?どうして?」
「星野君にも是非参加してもらい、意見を求めようと思うんだ。
こう見えても、星野君は僕のゼミの中でも優秀なんだよ」
いつもの好々爺然とした笑みを浮かべているが、しかし本心は伺い知れなかった。
「はぁ、そうですか。ま、藤原先生がそうおっしゃるなら、そうなのでしょう。
ユウゴ、くれぐれも邪魔だけはするなよ」
しっかりと、釘を刺される。
マリア先生は、俺を子供かなんかと勘違いしているのだろうか。
「さすがに、分かってますよ。
それに、こんな凄そうな方が多くいる中で、出しゃばるような勇気はありません」
「いや、ほとんどは大したことないから、気にするな」
「そうですよ。科学者といっても、同じ人間で何も凄くはありません」
「二人して何言ってるんですか」
チラリと周囲に目を遣れば、俺たちの話を盗み聞きしていた人たちが悔しそうな顔や苦笑を浮かべていた。
大変、気まずかった。
「さ、そんなことよりも、そろそろ始まりそうです。席につきましょう」
雰囲気が悪くなっていた所で、源一郎先生が移動を促す。
正直、助かった。俺のせいではないのだが。
「はい、わかりました。
おい、ユウゴ、余計なことだけはするなよ」
「分かってますよ。任せてください」
「どんなことがあってもだぞ」
「やけに念を押しますね。
何かあるんですか?」
「いや、お前の愛しのマリアさんが活躍するところを黙ってみとけ」
いつも通りの勝気な笑顔を浮かべながら去っていった。
源一郎先生は、それを見て、うんうんと頷いていた。
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「こんにちは。
株式会社御舟工業の御舟研究所で働く、御舟マリアです。
現在、私が行っている研究に力を貸していただけたら幸いです。
よろしくお願いします」
そういって、マリア先生はお辞儀をした。
いつもの自信満々な姿からは想像もつ堅かった。
「さて、いま私がしている研究は認知症・アルツハイマー病治療です。
ここにいるお歴々には、説明はいらないかと思い、省かせていただきます」
俺は、映画館にある様なシートに座りながら、壇上に立つマリア先生を眺める。
その姿は、やはり普段とは異なっていた。
いつもの余裕綽々で勝気、自信満々な姿とは違い、固くなっていた。緊張しているのだ。無意識に、マイクを持つ手も震えている。
「人間の脳細胞は死ねば、復元する事はありません。
だからこそ、これらの病は、危険であり治療する事が難しい。
残念ながら、現代の医療では進行を止める方法はありません。辛うじて、送らせる方法はありますがね。今のところ、外科手術ではリスクが高く、薬物治療では効果が薄い」
周囲の同じように、マリア先生を見上げる科学者たちに視線を遣る。
そりゃそうだ。緊張してもおかしくはないだろう。
ここにいるのは、ベテランの男科学者。対してマリア先生は、まだまだ若い女性の科学者。
いくら男女平等の世の中になってきたとはいえ、学術の世界は、まだまだ男性優位なのだろう。プレッシャーは凄まじいなのではないだろうか
「そこで、私は根本治療は断念し、器具を使った治療を考案しました」
そういって、マリア先生は背後の壁に、プロジェクションマッピングを投影する。
そこには、以前から話を聞いていた完全思考補完型チップが記されていた。
「完全思考補完型チップ略してCOREです。
このチップを頭蓋骨の裏側に埋め込むことで、それまでと同じように生活する事が出来るのです」
何度も同じ資料に目を通したのだろう。以前とマリア先生が俺にしてくれた説明と全く同じような台詞であった。
その後、マリア先生は簡単なチップのカラクリを説明した後、質疑応答へと移った。
「以上で、発表を終わり、質疑応答に移ります。
何か意見がある人は挙手をお願いします」
「はい」
「そこの方、どうぞ」
「こんにちは。山野大学教授の大井です。
非常に斬新で興味深い話をありがとうございました。
新たなアプローチを提示していただき、参考になりました。
私の質問といたしましては、実現可能なのでしょうか?
人間の脳の細胞一つ一つをマッピングし、僅かな行動に合わせてチップから電気信号を発信する事で、死滅した脳細胞の代わりを果たす。
それを行うには、途轍もないデータ容量が必要になってくるはずです。
それは可能なのでしょうか?」
大井さんの疑問は、最もであった。
どう考えても、そんなのは実現不可能だ。
人間の脳みその複雑な動きを小さなチップ一つで、まかなえるわけがない。
「いえ、それに関しては、依然として目途は経っていません。
しかし、1つだけ考えはあります。
実際に生きている人間の脳細胞をマッピングし、それを流用する事でイチから作る手間を省くことが出来ますし、予期せずトラブルも発生し辛いと考えています」
それにしても、大井さんの顔は、何というか怖かった。
まぁ、別に悪い人ではないのだろうけども、かなり顔が厳つかった。
「ならば、なぜ実施しないのですか?
確かに、倫理的に問題点があるとは思いますが、それでも病が病です。厳正な審査と安全性を担保すれば、可能なのではないでしょうか?」
「1点だけ、懸念事項があるのです。
それは、元の脳を持つ人間の情動が残り、チップを埋め込まれる人間に影響を与えてしまうのです。また、死後数時間の人間であれば、情動を排してマッピング可能ですが、そのように提供して下される脳みそは、現代の環境で考えれば、老人か子供である可能性が高く、脳みそのスペックが足りないか減退していることが多いです。
望ましいのは、成人レベルの脳機能であり、それらの脳みそを提供可能な場合が少ないのです」
「むぅ………。分かりました。回答ありがとうございます」
どうしようもない事情に大井さんは唸り、席に着いた。
その後も、質疑応答は続く。
しかし、内容よりもマリア先生の様子がやけに、気にかかった。
緊張という一言では表せない、何だか尋常ではない汗のかきかたと震えがあった。
俺はただただ、心配する事しか出来なかった。




