第8章
GC320.7.15
艦長室の照明は落ち着いた明るさのままだった。
だがレオンの前に表示された端末の画面だけが、淡く光っている。
破損艦の報告書はすでに送信済みだ。
内容は極めて簡潔だった。
確認された軍艦は ヴィジラント級 ES721B。
艦体は大破。
航行記録装置は破損し回収不能。
事故原因は不明。
乗員の生存者なし。艦内に遺体も確認されず。
推測は一切書いていない。
事実だけだ。
ただし、マナドライブ製造設備については触れていない。
数分後、端末の通信表示が点灯した。
回線を開くと、すぐに低い声が聞こえる。
「ヴァルグレンだ」
やはり映像はない。
長官はおそらくまだ会議室のどこかにいるのだろう。背後には人の気配や紙の動く音がわずかに混じっていた。
レオンは姿勢を少し正した。
「報告書は確認いただけましたか」
「読んだ」
ヴァルグレンの返答は短い。
少し間があってから続く。
「OEDでは現在、追加の調査団派遣を検討している」
レオンは黙って聞いた。
「今回の事故原因が不明である以上」
長官の声は落ち着いている。
「大規模艦隊の投入はリスクが高い」
それは当然の判断だ。
もし同じ事故が再び起きれば、被害は取り返しがつかない。
ヴァルグレンは続ける。
「そのため」
わずかに声の調子が変わる。
「調査隊を小規模に分割し、分散派遣する計画を立案している」
レオンは軽く頷いた。
リスク分散としては一応筋が通っている。
相当の損失は織り込み済みなのだろう。
通信は続く。
「準備には時間が必要だ」
短い間。
「それまでの間、ステラ・ヴィアは現宙域で待機せよ」
レオンは一度息を吐いた。
想定通りの命令だった。
しかし彼はすぐに言った。
「意見を述べてもよろしいですか」
数秒の沈黙。
そしてヴァルグレンの声。
「聞こう」
レオンは端末の航行図を見ながら話し始める。
落ち着いた声だった。
「今回の事例を見る限り、本星からこの宙域への直接ワープは危険です。」
少し間を置く。
「時間はかかるかもしれませんが、少しずつフェイズアンカーを設置していくのが妥当かと考えます」
今回の事故は、以前として原因不明だ。
しかしワープそのものに何か異常がある可能性が高い。
通信の向こうで、ヴァルグレンは黙って聞いている。
レオンは続ける。
「そして」
少し声を落とした。
「我々も、そう長くは滞在できません」
短い沈黙。
「理由を聞こう」
ヴァルグレンが静かに尋ねる。
レオンは答える。
「士気の問題です」
この言葉は、軍では軽く扱えない。
「今回の事故は、クルー全員が知っています」
少し間を置く。
「ここのフェイズアンカーを利用した直接ワープが危険だという事は皆が知るところです。仮に帰還するにしても、ランダムワープを使用するしかなくなります。そして安全なフェイズアンカーに辿り着くには相応の時間がかかると思われます」
これは現実的な問題だった。
「長期間ここに止め置かれることを、捨て石にされたと受け取る者が出るかもしれません」
艦長室の空気が、わずかに重くなる。
通信の向こうでヴァルグレンが静かに言った。
「君はそう考えるのかね」
「私はそうは考えません。今申し上げたのは、極限状態における一般的な人間の心理の話です。」
ランダムワープは安全だが効率が悪い。
航路を何度も再計算する必要がある。帰還まで数ヶ月から数年かかる可能性もある。
通信の向こうはしばらく沈黙した。
レオンは淡々と続けた。
「もちろん、現時点でそのような動きはありません」
これは事実だった。
「ですが」
わずかに声を落とす。
「時間が経てば、話は変わる可能性があります」
通信の向こうは静かだ。
レオンは言った。
「艦長としては、その芽を作らない環境を維持するのも任務だと考えています」
数秒の沈黙。
そのあと、ヴァルグレンの低い声が戻ってきた。
わずかに含み笑いのようなものが混じっていた。
「なるほど」
短い言葉。
「君は正直な男だな、レオン」
ヴァルグレンは続ける。
「しかしこれは決まった事だ。そこにフェイズアンカーがある以上、君達を動かす訳にはいかない。」
現時点で人類のおおよその勢力圏は太陽系を中心とした約200光年弱である。無数のフェイズアンカーが設置され、航路が整備されている。
現在地HD-4721から航路を構築すれば通常より比較にならない程早く航路が構築されるだろう。
しかしそれでも数年はかかるだろう。
「これは大当たりどころか、とんだ貧乏くじを引いたかもな」
レオンは心の中で呟く。
「君達は軍人だ。理性ある判断を期待している」
ヴァルグレンは最後に締めた。
人間の良識という何の担保にもならないものを利用した都合の良い言葉である。しかしレオンは表情には出さずに返した。
「善処します」
世の中には、物理法則よりも厄介なものがある。
それは人間の心だ。
真空よりも扱いが難しい。
GC320.7.20
ステラ・ヴィアのラウンジは、張り詰めた空気はない。
人工窓の外には、ゆっくりと回転する小惑星と、遠くに淡く光る恒星が見えていた。
任務の合間になると、乗員たちはここに集まる。
コーヒーを飲んだり、端末をいじったり、ただぼんやり宇宙を眺めたり。
アイリ、リナ、メイの三人も、丸いテーブルを囲んで座っていた。
沈黙を破ったのはリナだった。
ストローで飲み物をくるくるかき回しながら、ため息まじりに言う。
「また待機みたいだよ」
その声には、わかりやすく疲れが混じっている。
アイリが顔を上げた。
「えー」
軽く眉を上げる。
「帰りはランダムワープでしょ?」
とにかく時間がかかる。
アイリは続けた。
「相当時間かかるんじゃない?」
リナはテーブルに頬杖をついた。
「私、おばさんになっちゃうよ」
半分冗談だが、半分本気の声だった。
メイはカップを持ったまま笑う。
「このままここで暮らしちゃえばいいじゃん」
さらっと言う。
「生活するには不便ないよ?」
実際、ステラ・ヴィアは長期航行用の船だ。
食料生成、空気循環、医療設備。かなりの長期間生活できるよう作られている。
ましてや必要な資源は豊富ときている。
「いざとなったらアニマに降りちゃえばいいじゃん」
その言葉に、アイリがすぐ反応する。
「アニマはダメよ」
きっぱり言った。
「独自の生態系が壊れちゃう」
アニマはまだ人類が触れていない惑星だ。
微生物ひとつ持ち込むだけでも、環境は簡単に崩れる。
宇宙開発の歴史は、その失敗の記録でもある。
生態系はガラス細工みたいに繊細だ。人間はいつも乱暴な客だ。
メイは肩をすくめた。
「冗談だって」
カップを一口飲む。
「でもさ、ここって案外悪くないじゃん」
窓の外には黒い宇宙。
小惑星。
遠くの星。
火星から1500光年も離れた場所。
メイは楽しそうに言った。
「遠く離れた宇宙のど真ん中とか、ちょっとロマンじゃない?誰にも縛られないなんてサイコー」
リナは少し笑ったが、すぐに首を振った。
「私は帰りたいな」
その言葉は小さかったが、やけに現実的だった。
宇宙船で働く人間は、だいたい二種類いる。
宇宙が好きで出てくる人間と、
それでも最後には帰る場所を考えている人間だ。
GC320.7.21
艦橋の空気は、いつもの静かな緊張に戻っていた。
モニターには例の巨大構造物――マナドライブ製造設備が映る。
宇宙空間で巨大な工業設備を見ると、いつも妙な感覚になる。
人間は惑星の表面で工場を作る生き物だ。ところが技術が進むと、ついには宇宙に工場を浮かべ始める。理屈は簡単で、重力がない方が製造に都合がいい工程がある。だが光景はどうにも非日常だ。巨大な工具箱が宇宙に忘れられているように見える。
レオンは艦橋中央のコンソールの前に立っていた。
その前に、四人が並ぶ。
セレナ、シグ、ルカ、オスカー。
レオンは腕を軽く組み、窓の外の構造物を一瞥してから口を開いた。
「マナドライブ製造設備についてだ」
少し間を置く。
「現時点で、どう扱うかは未定だ」
4人は黙って聞いている。
当然だ。
あれは国家機密級の設備だ。勝手に触っていい代物ではない。
かといって、宇宙に放置するわけにもいかない。
レオンは続けた。
「だが、状態の確認は必要だ」
淡々とした声だった。
「損傷の有無」
「稼働状態」
「安全性」
指を一本ずつ折るように言う。
「最低限、その三つは確認しておきたい」
シグが少し頷く。
航法士の目から見ても、あの構造物は未知数だ。何か異常があれば、フェイズアンカーにも影響する可能性がある。
レオンはオスカーの方を見た。
「技術的な部分は、お前が頼りだ」
オスカーは鼻で笑った。
「期待するなって言っただろ」
肩を軽く回す。
「俺は途中で逃げた落第生だ」
しかしその目は、すでに外の設備を観察している。
好奇心は隠せないらしい。
セレナが腕を組む。
「外部調査だけ?」
レオンは首を振った。
「状況次第だが、問題無ければ管制エリアにも入ってもらいたい。」
「今は動いていないが、あのまま放置しておくと宇宙放射線の影響が避けられない。できればマナドライブを起動させてマナフィールドを展開させたい」
そして少し声を低くした。
「ただし」
全員を見る。
「マナリンクは繋げるな」
マナリンクを繋げるとここにマナ製造設備があることが分かってしまう。そしてマナドライブはプラント級の高度なものだ。本来なら専門技術者や魔術師が数十人規模で稼働させる代物である。
しかしアイドリングくらいであればそれ程の人数はいらないだろう。
魔術師としての能力が高いセレナとそこそこの知識を持つオスカーが頼みだ。
「なかなか面白い事を考えるじゃないか。そういう企みは嫌いじゃない」
オスカーがニヤリと笑う。
レオンは最後に言った。
「無茶はするなよ」
モニターを示す。
巨大な製造施設が、静かに漂っている。
「宇宙に落ちてる国家機密の塊だ」
少し苦笑する。
「拾った側としては、状態くらい知っておく必要があるからな」
彼らの目の前にあるのは、丸ごと一つの工場だった。
しかも人類の技術の中でも、かなり重要な種類の工場だ。
探査艇はステラ・ヴィアの格納庫を静かに離れた。
ハッチが閉まり、機体がゆっくりと姿勢を変える。小さな推進バーストが数回、黒い宇宙に白い光を散らした。
前方の視界に、あの巨大構造物が広がる。
マナドライブ製造設備。
宇宙空間に浮かぶ工業都市のような姿だ。
巨大なリング状フレーム。
無数の配管。
格子状の外骨格。
ところどころに大型の圧力区画があり、外側にはマナ導管らしき太いラインが走っている。普通の船なら推進器がある位置に、代わりに巨大な変換炉らしいブロックが見えた。
探査艇の操縦席でシグが姿勢を少し前に倒す。
この艇の指揮は彼だ。
航法士というのは、宇宙空間の距離感に妙に敏感な生き物だ。
巨大な物体に近づくと、自然と声も落ち着く。
しばらく誰も喋らなかった。
推進器の低い振動だけが、機体の中に響いている。
やがて後ろの席でオスカーが言った。
「艦長は、あれをどうするつもりなんだろうな?」
前方スクリーンいっぱいに広がる施設を見ながらの言葉だ。
シグはすぐには答えなかった。
少しだけ操縦スティックを動かし、艇の姿勢を微調整する。
そのまま言う。
「俺たちには手に余るものだ」
これは事実だ。
あの設備は、普通の探査艦が扱う代物ではない。
シグは続けた。
「だがまあ」
軽く息を吐く。
「とりあえず本星と交渉するための保険と考えてるんだろう」
巨大な国家機密が、偶然この宙域に転がり込んだ。
宇宙政治というゲームで言えば、それはかなり強いカードだ。
セレナが前を見たまま言った。
「私、プラントのマナなんて動かしたことないけど」
少しだけ眉をひそめる。
「大丈夫かしら?」
魔術師としての能力は高い。
だが、工業設備の操作はやった事がない。
不安を覚えるのは当然の事だ。
オスカーが笑う。
「大丈夫だ」
あっさりした口調だった。
「魔術師の能力は問われるが、操作はそんな難しい事じゃない。リムの操作の方がよっぽど難しいさ」
少し肩をすくめる。
「俺には無理だがな」
操縦席のシグがちらっと後ろを見る。
オスカーは続けた。
「副艦長なら一人でもなんとかなるだろう」
それは本気で言っている。
「それならいいけど」
セレナは呟くが、どことなく不安そうである。
マナドライブ製造設備というのは、巨大工場みたいなものだ。
複雑なのは機械の方で、ほぼ自動化されており、人間がやる操作は意外と限られている。
ただし――
オスカーはスクリーンの施設を眺めながら、少し声を低くした。
「ただし」
短い間。
「セキュリティが心配だな」
シグが眉を上げる。
「どういう意味だ?」
オスカーは顎で前方を示す。
「国家機密の塊だぞ、あれ」
そして静かに言った。
「特定の人間だけが管理するセキュリティロックがかけられている可能性もある」
工場というのは、文明の核心だ。
特にマナドライブは、人類の宇宙進出を大きく後押しした装置だ。
つまりあの施設は、
単なる工業設備ではない。
文明の心臓の一部みたいなものだった。
探査艇はさらに距離を詰める。
巨大な構造物の影が、ゆっくりと機体を覆い始めていた。
探査艇は巨大な製造設備の外壁に沿ってゆっくり移動していた。
近づくほど、その構造のスケールが実感として迫ってくる。遠くから見たときは一つの塊に見えたが、実際には無数のモジュールが組み合わされた複雑な構造体だ。配管、支柱、補助フレーム。宇宙工業の典型的な骨格。重力を前提にしない建築は、地上の工場よりもむしろ骨っぽい。骨組みだけで成立する建物というのは、どこか生物の標本に似ている。
やがて探査艇の前方に、長い突き出した構造が現れた。
接舷用の桟橋だ。
船や作業艇がドッキングするための簡易施設で、手すりの付いた通路と小さなエアロックが見える。どうやらこの設備は、点検用の人員が出入りする前提で作られているらしい。
「接舷する」
操縦席のシグが静かに言った。
スラスターが短く噴射される。
機体が横滑りしながら位置を合わせ、金属同士が軽く触れる音が船体に響いた。
「接続確認」
シグはコンソールを操作する。
「与圧ライン問題なし。固定完了」
探査艇の内部に小さな振動が伝わり、それが止まった。
前方スクリーンに桟橋の通路が映る。
照明は落ちているが、完全な闇ではない。非常灯のような薄い光が、細い影を床に落としていた。
シグはセンサー画面を確認する。
「とりあえず生体反応はない。与圧もされてないようだな」
少し間を置く。
「中は恐らく無人だろう」
セレナが与圧服を装着しながら頷く。
その横でルカとオスカーも装備のチェックをしている。
シグはさらに端末を操作した。
「作業用入口のロックを確認する」
エアロックの状態表示が出る。
数秒の沈黙。
シグが少し眉をひそめた。
「……開いてる」
探査艇の中で、三人が顔を見合わせた。
オスカーが先に口を開く。
「なんだか拍子抜けするな」
軽く笑う。
「セキュリティはどうなってるんだ?」
国家機密級の設備の入口が開いている。
普通に考えればあり得ない話だ。
ルカは肩をすくめた。
「とりあえず結果オーライです」
慎重な性格だが、現実的でもある。
「余計な手間がかからなくて良かったと考えましょう」
宇宙の現場では、計画通りにいく方が珍しい。
ロックを破るとか、制御をハックするとか、そういう面倒がないなら歓迎すべき状況だ。
セレナは一度、通路の奥を見た。
静かな空間。
照明はない。
巨大設備の内部へ続く暗い入口。
宇宙の工場というのは、稼働していないと妙に静かだ。
地球の工場なら必ず何かが唸っている。モーター、ポンプ、空調。だが宇宙では、電源が落ちると音が消える。完全な沈黙が残る。
セレナは言った。
「そうね」
そして軽く頷く。
「とりあえず中に入りましょう」
三人はエアロックへ向かった。
ハッチが開くと、金属の通路が奥へと続いている。
巨大なマナドライブ製造設備の内部へ。
人間の文明の心臓部に、そっと踏み込むような感覚だった。
エアロックを抜けると、三人はゆっくりと内部通路へ足を踏み入れた。
足音が、乾いた金属音になって響く。
宇宙施設特有の、やや軽い反響だ。重力は弱く設定されているらしく、歩くと体がほんの少し浮く感覚がある。
照明は完全に落ちているわけではなかった。
天井のラインライトが低出力で点灯している。保守用の待機モードだろう。
セレナは思わず周囲を見回した。
「……」
言葉が出ない。
予想と違いすぎた。
ヴィジラント級の艦内は、まるで巨人に握り潰されたような惨状だった。
通路は歪み、壁は裂け、構造材がむき出しになっていた。
だが、ここは違う。
驚くほど――普通だった。
壁は真っ直ぐ。
床も歪んでいない。
配管やケーブルも綺麗に固定されている。
巨大施設とはいえ、内部は整然とした工場そのものだった。
セレナが小さく呟く。
「……無傷ね」
オスカーも周囲を見回していたが、やがて鼻で笑った。
「これは」
通路の壁に手を触れる。
「稼働中の設備をそのまま持ってきた感じだな」
手袋越しに表面を軽く叩く。
「見ろよ」
壁の端にある整備パネルを指さした。
「ところどころ使用感がある」
擦り傷。
塗装の摩耗。
工具が当たった跡。
新品の施設ではない。
長く使われた工場特有の、小さな疲労があちこちに残っている。
オスカーは少し感心したように言う。
「完全な新造じゃない」
「どこかで稼働してたプラントを、丸ごと持ってきたんだろう」
それは大胆なやり方だ。
普通は現地で建設する。
だが宇宙工業には、もう一つの発想がある。
工場ごと移動させるという方法だ。
ルカが頷いた。
「新しく設備を建設するには時間がかかりますから」
冷静に周囲を観察している。
「かなり無理して調整したのではないでしょうか」
彼は壁の配管に視線を向ける。
「搬送用の固定フレームの跡があります」
輸送時の補強だ。
「おそらくワープ輸送用に、急造で構造強化を入れていますね」
普通の設備は、ワープ航行を想定していない。
巨大施設を高次元空間に放り込むのは、無茶な作業だ。
セレナは通路の奥を見つめた。
静かな工場。
整然とした設備。
そして誰もいない。
ヴィジラント級は壊滅。
しかしこの施設はほぼ無傷。
それは奇妙な対比だった。
オスカーがぼそりと言う。
「しかし妙だな」
少し首を傾げる。
「普通なら」
通路の奥を顎で示す。
「管理AIか警備ドローンくらいは動いてるはずなんだが」
巨大プラントというのは、基本的に無人運転だ。
人間が常駐する必要はない。
その代わり、必ず何かが働いている。
整備や清掃、セキュリティを担当するロボットだ。
だが――
ここにはそれがない。
通路をしばらく進んだところで、セレナが手元の端末を確認した。
「艦内図……ないわね」
ステラ・ヴィアのデータベースには、このプラントの内部構造は登録されていなかった。
国家機密級の設備だ。詳細な設計図が外部艦に配布されているはずもない。
普通なら、この時点で迷宮探索になる。
だが数メートル進んだところで、ルカが壁を指差した。
「案内表示があります」
通路の分岐点の壁に、小さなパネルが埋め込まれていた。
電源は落ちていないらしい。淡い光が浮かび上がる。
簡潔な施設図。
矢印。
区画名。
オスカーが少し笑う。
「さすがプラントだな」
工場というのは人間が働く場所だ。
だから設計思想は驚くほど実務的になる。迷う構造は嫌われる。
オスカーはパネルを指でなぞる。
「防衛上はどうか知らんが、動線が複雑だと作業効率が悪いからな」
ルカが表示を読み取る。
「中央管制エリアは……この方向ですね」
長い通路が奥へ続いている。
セレナは頷いた。
「まずそこね」
自動化された巨大プラントの運用はシンプルだ。
巨大な外観とは裏腹に驚くほど小さい管制室でほとんどの管理を行っている。
プラントの状態、マナの流量、製造ライン。すべてがそこに集まる。
三人は案内図に従って歩き始めた。
足音が静かに響く。
通路の照明は最低出力のままだ。
天井の細いラインライトが、ぼんやりと床を照らしている。
完全な暗闇ではない。
だが明るいとも言えない。
この微妙な光量が、かえって施設の巨大さを強調していた。
壁を走る太い導管。
床下へ伸びる補助配線。
ときおり見える巨大な隔壁。
工場というのは、生命体に似ている。
セレナは歩きながら周囲を観察した。
完全停止ではない。
ラインライトが点いている。
環境制御も最低レベルで動いている。空気の循環音がわずかに聞こえる。
つまり――
このプラントは死んでいない。
仄暗いラインライトの照明だけが、
かろうじてこの巨大施設がまだ停止していないことを示していた。
その光の下を、三人はゆっくり進んでいく。
遠くの通路の奥に、
中央管制エリアの表示がぼんやり浮かび始めていた。
案内表示に従っていくつかの区画を抜けると、通路の先に少し広い空間が見えてきた。
中央管制エリア。
入口の上に、簡潔な表示パネルが浮かんでいる。
無機質な文字が、薄い光でそこにあることを主張していた。
三人は自然と足を止める。
目の前のハッチは、軍艦のものとは明らかに違っていた。
作業施設らしい、機能優先のシンプルな扉だ。
ルカが周囲を見回しながら言う。
「やはり軍艦とは設計思想が違いますね」
静かな観察口調だった。
「通路の配置も、防御より作業効率を優先しています」
確かにそうだった。
ここまで歩いてきた通路も、まるで巨大工場のメンテナンスフロアのような造りだ。
見通しが良く、直線が多い。軍艦のような防御的な曲がり角がほとんどない。
オスカーが軽く鼻で笑う。
「中で防衛戦なんて考えられてないからな」
壁に手を当てる。
「ここは工場だ」
「戦場じゃない」
軍艦の内部は迷路みたいになる。
敵が侵入したとき、奥へ進ませないためだ。だが工場は逆で、人間や機械が素早く移動できる構造になる。
セレナはハッチ横の制御パネルを確認していた。
「……ロックもされてないわ」
少し眉をひそめる。
「セキュリティどうなってるのかしら」
国家機密級の施設だ。
普通なら、管制室なんて要塞みたいに守られているはずだ。
オスカーが肩をすくめる。
「さっきも言ったろ」
端末パネルを覗き込みながら言う。
「稼働中の設備をそのまま持ってきた感じだ」
操作ログの履歴をざっと見る。
「おそらく、すぐ稼働させる予定だったんだろう」
少し指で画面を叩く。
「こういう設備ってな」
「セキュリティを完全に再設定するのが、結構面倒なんだ」
巨大プラントは、無数の作業員ID、管理権限、AIアクセス、監視システムが絡み合っている。
全部初期化するには、かなりの時間が必要だ。
オスカーは軽く笑った。
「たぶん早さと効率を優先したんだろ」
そしてハッチを見る。
「……目論見は外れてちまったけどな」
セレナはしばらく扉を見つめていた。
巨大プラントの心臓部。
中央管制室。
ここを開ければ、この施設がどこまで生きているか分かる。
セレナはゆっくり言った。
「入るわよ」
制御パネルに手を伸ばす。
扉は、驚くほど素直に反応した。
短い電子音が鳴る。
そしてハッチが静かに横へ滑った。
中には、広い管制室が広がっていた。




