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魔術師の原罪  作者: 卓麻呂


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第18章

フェイズアンカー外壁。


巨大な構造物が静かに恒星の光を反射している。


その一角に、二機のリムが取り付いていた。


レオンとシグは機体を固定し、コクピットから降りる。


磁力ブーツが外壁に吸着する感触を確認しながら、二人は作業用ハッチへ向かった。


本来なら緊急時のために複数のアクセス手段が用意されている。


艦長権限による生体認証もその一つだ。


レオンは端末を起動し、認証パネルへ手をかざした。


数秒。


沈黙。


そして無機質な表示が現れる。


《ACCESS DENIED》


レオンの眉が動いた。


「……ロックがかかっている」


再度認証を試みる。


結果は同じだった。


「俺の生体キー認証も無効になってる」


シグがすぐに端末を接続する。


データを確認した彼の表情が険しくなった。


「異常です」


「故障か?」


「まさか」


シグは即答した。


「認証システム自体が変更されているのかもしれません」


レオンは無言で画面を見る。


そこには本来存在しない管理権限が表示されていた。


シグが低く呟く。


「セキュリティプログラムを書き換えた……?」


そして一拍置く。


「まさか……」


フェイズアンカーのセキュリティプログラムは第一級の防御システムである。

そう簡単に破れるものではない。

仮に破られると量子キーの流出に繋がる可能性もある一大事である。


「地球統合政府?」


レオンは呟くがすぐに否定する。そんなはずはない。


「可能性は否定できません。最新技術の可能性も」


シグは吐き捨てるように言った。


レオンは通信機を起動する。


「艦橋」


すぐにマルコの声が返ってくる。


「こちらマルコ」


短い沈黙。

 

「何か変化は?」


レオンとシグが顔を見合わせる。


「特に何もありません」


マルコの声が報告する。


「フェイズアンカー内部に侵入者がいる可能性がある」


「セキュリティは内部から改変されたようだ」


「セキュリティが?まさか、そんな」


マルコが驚愕する。


レオンは頷いた。


彼は再びハッチへ目を向けた。


厚い隔壁。


改変された認証システム。


通常手順では突破に時間がかかる。


だが今は悠長にしていられない。


誰かが内部で動いている。


目的は分からない。


レオンは決断した。


「ハッチを破壊できないか?」


シグが即座に答える。


「難しいと思います」


「携行装備ではアンカーの装甲は破れません」


「何とかならないか?」


レオンの声は低く、迷いがなかった。


シグはしばらく考え込む。


その頃。


フェイズアンカー内部では。


ミレイが残り時間を示すカウントダウンを見つめていた。


《セキュリティ停止残り 8分07秒》


そしてセレナの声が通信越しに響く。


『干渉率三十二パーセント』


『誰かに気付かれたわ。すでにハッチに取り付いているみたい。でも中には入れないわ』


『脱出が厄介ね』


あと数分で、セキュリティ偽造は解除される。中に踏み込まれたら、ミレイは・・・


管制室のモニターに赤い警告画面が浮かび上がっていた。


《EMERGENCY CORE PURGE》


《PHASE ANCHOR SELF-DESTRUCT SEQUENCE》


《管理者権限確認済》


ミレイは画面を見つめていた。


指先が震えている。


通信の向こうでセレナが息を呑む気配がした。


「副艦長」


ミレイの声は妙に落ち着いていた。


「もしフェイズアンカーを停止できたとして、また再起動したら元に戻ったりしないですか?」


セレナはすぐには答えなかった。


『一度リンクが外されると全てリセットされるわ』


自分に言い聞かせるような声だった。


『ごめんなさい。細かいところまでは分からない。でも私の知る限りでは、そんなことはないはずよ』


ミレイは静かに聞いていた。


「可能性はあるんですね」


『……』


返事がない。


それが答えだった。


やがてセレナが苦しそうに言う。


『ごめんなさい』


『確証はないわ』


ミレイは目を閉じた。


そうだ。


セレナはマナ技師者ではない。そもそもフェイズアンカーを停止させるなんて聞いたことがない。


ミレイはモニターの片隅で別のウィンドウが点滅するのを見た。


緊急時専用コマンド。


最終手段。


フェイズアンカー中枢の完全破壊。


ミレイはその内容を読み終えた。


そして静かに呟く。


「だったら……」


通信の向こうでセレナが何かを察した。


『ミレイ?』


ミレイは自壊プログラムの起動画面を開く。


認証キー。


確認コード。


全て揃っている。


敵性勢力に奪取されそうになった際に使用されるものだ。フェイズアンカーを使用した外宇宙探査史上でも一度も実施されたことがないはずである。


万が一の保険。


『ミレイ』


セレナの声が強くなる。


『ダメよ』


初めてだった。


セレナが命令口調になったのは。


だがミレイは首を振った。


「停止だけじゃ足りないかもしれない」


『ダメ』


「再起動されたら全部終わりです」


『聞きなさい!』


ミレイは残り時間を確認する。

4分を切っている。


「時間がありません」


残り時間はほとんどない。


「副艦長」


ミレイは微笑んだ。


どこか吹っ切れたような笑顔だった。


「私はもう脱出できない」


セレナが息を止める。


ミレイ自身も理解していた。


ハッチの外にはミレイを追ってきた誰かがいる。追手が退去してから、なおかつ見つからずにフェイズアンカーを離れるのは不可能だろう。


間に合わない。


「だから」


『やめなさい』


「誰かが決めないと」


『ミレイ!』


通信の向こうでセレナの声が震えていた。


今まで聞いたことがないほど。


必死な声だった。


だがミレイは穏やかだった。


不思議なくらい。


怖くないわけではない。


死にたくない。


まだやりたいこともある。


それでも。


セレナは「アニマを救いたい」と言った。


私も同じ気持ちだ。


フェイズアンカーが無くなれば人類がアニマに到達する可能性は限りなく低くなる。


いつかは来る。


でもそれは私が考える事じゃない。


私はここまでだから・・・

 

「副艦長」


ミレイは最後に言った。


「私は私の信じた事をするだけです」


『……』


「私はこれが正しいと信じてます」


涙が一筋だけ頬を伝う。


「だからこれは私が決めます」


残り2分を切った。


もう時間がない。


通信の向こうでセレナが何かを叫んでいる。


だがミレイは聞かなかった。


聞いてしまえば迷うから。


彼女は震える指を認証パネルへ伸ばした。


そして――。


「アニマをお願いします。副艦長。あなたもあなたの信じた道を・・・」


ミレイはそう言うと通信を切った。


ミレイは震える手でパネルを操作する。


ミレイの指先が操作パネルの上を滑る。


《EMERGENCY CORE PURGE》


《自壊シーケンス設定》


無数の選択肢が表示される。


5分。


10分。


30分。


1時間。


どれも十分な避難時間を確保するためのものだ。


だがミレイは迷わなかった。


「1分」


入力と同時に警告画面が切り替わる。


赤い文字が表示された。


《警告》


《設定された時間では脱出時間を確保できません》


《本当に実行しますか?》


ミレイはその文章を見つめた。


思わず小さく笑う。


「ふふ……」


こんな状況なのに。


なぜか少しだけおかしかった。


「ほんと丁寧なシステムなんだから」


敵に奪われた時の自爆装置のはずなのに。


最後まで搭乗員の命を気遣っている。


まるで誰かが心配してくれているみたいだった。


だが。


もう決めたことだ。


ミレイは躊躇なく《YES》へ指を伸ばした。


認証完了。


画面が切り替わる。


《SELF-DESTRUCT SEQUENCE INITIATED》 


シグのリムはフェイズアンカー外壁に沿って飛行していた。


作業用ハッチは一つではない。


保守設備である以上、緊急時の避難経路や整備用の出入口が複数存在するはずだった。


レオンとは別ルートから侵入するため、シグは外壁構造を確認しながら機体を進める。


その時だった。


警報が鳴る。


だがフェイズアンカーの警報ではない。


リムのマナセンサーだ。


「……何だ?」


シグは計器を確認する。


数値がおかしい。


フェイズアンカー周辺のマナ濃度が急激に上昇している。


いや。


正確には違う。


増えているのではない。


流れている。


まるで巨大な渦が発生したように。


周囲のマナが一点へ吸い寄せられていた。


フェイズアンカー中心部へ。


その時、通信回線が開く。


『シグ!』


マルコだった。


背後には警報音が聞こえる。


ステラ・ヴィア艦橋も異常を検知したらしい。


「状況を報告しろ」


『フェイズアンカーのマナの流れがおかしい!』


マルコの声に余裕はなかった。


『急速にアンカー内部へ収束している!』


シグはセンサーデータを確認する。


なんだこれは?


意図的なエネルギー集中。


『艦長と連絡が取れない!』


「何だと?」


『マナ干渉が強すぎる!』


通信が途切れそうになる。


『何度呼んでも応答が――』


ノイズ。


復旧。


『駄目だ!』


シグは状況を理解した。


マナ濃度が一定以上になると通信系統に影響が出る。


通常ならあり得ない。


だが今起きている現象は通常ではない。


フェイズアンカーそのものが巨大なマナの塊になりつつあった。


その瞬間。


シグの脳裏に最悪の予測が浮かぶ。


フェイズアンカー自壊プログラム?


この規模のエネルギーが解放された場合――。


「マルコ」


シグの声は冷静だった。


だがその冷静さが逆に危険度を物語っている。


「急いでステラ・ヴィアをフェイズアンカーから離脱させろ」


『シグ?』


「繰り返す」


即答だった。


「最大加速で離脱しろ」


マルコも軍人だ。


その口調で理解した。


『……了解』


「今すぐだ」


『艦長は!?』


シグはフェイズアンカーを見つめた。


巨大な構造物の内部で、何かが起きている。


おそらくレオンはまだ中だ。


だが。


「俺が探す」


短く答える。


それ以上の説明は不要だった。


通信が切れる。


シグはリムの出力を上げた。


機体が加速する。


その時。


センサー画面の一角に信じられない数値が表示された。


フェイズアンカー中心部。恐らくマナドライブのある場所だろう。


マナ収束している。


その瞬間、


フェイズアンカーの中心部に歪んだ暗黒の球体が生まれる。まるでイメージで見るブラックホールのようだ。

ブラックホールではない。何より質量反応もない。

ブラックホールならこんな近距離で観測することなどできないのだから。

 

マナによるものか


シグは思わず目を細めた。


「これは……」


見たことのない現象だった。


まるで。

 


マナドライブと接続していたセレナは、誰よりも早く異変の本質に気付いていた。


彼女の顔から血の気が引く。


「そんな……」


通信の向こうにいるはずのミレイへ向かって叫ぶ。


だが返事はない。


セレナの視界には、マナドライブを通じて流れ込んでくる膨大な情報が映っていた。


世界が白く染まっていた。


フェイズアンカー中心部へ収束する膨大なマナ。


現実と精神の境界が曖昧になるほどの高密度情報空間。


その中で。


二人は出会った。


それは現実ではない。


幻覚でもない。


マナドライブ同士が極限状態で共鳴したことで生じた、一瞬だけの接触。


時間にして一秒にも満たない。


だが二人には永遠にも思えた。



「セラなのか?」


聞き慣れた声だった。


セレナは息を呑む。


「レオ?」


目の前にはレオンがいた。


いつもの制服姿。


いつもの穏やかな表情。


「どうして……」


レオンは少し困ったように笑う。


「逃げ遅れたみたいだな」


その言葉でセレナは全てを理解した。


彼はまだフェイズアンカーの中にいる。


もう脱出できない。


そして。


ここに自分がいるということは。


「君だったんだな」


責める声ではなかった。

 

「見事だったよセラ」


ただ事実を確認するような口調。


セレナの胸が締め付けられる。


「ごめんなさい……」


言葉が震える。


「本当は誰も巻き込みたくはなかったの」


「そうか」


レオンは静かに頷いた。


怒りもない。


憎しみもない。


それが余計に苦しかった。


「フェイズアンカーは無くなる」


レオンは遠くを見るように言う。


「これで君のアニマは人類の手から守られる」


セレナは首を振る。


涙が溢れる。


「貴方を殺してまで……そんな……」


声にならない。


こんな結末を望んだわけではなかった。


アニマを守りたかっただけ。


なのに。


レオンもミレイも


レオンは静かに笑った。


「俺は俺の決断しかできない」


その言葉には不思議な安らぎがあった。


「セラの願いを叶えることはできなかった」


「違う……」


「もし俺が生き残れば」


レオンは続ける。


「君を殺さなくてはならなくなる」


セレナの瞳が見開かれる。


レオンはステラ・ヴィア艦長であり、調査団の指揮官であり、忠実な軍人である。


今回の件を知ったら見逃せる立場ではない。


職務として。


責任として。


必ずセレナを裁かなければならない。


「そんなのは耐えられない」


その言葉だけが少し震えていた。


セレナは泣きながら首を振る。


「私だって無理よ……」


レオンを敵として見ることなどできない。


裁かれることよりも。


彼にそんな決断をさせることの方が辛かった。


二人の間に沈黙が落ちる。


だが不思議と穏やかだった。


何もかも終わった。


レオンは小さく笑った。


「このゲームはセラの勝ちさ」


「そんなこと……」


「俺は君の意思を尊重する」


セレナは絶望したように叫ぶ。


「そんな!」


勝ちなどではない。


何も勝ち取っていない。


失っただけだ。


なのにレオンは穏やかだった。


まるで長い旅を終えた人間のように。


「ここから先」


彼は言う。


「セラ達がどうするのか」


「……」


「どんな未来があるのか」


その目は優しかった。


期待しているようにも見えた。


「楽しみだな」


セレナは涙を流し続ける。


何も言えない。


言葉が出てこない。


言ってはいけない気がした。


レオンは少しだけ顔を上げた。


どこか遠くを見るように。


そして呟く。


「もうそろそろみたいだな」


収束する光が強くなる。


世界が崩れ始める。


一秒にも満たない邂逅が終わろうとしていた。


「待って」


セレナは手を伸ばした。


届くはずのない手を。


「待って……!」


レオンはその手を見る。


そして最後に微笑んだ。


出会った頃と変わらない。


セレナが一番好きだった笑顔で。


「愛してる」


その瞬間。


視界は光に飲み込まれた。


セレナの伸ばした手は空を掴む。


レオンの姿は消える。


声も。


温もりも。


何もかも。


ただ最後の言葉だけが。


消えゆく意識の中に残り続けた。


――愛してる。


それが。


レオンハルト・ヴァイス・カルダーという男が最後に残した言葉だった。


シグはリムの操縦桿を強く握り締めていた。


機体の警報が鳴り続ける。


危険域。


接近限界。


マナ濃度異常。


無数の警告表示が視界を埋め尽くしている。


それでも彼は前へ進もうとした。


「艦長!」


通信を開く。


返事はない。


「艦長!」


再び呼ぶ。


応答なし。


ノイズだけが返ってくる。


前方ではフェイズアンカーが崩壊を始めていた。


巨大な構造物が歪んでいる。


まるで重力そのものに押し潰されているように。


中心部には暗黒の球体が浮かんでいた。


黒い。


だが単なる黒ではない。


光さえ飲み込むような漆黒。


フェイズアンカーの構造材が引き裂かれ、砕け、吸い込まれていく。


100mにも及ぶ施設が、玩具のように圧縮されていく。


空間そのものが壊れているような光景だった。


シグは歯を食いしばる。


「艦長……!」


助けたい。


だが行けない。


これ以上近づけば自分も飲み込まれる。


これ以上近づくのはたぶん危険だ。


その時だった。


暗黒球体の収縮が止まる。


一瞬。


本当に一瞬だけ。


宇宙全体が息を止めたような静寂が訪れる。


そして。


光。


それは爆発ではなかった。


閃光だった。


フェイズアンカーを中心に、幾何学的な白が広がる。


あまりにも白い。


純白ですらない。


色という概念を超えた白。


無数の線。


無数の面。


複雑な図形が宇宙空間へ展開される。


まるで巨大な演算結果が現実へ投影されたかのようだった。


シグは思わず息を呑む。


そして次の瞬間。


視界が消えた。


リムの光学センサーが飽和する。


モニターが完全な白に染まる。


計器類も反応しない。


通信も沈黙した。


衝撃はなかった。


振動もない。


音もない。


ただ。


世界そのものが白く塗り潰された。



数秒。


本当は数秒だった。


だがシグには無限の時間に思えた。


何も見えない。


何も聞こえない。


存在しているのかさえ分からない。


永遠の空白。


その中でシグは待ち続けた。


そして。


ゆっくりと。


センサーが回復する。


ノイズ。


警告音。


再起動ログ。


リムのシステムが復帰を始める。


モニターに映像が戻った。


シグは前方を見る。


そして。


言葉を失った。


何もない。


そこにあったはずのフェイズアンカーは消えていた。


ただの空間。


まるで最初から存在しなかったかのように。


巨大施設が丸ごと消失している。


シグはしばらく動けなかった。


理解できない。


通信機からノイズ混じりの声が聞こえる。


『シグ!』


マルコだった。


『応答しろ!』


『シグ!』


声が震えている。


シグは数秒かけて呼吸を整えた。


そして通信を開く。


「こちらシグ」


自分でも驚くほど冷静な声だった。


『無事か!?』


「ああ」


沈黙。


マルコも状況を理解したのだろう。


聞きたいことは一つしかない。


だが誰も口にできない。


シグは前方を見つめ続けた。


何もない宇宙。


空虚な空間。


そして静かに報告する。


「フェイズアンカーの消失を確認」


声は平坦だった。


感情を押し殺した軍人の声。


「施設の残存反応なし」


短い沈黙。


そして。


「艦長の生存は……確認できない」


その言葉だけが。


妙に重く宇宙へ溶けていった。


シグは目を閉じる。


最後まで自分の責任を果たそうとした。


だからこそ。


彼は最後の最後で、自分自身の選択をしたのだろう。


シグにはそれが分かる気がした。


だが今は感傷に浸る時間ではない。


フェイズアンカーは消えた。


それは人類がこの星域へ到達することがほぼ不可能になったことを意味していた。


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