第16章
ヴァルグレン長官は報告書から視線を上げた。
執務室の巨大な窓の向こうには火星軌道都市の灯りが広がっている。
しかし彼の意識は1500光年先の星系に向いていた。
「皮肉なものだな」
誰に言うでもなく呟く。
たった一人の情報士官が起こした反逆。
流出した情報そのものは限定的だった。
HD-4721の星系座標。
HD-4721c・・・彼らは「アニマ」と呼んでいるようだが・・・
フェイズアンカーのシリアルコード。
そしてマナドライブ製造設備
そしてワープ事故の報告。
量子キーは流出していない。そもそも量子キーは動的キーである。流出することなどあり得ない。
しかし、セキュリティというものはいつどんな綻びが起きるか分からないものだ。
対となるフェイズアンカーは火星にある。
だが――
「問題はそこではない」
ヴァルグレンは静かに言った。
「地球が知ってしまったことだ」
部屋にいた補佐官が黙って聞いている。
ヴァルグレンは端末を操作した。
ホログラムが浮かび上がる。
居住可能惑星。
「いずれは知られる事になるだろうが、まだ早い。早過ぎる」
マナドライブ製造設備。
マナドライブ製造技術に関しては地球にもあるが、この技術はそれぞれトップシークレットの一つである。製造されたマナドライブは厳格に管理されているため、製造したマナドライブの情報が漏洩するのは安全保障上の重大な脅威となる。
「これを見て地球がどう考える?」
補佐官は少し考える。
「獲得を試みるでしょう」
「その通りだ」
ヴァルグレンは頷いた。
「しかも全力でな」
超長距離直接ワープは危険すぎる。
リスクは承知の上だろう。
我々も当初はスピード重視の方法を選んだ。
その結果が大規模調査艦隊の消滅だ。
このまま強硬策を続ければ損害がどのくらいになるか予測できない。
早めに航路を作りたいのは今でも変わらないが、時間はかかっても堅実な方法を模索するべきという意見が大半だ。
だが今は違う。
地球は知ってしまった。
居住可能な惑星の存在を。
そして火星連合評議会が本格的な調査団の派遣ができていない事を。
現状フェイズアンカーが使えないのは致命的だが、我々が確保しているフェイズアンカーの複製を作られてしまったら?
量子キーという最後のセキュリティも意味をなさなくなってしまう。
地球統合政府の諜報機関は油断ならない相手だ。
地球側はこう考えているだろう。
……まだ間に合う
「競争になる」
ヴァルグレンは断言した。
「互いに身を削り合い」
「どちらが先にあの惑星を手に入れるのか」
補佐官の顔が曇る。
その意味を理解したからだ。
競争は人を焦らせる。
国家も同じだ。
これがもし、あと数ヶ月で我々が航路を完成するという段階になっていれば地球も諦めたかもしれない。
その時はその時で、異なる介入をしてくるかもしれないのだが。
地球統合政府は火星連合評議会への影響力を低下させたくないのだ。そして我々はまだ全面的に地球と事を構える訳にはいかないのだ。
「力が足りない」
ヴァルグレンは呟く。
「ワープ事故の情報も流出しているそうですが」
補佐官が言った。
「それは抑止力にならないのですか?」
ヴァルグレンは首を横に振った。
「ならない」
即答だった。
「事故報告が意味するのは危険性ではない」
「可能性だ」
補佐官は黙る。
ヴァルグレンは続けた。
「実際マナドライブ製造設備は到達している」
「何故プラントだけ成功したのかは不明だが、可能性はあるということだ」
それが全てだった。
不可能なら諦められる。
だが可能なら話は別だ。
成功率が1割なら10隻送ればいい。
1パーセントなら100隻送ればいい。
国家はそう考える。
「地球は犠牲を払うだろう」
ヴァルグレンは静かに言った。
「多くの艦を失う」
「多くの人間が死ぬ」
「それでも来る」
補佐官は窓の外を見る。
火星の灯りが無数に輝いていた。
その向こうには地球がある。
そしてさらに遥か彼方。
問題の星系。
「3年」
ヴァルグレンが呟いた。
「地球は3年以内の到達を目指すはずだ」
慎重な計画ならもっとかかる。
だが競争が始まれば話は違う。
政治家は結果を求める。
軍は先行を求める。
企業は利権を求める。
その全てが地球統合政府を押す。
危険だと分かっていても。
犠牲が出ると分かっていても。
「そして厄介なのは」
ヴァルグレンは低く言った。
「我々は地球に先を越されるわけにはいかない」
補佐官が視線を向ける。
「フェイズアンカーは我々が握っています」
「そうだ」
ヴァルグレンは認めた。
「だが絶対ではない」
地球が無茶を始めるなら。
我々も急がなければならなくなってしまった。
先を越される可能性がゼロではなくなる。
その時点で戦略は変わる。
安全性より速度。
確実性より先行。
そんな議論が始まるだろう。
ヴァルグレンは再び報告書を見た。
彼女は戦争を始めたいわけではないだろう。
国家機密を全て渡したわけでもない。
しかし――
二つの勢力を競争させるには十分だった。
ヴァルグレンは報告書を閉じた。
「愚かだな」
小さく呟く。
居住可能惑星が一つ見つかっただけで、
何万人もの人間が命を懸ける。
それでも止まらない。
なぜならその先にある利益が、
あまりにも大きすぎるからだ。
そして今、
その競争の火種は既に投げ込まれていた。
GC320.9.20
艦長室。
セレナはベッドに腰掛けている。
レオンは腕を組みながらデスクのモニターを難しい顔で眺めている。
「地球は必ず来る」
レオンは黙って続きを待つ。
「テラⅡの時と同じ」
断言だった。
レオンは頷く。
その点について異論はない。
普通に考えれば誰もが同じ事を言う。
「そうだろうな」
「そして火星も急がざるを得なくなるわ」
セレナの声は低い。
「先を越されないために」
「そうなるだろう」
再び肯定。
セレナは苛立ったように立ち上がる。
「それが問題なのよ!」
艦長室に音が響く。
「これから何人死ぬと思ってるの?」
「……」
「超長距離直接ワープは危険よ」
競争になれば無謀な挑戦をしてくるだろう。
「地球も。」
「火星も。」
セレナは首を振る。
「私達は最初から間違ってる。」
レオンは静かに腕を組む。
「何がだ?」
「全部よ。」
セレナは振り返る。
その瞳には怒りより焦りがあった。
「アニマよ。」
「このままだと貴重な惑星を潰してしまう」
「それはあってはならないわ」
レオンはしばらく黙っていた。
やがて口を開く。
「だから?」
「放棄するの。」
セレナは即答した。
「フェイズアンカーを停止する。」
「調査データだけ持って撤収する。」
レオンの眉が僅かに動く。
だが驚いてはいない。
以前から予想していた意見だった。
「座標は知られてる。」
セレナは続ける。
「でもフェイズアンカーが無ければ到達はほぼ不可能よ。」
「今ならまだ間に合う。」
「私達が手を引けば無謀な競争そのものを終わらせられる・・・そしてアニマも守られるわ」
しばらく沈黙。
レオンはスクリーンを見た。
アニマが投影されている。
セレナが言いたい事は分かる。人類による介入がなされた後、後世必ず問題となるであろう案件だ。
人間の欲望は深く、果てが無い。過ちに気付くその頃には大概は手遅れになっている。
いや、過ちなのか?
そもそも進化とは外的要因の帰結である。人類が介入するのもその要因の一つであろう。それを考慮せず保護するなどと、それこそが傲慢なのではないか?
「無理だな。」
静かな声だった。
セレナの表情が険しくなる。
「どうして?」
「俺達は軍人だ。フェイズアンカーを停止して俺達はどこに帰ればいいんだ」
即答だった。
「確かにフェイズアンカーが無くなれば、到達は困難だろう」
レオンはスクリーンに投影されたアニマを見る。
「アニマは貴重な惑星だ。俺にはそんな選択はできない」
「俺達が見つけた時点でもう動き始めてるんだよ。」
セレナは唇を噛む。
反論できない。
だが納得もできない。
「だからって続けるの?」
「何万人死んでも?」
レオンは少し考えた。
そして答える。
「死ぬだろうな。」
その言葉にセレナは目を見開く。
だがレオンは続けた。
「たぶん俺達が想像しているより多く。」
「しかし、それは俺達の責任じゃない。国家の意向なんだ。」
「それが現実だ。」
「……」
レオンの視線が鋭くなる。
「俺達にできるのは見守ることだ」
「これから起こる事を」
「正確に記録し、後世に伝える」
「そして危険性を。」
正論だった。しかしセレナは納得できない。
「あなたは真面目すぎる」
その言葉は最後までつむがれることはなかった。
レオンは特に気にした様子はない。
「俺は人類の繁栄を願ってる」
一瞬空気が静まる。
「できれば火星が先に到達して欲しいところだが・・・」
レオンは火星による航路開発を願っていた。
現段階ではフェイズアンカーを持っている火星が有利ではある。しかし、この段階で地球がアニマへの到達競争に参入する可能性が濃厚になった時点で、火星も悠長に構えていることができなくなっている。
レオンは火星連合評議会の一軍人に過ぎないのだ。
「俺達にできる事は可能な限り調査をしていくしかない。テラⅡの二の舞にならないように」
セレナスクリーンを見つめる。
そこにはアニマが浮かんでいる。
まるで人類を誘う灯台のように。
そして彼女は理解していた。
レオンの言葉が正しいことを。
だからこそ腹立たしい。
アニマの存在。
その魅力的な餌が人類を引き寄せる。
今や問題は、
来るか来ないかではない。
誰が最初に到達するか。
そして、
その時どれだけの犠牲が積み上がるか。
GC320.9.20
エヴァはプラント内のとある通路に佇んでいた。そこは外部環境を映すモニターが等間隔に並んでおり、さも窓があるような感覚になる場所だった。
エヴァの密かなお気に入りの場所だった。
エヴァは静かにスクリーンに映る星々を眺めていた。
遠くに見える恒星の光。
見慣れた景色になりつつある。
それが少し不思議だった。
「……」
リナが拘束された。
地球への情報漏洩。
艦内ではその話題で持ち切りだった。
エヴァも当然知っている。
驚きはした。
だが、それ以上ではなかった。
「帰りたがってたものね」
小さく呟く。
思い返せば兆候はあった。
エヴァとリナはプラント内の整理を担当してたため、話す機会は多かった。
長期滞在の話が出るたびに、リナはどこか落ち着きを失っていた。
もっと早く気付けた人もいたのかもしれない。
だが今となっては意味のない話だ。
「……」
悩んだ結果があれだったのだろうか。
地球へ情報を流す。
状況を動かそうとしたのかしら。
エヴァには理解できなかった。
「上手くいくと思ったのかな」
自嘲気味に笑う。
リナは優秀な人間だ。
だから余計に分からない。
情報が漏れれば何が起きるか。
そのくらい予想できたはずだ。
それでも実行した。
「……」
残念だとは思う。
調査団の仲間だ。
気分の良いことではない。
だが。
「同情はできないわね」
静かに言う。
理由があったとしても。
苦しかったとしても。
やっていいことと悪いことはある。
少なくともエヴァはそう考えていた。
しばらく窓の外を見つめる。
そしてふと、
別の考えが浮かぶ。
私はどうなんだろう。
「……」
帰りたいのだろうか。
その問いに、
すぐ答えが出なかった。
故郷が嫌いなわけではない。
火星には知人も家族もいる。
だが。
「正直、分からない」
自分でも意外だった。
帰りたい。
その感情が思ったほど強くない。
なぜだろう。
少し考えて、
答えに辿り着く。
「ずっとこの仕事をしてきたからかな」
エヴァは小さく笑った。
任務があれば行く。
命令があれば残る。
必要なら何年でも働く。
それが当たり前だった。
仕事と人生の境界が曖昧になっている。
だから、
ここに三年残れと言われても。
五年残れと言われても。
受け入れてしまう自分がいる。
良いことなのか悪いことなのかは分からない。
自分は普通じゃないのかもしれない。
「……」
リナは違った。
帰りたかった。
どうしても。
それが彼女を追い詰めたのかもしれない。
エヴァにはその気持ちは理解できない。
だが、
理解できないからといって否定もできなかった。
人は皆違う。
同じ状況でも、
耐えられる人間と耐えられない人間がいるということ。
私とリナは違う。
理性を保てなくなった人間は何をするか分からない。そしてその結果が・・・今の状況なのだろう。
エヴァは窓から視線を外す。
星々は相変わらず静かだった。
人間だけが騒いでいる。
火星も。
地球も。
そして自分たちも。
その事実が少しだけ可笑しく思えた。
GC320.9.22
セレナはプラントの管制室の制御卓に座って考え事をしていた。
レオの言っていることは正しい。
アニマを救うために、本星の命令に逆らいフェイズアンカーを停止する。
それはつまり、火星連合評議会に叛逆するということだ。
この星系は火星から1500光年離れ、まともな航路も無いまさに辺境。
フェイズアンカーが停止すれば、人類の本星域への到達は限りなく不可能となってしまうだろう。
そして私達に待つのはお尋ね者になる未来しかない。
補給無しでは数年でステラ・ヴィアは航行能力を失う。
その時が私達の最期になる。
それは正しい選択では無い。
プラントは問題なく動いている。
食料も資材もある。
セレナは目を閉じた。
――いや。
本当にそうか?
その考えは、イーサの話を聞いて少しずつ揺らぎ始めていた。
先日、イーサは言っていた。
『何でもできるぞ。モラルとか常識という足枷さえなければ……だが』
あの時は冗談めかして聞き流した。
けれど今なら分かる。
軽口のように言っていたが、イーサの目は真面目だった。
プラントには高度な設備がいくつもあった。それもイーサが知る限り、最新のものばかりらしい。
3Dバイオプリンタや再生医療用の培養炉、大規模なバイオマスプールなんかもあるらしい。
イーサは興奮しながら話していたが、セレナには内容が専門的過ぎて全てを理解することはできなかった。
そんなイーサは目下研究ラボに籠りっきりである。
時折オスカーとあれこれ話しているのを見かける。
モラルや常識、足枷という言葉には引っかる部分だが。
イーサはこうも言っていた。
「このまま何もしなくても数十年は問題ない」
「しかし、やりようによってはその先もある」
セレナはイーサの言っている事が薄々分かっている。
だが、それは常識に反する行為である。
常識?
常識なんていつの時代も変わる。
もし禁忌も倫理も無視することができるなら?
フェイズアンカーを停止した後、私達は緩やかな滅びを享受するしかないのだろうか。
本当に選択肢はこれだけなのだろうか。
セレナは自嘲気味に笑った。
危険な考えだ。
レオは絶対選ばない。
だからこそ、自分も口にしていない。
だが。
レオは忠実な軍人であり、ステラ・ヴィアの艦長。そして調査団の指揮官でもある。
レオの行動は正しい。
しかし、もしかすると。
本当にわずかな可能性かもしれない。
それでも。
「アニマを救えるかもしれない」
そう断言するには、まだ早すぎる気がしていた。
その瞬間、セレナは自分でも気づいた。
自分がアニマを救う理由を探していることに。
人として間違っている。
とんでもなくハイリスクな考えだ。
ただ――。
可能性があるのなら、
あの貴重な惑星を見捨てたくないのだ。
だからセレナは、諦めることができなかった。
GC320.9.25
セレナは今日もプラントの制御卓に腰を下ろしていた。
静かな制御室には、設備が稼働する低い振動音だけが響いている。
目を閉じ、意識をマナドライブへと沈める。
ここ数日何度も繰り返した作業だった。
セレナは自分のやるべき事について悩んでいた。マナドライブに接続したところで答えが得られるわけではない。
マナドライブは未来を示してくれる存在ではないし、人生相談に乗ってくれるわけでもない。
それでも、なぜかここへ来てしまう。
巨大なマナコアへ意識を重ねていると、不思議と心が落ち着いた。
セレナは見た事は無いが、広大な海に身を委ねているような感覚。
見渡す限り何もない水溜まりに浮かんでいて不安にならないなんて信じられないのだが、それ以外例えようのない表現だった。
何ともいえない安心感があった。
理由は分からない。
ただ、気持ちが静かになる。
セレナはゆっくりと意識を巡らせた。
当初はプラントな張り巡らされた制御網やアニマの観測を行っていたのだが、ふとした事からステラ・ヴィアやフェイズアンカーのマナにも干渉できる事に気付いた。
制御といってもマナドライブだけで制御しているわけではない。そんな事は不可能だ。複雑な制御は高性能なCPUやAIによって行われている。
マナドライブはそれらを緩やかに制御しているイメージだ。
そんなプラント級設備の心臓。
マナコア。
何日も接続を続けた結果、一つだけ確信したことがあった。
このマナコアは普通じゃない。
セレナの魔術師レベルは非常に高い。
軍の一士官という選択以外ができるほどの貴重な人材であった。しかしセレナはそんなエリートコースは選ばずに今に至る。
そういう事情なので、セレナは自身がどの程度の魔術師レベルかどうか詳しく調べた事がなかったし、軍での魔術師適性試験ではそれなりに高性能なマナドライブを動かした経験こそあったが、プラント級のようなマナドライブに接続したした経験はなかった。
プラントを制御運用しているのだから最高級の天然マナコアが使われているのは当然である。
そういう話ではなかった。
セレナは意識をさらに深く沈める。
言いようのない何かがすぐそこにある気がする。
マナテクノロジーは運用されて100年以上経つが、未だ謎が多い技術だ。
セレナはマナの研究者ではない。
感覚としては曖昧だった。
『カイ・ノルド』
ふと頭に浮かんだ名前だった。
「原初の魔術師」
セレナは呟く。
マナ理論を作り上げた科学者。
セレナは薄く目を開いた。
科学は魔法じゃない
馬鹿げている。
何故かそんな考えが頭に浮かんでくる。
「最近イーサから色々吹き込まれたからかしら」
イーサの専門はマナではないが、科学者である。
イーサが知ればもっと色々分かるのかもしれないが、残念なことにイーサの魔術師適性はほとんど無い。
「マナコアって何か生き物みたいな感じなのよね」
呟いてセレナは苦笑した。
カイ博士は笑うだろう。
「馬鹿げてる」
自分でもそう思う。
だが――。
接続の度に毎回思うのだ。




