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魔術師の原罪  作者: 卓麻呂


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第15章

GC320.9.5


艦長室は薄暗かった。


壁面モニタには、アニマの映像が表示されている。


セレナはベッドに腰掛けたまま、その映像を見上げていた。


「……メイが言うには、誰かが情報をリークしてるみたい」


レオンは静かに顔を上げる。


「リーク先は?」


「まだ断定はできない。でも——」


セレナは少し間を置く。


「地球の可能性が高いって」


数秒、沈黙。


レオンは小さく息を吐いた。


「……マズいな」


低い声。


「よりによって地球か・・・」


セレナは頷く。


火星内部への漏洩なら、まだ制御可能だった。


だが地球となると話が違う。仮に地球統合政府関係だと尚更である。


「まだ誰かは特定できてないわ」


セレナは続ける。


「もし地球統合政府がこの星系を知ったら、どうするかしら?」


レオンは少し苦笑した。


「それはもう、セラにも分かるだろ?」


競争になる。


確実に。


居住可能惑星のあるこの星系の価値は大きい。


大きなリスクを負ってでも手に入れたいと考えてもおかしくない。

 

「ただ」


レオンは視線をモニタへ戻す。


「ワープ座標が分かっても、量子キーが無いとフェイズアンカーは使えない」


その声は冷静だった。


「チキンレースになっても、本星が有利なのは間違いないさ」


座標が割れても、地球はフェイズアンカーを利用したワープはできない。


少なくとも現時点では。


「……」


セレナは少しだけ表情を曇らせる。


「でも、無茶はしてくるかもしれない」


「だろうな」


レオンは否定しない。


火星のみであったら、時間がかかるかもしれないが低リスクな方法で航路を構築すれば良い。ただし競争相手がいるとそうはいかない。


「だから厄介なんだ」


静かな声。


超長距離直接ワープは使えない。


互いにハイリスクな冒険を冒すことになるだろう。それは大きなな損失の発生を意味していた。


「……」


短い沈黙。


それからレオンは端末を閉じた。


「どちらにせよ、本件はOEDに報告する」


その言葉に、部屋の空気が少し重くなる気がした。


「俺達は軍人だからな」


OED。


つまり、


ここからは内部問題では済まない。


「犯人については、引き続き調べてもらえるか?」


セレナはゆっくり頷いた。


「……わかったわ。」


答えながら、


頭の片隅にミレイの言葉が浮かんできた。


フェイズアンカーが無ければ・・・


GC320.9.6


レオンは艦長室の暗号化回線を起動した。


緊急回線である。


数秒後、モニタにヴァルグレン長官の姿が映し出される。


相変わらず感情の読めない顔だった。


「どうした?」


挨拶も前置きもない。


レオンは要点から話し始めた。


「現在、当艦内部に情報漏洩の疑いがあります」


ヴァルグレンの表情は変わらない。


「根拠は?」


「システムログから不審な通信痕跡を確認しました」


レオンは続ける。


「送信先は不明です」


「送信内容も完全には解析できていません」


「しかし、継続的な情報流出が行われている可能性が高いと判断しています」


ヴァルグレンは黙って聞いている。


レオンはさらに言葉を続けた。


「現時点では推測ですが」


「地球関係者との接触である可能性が高いと考えています」


そこで初めて、


ヴァルグレンの目がわずかに細くなった。


「理由は?」


「送信内容の断片にワープ事故関連と思われる情報が含まれています」


「ハッキングボットの可能性も一部ありますが、残された痕跡から個人の工作に近いと考えております」


レオンは一拍置く。


「地球側へ独自に情報提供している人物がいる可能性があります」


ヴァルグレンはしばらく考え込んでいた。


やがて短く答える。


「分かった」


その声は冷静だった。


その表情からは何も読み取ることはできない。

無表情だった。



「引き続き調査を継続しなさい」


「はい」


「犯人は即拘束」


レオンは自然と背筋を伸ばした。


「発見次第、身柄を確保します」


ヴァルグレンは頷いた。


「こちらからもログを追ってみよう」


その言葉にレオンは一瞬表情を硬くする。


「もし地球が既に情報を得ているなら」


ヴァルグレンが静かに言う。


「問題は漏洩そのものではない」


「……」


レオンは黙って続きを待つ。


「どこまで知られたかだ」


重い言葉だった。


「内部調査を優先するように」


「了解しました」


通信終了の表示が出る。


モニタが暗転する。


レオンはしばらく動かなかった。


ヴァルグレンは冷静だった。


だからこそ分かる。


地球と火星。


二つの勢力を巻き込む可能性のある、


重大な安全保障問題として見始めている。

 

GC320.9.11

 

メイは端末の前で足をぶらぶらさせていた。


「うーん」


ログを眺める。


「いいところまで尻尾出してくれてるんだけどなぁ」


通信の存在はほぼ確信している。


断片も拾えている。


でも決定打がない。


犯人を名指しできる証拠が欲しい。


「なかなか手強いね〜」


普通の人間なら、とっくに捕まっている。


隠し方が上手い。


知識もある。


慎重だ。


だから余計に面白い。


「……」


メイは通信生成ログを拡大した。


数値の羅列。


タイムスタンプ。


CPU使用率。


メモリアクセス。


「ん?」


目が細くなる。


「これか」


完全な自動処理ではない。


微妙な揺らぎがある。


一定ではない。


「暗号通信パケットの生成速度が所々乱れるんだよね」


人間の入力に似ている。


迷い。


確認。


打ち直し。


そんな癖。


「癖なのかな?」


メイはニヤリと笑った。



その頃。


リナはプラントの保守用コンソール端末に向かっていた。足がつかないように様々な端末からアクセスしているのだ。


次の送信準備。


断片の生成。


偽装。


確認。


いつも通り。


そのはずだった。


「……ん?」


指が止まる。


コンソールの反応がおかしい。


ほんの僅か。


だが確かに。


入力から表示までの時間が長い。


「……」


もう一度試す。


やはり遅い。


「何これ」


胸がざわつく。


システム負荷?


違う。


今の時間帯でそんなことはない。


「……」


嫌な予感がする。


「なんか……調べられてる?」


口に出した瞬間、


自分で驚く。


偶然かもしれない。


でも、


直感が警告していた。



メイは軽快にキーを叩く。


「コンソールの反応速度を少し遅くしちゃおうかな」


極小。


誤差レベル。


普通なら気づかない。


でも、


もし通信犯がリアルタイムで作業しているなら。


反応を見ることができる。


「さーて」


楽しそうに笑う。



リナは眉をひそめた。


やはり遅い。


本当に僅か。


しかし、


いつも触っている人間には分かる。


「……」


まずい。


理由は分からない。


でも、


何かがおかしい。


鼓動が少し速くなる。


「落ち着いて」


自分に言い聞かせる。


焦るな。


ミスするな。


「……」


数秒考える。


そして操作を切り替えた。


手入力を止める。


事前に準備していた自動マクロを起動。


生成作業を機械に任せる。


入力の癖を消す。


「……これで」


呼吸を整える。



数秒後。


メイが目を丸くした。


「あ」


変化した。


明らかに。


さっきまであった揺らぎが消えた。


処理が綺麗になった。


「引っかかった?」


メイは笑う。


偶然ではない。


反応した。


確実に。


「でも」


ログを見ながら感心する。


「一瞬でリカバリーしてきた」


普通ならもっと慌てる。


もっとボロを出す。


なのに。


「なかなか優秀だね」


メイは椅子を回転させた。


もう確信している。


相手は素人じゃない。


かなり頭が切れる。


だからこそ――


燃えちゃうのよね。


メイは椅子をくるりと回転させた。


「うーん」


端末には艦内システムの管理画面が並んでいる。


そのさらに奥。


通常のクルーでは存在すら知らない階層。


「個人情報だから、こんな事しちゃダメなんだけどね」


悪びれる様子もなく呟く。


もちろん、本来なら許可なく閲覧できる情報ではない。


アクセス権限も厳重に管理されている。


だが――


メイにとって、それは障害ではなかった。


「さてさて」


軽快にキーを叩く。


クルー一覧。


時刻同期。


生体モニタ。


ストレス指標。


心拍変動。


「通信は隠せる。」


メイは独り言のように言う。


「ログも誤魔化せる。」


画面を切り替える。


「でも人間は誤魔化せないんだよね。」


問題の時間帯を表示。


コンソールの反応速度を意図的に落とした瞬間。


そして――


その直後。


メイの目が細くなる。


「あ。」


見つけた。


一人だけ。


綺麗な反応。


心拍数上昇。


呼吸変動。


ストレス指標の急変。


ほんの数秒。


でも十分だった。


「見つけた。」


その声は静かだった。


画面に表示された名前。


リナ。


メイはしばらくそれを見つめる。


「やっぱり。」


予想通り。


でも予想以上でもあった。


「リナだったんだ。」


少しだけ感心する。


隠し方は上手かった。


技術もある。


発想も悪くない。


実際、ここまで絞り込むのに思った以上に時間を使った。


「私にここまでさせるなんて。」


口元がゆっくり持ち上がる。


「凄いじゃん」


メイにとって正直な賞賛だった。


今まででこんなスリリングな駆け引きをやった事は数えるくらいしかない。


まして相手は本職の情報工作員ではない。


それなのに、


メイは何日も追跡を続ける羽目になった。


「……」


しかし勝負は終わっていた。


メイは端末を閉じる。


その表情は穏やかだった。


「でも。」


小さく笑う。


「私の方が上手だったね。」


誰もいない部屋で。


静かに。


「残念でした。」


その瞬間。


リナはまだ知らない。


自分が隠し続けてきた秘密が、


ついに一人の観測者に辿り着かれてしまったことを。


GC320.9.12


部屋のドアが静かに開く。


リナはベッドの上で膝を抱えていた。


部屋着のまま。


端末も消えている。


まるで最初から来ることを分かっていたみたいだった。


レオンが一歩中へ入る。


「悪いが入らせてもらう」


リナは顔を上げる。


その視線はレオンからセレナへ移り、最後にシグで止まった。


誰も武器は抜いていない。


それでも十分だった。


レオンは静かに言う。


「分かっていると思うが、拘束させてもらう」


リナは少しだけ笑った。


諦めたような。


疲れたような。


そんな笑みだった。


「何で分かったの?」


誰に向けるでもなく尋ねる。


セレナが答える。


「説明する義務はないわね」


リナは小さく肩をすくめた。


「そうだね」


しばらく沈黙が落ちる。


部屋の空気は重い。


責める言葉も、


怒鳴り声もない。


それが逆につらかった。


セレナが口を開く。


「それより」


視線を真っ直ぐ向ける。


「何でこんなことを?」


リナは少しだけ目を伏せた。


そして答える。


「答える義務はないよ」


「それもそうね」


セレナは追及しなかった。


もう証拠は揃っている。


動機を聞いたところで処分は変わらない。


それでも、


聞かずにはいられなかった。


再び沈黙。


やがてリナがぽつりと呟く。


「帰りたかったのよ」


誰に向けた言葉でもなかった。


「こんな所に何年もいられない」


レオンは黙って聞いている。


リナは笑う。


今度は自嘲気味に。


「おかしいよね」


「居住可能惑星発見。」


「人類史上最大級の発見。」


「みんな大騒ぎしてる。」


「なのに私は」


そこで言葉が詰まる。


「帰りたかった」


部屋が静まり返る。


セレナはリナを見つめる。


怒りよりも、


どこか痛ましそうな目だった。


リナは続ける。


「最初は我慢できると思った。」


「一年くらいなら。」


「二年でも。」


「でも数年って聞いた時」


小さく笑う。


「駄目だった。」


「耐えられないと思った。」


レオンが口を開く。


「だから情報を流したのか・・・地球に」


リナは頷く。


「そこまで分かっちゃったんだ。」


「地球が動けば状況が変わると思った。」


「火星も急ぐかもしれない。」


「もっと早く誰かが来るかもしれない。」


そこまで言って、


リナは自分で苦笑した。


「馬鹿だよね。」


「希望的観測だった。」


セレナは静かに尋ねる。


「地球が介入したら、どうなると思ったの?」


リナは少し考える。


そして正直に答えた。


「分からない。」


「でも何かが変わると思った。」


「何も変わらないよりは。」


その言葉に、


誰もすぐには返せなかった。


リナはベッドから立ち上がる。


抵抗する気はない。


最初から。


「行こうか。」


そう言って両手を差し出した。


「どうせ終わりなんだから。」


レオンは一瞬だけ眉をひそめた。


だが何も言わない。


シグが拘束具を取り出す。


金属音が小さく響く。


リナはされるがままだった。


もう隠すものも、


逃げる場所もなかった。


GC320.9.13


暗号通信回線の向こうで、ヴァルグレン長官は相変わらず無表情だった。


「犯人は拘束しました」


レオンが報告する。


「よくやった」


短い返答。


だがそれで終わらなかった。


ヴァルグレンは手元の端末に視線を落とす。


「ところで」


レオンは嫌な予感を覚えた。


「今回の件でログを色々調べさせてもらった」


やはり。


OEDが本気で解析すれば、艦内の情報など隠せない。


「マナドライブ製造設備が存在しているようだが」


一拍。


「何かの間違いか?」


レオンの表情がわずかに固まる。


内心では、


――やはりバレたか。


と思った。


リナがプラントの端末を利用したことで、


OEDの監査が予想以上に深いところまで入ってしまった。


マナリンクは切断してあるが、稼働してしばらくは自動接続プログラムが働いていた。数日間のログは残っているはずである。今まで見つからなかったのが奇跡的だったのだ。

それだけOEDがレオン達を信用してくれているという証明だったのだが。


しかし、


そして今回の反逆騒ぎ。


隠し通せるものではないな。


「申し訳ありません」


レオンは素直に認めた。


「報告が遅れておりました」


ヴァルグレンは何も言わない。


続きを待っている。


「マナドライブ製造設備は到着しております」


「稼働可能なのか?」


「限定的に」


レオンは答える。


「現在はマナフィールドを展開させています。プラントとしては稼働していませんが、生活空間として一部機能を利用しております」


「そうか」


「長期滞在を考慮したためです」


レオンは落ち着いた声で続ける。


「当初は停止状態でしたが、設備を保護するにはマナフィールドによる放射線防護効果が最優先であると判断しました」


「それで稼働させたのか」


「はい」


ヴァルグレンはしばらく黙り込む。


端末に何か表示されているのだろう。


やがて。


「製造設備の状態は?」


レオンは少し考える。


どこまで言うべきか。


しかし相手はOED長官だ。


隠しても意味はない。


「当方には専門エンジニアがいないので、断定できませが、ほぼ無傷だと思われます。」


オスカーがマナドライブ製造技師として、ある程度の知識がある事は秘密である。


「……」


「生産能力については未検証ですが、設備自体は稼働状態を維持しています」


通信の向こうで、


ヴァルグレンの目が僅かに細くなった。


それは今回初めて見せた感情らしい反応だった。


「プラント級のマナドライブを動かせる魔術師が・・・」


「そうか、アークトゥルス副艦長か。彼女の能力なら可能かもしれんな」


ヴァルグレンは納得した様子だった。


レオンはヴァルグレンの表情を伺う。


「マナドライブ製造設備はわが国の最高機密である」

 

レオンは理解している。だからこそ慎重に扱ってきたのだ。


「この件についても追って沙汰を決める」


火星連合評議会としても悠長に進める訳にはいかなくなったという事だ。


「わかりました」


静かに答える。


ヴァルグレンは頷いた。


「結構」


そして声の調子が少し変わる。


「反逆者については」


レオンは身を引き締める。


「処刑が妥当だろう。ただし、どの情報をリークしたかは確実に調べなさい」


「本来であれば本国へ更迭なのだが、それは不可能だ。タイミングはカルダー君に任せよう」


レオンは表情を変えずに。敬礼を行った。


そこでヴァルグレンとの通信が終了した。


GC320.9.14 


ルカは自室のベッドに腰掛けたまま動けなかった。


部屋は静かだった。


静かすぎた。


リナが拘束された。


その事実だけが頭の中を何度も回っている。


「……」


端末には何も表示されていない。


見る気にもなれなかった。


リナが地球へ情報を流していたらしい。


その事実は艦内にあっという間に広まった。


詳しい内容は知らない。


だが、


地球へのリークは重罪だ。


「……」


ルカは両手を見つめる。


思い出す。


リナの部屋。


ベッド。


隣に座らされたこと。


腕に触れられたこと。


あの時の会話。


そして――


フェイズアンカーのシリアルコード。


「……」


自分が渡した。


頼まれたから。


大した情報じゃないと思ったから。


暗号化パルスキーがなければ意味がない。


そう説明もした。


だから問題ないと思った。


「本当に?」


自問する。


問題なかったのか。


もしあの情報が、


今回の件に使われていたら。


「……」


胃が重くなる。


リナは何を考えていた。


あの時、


何をしようとしていた。


今になって思えば、


様子がおかしかった気もする。


落ち着かない感じ。


何かを決めかねているような。


「気付けたんじゃないか」


小さく呟く。


今さらだった。


結果を知っているから言える。


それでも。


「……俺は何も聞かなかった」


聞こうともしなかった。


リナが嘘をついていることすら、


見抜けなかった。


「……」


胸の奥が重い。


そして、


別の考えが頭をよぎる。


ルカの表情が曇る。


「……」


自分の名前。


もしリナが話したら。


もし、


共犯者として。


「……」


息が詰まる。


実際には共犯じゃない。


少なくともルカはそう思っている。


リナの目的も知らなかった。


情報漏洩のことも知らない。


だが、


証明できるのか。


フェイズアンカーの情報を渡した。


事実として残っている。


それだけで十分疑われるかもしれない。


「……俺も」


声が掠れる。


「拘束されるのか……?」


初めて、


はっきり恐怖を意識した。


そしてリナは・・・


「……」


極刑は免れないだろう。


「死」という言葉が頭に浮かぶ。


地球と火星は潜在的には敵対関係にある。


地球への機密漏洩。


「なんでそんな事……」


ルカは顔を伏せた。


リナの最後の表情が思い出せない。


笑っていた気もする。


諦めていた気もする。


ただ一つだけ覚えている。


あの時のリナは、


とても疲れて見えた。


「……」


部屋には誰もいない。


答えてくれる人もいない。


ルカはただ、


自分の無力さと、


じわじわ広がる不安を抱えたまま、


長い時間動けずにいた。


GC320.9.14 

 

ステラ・ヴィアのラウンジ。


普段なら誰かしらの雑談が聞こえる場所だったが、今日は妙に静かだった。


マルコは派手な極彩色の炭酸飲料を啜っている。


ノアも隣の席に腰を下ろしていた。


無言でマルコの飲み物を見つめる。


やがてマルコが口を開く。


「……リナが拘束された」


ノアは小さく頷く。


「地球に情報をリークしていたらしい」


「そうらしいですね」


短い返事。


どちらも詳しい情報は知らない。


だが、事実だけは伝わっていた。


「……」


マルコは飲み物を見つめる。


「残念だけど、重罪なんだよ」


その言葉に感情は混じっていない。


ただの事実だった。


火星と地球の関係を考えれば、


見逃される類の話ではない。


ノアも理解している。


ただ頷くだけだ。


「……」


しばらく沈黙。


やがてノアがぽつりと言った。


「なんか嫌な感じですね」


マルコは苦笑する。


「嫌な感じ?」


「はい」


ノアは言葉を探す。


「リナが何を考えていたかは分かりません」


「でも」


少し視線を落とす。


「こんな・・・裏切りなんて……」


そこで言葉が途切れる。


マルコは頷いた。


言いたいことは分かる。


言葉にすれば簡単だ。


でも、


リナは仲間だ。


それが突然、


「裏切り者」になるわけではない。


そんな気持ちになれるわけないのだ。


「……そうだな」


マルコは極彩色の飲料を傾ける。


小さな音が響いた。


「俺もこんな雰囲気は嫌だよ」


ノアが顔を上げる。


マルコは少し困ったように笑った。


「犯したことは犯したことだ」


「処分も必要なんだろう」


「でもさ」


そこで言葉を切る。


しばらく考えてから続けた。


「誰かが捕まって、それで皆が安心して終わりって話でもないだろ」


ノアは黙って聞いている。


「リナが何を考えてたのか知らない」


「でも、あいつだって最初からこうなるつもりだったわけじゃないはずだ」


「……」


再び沈黙。


艦内はいつも通り動いている。


暇だという点を除いてはいたって平穏だった。



それなのに、


空気が重い。


ノアはスクリーンに映る星々を見つめた。


「とにかく穏やかに終わればいいですね」


小さな声だった。


マルコは返事をしなかった。


ただ、


同じ方向を見つめながら、


静かに極彩色飲料を飲み干した。


GC320.9.16


マナドライブ製造設備の医療区画。


イーサがここに来るのは初めてだった。


イーサはプラント内の通路を歩いていた。


白い壁。


整然と並ぶ機器。


無機質なはずなのに、不思議と圧迫感はない。


「……」


端末を操作しながら設備一覧を確認する。


そして思わず足を止めた。


「ずいぶん本格的な設備だな」


感心したように呟く。


単なる医務室というレベルではない。


病院とも少し違う。


敢えて言うならちょっとした研究所か。


「3Dバイオプリンタまであるのか」


表示された仕様書を読み進める。


人工皮膚。


人工血管。


臓器組織。


生体材料の生成機能。


ステラ・ヴィアの設備とは比較にならない。


「……BSL-5?」


さらに目を細める。


最高レベルの生物学的隔離設備。


普通の研究施設ですら保有していない。


「そこまで想定してたのか」


未知の微生物。


異星環境。


長期隔離。


このプラントの設計者は相当慎重だったらしい。


イーサは少し歩きながら周囲を見回す。


処置室。


培養施設。


解析ラボ。


薬剤製造設備。


どれも規模が大きい。


「再生医療や感染対策は完璧だな」


半分独り言だった。


事故。


疾病。


未知の病原体。


そのどれにも対応できるよう作られている。


まるで、


長期間の定住を前提にしているかのように。


「……」



「食料プラントまでかなり本格的な物が付いているしな」


水耕栽培。


藻類培養。


タンパク質生産ライン。


遺伝子バンク。


閉鎖環境循環システム。


どれも大規模だ。


単なる非常食生産設備ではない。


居住人口そのものを支えるための設計だった。


「……なるほどな」


少し納得する。


この施設を作った者たちは、


数年どころか、


数十年、いや恒久的運用を想定していたのかもしれない。


医療。


食料。


環境維持。


エネルギー。


全部揃っている。


イーサは広大な施設図を見つめる。


そして静かに言った。


「これはもう独立した都市と言ってもいい」


その言葉は決して大袈裟ではなかった。


今まで皆の意識はマナドライブ製造設備そのものに向いていた。


だが、


設備を細かく見れば見るほど分かる。


ここは単なる工場ではない。


巨大な生産拠点であり、


研究施設であり、


居住区画であり、


そして――


人類がこの星系に根を下ろすための前線基地だった。


イーサは大型モニタに映し出された設備一覧を眺めていた。


遺伝子解析設備。


細胞培養施設。


高レベル隔離実験室。


材料工学ラボ。


薬剤開発ライン。


どれも一級品だった。


「……」


ふと、リナのことを思い出す。


拘束された。


地球への情報漏洩。


詳しい話は聞いていない。


聞くつもりもなかった。


「残念なことだな」


ぽつりと呟く。


それは本心だった。


同じ調査団の仲間だ。


何も感じないわけではない。


だが——


そこで思考が止まる。


自分でも少し不思議だった。


もっと落ち込むと思っていた。


もっと衝撃を受けると思っていた。


なのに。


「……」


大型モニタへ視線を戻す。


そして苦笑する。


「私はこんなに薄情だったのか?」


誰もいない研究室に声が響く。


仲間が拘束された。


しかも極めて重い罪だ。


本来ならもっと気にするべきなのかもしれない。


だが、


今の自分の頭を占めているのは別のことだった。


目の前の設備。


未知の技術。


研究環境。


それらがあまりにも魅力的すぎる。


「……」


イーサは端末を操作する。


設備仕様書が次々に表示される。


そして思わず笑った。


「何でもできるじゃないか……」


口から出た言葉に、


自分で首を振る。


「いや、それは言い過ぎか」


何でも、ではない。


万能ではない。


理論上できても実際には時間も資源も必要だ。


だが、


少なくとも今までの艦内設備とは比較にならない。


「凄い設備だ」


素直な感想だった。


研究者としての血が騒ぐ。


遺伝子工学。


再生医療。


材料開発。


どこから手を付けるべきか迷うほどだ。


「……」


リナの件を忘れたわけではない。


だが、


イーサは自分が何者なのかも理解している。


生粋の科学者だ。


だから目の前に未知の研究対象が現れた時、


どうしてもそちらへ意識が向いてしまう。


「まったく」


自嘲気味に笑う。


「我ながら救いようがないな」


そう言いながらも、


口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。


この施設は危険だ。


価値もある。


そして、


研究者にとってはあまりにも魅力的だった。


イーサは再び端末を開く。


今度は医療区画ではなく、


基礎研究エリアのデータへアクセスする。


胸の高鳴りを抑えきれなかった。


リナの逮捕が艦内を重苦しくしているその時でさえ、


イーサの好奇心は、


この巨大なプラントの奥深くへ向かっていた。


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