第12章
GC320.8.14
マナドライブ製造設備内部の通路は、どこまでも続いているように感じられた。
規則的に並ぶラインライト。
無機質な壁面。
遠くで稼働する設備の低い振動音だけが、空間にかろうじて“動き”を与えている。
エヴァとリナは、その中を並んで歩いていた。
二人の役目は、プラント内の整理と確認。
稼働に問題はないとはいえ、あまりにも広いこの施設をステラ・ヴィアの余剰クルーのみで把握するには時間がかかる。
「……広すぎない?」
リナが、うんざりしたように呟く。
手元の端末を見ながら、ため息をつく。
「どこまでやっても終わらない気がするんですけど」
エヴァは足を止めずに答える。
「実際、終わらないわよ」
「え?」
あっさりと言われて、リナが顔を上げる。
「ここは“小さな都市”みたいなものだから」
「全部把握しようと思う方が間違い」
淡々とした口調。
リナは少し口を尖らせる。
「……そうなんだけど」
エヴァはわずかに肩をすくめる。
「やる事ないんだし、暇潰しにはなるでしょ」
少し間が空く。
通路に足音だけが響く。
やがて、リナがぽつりと呟いた。
「ここに、何年か足止めだって」
足を止める。
視線は床に落ちたまま。
「ほんと嫌」
その声は、さっきまでの愚痴とは違っていた。
エヴァも立ち止まる。
だが、すぐに返す。
「仕方ないわよ」
振り返らずに言う。
「本星から1500光年も離れてるんだから」
現実を、そのまま言葉にする。
リナは何も言わない。
ただ、少しだけ拳を握る。
「……私、帰りたい」
小さな声。
だが、はっきりしていた。
エヴァはその言葉を聞いても、すぐには何も返さなかった。
リナの気持ちは分かる。
だが――同調はしない。
それが分かっているからこそ、言葉を選ぶ。
「帰れるわよ」
短く言う。
リナが顔を上げる。
「本当に?」
その目には、期待が滲んでいた。
エヴァは少しだけ間を置く。
「状況が整えばね」
はっきり言って気休めである。この星系を勝手に離れるのは本星への反逆とみなされてしまうのだ。
調査団が来るのは早くても数年後だろう。
リナの表情がわずかに曇る。
「それ、いつかな……?」
問いかけというより、独り言に近い。
エヴァは歩き出す。
「さあね」
振り返らない。
「だから今は、やることやるしかないでしょ」
現実的な答え。
正しい。
だが、冷たい。
リナはその場に立ち尽くしたまま、しばらく動かなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「……分かってるよ」
そう言って、エヴァの後を追う。
だが、その足取りは少し重い。
再び並んで歩き始めるが、会話は続かない。
しばらくして、リナが端末を強めに操作する。
必要以上の力。
エヴァは気づくが、何も言わない。
代わりに、前だけを見て歩く。
リナの視線は、時折通路の奥へと向く。
どこか遠くを見るような目。
ここではない、どこか。
「……ほんとに帰れるのかな」
今度は、ほとんど聞こえないくらいの声だった。
エヴァはそれを聞き流す。
あえて、反応しない。
終わりの見えない待機。
帰還の保証がない状況。
それらが、少しずつ心を削っていく。
今はまだ・・・大丈夫。
GC320.8.18
プラントの一角にある娯楽区画。
その中心にあるプールは、明らかにこの施設の他の場所とは雰囲気が違っていた。
柔らかな曲線で構成された水面。
周囲には人工的に配置された緑と岩。
種類は良く分からないが木も生えている。
地面は柔らかい真っ白な砂である。
照明もわずかに暖色寄りで、どこか“外”を再現しようとしているのが分かる。
――ただし。
「……こんなのがあったの?」
セレナが率直に疑問を口にする。
プールサイドに立ち、周囲を見回す。
「資料だと“南国リゾート風”らしいですよ」
ミレイが端末を見ながら答える。
「南国……?」
アイリが首をかしげる。
「どこ?地球?」
「それっぽい感じというやつよ。」
エヴァが即答する。
「私は行ったことないから、これが南国なのかは分からないけどね」
ステラ・ヴィアのクルーは皆火星育ちである。映像で地球の環境を見たことはあるだろうが、誰も行ったことはなかった。
「これが地球の南国なのね。」
納得したような、していないような空気。
そんな中――
「あ、来た来た」
メイが軽い調子で手を振る。
その格好を見た瞬間、セレナが眉をひそめた。
「……何それ?」
一歩近づいて、まじまじと見る。
「下着?」
率直すぎる一言。
「お腹見えてるじゃない」
メイはまったく気にした様子もなく、くるりと一回転する。
「えー?水着だよ?」
楽しそうに言う。
「売店に売ってたよ」
セレナは少し呆れたようにため息をつく。
「どんな判断基準で仕入れてるのよ……」
他のクルーも、それぞれ水着姿だった。
ただし、全員が機能性重視。
身体にぴったりフィットする設計で、動きやすさやが優先されており露出は最低限になっている。
標準的な火星仕様だった。
その中で、メイだけが明らかに浮いている。
リナが少し戸惑ったように口を開く。
「それ……落ち着かなくない?」
「え?全然?」
メイは平然としている。
「むしろ動きやすいよ?」
「そういう問題じゃ……」
リナは言葉を濁す。
エヴァが横から軽く言う。
「文化の差よ」
ミレイも頷く。
「地球では海ではほぼ下着のような格好で過ごすって聞いた事があります。」
セレナは腕を組んで、しばらく考える。
「……そうなの?」
「まあいいわ」
そう言って、自分もプールサイドに足を入れる。
水温は適切に保たれており、思ったよりも心地いい。
「お、入る?」
メイがすでに水に飛び込んでいる。
軽やかな水音。
「せっかくなんだから楽しまないと損だよー」
その声に、アイリが少しだけ笑う。
「確かに……こういうの、初めてですし」
恐る恐る水に入る。
「……あ、気持ちいい」
素直な感想。
ミレイも続く。
「重力環境との組み合わせが面白いですね」
「浮力の感覚が少し違う」
分析が混じるあたりが彼女らしい。
リナは少し遅れて、水際に立ったまま動かない。
水面をじっと見つめる。
メイが気づいて手を振る。
「ほらリナも!こっち来なよ!」
リナは一瞬だけ迷う。
そして、ゆっくりと足を入れる。
「……冷たくないんだ」
「だからプールだってば」
メイが笑う。
リナは少しだけ表情を緩めるが――
すぐに、その視線はまた遠くへ向く。
人工の空。
作られた“南国のようなもの”。
本物は誰も見た事はない。
「……」
何も言わない。
ただ、水面に触れた指先を見つめる。
セレナはその様子を横目で見るが、あえて何も言わない。
今は“息抜き”の時間だ。
エヴァが静かに水に入りながら、ぽつりと呟く。
「まあ……悪くないわね」
それはこの場に対してか、状況に対してか。
誰にも分からない。
ただ一つ確かなのは――
このプールの中だけは、少しだけ現実を忘れられるということだった。
プールサイドに差し込む柔らかな光が、水面をゆらゆらと揺らしている。
人工的に再現された“南国風”の空間は、どこか現実味が薄い。
だが、その分だけ――今この瞬間を切り取ったような開放感があった。
女性陣はそれぞれ水に入り、あるいはプールサイドに腰掛け、思い思いに過ごしている。
火星育ちらしく、基本は機能性重視の水着。
その中で自然と目を引くのは――やはり体格差だった。
エヴァは頭一つ抜けた身長に加え、全体的にメリハリのある体型。
立っているだけで視線が集まる、いわゆる“完成されたバランス”。
セレナはそれよりやや小柄ながら、女性らしい柔らかさを感じさせる均整型。
極端ではないが、自然と目に留まるライン。
ミレイは標準的で癖のない体型。
だが姿勢の良さと落ち着いた雰囲気で、知的な印象が強い。
アイリは小柄で華奢。
軽やかで繊細な印象があり、動きもどこか控えめ。
リナはさらに小さく、全体的に幼さの残る体格。
本人もそれを自覚しているのか、やや縮こまったような仕草が多い。
そしてメイ――
なぜか一人だけ、セパレートのビキニ。
この空間の“南国風”を最も体現しているが、同時に一番浮いている。
そんな中。
「いやー、分かりやすいねこれ」
メイが水の中でくるくる回りながら言う。
「何がよ」
セレナが冷めた目で返す。
「スタイルだって」
即答。
「こうやって並ぶとさ、はっきり出るじゃん」
「余計なこと言わなくていいのよ」
セレナはため息。
エヴァが腕を組む。
「で、何基準なの?」
「んー、何となくかな」
「とんでもなく曖昧ね」
即座に返す。
メイは気にせず続ける。
「いやだってさ、エヴァとかさ――」
ちらっと見る。
「反則でしょそれ」
エヴァは軽く肩をすくめる。
「よく言われるわ」
「否定しないんだ……」
アイリが小さく呟く。
ミレイが冷静に分析を入れる。
「骨格と筋肉量のバランスが良いですね。重力環境への適応も――」
「そういうのいいから」
メイが止める。
「夢壊れる」
セレナがふっと笑う。
「じゃあ私は?」
メイは少し考える素振り。
「バランス型」
「雑」
「いやいや、安定感あるって」
「コメントに困ってるだけでしょ」
図星。
エヴァが小さく笑う。
「まあでも、実際そういうタイプが一番飽きられないわよ」
「フォローになってるのか微妙ね、それ」
アイリがおずおずと口を開く。
「あの……私は……」
「軽い」
メイが即答。
「機動力高そう」
「機械扱いしないでください!」
思わず強めのツッコミ。
場が少し和む。
――そして。
自然と視線がリナへ。
「……やめて」
先手。
「言われる前に分かるから」
メイは少しだけ間を置いてから、
「コンパクト」
「言い方!」
リナが即反応。
「もっとこう……あるでしょ!」
エヴァが横からさらっと言う。
「取り回しがいい」
「だから機械じゃない!」
ミレイも続く。
「環境適応性という観点では――」
「やめてくださいほんとに!」
だが、さっきよりは声に力がある。
セレナが軽く水を払う。
「はいはい、その辺にしなさい」
少しだけ柔らかい声。
「どうせ全員、十分整ってるんだから」
「比較する意味ないでしょ」
メイがにやっとする。
「副艦長、まとめに入った」
「当たり前でしょ」
セレナは軽く睨む。
エヴァがぽつりと呟く。
「まあ……暇なのよ」
その一言で、少しだけ空気が変わる。
誰も否定しない。
ミレイが静かに頷く。
「確かに、刺激が少ない環境ではこういう話題に偏りがちですね」
「つまり仕方ないってことだね」
メイが笑う。
水を軽く跳ね上げる。
「じゃあ結論!」
全員を見る。
「ここにいるメンバー、全員当たりってことで」
「雑すぎるわ」
セレナが即答。
だが、その口元は少し緩んでいる。
リナも、小さく笑う。
「……まあ、それでいいかも」
水面が静かに揺れる。
作られた空間。
作られた時間。
水面に反射した光が、天井と壁にゆらゆらと揺れている。
人工的に作られた“自然”。
だが、その出来は妙にリアルで――逆にどこか現実味がない。
プールの中央付近で、メイが仰向けに浮かんでいる。
「はぁ〜……これ、ずっといられるやつだね」
力を抜いて、水に身を任せる。
アイリがそれを見て、少し真似してみる。
「……あ、浮ける」
「浮けるよ?」
メイが目を閉じたまま答える。
「力抜くのがコツ」
「ちょっと怖いですけど……気持ちいいかも」
そのやり取りを横目に、リナが水面を指でなぞりながら呟く。
「……地球って、こんな感じなのかな?」
ぽつりとした一言。
「行ってみたいな」
メイが目を開ける。
少し考えるように空を見てから、
「火星と大して変わらない所もあるんじゃない?」
軽い調子で言う。
「都市部とかさ、結局人工環境だし」
エヴァが頷く。
「まあ、それはそうね」
「完全な“自然”なんて、今の人類圏だとむしろ希少よ」
セレナは水に肩まで浸かりながら、周囲を見回す。
「確かに……」
少し考えるように言う。
「自然って言われても、実感湧かないわね」
「これだって“それっぽい”だけだし」
手で水面を軽く叩く。
波紋が広がる。
ミレイが静かに続ける。
「そうですね」
「私にとって“自然”というと……やはりアニマです」
その言葉に、少しだけ空気が変わる。
アイリが顔を上げる。
「アニマって、やっぱり全然違うんですか?」
ミレイはわずかに視線を落とす。
思い出すように。
「……情報としてしか見てないけど」
「どこか地球と似てるけど、確実に違う、手付かずの自然なのは間違いないわ」
メイがくるりと体勢を変える。
「いいね、未知ってやつかー」
少し楽しそう。
「ワクワクするよね」
セレナはその言葉に、わずかに表情を引き締める。
「……どうかしらね」
小さく呟く。
リナが水面を見つめたまま言う。
「でも……いいな」
「本物の自然って」
「風とか、匂いとか……」
言葉を探すように続ける。
「そういうの、感じてみたい」
エヴァがそれを聞いて、少しだけ視線を向ける。
「アニマには降りられないし、地球は遠いわよ」
現実的な一言。
「分かってるけど……」
リナは小さく返す。
その声には、さっきとは違う色が混じっていた。
メイが空気を変えるように水をばしゃっと跳ね上げる。
「はいはい、暗くならない!」
「せっかくのプールなんだからさ!」
水しぶきがアイリにかかる。
「きゃっ!?」
「ちょ、やめてください!」
アイリも少しだけ水を返す。
小さな水の応酬。
ミレイは一歩下がって回避。
「巻き込まれたくないですね……」
エヴァはその様子を見て、小さく笑う。
「子供ね」
セレナも、呆れたように言いながら――
少しだけ水をすくって、メイに向けて投げる。
「うわっ、副艦長まで!?」
「うるさいのよ」
「楽しんでるでしょ絶対!」
否定はしない。
リナはその様子を見て、少しだけ迷ってから――
控えめに水をすくう。
そして、そっと投げる。
小さな水しぶき。
誰かに当たるか当たらないか、微妙な距離。
だが――
「お、リナ参戦?」
メイがすぐに気づく。
「よし、ターゲット確定!」
「えっ、ちょ――」
一斉に水が飛ぶ。
「ちょっと待って!!」
慌てるリナ。
その声に、笑いが広がる。
水音と笑い声が、空間に響く。
人工の空の下。
作られた“南国風な場所”。
それでも――
今この瞬間だけは、どこか本物に近い何かがあった。
プール区画の外縁――設備用通路。
普段は点検や保守にしか使われない細い通路に、三つの影が潜んでいた。
壁際に身を寄せ、わずかに開いた観察窓の隙間から中を覗いている。
「……いいか」
小声で、しかし妙に張り切った声。
マルコが二人に向けて指を立てる。
「バレたら俺達の立場が危ない。慎重に行くぞ」
言葉の内容とは裏腹に、表情は完全に楽しんでいる。
最年長らしい“建前”と、“本音”が見事に分離していた。
ルカは露骨に嫌そうな顔をしている。
「俺はこんな事したくないんだ」
腕を組み、半歩下がる。
「ダメだよ」
ノアがルカの腕を掴む。
「本当は見たいんでしょ」
ノアがさらっと被せる。
「地獄は道連れ。死なば諸共」
「何いってるか分からん」
ルカは真顔で返す。
マルコが軽く手を振る。
「まあまあ、それよりも見よ」
ぐっと身を乗り出す。
「水着なんて滅多にお目にかかれないんだ」
その言葉に、ノアも素直に覗き込む。
「……確かに」
淡々とした口調。
「目の保養ですね」
一方でルカは、ため息をつきながらも――
結局、視線だけは窓に向ける。
「……」
数秒の沈黙。
そして。
「……普通の水着だな。」
「何を期待してたの?」
ノアが冷静に突っ込む。
「いや、もっとこう……なんかあるかと、ん?メイの水着?いや、下着なのか?」
「確かに、ずいぶん露出が多いですね」
ノアが身を乗り出す。
ルカがぼそっと呟く。
「あれは地球の水着だよ」
マルコは視線を細める。
「エヴァなんて、あれ反則だぞ」
「分かります」
ノアが即同意。
「制服越しでも予想はできたが、モデルみたいだな。」
マルコが息を呑む。
「なんだか変質者みたいだぞ」
ルカが小さくツッコむ。
マルコはさらに続ける。
「副艦長もいいな……バランスが」
「艦長に怒られますよ」
ルカが突っ込む。
「いかん、心の中の声が漏れたようだ」
マルコはわざとらしく頭を振る。
ノアがふと疑問を口にする。
「それより――」
ちらっとマルコを見る。
「なぜ女子達がプールに入る事を知ってたんです?」
一瞬、間。
マルコは視線を逸らす。
「……それは秘密だ」
「怪しいですね」
「情報網ってやつだ」
「誰から聞いたんです?」
「企業秘密だ」
ルカが呆れたように言う。
「絶対ロクでもないルートだろ」
「失礼な」
マルコは小さく鼻を鳴らす。
その時――
プールの中で、水しぶきが大きく上がる。
笑い声。
「……楽しそうだな」
ルカがぽつりと呟く。
さっきまでの拒否感が、少しだけ薄れている。
ノアが肩をすくめる。
マルコが静かに言う。
「こっちは隠密行動だけどな」
「一緒に遊びたいですね」
ノアがさらっと言う。
「俺も同感だが、世界の全ての選択権は女性にあるんだ」
マルコが即答。
ルカも頷く。
「ここでこうやってこっそり覗いてる時点で、すでに同意は得られないと見ていいだろう」
マルコが真顔で呟く。
ノアはあっさり引く。
その瞬間――
プール側から、ふとこちらに向く気配。
三人同時に固まる。
「……今、誰かこっち見なかったか?」
小声。
「気のせいじゃないですか」
ノアも声を落とす。
ルカはすでに一歩引いている。
「俺は帰るぞ」
「待て待て待て」
マルコが引き止める。
「ここで引いたら何のために来たんだ」
「リスクに見合ってない」
正論。
数秒の緊張。
しかし――
再び、プールから笑い声が上がる。
気づかれてはいない?
三人は、ゆっくりと息を吐く。
「……セーフ」
マルコが小さく呟く。
ノアが冷静に言う。
「綱渡りすぎますね」
ルカはすでに半分帰る体勢。
「だから言ったんだ」
それでも――
誰も完全には離れない。
視線はまた、窓の向こうへ。
“安全圏”ギリギリの場所で。
三人は、しばらくその場に居座り続けた。
観察窓の向こう――
水しぶきの中で、ふと一人だけ動きが止まる。
メイだった。
「……ん?」
視線が、まっすぐこちらを捉える。
数秒の静止。
そして――
にやっと笑う。
次の瞬間、ひらひらと手を振った。
「――おーい」
軽い声が、はっきりとこちらに向けられる。
「そこで見てないでさ、一緒に泳ごうよ」
一瞬、時間が止まる。
プール側。
「え?」
セレナが振り返る。
他のメンバーもつられて視線を向ける。
通路側。
「「「バレてるー」」」
三人同時に小声で絶望。
ルカが即座に踵を返す。
「俺は帰る」
「待て」
ノアが無表情で首根っこを掴む。
がしっと固定。
「もう遅いよ」
「離せ!」
「往生際が悪いですね」
マルコが短く息を吐く。
観念したように肩をすくめる。
「……仕方ない」
一歩前に出る。
「ここは素直に謝って、仲間に入れてもらうとしようじゃないか」
ノアが頷く。
「俺もそう思います」
真顔だ。
「さすがマルコ。俺は覚悟を決めました」
ルカは――
無言で首を横に振る。
しかし首は掴まれたまま。
そのまま半ば引きずられる形で、三人は姿を現す。
プール側ではすでに視線が集中している。
メイが嬉しそうに手招きする。
「ほらほら、こっち来なよ」
リナが一気に顔を赤くする。
「えっ!?ダメだよ!」
慌てて胸元を押さえる。
「恥ずかしいって!」
メイはけろっとした顔。
「いいじゃん、減るもんじゃないし」
「減るとかそういう問題じゃないでしょ!」
リナの声が一段上がる。
セレナは腕を組み、じっと三人を見る。
「……で?」
低い声。
「言い訳は?」
マルコが一歩前に出る。
妙に堂々としている。
「すまない。楽しそうだったのでつい・・・見惚れてしまった」
「さすがマルコ」
ノアが呟く。
ルカは視線を逸らしたまま固まっている。
メイがくすっと笑う。
「まあまあ、いいじゃん」
「減るもんじゃないって言ったでしょ?」
リナが小さく反論する。
「メイはそんな格好でよく平気だね……」
ちらっとビキニを見る。
メイは自分の格好を見下ろして、
「ん?」
首を傾げる。
「別に裸じゃないし」
あっけらかん。
エヴァがため息混じりに言う。
「まあ確かに減らないし、私は別に気にしないわ」
ミレイは視線を逸らしながら言う。
「私は少し恥ずかしいです」
「私も……」
アイリが小さく呟く。
セレナはしばらく三人を見ていたが――
やがて、軽く息を吐く。
「……まあいいわ」
意外にもあっさり。
「どうせ暇なんでしょ」
マルコが即答する。
「イエス、副艦長」
セレナは水面を指で弾く。
「まあいいんじゃない?でもいやらしい目をしたら帰すわよ」
「了解であります」
マルコとノアが真面目に答える。
ルカはまだ固まっている。
メイが手を引く。
「ほら、早く入ろうよ」
「ちょっ――」
抵抗する間もなく、水際へ。
次の瞬間。
ばしゃっ、と水音。
「冷たっ!?」
ルカが思わず声を上げる。
その様子に、笑いが広がる。
張り詰めていた空気が、一気に崩れる。
マルコも肩まで浸かりながら言う。
「……結果オーライだな。メイ様々だ」
ノアが周囲を見回す。
「正にそれです」
ルカは無言だ
再び水しぶきが上がる。
笑い声が重なる。
人工の空間。
作られた時間。
それでも――
さっきまで“外側”にいた三人も、今はその中にいた。
プールの喧騒から少し離れた場所――
人工のヤシの木の下に設置されたラウンジチェアに、ルカとリナは並んで腰掛けていた。
水面の反射が、二人の足元で揺れている。
少し離れた場所では、メイを中心に水を掛け合う声と笑いが続いている。
その賑やかさとは対照的に、ここは静かだった。
リナが足先で水面を軽く蹴る。
小さな波紋。
「あっち行かないの?」
視線はプールの中心に向けたまま。
ルカは一瞬だけそちらを見て――すぐに視線を逸らす。
「……こういうのに慣れてないんだ」
短く答える。
「俺はここでいい」
リナは少しだけ横目でルカを見る。
「ふーん」
それ以上は踏み込まない。
だが、その一言に含まれた“興味”は隠れていなかった。
沈黙が落ちる。
遠くの水音だけが、規則的に響く。
ルカは居心地が悪そうに姿勢を少し変える。
視線は意識的にプールの反対側へ。
露出は少ない――そう言い聞かせても、身体のラインがはっきり出る水着だ。
なるべく見ないように、無意識に距離を取る。
その様子を、リナは気づいているのかいないのか。
ふと、別の話題を投げる。
「ルカは帰りたくないの?」
ルカは少しだけ考える間を置いた。
すぐに答えられる問いのはずなのに。
「……任務だからな」
結局、選んだのは無難な言葉。
「特に何とも思ってない」
リナはその返答を聞いて、小さく頷く。
「そっか」
また水面を見る。
自分の指先が作る波紋を、ぼんやりと追いかける。
そして――
ぽつりと。
「私は帰りたいの」
声は小さい。
だが、はっきりしていた。
ルカは何も言わない。
言えない、が近い。
視線を少しだけリナの方へ向けるが――すぐに外す。
返す言葉が見つからない。
慰めるのも違う。否定するのも違う。
だから沈黙を選ぶ。
遠くで、メイの笑い声が大きく響く。
それがやけに遠く感じる。
リナはその音に一瞬だけ顔を上げて、すぐにまた視線を落とす。
「……ね」
少しだけ間を置いてから。
「ここ、綺麗だよね」
話題を戻すように、軽く言う。
ルカは頷く。
「ああ」
短い返答。
「よく出来てると思う」
「うん」
リナも小さく頷く。
「でもさ――」
言いかけて止める。
ルカは何も言わない。
再び沈黙。
リナは足を軽く揺らす。
水面に小さな波が広がる。
「……ま、いいや」
無理やり切り替えるように言う。
そして、ほんの少しだけ笑う。
「今は、ここにいるしかないもんね」
ルカはその言葉に、無言で頷く。
ヤシの木の影が、わずかに揺れる。
遠くでは、まだ笑い声が続いている。
水音と混ざり合って、どこか現実感の薄い空間を作っていた。
その一角――
ルカとリナの周囲だけが、切り取られたように静かだった。
リナは足先で水面をなぞるのをやめ、しばらく動かない。
ルカも何も言わない。
ただ、少しだけ姿勢を固くして座っている。
その時――
不意に。
リナの腕が、ルカの腕に絡みつく。
「――っ」
反射的に、ルカの身体が強張る。
柔らかい感触が、はっきりと伝わる。
距離が、一気にゼロに近づく。
頭の中が、真っ白になる。
状況の処理が追いつかない。
「……リナ?」
声が少しだけ上ずる。
リナは顔を上げない。
視線は落ちたまま。
そのまま、小さく口を開く。
「私、帰りたいの」
さっきと同じ言葉。
けれど、重さが違った。
声が、わずかに震えている。
「どうすればいいかな?」
ルカは答えられない。
言葉が浮かばない。
任務、規律、現実――
頭の中でいくつも浮かぶが、どれも今この瞬間には噛み合わない。
ただ、隣にいるリナの体温だけがやけに鮮明だった。
沈黙。
数秒。
それがやけに長く感じる。
リナが、もう一度だけ声を出す。
「ねえ――」
少しだけ顔を上げる。
ルカの方を見るでもなく、ただ距離だけを詰めるように。
「一緒に――」
そこで言葉が止まる。
最後まで続かない。
代わりに。
体重を預けるように、そっと身体をもたれかける。
ルカの肩に、リナの重みがかかる。
逃げ場がなくなる。
思考が止まる。
拒むべきか、受け止めるべきか――
判断ができない。
ただ、動けない。
遠くで、水が跳ねる音。
笑い声。
それがやけに遠い。
ここだけが、別の空間のように静まり返る。
ルカは何も言えないまま。
ただ、隣にある体温を感じていた。
水しぶきと笑い声が、しばらく続いたあと――
少しずつ、空気が落ち着いてくる。
思い思いに水から上がり、プールサイドや浅瀬に腰を下ろす面々。
まだ余韻の残るざわめきの中で、メイがふと口を開く。
「次はさ、艦長やシグも連れてきなよ」
軽い調子。
水面を指で弾きながら言う。
マルコが肩をすくめる。
「今度誘ってみよう」
少し笑う。
「何せ向こう――ステラ・ヴィアはやる事がないからな」
ノアが頷く。
「事実ですね」
「やる事がないのに規律だけはあるのが厄介だ」
ルカがぼそっと付け加える。
セレナは髪をかき上げながら、軽く息を吐く。
「こっちも基本的には同じよ」
水面に視線を落とす。
「まあ、このプラントは色々使えそうだから調べてるけどね」
少し間を置いて、
「オスカーが」
と、他人任せのように付け足す。
ミレイが静かに言う。
「アニマの観測は継続していますよ」
「環境変化の兆候も含めて、記録は積み上がっています」
アイリも頷く。
「そうですね」
「私達は何気に忙しいんです」
少しだけ誇らしげ。
エヴァはそれを聞いて、肩をすくめる。
「私は暇」
あっさり言い切る。
「イーサと艦長くらいじゃないかしら、忙しいのは」
「意外と偏ってるよね、仕事量」
メイが笑う。
「まあ、その分こうやって遊べるんだけどさ」
誰かが水を軽く蹴る。
小さな波が広がる。
沈黙――というより、落ち着いた間。
さっきまでの騒がしさとは違う、緩やかな時間。
遠くでは、人工の波の音が一定のリズムで響いている。
セレナが立ち上がる。
「そろそろ戻るわよ」
「はーい」
メイが軽く手を上げる。
「楽しかったー」
リナも小さく頷く。
さっきまでの不安定さは、少しだけ影を潜めていた。
ルカは何も言わないが、静かに立ち上がる。
マルコが周囲を見回す。
「……まあ、こういうのは悪くないな」
「いや、むしろ良かったです」
ノアが即座に返す。
軽い笑い。
それぞれがタオルを手に取り、出口へと向かい始める。
人工の南国。
作られた楽園。
その時間は、静かに終わりを迎える。
――日常に戻るために。




