〈番外編〉 不思議探偵リリィーナの朝
今朝は珍しく『白く寂しい通り』の名の由来となった乳白色の霧が晴れていた。
こんな日は稀にしかない。
不思議探偵リリィーナは藍色のマントに身を包み、道のただ中に立った。
幅広い道路の中央には馬車の轍とともに自動車のタイヤ痕が残り、一段高い歩道には青銅色したガス灯が立ち並ぶ。
左右に見える茶色い三角屋根、黒い木組みの窓と白い壁。煉瓦造りの建物や、店の軒にぶら下がる色鮮やかな絵が描かれた看板、モザイク模様の石畳は、時間の流れから取り残されたような中世欧州の街並みを彷彿とさせる。
白く寂しい通りに、永遠の静寂が通り過ぎる朝のひととき。
この街がおりにふれて見せる景色の中で、とりわけリリィーナの好きな風景だ。
そんな見透しの良い通りの向こうを、黒い鳥が一羽、石畳を歩いていた。リリィーナを見るや、サッと飛び立った。
リリィーナは、顔を隠していたフードを肩に払い落とした。
少し離れた上空を旋回していた黒い鳥と、目が遭った。
リリィーナは右手をポケットに入れた。
突然、黒い鳥が翼をたたんで滑空した。
一直線に突っ込んでくる。
リリィーナはポケットの中で掌に収まる銀細工の剣を掴んだ。
黒い鳥はリリィーナを狙っている。
鋭い嘴とかぎ爪で引き裂くつもりだ。
リリィーナは右手をマントから突き出した。
小さな剣が輝き、瞬時に銀の長剣と化す。
刃は大人の腕の長さほどの両刃の剣だ。
高く振り上げられた剣先の、もはや避けきれぬ軌道上で、黒い鳥は叫んだ。
『お前は、不思議探偵リリィーナなのか!?……』
耳障りな叫びのこだまするなか、銀の剣は、黒い鳥の左の翼から右胸を斜めに切り裂いた。
それでも黒い鳥は、リリィーナの頭上を越えて飛び続け、数メートル先の石畳に墜落した。墜落の衝撃で、翼は変な角度に折れ曲がった。それでもなお逃れようと、折れた翼で地面をむなしく掻いている。
「この魔術師用の衣装で、精気の補充に良さそうな生贄に見えたか?」
リリィーナは鳥に近付いた。
黒い鳥は振り返り、キンッ、と、頭に響く高音な悲鳴を上げた。
『――よくも、よくも……!』
猛禽のクチバシの奥で歯車が軋んでいる。
石畳に這いこすれた黒い翼は、先端から分解し始めていた。
擬似生命体とはいえ、半ばは魔法で組み上げられた魔人形だ。心臓の代わりに体内に埋め込まれた宝石を破壊されたら、体躯を結び合わせた魔法は効力を失い、その器を組み上げていた魔法も解ける。
黒い羽毛がほろほろと抜け落ちていく。鳥の華奢な骨格に似た細かい部品が結合を失い、バラけていく。
だが、信じがたい執念が瀕死の黒い鳥になおも言葉を喋らせていた。
『オレは不思議探偵を殺したのだ! お前はゆうべ港で燃えた船とともに、境海に沈んだはずだ! 船にいた者はみんな死んだ! 誰もオレの追跡など出来ないはずだ!』
ギギ、と根元まで崩れたクチバシの奥で金属が擦れた。中から小さなネジが数本、こぼれ落ちる。左の眼球が転がり出て地面で割れた。ガラス玉だ。瞳を構成していた黒い破片は、虹色の艶を帯びていた。
「わたしを付け狙っていた刺客はお前だったのか。お粗末な手口だったな。あいにく不思議探偵は、あの程度では死なないんだ」
リリィーナは左肩口で留めていたブローチを外し、マントを右肩にはねあげた。
藍色の三つ揃いもネクタイも革靴も、昨夜と同じ。
キズどころか、染み一つ付いていない。
黒い鳥はひどく耳障りな悲鳴を上げた。その音波で、近くの家の窓硝子がひび割れたほど。
『お前は死んだ! 殺したはずだ……』
黒い鳥は、欠けた頭をガクリと垂れた。体を構成していた部品の大半は、すでに石畳の上に散らばっている。
「私の命を狙い、さらに白く寂しい通りにまで来るとは、なかなか周到な知恵があるな。お前の創造主の名は?」
リリィーナが訊ねると、鳥は喉の奥で、ギリギリと歯車の軋みをあげた。最後の嘲笑だったのだろう。
『仮そめにも境海の探偵を名乗るならば、自分で探せ。果てのない境海世界を探せるものならば。永遠に呪われるがいい……』
黒い鳥の首は、その付け根からカシャンと落ちた。
リリィーナは、艶の無い金属の残骸から、ひとつだけ、赤くきらめく物体を指先でつまみ上げた。
「魔の使いにふさわしく、なかなか惨めな最後だったな。それでは、核心にことの真相を訊ねるとするか」
それは、親指の爪ほどの紅玉だった。魔鳥に偽りの命を与えていた魔法の源だ。血のように赤い石は、中心から大きくヒビ割れていた。
「損なわれても、石には記憶が宿るもの」
リリィーナは指先の神経を紅玉に集中した。魔石に刻まれた情報は、黒い鳥が創造された時点からの記憶映像だ。秘密を護るための魔法による防御はそこそこ念入りに施されていたが、物理的なヒビ割れは破れた魔法の象徴でもあり、文字通りの突破口となった。
リリィーナは目を閉じた。
暗い目蓋の内側がスクリーンとなる。
その暗闇に人の形らしきものが浮かびあがり、次第に形を整えていく。
「青い角、いや、帽子か……白い仮面……この格好は、道化師? タンゲイ……」
ようやく地名らしいものを読み取れたその刹那、魔石から赤い閃光が走り、掌に切り裂くような痛みが走った。
「……ッつうっ」
魔石は弾けた。
右手が赤い粉末まみれになった。払おうにも、赤い粉はベッタリと手にへばり付いている。その赤く染まった皮膚から白煙が立ちのぼる。その部分が燃えるように熱い。魔石に仕掛けられていた呪いに加え、何らかの薬品を使用した化学反応によるものだろう。放っておけばこの灼熱は骨まで熔解させるだろう。
リリィーナは奥歯を噛みしめた。
煙の上がる右手を握り締める。
拳が真紅の炎に包まれた。
魔石の作用ではない。
リリィーナ自身が生み出した魔法の炎、浄化の業だ。真紅の呪いをより強力な魔法で押さえ込み、さらなる超高温の火炎によって焼き尽くす。
ついに炎は白色光に輝いた。
と、次の瞬間、炎は消え失せた。
ふう、と溜息を吐いたリリィーナの右手は、きれいな皮膚を取り戻していた。手指の動きも滑らかだ。
「やれやれ、凝った仕掛けのオモチャだった。それにしても、タンゲイトーとはね……」
境海の果てにあるという伝説の、『夜の遊びの国』。
それは選ばれた子供だけが行けるという魔法の夢の国。新月の真夜中に、街外れの四つ辻へ、黒い馬が引く漆黒の馬車がやってくる。特別な招待状を手に入れた子供だけが馬車に乗ることができる。馬車は闇の道を走り、境海の果てにあるというけっして終わりのない遊園地へ行けるという。
子供は毎日、遊園地で遊んで暮らす。
帰りたがる子供はいない。
しかし、見方を変えれば、それは永遠の囚われ人だ。
現実世界に二度と帰れぬ夢は、死に等しい究極の悪夢となる。
「オモチャとは……気になる符号だが、引き出せる情報は、ここまでか」
魔石の消滅とともに、黒い鳥の残骸も跡形無く消滅していた。魔人形なら魔法と組み合わされた部品くらいは残るのに、こいつは部品もすべてが魔法の産物だったらしい。
「かなり高度な技術を持つ創造主らしいな。これで刺客の手掛かりは途絶えた。いずれまた、こいつを送ってきた敵を探る機会はあるだろうが……嫌な相手だ」
ふと、頬に暖かな湿り気を感じて、リリィーナは顔を上げた。
サァーッ、と大量の霧が吹き寄せてくる。
たちまち建物は見えなくなり、ガス灯が自動的に黄色い明かりを点灯していく。
白く寂しい通りに、いつもの風景が戻ってきた。
リリィーナは深い霧の中を迷い無い足どりで歩み、三ブロック先にある自分の事務所へ戻った。
〈了〉




