〈番外編〉魔法玩具師の作るもの
なんとかして連絡せねば。
魔法玩具師は油断なく辺りに目を配った。
自分の仕事場だ。何がどこにあるのかは、わかっている。
ここにしかない玩具作りの道具はすぐ揃った。
三方の壁には創作した魔法玩具の記録写真がびっしり貼ってある。
作業台の近くを飾るのは友人達の写真だ。皆が常連の喫茶店エクメーネで撮った記念写真。人形を作るデザインの参考にと、個人的に譲り受けたものもある。
そのひとつをチラリと見た。
それは、二十歳前後の女性の肖像写真。黒髪に黒い瞳、顔立ちは細面ながら、凜とした眼差しが印象深い。藍色の三つ揃いを見事に着こなす親友『白く寂しい通りの不思議探偵リリィーナ』だ。
どんな小さなヒントでもかまわない。
リリィーナに残せれば、きっと手掛かりを掴んでくれる。
「まだかね、トイズマスター?」
作業台の側で黒ずくめの男が煙草をふかし、イライラと足踏みした。
トイズマスターは卓上のメモ用紙に手を伸ばしかけ、慌てて別の品物を掴んだ。大きな黒鞄に適当に放り込む。
「ああ、もう少しだ。他の部屋にも行きたいんだが……。それから地下室にも道具や材料を取りに行きたいんだがね」
「かまわないが、付き添わせてもらうよ」
黒ずくめの男は笑った。強い境海魔術師の彼は、一人で漆黒の魔法馬車を御せる。すなわち、多くの世界で子供を略取するという、重要任務を単独で任されるほどに、リングマスターの信頼が厚い。それだけ深い闇の側にいるということだ。
――やはり、隙を突くのは無理か。
今はこちらを見ていない。しかし、この男とは別に、トイズマスターの頭上には、常にリングマスターの魔法による監視の目が光っている。
トイズマスターは静かに深呼吸した。
焦っちゃだめだ――誘拐されてから半年間、外部との連絡手段を絶たれていた。だが、今日はほんの一時とはいえ、『白く寂しい通り』に戻れた。今は自分の街の、自分の家にいる。
そして、不思議探偵リリィーナのオフィスは、ほんの三ブロック先だ。
トイズマスターは見張りの男を連れて二階の寝室に向かった。
寝室は十二畳ほど。部屋の片隅にはぬいぐるみがたくさん転がっている。ベッドのサイドテーブルには、作りかけのぬいぐるみや端布、裁縫道具が散らかっていた。
「へ、花柄の壁紙に、天井には銀河のモビールか。中年を過ぎたヒゲ面のオッサンの部屋とは思えないね」
見張りの男は、室内装飾に興味は無いようだ。
トイズマスターは、ぬいぐるみの山から小花模様のテディベアを一つ取り上げた。
「眠りの妖精だ、ひとつどうかね?」
テディベアを薦められた見張りの男は、苦笑して首を横に振った。
トイズマスターはぬいぐるみを元の場所に戻した。
サイドテーブルに積んである材料の山から、端切れの布をひと掴み、裁縫道具の箱と一緒に黒鞄に詰めた。それから、サイドテーブルに鎮座していた小花模様のテディベアを片手で掴んだ。全長三十センチくらい、幼児が抱ける大きさだ。右腕より左腕が少し短い。全体のバランスも歪だが完成品だ。
それを片手に次の部屋へ移動する。
必要な物を集める一方で、ゴミ袋にもいろいろ拾い入れていく。
「おい、何をしているんだ?」
見張りの男が眉をひそめる。
「半年間も放ったらかしだったんだ、少し片付けさせてくれよ、見たら気になってしまって」
トイズマスターはゴミ集めの手を休めずに答えた。地下室でも道具と材料を黒鞄に詰めた。ゴミ袋にも、適当なガラクタを詰め込んでいく。
「へえ、また帰れるとでも思っているのかい? アンタは、夜の遊びの国で、遊園地と玩具を永遠に作らされる運命だと思うがね」
ひょっとしたら、アンタの人生がリングマスターのオモチャかもな、と見張りの男は笑った。
トイズマスターは、黙って大きな三つの鞄のうち二つを見張りの男に持たせた。
一つは壊れやすい材料を入れたから、と、自分で持つ。
トイズマスターに抱かれたテディベアの頭はプルプルと震えていた。ぬいぐるみのくせに怖がりだ。触ってわかる程度の震え方だから、見張りの男には気付かれていないだろう。
左腕にテディベア、右手にゴミ袋を持って、店の外に出た。
玄関の施錠を確認して、見張りの男と歩き出す。
真昼だというのに、街は霧でまっ白だ。
通りを南下する途中で、ゴミ捨て場にゴミ袋を捨てた。
歪なテディベアも投げ捨てた。
――頼んだぞ、シャーキス。すぐ、リリィーナに知らせに行ってくれよ……。
その時だ。
軽い足音が白い霧のカーテンを抜け、真っ青なワンピースの少女が現れた。肩にかかる銀の巻き毛がふわふわと揺れる。年の頃は十五歳くらい、青玉の瞳に象牙色の肌、サクランボのような唇。今は可愛らしいという表現がぴったりだが、彼女が成長した近い未来には、その美しさは月をも凌ぐだろう。そんな美貌を約束された少女だ。
「トイズマスター!」
はつらつとした声で呼ばれてしまった。
ラリゼル姫! 魔法大学付属学院に半年前から留学しているバスティア国の王女様。いつもならなにより嬉しいその呼びかけが、今日だけは地獄に落とされる宣告にも聞こえた。
澄んだ青い目がトイズマスターを見て喜びに輝く。
だが、傍らの黒づくめの男が視界に入ると、大きく見開かれた。
驚愕と恐怖をたたえた純真なその瞳。
トイズマスターは口だけを動かした。
――喋っちゃダメだ。静かにしていなさい。
その場に止まったラリゼル姫は、小さく頷き、俯いた。
「気の毒だが、このお嬢さんも一緒に来て貰うぞ」
少女が彼の怪しさに気付いたのを、彼もまた気付いたのだ。
「いや、ダメだッ、この子は関係ない、君、早く逃げるんだ!」
トイズマスターは鞄を放り捨てて男にむしゃぶりついた。殴り倒され、それでも男の両足にすがりついて両手で抱え込む。
少女は身を翻し、霧の中へ走り去った。
すぐに、霧の向こうで、小さな悲鳴があがった。
霧の中から再び現れた少女の背後には、緑の服の若者が伴われていた。
「やれやれ、往生際の悪い人だな。このお嬢さんは――あなたの娘さんではありませんねぇ。この街のお知り合いですか、トイズマスター?」
陽気な声は、まだとても若い。だが、その口調は相手の不愉快さをかき立てる悪意で満ちている。年の頃は二十歳そこそこの若者だ。目を細めた笑顔は人なつっこい。ひょろりとした長身を緑のコートにつつみ、襟元には真紅のスカーフをしめている。
ここしばらく顔を見ていなかった。
よりによってこんな日に戻って来るとは!
こいつさえいなければ、ラリゼル姫は逃げおおせたかも知れないのに……。
トイズマスターは震えながら立とうとした。見張りの男に腹を殴られ、うずくまった。腹を押さえて軽く咳き込む。
「ホ、ホリディ、頼む。その子は、ただのお客さんだ、離して、あげてくれ」
「残念ですが、私たちまで見られてしまったのではね。ここは局に近すぎる。駆け込まれて喋られたら困るので、一緒に連れて行きますよ」
絶望の呻きをあげるトイズマスターを、ホリディは嘲った。
「そういえば、私はリングマスターの指示で、ある街に行って来たんですよ。そこでこのお嬢さんに非常によく似た女の子を見かけました」
ホリディは、俯いているラリゼル姫の顔を横から覗き込んだ。
「良かったですねぇ、父親としては嬉しいでしょう。本当にあの子とよく似てますね。……母子共にお元気そうでしたよ」
ホリディは嬉しそうに唇の端を上げた。
トイズマスターは顔から血の気が引いた。娘は母親似で金髪だ。確かにラリゼル姫とはふわふわの巻き毛が似ている。
別居中の家族の居場所をホリディに突き止められた!
トイズマスターが脅迫を理解したのを悟ったホリディは、余裕のある笑みでそらっとぼけた。
「ああ、でもね、あなたの態度次第では、私が見てきたことを、リングマスターに報告しないこともできるでしょうか。なにせ、あなたにはさんざん迷惑を掛けられてきたのでね」
この数ヶ月、ホリディは、隙を見て逃げ出そうとするトイズマスターに手を焼いてきた。今回の遠出も、リングマスターの命令で、トイズマスターの弱みを探索してきたに違いない。でなければ、境海を越える片道だけで一ヶ月以上かかる遠い街を、ホリディが訪れるはずがない。
「大切な者を護りたければ、我我に逆らわないことです。このお嬢さんの運命もあなた次第ですよ?」
「わかっている、だから、何でも言うとおりにしているじゃないか。他の人を、ましてや子供を巻き込まないでくれ!」
「トイズマスター……」
怯えたラリゼル姫の声を聞き、トイズマスターは激昂したのを後悔した。ラリゼル姫の綺麗な顔が涙で滲んで見えなくなる。震える手で鼻の上にずり落ちた眼鏡をかけ直した。
――自分はなんて浅ましい人間なのだろう。ここにいるのが自分の娘では無いことを、一瞬でも喜んでしまうなんて……。
「ごめん、ごめんね……でも、大丈夫だよ、君は私が護るから。必ず、護り抜いてみせるから。私と一緒に、来て欲しい……」
白く寂しい通りから連れ去られたこの二人が、多次元管理局の一斉捜査によって救出されるのは、これから一ヶ月後のことになる。
〈了〉




