(六十二)最終話:白く寂しい通りでモーニングを
リリィーナが喫茶エクメーネを訪れた時、マスターは『多次元新聞』を読んでいた。白く寂しい通りで出版される中でも部数トップ、近隣世界への輸出最多を誇る多次元管理局新聞社発行の新聞だ。
「……かくて、不思議探偵リリィーナの活躍により、境海の悪魔フィクス・タルトウは局に拘束され、夜の遊びの国は境海から滅びたのである」
マスターは新聞を顔から離した。リリィーナを見て、いかにもつまらなそうに、唇を尖らせる。
「これじゃ、購読者が消化不良をおこしちまうぞ。一斉捜査のイの字もないじゃないか」
「一応、極秘の作戦なので、内容も機密事項です。局の報道管制は完璧ですから」
リリィーナはカウンター席の一番奥に陣取った。リリィーナの指定席だ。日替わりのブレンドコーヒーを注文する。
「ほいよ、今日はエチオピアだよ。地球から良い豆を仕入れてきたんだ。そういや、君、フグ毒は結局、どうやって抜いたんだい?」
マスターは新聞をたたみ、リリィーナの前に置いた。今朝の朝刊だ。リリィーナは新聞を取り上げ、第一面を眺めた。
『境海の伝説と魔界:夜の遊びの国の最後を検証する』
多次元管理局新聞社だけではなく、第ゼロ次元近郊の新聞・雑誌社のほとんどが、一斉捜査が公表されたその日から夜の遊びの国の特集記事を連載している。
第ゼロ次元は、多次元管理局のお膝元だけあって、犯罪事件は滅多に発生しない。だから、年に二、三回行われる局の一斉捜査は絶好の話題なのだ。
「そんなに興味があるなら、マスターも一斉捜査に参加すれば良かったのに」
「だーかーらー、コーヒー豆の生産地の視察とかさなったんだよ。代わりに、軽食コーナーに協賛したんだ。とっておきのモカブレンドとキリマンジャロと、ハムのサンドイッチをね」
「ご馳走さまでした。しかし、それなら、関係者の予備局員として報告会議に出る権利はありましたよ?」
「だから、その日も、地球の豆の生産地を見廻っていたんだってば。局に納めているコーヒー豆の選定も兼ねた、スカウトマン肝煎りの視察旅行だったんだよ。一斉捜査と同じくらい、外せない仕事だからさ」
マスターは、わかるだろ、と言外に理解を求めた。
リリィーナは澄まして首をすくめた。スカウトマンが関わったと聞いた時点で、マスターの視察旅行が局の何かの捜査絡みなことくらい、察しがついている。
「それじゃ、あきらめてください。今回の事件は、ラリゼル姫のプライバシーにも関わるので、外で話はできませんよ。報告書の閲覧はいくらでもできるでしょ?」
「当事者の裏話が聞きたいんだ。地下の玉座の間で、君に倒された老人の召使いの正体がどこにも書いてないぞ。それに、君のゾンビ化の顛末を教えろよ。でないと、モーニングサービスにはいつまで待ってもありつけないよ?」
マスターの脅迫に、リリィーナは負けた。
まだ公式発表はされていませんが、と前置きしてから、リリィーナは話を始めた。
召使いの老人の正体は、晩年の生活保障と引き換えにリングマスターと契約をした、名も無き境海の魔術師だった。彼がリングマスターと交わした契約書は、後始末に入った掃除班の局員によって、王城の文書保管室で発見された。
「あの老人も、ホリディや黒騎士のように、境海で取り引きが行われる際の、リングマスターの代理人でした。老境を迎えた彼は、リングマスターの顔として仕事をするのと引き換えに、あの島で何不自由なく、安楽に暮らすことが望みだったようです。最後の最後で、リングマスターは自分の身代わりに利用してから、彼を切り捨てました。契約があるから、リングマスターは老人を殺せない。ですから、わたしに彼を殺させるように、自分のフリをさせてね。人間の絶望は、子どもたちの若さとまた別に、リングマスターのパワーでしたから、最後に逃亡するエネルギーにするつもりだったのでしょう」
リリィーナは軽く一息ついた。反省は無いが、軽い後悔はある。生きたまま逮捕できればベストだったのに――。だが、魔法と魔物の攻撃を繰り出され、いかにリリィーナでも手加減する余裕は無かった。
マスターは眉をひそめて、人間の裏切り者か、と呟いた。
保護された子どもたちに行われた聞き取り調査によれば、老人は子どもたちの生活に関わることもあり、親切なおじいさんとして知られていたようだ。しかし、己の安楽と引き換えに、大勢の子どもたちの人生を積極的に犠牲にしたのは申し開きようのない罪である。彼もまた、夜の遊びの国の重要なスタッフだったのだ。
「今回、夜の遊びの国に関係していた人間のうち、唯一、君に引導を渡された人間だね。自業自得というものだ。で、君をゾンビから回復させたのは?」
リリィーナはしぶしぶ、島に居た間に、ヒルダおばさんに解毒魔法をかけてもらったことを白状した。リリィーナの容態を診た現役教師のヒルダ先生は、教え後の無茶苦茶ぶりに、案の定、激怒した。お説教もされたが、夜の遊びの国の後始末で忙しかったので説教時間は短く、八分間で済んだのだけが、幸いだった。
「ワハハ、やっぱり怒られたんだ! そりゃそうだよ、ホントに死んだら大変じゃないか。そういうのは、心臓が止まる前に対処しろよ」
「自分の命に別状が無いのは、わかっていましたから。あのときのわたしには手間の掛かる毒抜きより、死体蘇生術を掛ける方が簡単だったんですよ。それから――わたしの仕事の顛末ですが、マスターにはいつもお世話になっていますから、これくらいは提供しましょうか」
リリィーナは背広の右ポケットから小さな銀の剣を取り出し、コーヒーカップの横に置いた。多次元管理局の、それも万能捜査課員だけに支給される剣は個人に合わせた完全カスタムメードなので、この世に一本しか無い特別な魔法の剣なのだ。
「昨夜遅くに呼び出されて、局の窓口まで取りに行ってきました。これで、わたしの夜の遊びの国での仕事は完了しました」
「そうか、剣に封じられたリングマスターは、もう浄化しちゃったんだな」
マスターは低く唸るように呟いた。
「呆気ないものです。わたしが剣に封じた時が第一の死なら、魔の本質すべてが失われた時が、真の死、でしょうか。いずれにしても、これでジ・エンドです」
リリィーナは銀の短剣をポケットに仕舞った。魔物退治の感慨はこれで十分だ。剣が戻ったから、明日から自分の事務所で、自分の選んだ仕事を手掛けられる。
「その呆気ない敵のせいで死にかけたくせに。もっとも、リングマスターの正体が判明する前に一斉捜査が開始されちゃったのは、ラリゼル姫が攫われたせいだったけどさ」
マスターは呆れ顔になった。
局の一斉捜査は、標的とした犯罪組織を根こそぎ潰すのが目的だ。そのガサ入れは境海世界をまたいで行われるため、事前の調査は証拠集めから犯罪組織の名簿作成まで徹底的に調べられる。今回のように人質の命の危険など、よほど切実な事情でもなければ、主犯格の正体が不明な時機で踏み込んだりはしない。
「トイズマスターも姫君も被害者ですしね。このことは機密扱いになってます」
「わかってるよ。結果オーライ、だね」
「一斉捜査の開始を決めるのはスカウトマンですし、わたしがリングマスターと対決することになったのも、全部スカウトマンの責任です。だから、この話はこれで終わり! あとは機密文書の閲覧をどうぞ」
「しょうーがないな、機密情報漏洩の引き換えに、モーニングセットでも奢ってあげるとするか」
マスターが苦笑いしながら料理に取り掛かった。マスターも夜の遊びの国の捜査には長年関わっていたから、事件の解決は嬉しいのだ。
「ベーコンとマッシュルームとトマトも付けてくださいね。やっと報告書の作成から解放されたお祝いです」
リリィーナは出されたコーヒーを飲もうと、カップを持ち上げた。熱い湯気と芳しい香りが顔を包む。
カララン。
リリィーナがコーヒーに口を付ける寸前で、ドアベルが鳴った。
「いたわっ、不思議探偵のリリィーナよ!」
ドアを開けた黒縁メガネの若い女性記者を先頭に、揃って居るのは数十人。全員ここの常連だ。その目は独占取材の闘志にメラメラと燃え立っているようだった。 次の瞬間、彼らはほとんど聞き取れぬ雄叫びをあげ、ペンとメモ用紙を持った軍団と化して押し寄せてきた。
リリィーナはまだ一口も飲んでいないコーヒーカップをガシャンと置いた。食器にこだわりを持つマスターの顔が般若に歪む。
「マスター、またあとで来ますから!」
リリィーナはカウンターを飛び越え、エクメーネの裏口から逃げ出した。
白く寂しい通りに居る限り、また今週の新聞連載が終わらない限り、記者は取材にやって来る。リリィーナは追跡を巻いてから、局の編集局に自ら出頭した。そして、編集局長に直談判して取材協定を取り付け、取材合戦を収めてもらった。
これでやっと落ち着ける。
編集局から出たら、日付はとっくに変わっていた。
朝の空気は冷たく澄んで、夜明けの空から乳白色の霧が降りてくる。
真っ白に閉ざされた通りを、リリィーナは喫茶エクメーネの方へ歩いて行った。
〈了〉




