(六十)一斉捜査、終了す②
ラリゼル姫の記憶は消去しないし、いかなる記憶操作もしない。……と、婚約者で、現地では一番近い身内になる白猫は主張した。
この事件の記憶を、ラリゼル姫の心的外傷後ストレス障害にしないためには、本人が結末を見届けるのが一番良い。
以上が、魔法学院でラリゼル姫を担任する教師と、白猫と、リリィーナとトイズマスターで決めたアフターケアの方針だった。
ラリゼル姫が眠っている間に白く寂しい通りへ運ぶのではなく、夜の遊びの国が解体されていく過程を見せるのだ。被害者が保護されるのをその目で見、ラリゼル姫本人も同じ船に乗せて境海を越えさせ、白く寂しい通りまで物理的な距離を実感しながら帰還する、行動療法である。
「やあ、おつかれさま」
トイズマスターがやって来た。顔色はくすんでいるが、表情は明るい。羽織っているくたびれたトレンチコートは彼のお気に入りの旅装だ。こうしていると、誘拐される以前と何一つ変わっていない。
「島を出る前に一言、お礼が言いたくてね」
トイズマスターは、愉快そうに細めた横目をくれた。
「掃除班の連中から聞いたよ。リングマスターの正体は、真珠貝のバケモノだったんだって」
掃除班とは通称:掃除屋と呼ばれる、局の万能課でも選りすぐりの人材を揃えた部署だ。主な活動は、逮捕後の犯人の回収や、捜査が終了した現場の、あらゆるもの――物理的なゴミの類いから、目に見えぬ魔の穢れまで――を、完璧に清掃できる専門家を集めたチームである。
「齢数千年以上のね。ひょっとしたら、境海の神話時代から生息していた可能性もあるそうです。一度は寿命が尽きかけた痕跡があったそうですから、動機は、この世での存続といったあたりでしょう」
「魔物と化したところで、永遠は存在しないのにね。この世での存続と、さらなる魔力を求めた結果が、灰色の神神へ子どもたちを生贄に捧げる、呪術信仰だったわけだ。本当に、境海は広くて怖いね。それでも人は生きているわけだが――」
トイズマスターは海を眺めている。メガネの奥の目は穏やかで、黒い泉のように澄んでいた。トイズマスターはリリィーナよりも古参の予備役だ。本当は、いったい何年、生きているのだろう――いや、きっと彼も、リリィーナのことをそう思って見ているだろう。お互い、多次元管理局に、人生を鎖で繋がれた身だ。余計なことは訊かくてかまわない。それが局員としての在り方だ。
「ところで君は、コーヒーなんか飲んで大丈夫なのか。フグ毒はすっかり抜けたのかい?」
「あー、あれは、フグではなくて、イソギンチャクの毒でした。やっぱりテトロドトキシンでしたよ。リングマスターに……貝に共生するイソギンチャクの魔物だったのか、リングマスターの貝に共生したから魔物と化したのか、それは今後の調査で明らかになるでしょう」
人間には貝の心などわからない。もとより、魔物の心など理解できようはずもない。しかし、リリィーナたちが戦った化け物の正体は、局から派遣された分析の専門家が、おいおい解明してくれるだろう。
「境海の魔物たちか。私はとんでもないものに見込まれちゃってたんだな。君は毒抜きができて良かったね」
「じつはまだ心臓は動いていませんが」
「は?」
トイズマスターは首を傾げた。
リリィーナは、真珠の室では死ぬと驚かしてすみませんでした、と詫びた。
「正確には、仮死状態です。あれから医療班に診断はしてもらいました。みんな忙しそうなので、わたしの治療は後回しにしました。じつは、心臓が止まった瞬間から、自分で自分を動かすように魔力を使っています。単なる死体蘇生術の応用ですが、不自由は味がわからないことくらいですから」
「おい、それは、本物のゾンビじゃないか!? いや、だめだろう、それは。医療班に得意なやつがいないなら、ヒルダ先生がいるから毒抜きしてもらった方が……」
そこでトイズマスターは「ああ、そうか」と、得心がいった表情になった。
ヒルダおばさんはリリィーナの恩師だ。医師ではないが、浄化系、特に治癒魔法に長けた教師である。局員のほとんどは教え子だ。リリィーナも当然頭が上がらない、局の影の実力者だ。
「さては、こんな無茶をして、と、ヒルダ先生に怒られるのが嫌なんだろう」
トイズマスターに図星を突かれたリリィーナはコーヒーを三口啜った。かろうじてコーヒーの香りは嗅ぎ分けられるが、味はわからず、熱い液体だ。
こんな状態でいることをヒルダおばさんことヒルダ先生に知られたら、一時間、いや、一日は捕まって助手をさせられながら、説教されるのは確実。
こうなれば、後で貸しのある医療班の誰かを捕まえよう。高価な魔法薬を使っても、治癒には数時間かかるだろうが……こっそり治療してもらおう。
完治した後なら、ヒルダ先生にバレても、毒抜き魔法の特別講座受講までは強制されないはずだ。
「なんのことですか。ラリゼル姫を巻き込んだ人に言われたくありませんね」
リリィーナはシラッと応えた。トイズマスターも、これが現役局員なら、始末書を書くレベルの大失敗をやらかしたのだ。みんな知っているから個人的な脅迫のネタにはならないが、牽制にはなる。
「はっはっは、そうだね、この件はヒルダ先生には黙っておこう。そこはお互い様だよね、リリィーナ」
トイズマスターは頭の良い先輩だった。彼自身のヒルダ先生一日説教コースよりも、リリィーナの共犯となることを選んだのである。
「ところで、君、ハーレキンの『顔』を壊さなかったんだって?」
トイズマスターにはまだ隠し玉があるらしい。解放された嬉しさで友人と話をしたいだけかもしれないが、リリィーナはコーヒーを吹き出しかけた。
「誰に聞いて……ああ、ラリゼル姫か」
「王城へ入った掃除部の連中からだよ。ハーレキンは体ごと回収された。局内で処分するそうだ。強い魔力のある物は、いろいろと面倒くさいね」
「アレを、ラリゼル姫の前で乱暴に壊すのは、さすがに気が引けたんですよ」
肩をすくめるリリィーナへ、トイズマスターは、にま、と微笑んだ。
「モデルにしたのは白猫の顔だよ。私の知る限り、最高の美男子だからね。だからラリゼル姫は、ハーレキンを嫌悪しながらも、傍に居ることが可能だった。それとも、白猫の相棒だった君自身が、壊すのが惜しかったのかな?」
リリィーナは口を曲げた。
「そりゃ、あなたが最高傑作と言ったほどの作品ですからね。それにあの顔は、ラリゼル姫にも似ていました。姫君本人は気付いていませんでしたが」
それも、ラリゼル姫がハーレキンを嫌い抜けなかった理由の一つだ。ハーレキンの美貌は、姫にとっては自分の顔の類似品であり、同様にハーレキンの方も、自分に等しい美しさのラリゼル姫に執着したのだ。いや、させられていたのだ。トイズマスターによって、強制的に。
「さすがに君は判っていたか。人は美の基準を、自分をものさしにして測るのだよ。美意識の常識だ」
トイズマスターは破顔した。
トイズマスターは、リングマスターの監視下に置かれて手も足も出ない状態でありながら、ラリゼル姫を護るために、夜の遊びの国に人形劇のシナリオを用意したのだ。リングマスターの道具であるハーレキンを手中に収め、リングマスターとハーレキンが、最後にはトイズマスターの思惑通りに動くように。
「救出される確信は持っていたが、どれくらいの長期戦になるのかは、予測不可能だった。ラリゼル姫だって、長くこの島に留まれば、いずれは魔法の影響を受けてしまう。しかも、島に来た後で、リングマスターが姫の利用価値に気付いてしまったんだ。王城でリングマスターに直接洗脳されるよりは、私の傍で守れる方がいい。だが、それにも限界がある。だから姫を、島で最も脅威の少ない、私の傍よりも安全な場所に置こうと考えたんだよ」
「それが最高権力者の、パートナーの位置だったわけですね。だが、リングマスターの作ったオリジナルのハーレキンが、コロンバインにラリゼル姫を選ぶとは限らない」
「そうだ、だから、私はリングマスターの依頼に応じた。万人を惹きつける美しい仮面と、見る人すべてを魅惑するエメラルド製の魔法の瞳を作り、ハーレキンに与えたんだ。この二つは、けっしてこの世に在ってはならない、危険なものなんだよ」
ハーレキンの原型は、リングマスターが、夜の遊びの国の王として王国の民に見せるために作った人形だった。それをトイズマスターは、より人間らしく作り直した。最高の美貌に加え、幾つかの仕掛けを施した。そのひとつが、ラリゼル姫だけが与えられる破壊のキィワードだったのだ。
「リングマスターはそれに気付いていた。そして、あなたに入れ変わった際に、自分を本物のトイズマスターだと信用させる証拠として、ラリゼル姫に破壊のキイワードを教えた。姫の信頼を得て、自分を運ぶ媒体とすれば、もっとも安全に局に保護されたでしょう。しかし、たったひとつ、あなたが隠していた情報があった。それは……」
「そう、リングマスターは、私が予備局員とまでは知らなかった。予備局員とは言っても、実質、局の建物に勤務したことは無いからね。これが私の最後の切り札だったわけだ」
「まさに命がけで仕掛けたカラクリでした。さすがは第二十三代カラクリニザエモンです」
リリィーナが紙コップを掲げると、トイズマスターは照れくさそうに頭を掻いた。
「そりゃあ、もう。だって、私はトイズマスターだよ。じゃあ、白く寂しい通りに戻ったら、喫茶エクメーネで会おう。いつものようにね」




