(五十八)トイズマスターの正体
穴に突き立った銀の剣の中途で、首は獣のような咆哮を上げた。
地下で何かが蠢いた、その微細な気配を、リリィーナは銀の剣の刀身を通じて感じ取った。
「――ここへ!」
それは地下への呼びかけであり、リリィーナが行使する魔法の力の方向性を定める指令でもあった。
小さな穴は、地下深くの、島の基部となっている岩盤めいた部分にまで通じていた。銀の剣の威力は延びて岩盤を貫き、その先にいたものに突き刺さり、切り裂いて、そのものの全存在のエネルギーを捕らえて集めた。
銀の剣から、黄金の光の奔流がどっと溢れ出た。まばゆい光は剣から滑り落ちて床に這い、凄まじい勢いで室内を循環した。壁にぶつかれば壁を這い上り、天井にまで上ってから、再び落下して床に落ちてくる。光は渦巻き、激流となって、あちこちで逆巻いている。
リリィーナは顔を歪めた。銀の剣の柄に接触している右手の内側に、激痛が走ったのだ。一瞬息が止まったほどの痛みだった。痛みは持続し、室内を循環する光の流れに連動するかのように脈動した。
右手と柄の隙間から血が流れ出た。血は一筋の流れとなって、剣の柄から刀身に伝い落ちていく。
リリィーナは、柄を握る手に渾身の力を込めた。
カキリッ
刀身の突き立っている穴の縁が、音を立ててヒビ割れた。と、ヒビは瞬時に放射状に走り、床に、壁に、黒い繊細なレース模様を彫り込んだ。
島が揺れた。それは臆病な動物が、ブルッと身震いしたみたいな、小さな振動だった。
すると、室内を巡っていた光は、潮が引くように薄れていった。
リリィーナは、ようやく剣から手を放した。
銀の剣は床に突き立っている。
刀身の半ばに串刺し状になっている首は、ベージュ色の、目鼻すらも無いブヨブヨした肉塊に変じていた。
リリィーナは、ゆっくりと右手を上向けた。人差し指の下から小指の下の方へ、斜めに掌を横断する一文字の傷が出来ていた。まるで肉が食いちぎられたようなギザギザの裂け目からは血が溢れ出し、ぼたぼたと音を立てて真珠の床に滴った。
「ひどいな。――止まれ」
リリィーナは傷口に命令した。右手の血は止まった。肉と皮膚の再生には、少少時間がかかるだろうが、当座はこれで良い。問題は左手の麻痺だ。左腕は肩まで完全に麻痺した。今なら切り落とされても痛みも感じないだろう。麻痺はさらに広がって、左半身を覆い尽くそうとしている。
心臓に到達するのも時間の問題だ。
トイズマスターを覆った真珠の被膜は、先刻、銀の剣が床に作り出したヒビ割れの影響を受けて細かなヒビ割れを生じさせていた。そのおかげでまだ真珠層の薄かった顔面の被膜の一部が剥がれていた。
「お待たせしました、トイズマスター」
リリィーナはトイズマスターの右側へ腰を下ろした。左足がうまく曲げられないので床に伸ばした姿勢になる。
「念のため、フルネームを……」
リリィーナの声がかすれた。額から冷たい汗が右頬へ流れ落ちる。
トイズマスターは、ふう、と大きく息を吐いて、吸い込んだ。
「私は、第二十三代からくり仁左衛門。所属は多次元管理局の万能課、白く寂しい通りに住む予備局員だ」
ニザエモン氏の口元の真珠の被膜には細かくヒビ割れていた。喋ると顎の下から真珠の薄片がボロボロと剥がれ落ちた。
「確かに、本人と確認しました。よくぞご無事で、ニザエモン先輩」
「目の上の真珠の膜を取ってくれないか、リリィーナ。今なら剥がれそうだ」
リリィーナは右手を伸ばして、ニザエモン氏の目の上から真珠層の被膜をめくり取った。
「やれやれ、これで見える……ええっ、君、真っ青じゃないか!?」
「ちょっと毒にやられまして」
リリィーナは笑って応えたが、呼吸は苦しくなっている。
「君が毒にッ? いったい、どれだけ凶悪な毒なんだ?」
「神経毒みたいですね。毒素の回りが早いです。恐らくはテトロドトキシンかと」
「それって、フグの毒だよね?」
「他にも、ある種の海の生物は持っているそうですよ。リングマスターの正体は海棲生物の変化みたいですね。もうすぐ明らかになるでしょう」
リリィーナは右手を左胸の上に当てた。左足の感覚はとうに無い。左半身がそろそろやばくなりそうだ。
「ふむ――どうやら、麻痺が、心臓に到ったようです」
「ええ!? おい、ちょっと……おーい、誰か来てくれ、白猫、白猫はどこだ、リリィーナを助けてくれー!?」
トイズマスターの慌てる声を遠くに聞きながら、リリィーナの視界は暗闇に閉ざされた。




