(五十三)秘められた禁足地②
長い階段を降りていくと、ふいに闇が切れて辺りは黄昏めいた明るさになり、涼しい風に吹かれた。
空には暗雲が流れている。この階段は地面に開いた亀裂の下らしい。仰げば、月と星の光が切れ切れに見えている。
パラパラとリリィーナの顔に水滴が当たった。
雨粒だ。
常春の島の気象が狂い始めている。リングマスターの魔法のコントロールが失われつつある証明だった。
階段を下り終えると、平らかな地になった。すると今度こそ完全な地下空間に入り、外の光は完全に遮断された。
リリィーナはラリゼル姫の様子を確認した。王城の魔法はまだ効いている。まだ夜会のドレスも結い上げた髪の宝冠も変わりない。王城からはずいぶんと移動したが、この場所もまだ、リングマスターが定めた王城の領域らしい。
カツンカツンと足音がやけに響く。
リリィーナは魔法の目で足下を視た。白く艶のある石だ。どこにも継ぎ目が無い床は、真珠色の光沢を持っている。
リリィーナは身を屈め、左手でサッと床に触れた。指先で読み取れた鑑定結果は、多少の驚きを伴っていた。
「本物の真珠か!? この床すべてが……」
真珠だからと言って丸いわけではないが、これだけの面積を真珠質で覆うだけでも、どれほど大量の真珠貝の分泌物が必要だろう。あるいは魔法で生み出したにせよ、本物の真珠となれば、莫大な魔力を消費する。
誰が作った?
それがリングマスターなら、何の目的で?
あるいはどんな魔法を編み上げるためなのだ――?
「ようこそ灰神の神殿へ。姫君、そして招かれざる客人よ」
朗朗たる声が響き渡ると、辺りが真昼のように明るくなった。
「このような場所に可憐な姫君を同道するとは、気遣いに欠けることだな。さては、コロンバインとなられた姫君を連れて来るために時間を要したか」
広い、王城の大広間よりも広い空間だ。大理石を加工した壁に囲まれて、その壁には等間隔に緑の炎の松明が燃え、純白の壁が光を反射して増幅してる。
中央の、祭壇らしき高みにある場所に、黒騎士が四人いた。一人は立ってこちらを見下ろし、残る三人はその後ろで片膝を付いた姿勢で控えている。四人が四人とも黒尽くめで、顔の無いのっぺりした仮面を付けているが、立っているのが騎士団長だ。マントに付いた紅玉のブローチでそれとわかる。
「お前が不思議探偵のリリィーナか。元局員の剣士だそうだが」
騎士団長は体の前に立てた剣の柄に重ねた掌を置いて、こちらを見ている。彼らの背後、祭壇の奥には、目立たない白い扉があった。
「姫君、わたしの後ろへ」
ラリゼル姫はドレスの裾を捌いて、リリィーナの真後ろに回った。
騎士団長は、おもむろに上を仰いだ。
地底の神殿には、天井が無かった。天井に当たる部分には一面の暗雲がたちこめ、その間を黄金のイナズマが縫い踊る。
現実の風景ではない。
この場所が島の中心であるがごとく、暗雲もイナズマも、島の状況を象徴的に表した現象なのだ。
リリィーナは目を細めた。黒騎士団の騎士団長が、リングマスターである可能性は捨て切れていない。
「ふむ、島の結界は完全に破られたか。だが、多次元管理局とて全能ではないぞ。永遠の夢の国は滅びることはないのだ」
騎士団長は笑った。
リリィーナの背中に、あの人がリングマスター?とラリゼル姫が小さく訊ねた。
いいえ、と早口にリリィーナは答えた。リングマスターなら空を見上げずとも島の結界の破綻をわかっていたはずです。もう少し、早い時間にね。
「黒騎士団の騎士団長だな、お前こそここで何をしている? ハーレキンは死んだ、リングマスターが逮捕されるのは時間の問題だ。逃げなくて良いのか?」
「馬鹿な。王たるハーレキンは失ったが、そこな姫君が女王となられたのだ、私が新しい玉座にお連れしよう。我らの新しいコロンバインが絶世の美姫とあらば、民も喜んで新しく興す国に付いてくるだろう」
騎士団長が剣を抜いたのを合図に、背後にいた三人の黒騎士が、一斉に立ち上がった。
「島と子どもは奪われたが、最後は我我の勝ちだ!」
騎士団長の言葉が終わらぬうちに、鋭い音を立てて、その剣が弾かれた。だが、騎士団長は剣を落とさず、跳びずさった。
黒騎士の一人が、自らの指揮官である騎士団長に剣を向けている。他の二人の騎士は、その黒騎士の足下で伸びていた。
信頼していた部下の信じがたい行動に愕然としたらしい黒騎士団長は、それでもすぐに我に返って剣を構えた。
「誰だ、貴様は!?」
「君の相手はわたしだ」
黒騎士の魔法の変装が瞬時に解かれ、銀の巻き毛に緑の瞳の素顔が晒される。
初めて見た白猫の美貌の衝撃に、騎士団長は声も出ないようだった。だが、白猫への返答は、激しい剣の一撃だった。
勝負は三撃で付いた。
白猫は騎士団長の剣を半ばから切り飛ばし、その腹部をも切り裂いた。
騎士団長は刃を失った剣を落とし、左手で腹を押さえて尻を付いた。
「投降しろ」
白猫が勧告したが、騎士団長は動いた。右手でベルトから短剣を引き抜いた、が、白猫は容赦なくその手を切り落とした。




