(四十六)パートナーは白猫
――――きっと、こういうのを、針のむしろに座る、って言うんだわ。
ラリゼルは、辺りを見回した。
大舞踏会の会場にいる多くの女の子たちに、ラリゼルは歓迎されていない。恐ろしく冷たい空気の流れでよくわかった。ラリゼルの何が気に入らないのかさっぱりだが、露骨に避けられている。気にするようなことでは無いと考えても、人に嫌われていると思うと気分が落ち込む。唯一、友と呼べる白雪姫は見つからないし、それに、ハーレキンもいない。会いたいわけではないが、招待主のくせに現れないのはマナー違反だ。
――――もう、匠の館に帰りたい。いつまで待てば良いのかしら。
でも、ハーレキンの機嫌を損ねたらトイズマスターに何をされるかわからないし、白雪姫も心配だ。
せめてダンスでもできれば時間が潰せるのに。
王城の魔法はラリゼルのためには、幻影のパートナーを生み出してはくれないのだ。
ラリゼルは目立たないよう、大広間の真ん中辺の東の壁ぎわにいた。大広間の所所には見張り役のピエロがいるので、途中で抜けるのは難しい。
やっぱり終わるまで化粧室にでも隠れていようかしら、と思ったときだった。
大広間の南側が、急に騒がしくなった。
誰か来た。
外から到着した新しい出席者。
入口付近は大騒ぎ。
やっと王さまのハーレキンが来たのだろうか。王城に住んでいるくせに、今までどこにいたのだろう。
人の群れが、さあっと左右に分かれて道を開けた。
黒い衣装の男性が、まっすぐに歩いて来る。
子どもじゃない!?
ラリゼルは目をすがめた。
堂堂とした長身の男性だ。それにあの黒の服装は、燕尾服の、黒いテイルコート! ラリゼルの知る地球を含めた境海世界の文化圏では、上流階級の男性の夜会の正礼装になっている。
音楽よりも、ざわめきが大きくなる。
派手な色の仮装じみた子どもたちの中で、白い蝶タイの黒いテイルコートは却って目立つ。
そして、まばゆい銀の巻き毛をした、目元だけを覆う白い仮面を付けたその人は、ラリゼルの前にやって来た。
「ラリゼル姫、わたしと一曲踊っていただけますか」
宝石のようなエメラルドグリーンの瞳がラリゼルを見つめていた。
うっとりしたラリゼルは、礼儀正しく手を差し出されて、ハッとした。
彼の美貌は、目元を隠したくらいではごまかせない。
「いえ、あの、……あなたは……」
ラリゼルが戸惑っているのをなんと解釈したのか、
「わたしは『白猫』と言います、姫君」
白猫はさっさとラリゼルの手を取ると、大広間にいる観客の注目を一身に浴びながら、大広間の中央へと進み出た。
音楽が切り替わる。
ゆるやかな前奏曲が終わり、三拍子のワルツが始まる。
優雅なリードに合わせて軽やかにステップを踏みながら、ラリゼルはゴクリと唾を呑み込んだ。
「この時間に、どうしてあなたがここに?」
顔だけはマナー通りに微笑みを固定させ、ラリゼルは恐る恐る小声で訊ねた。すると、「えっ?」と小さく驚かれた。この白猫は、ラリゼルが想像した幻影のパートナーではない、間違いなく生身の人間だ。
「姫君は、わたしが誰なのかわかるのですか」
黒騎士団に潜入しているはずの白猫が夜間のパトロールをサボったら、絶対にバレるだろうに。
ラリゼルはうなずいた。
「ええ、あなたは、わたしの婚約者の方ね」
声は少し震えたが、一息で言い切れた。ダンスが得意で良かった、と、ラリゼルはこれまでの人生でダンスを指導してくれた教師たちに、心の底から感謝した。足下を気にせずステップが踏めなければ、白猫に手を取られた瞬間にコミュニケーションが終わっていたところだった。
白猫は顔色一つ変えなかった。
こういうところも彼はリリィーナと似ている。局員の、特に万能捜査課に所属する人たちはポーカーフェイスの達人だ。
「わたしとラリゼル姫は今日が初対面のはずですが、どうしてわかりました?」
ターンした際に、ラリゼルのウエストに回されている白猫の手にわずかだが力が込められ、ラリゼルは心臓が縮んだ。
彼が婚約者だとラリゼルが知っていてはいけない事だったのか!?
「あああ、あの、ごめんなさいッ。じつは匠の館の廊下でリリィーナから黒騎士に変装する瞬間を見てしまったの」
あのとき、前へ向く瞬間の白猫の横顔が見えた。それで顔がわかったのだ。しかし、あの角度なら彼の方も、ラリゼルが廊下に出ていたのが確実にわかっていたはずだが――?
「そんな失敗をしていましたかッ」
白猫は低い声で鋭く呟いた。今度はポーカーフェイスでも隠しおおせない『怒り』をラリゼルは感じた。
「ええッ? ごめんなさいッ、これは秘密ッ! ここにいるのも秘密なんですよね、ええ、わかっていますから、学院に帰ってもクラスメートにも先生にも絶対言いませんッ! 約束します!」
ラリゼルは背筋をビシッと伸ばした。ダンスは姿勢が大事だ。
そう、白猫の美しさにうっとりしている場合ではない。
これは局の一斉捜査で、極秘任務なのだ。
白猫のリードが巧みでなければ、動揺のあまり、ターンのたびにラリゼルはすっ転んでいたかもしれない。
「いえ、落ち着いてください、姫君に罪はありません。この落とし前は……いえ、気にしないでください。この件はわたしがきっちり片をつけます。それより、この会場に来てから、何か変わったことはありましたか」
白猫の怒りの矛先は、ラリゼル以外の誰かに向けられているようだ。いったい、誰の事を言っているのだろう。ラリゼルは何か間違ったことを言ったのだろうか。混乱しそうになったラリゼルは、質問への答を慌てて目の前の風景から探した。
「ええと、ここでの進展は何もないわ。ハーレキンはいないし、白雪姫も来ていないわ」
ラリゼルは観客の中に白雪姫の姿を求めたが、待ち人は来たらずだ。
周りを見て気が付いたが、踊っているのはラリゼルと白猫だけだった。
女の子たちは白猫の姿を憧れの眼差しで追いながら熱い溜息を吐き、ラリゼルには鋭い嫉妬と羨望の呪詛を送っている。
ラリゼルは、男の子の姿が減ったのに気付いた。白猫にそれを言うと、幻影のパートナーが減少しているとの答えだった。
その理由は、白猫に聞かなくてもラリゼルにもわかった。
白猫を見た女の子たちの理想が白猫そのものになったのだ。
だから、理想に追いつかない幻影のパートナーは、女の子の意識によって消されてしまった。
大舞踏会に常ならぬ異変が起きている。
それはすべてラリゼルと白猫のせいなのだ。
ラリゼルは背筋が寒くなった。
極秘捜査でこんなに目立って良いのか!?
あとでリリィーナか管理局に怒られたら、どうしょう?
と、ワルツのステップを踏んで、大広間の端でクルリと方向転換した際に顔を右に向けたラリゼルは、観客の中に黒髪に白いドレスの少女を見つけた!
「いたわ、白雪姫よ!」
お友だちが来ましたね、と、白猫はラリゼルの耳元で囁いた。
「姫君に一つだけ、お願いがあります」
「何をすれば良いの?」
「今夜、ハーレキンはコロンバインを選びます。コロンバインになってください」
「どうして!?」
ラリゼルは手が震えた。ハーレキンが怖いと訴えていたのに、なんて酷いことを頼んでくるのだろう。
「危険な事は何もありませんし、魔法も介在しません。ハーレキンがコロンバインに選んだと、その少女の名前を玉座で宣言するだけです。それだけで、コロンバインは夜の遊びの国の女王となり、ハーレキンと同じ権利を持ちます。この島のあらゆる魔法を従え、禁忌の場所に出入りする自由をね」
ワルツが終わりに近付いている。
ラリゼルはコクリと唾を呑み込んだ。
「それが必要なのね。あなたは、近くにいてくれるのね?」
「申し訳ありませんが、わたしは戻ります。姫君は、この後、コロンバインの儀式が終わったら、西の廊下に出てください。北の方へ歩いて行けば、そこでリリィーナがお待ちしています」
ワルツが終わった。
拍手がパラパラと起こる中、白猫は優雅なお辞儀をすると、ラリゼルをエスコートして東の壁ぎわに退き、ラリゼルを残してさっさと廊下に出て行った。
何人かの女の子がフラフラと白猫の後を追いかけようとしたが、全員が扉付近で恋する乙女の顔から虚ろな表情になり、引き返してきた。
今夜の大舞踏会は、コロンバインを選出する大切なイベントだ。どうやら、王城の魔法が満ちる大広間では、白猫の生身の魅惑よりも魔法の幻惑が勝るらしい。
白猫が廊下に出て行くと、大広間の各所に立っていた見張りのピエロたちが、一斉に動いた。彼らはそれぞれの担当場所近くの出入り口から、廊下に出て行き、大広間の見張りは一時的にいなくなった。




