(四十四)消えた魔法玩具師
リリィーナは島の東の森を迂回する路を選んだ。
島内には至る所に侵入者を攻撃する魔法の境界線がある。だが、黒騎士の黒馬は何の妨害にも掛かることなく森を駆け抜けた。
遊園地には、敷地を囲む柵や境界線はない。魔法に酔わされ、現実から目隠しされた子どもは遊園地から出ないのだ。
遊園地の東端から入った一角は、明るく賑わっていた。
遊んでいる子どもの中には蹄の音や気配に気づいてリリィーナの方へ振り返る子もいたが、黒騎士の馬には姿が見えない魔法が働いている。目を向けた方向に何もないのが納得できると、疑問は忘れてすぐに移動した。
リリィーナは子どもにぶつからないよう、慎重に手綱を操り、遊園地の街道を突っ切った。おかげで匠の館までは十分とかからなかった。
匠の館は静かだった。
玄関にピエロの見張りはいない。
リリィーナは黒馬から降りた。手綱を放して、馬の尻を軽く叩いてやる。黒馬はトコトコと歩き出した。毎日の見回りで通い慣れた路だから、自力で駐屯地まで戻るだろう。
廊下は暗く、人の気配は無い。
闇の中、リリィーナは足音を立てずに廊下を進んだ。
匠の館の間取りはブランシュに聞いている。リリィーナはトイズマスターの作業場のドアを開けた。暗い室内は無人。
リリィーナは右手でポケットから銀の小さな剣を掴み出した。一振りで長剣に変じさせる。
隣室へのドアノブに左手を掛けた。
「トイズマスター?」
隙間から見える暗い部屋の奥で、何かが動いた。
リリィーナが跳びずさった直後、ドアが作業場の方へ弾け飛んできた。
黒い大きな影が、のっそりと歩み出てきた。目鼻もないツルリとした影の色に塗り潰された顔は半透明で、室内の風景が透けている。
背後の作業台に尻が当たり、リリィーナは止まった。
影の手が伸びてきた。リリィーナの頭を掴もうとしたそれをしゃがんで躱し、影の左をすり抜けざまに、剣を跳ね上げる。リリィーナの頭の代わりに空気を握り締めた影の左手首は、作業台の上に落下した。
左手首を失った影は、一切の動きを止めた。切られた断面がブクブクと泡立ち、じんわりと空気に溶けていく。分解は数秒で終了した。
子ども相手の影の番人だ。相手を驚かせるのが主な役割だから、戦闘には向いていない。――――リリィーナは隣室に踏み込んだ。
トイズマスターはいなかった。
床には染み一つ無い白いエプロンが落ちていた。
「リングマスターに連れ去られたか。――――さて、二人をどうやって探すか、だな」
トイズマスターは島のどこかに隠された。
不幸中の幸いは、ラリゼル姫がハーレキンのために大舞踏会に出席せねばならず、トイズマスターの振りをしているリングマスターの傍にはいないことだ。大舞踏会が終わった後で保護する予定だったが、最後まで待たない方が良いだろう。
リリィーナは作業台の上に置いてある、赤味の強い茶色の小さな箱を取った。
高さ三センチくらいの、掌に乗る平たい長方形の箱だ。
赤い石が中央に嵌め込まれた蓋を開けると、チリン、リンリ・リ・リーン、と音色が生まれた。小さなオルゴール。中は右半分が小物入れになっている。左半分を占める鏡の湖の上で、白と銀の踊り子人形がひょこんと立ち上がり、メロディーに合わせてクルリ、クルリと回り出す。精緻を極めた細工は単なる玩具を超えて、芸術の域に達していると言って良いだろう。
今回の一斉捜査では、囮役の不思議探偵はハーレキンにもリングマスターにも会う予定は無かったんだが…………。リングマスターの確保は、大舞踏会の終了後に乗り込んでくる万課局員の役目だった。
スカウトマンの陰謀とも思えないが、この任務には、リリィーナにお鉢が回ってくる偶然が多すぎるようだ。確かにリリィーナは、夜の遊びの国の捜査に局勤めの時代から関わっている。そのせいで、自分で思う以上に、捜査の深みに足を突っ込んでいたのだろうか。
黒騎士に潜入しているブランシュはこれ以上動けない。
他の局員へ連絡を取るのは危険だ。黒騎士や下っ端ピエロをいくら捕らえたところで、主犯格のリングマスターを逃がしては、いつかまたどこかで、新しい『夜の遊びの国』が立ち上がる。
リリィーナはオルゴールの蓋を閉じた。コンパクトだから、背広のポケットにも入れて隠せる。
「大舞踏会には、わたしも出席した方が良さそうだな。こうなったら、せいぜい、派手に目立ってくるか」




